皇太子と男装令嬢は明日を思う
皇太子ルトガー視点です。
目の前ではにかんだ様に笑う男……じゃなくて、女。男装した女、マリアーノ・ソレンギがルトガーの友人になった。
決して、初めての友人という訳では無いが……お互いの秘密を打ち明けた合った無二の友人と言えるだろう。
マリアーノの素の言葉は真っ直ぐで無礼で、言い合っている内に己の余計な飾りを剥ぎ取ってくれる。ルトガーを皇太子では無い、一人の人間にしてくれた。
今日話すまで苦手だ苦手だと思っていたのに……人の好き嫌いとはちょっとした事で変わるのだな感慨深く思う。
明日にはこの海の国を去るルトガー。
「俺が故国に帰ったら、是非遊びに来てくれ。歓迎する」
「マジで?行く行く!いつ、帰んの?」
「半年から十月だな」
「マジで?!そんなに長いこと山の上の国に居んのっ!?」
マリアーノは驚くと声が大きくなる。波音に消されているから良いが人が居れば迷惑極まりないな、とルトガーは苦笑した。
「山の上の国には一月ぐらいの滞在予定だ。その後……氷の帝国へ行く」
「こお、りの……氷の帝国へ?仲良かったっけ?おたくら」
「良くは無いな。だから行く」
「暗殺とかされちゃわない?」
「縁起の悪い事を言うなっ」
「あてっ!!」
ルトガーは思わず、マリアーノの頭を叩いてしまった。
女にしては長身だが、男のルトガーよりは断然低い所にあるマリアーノの涙に滲んだ瞳が睨み上げる。
「お前っ!友達になったら容赦ねーなっ!これでも女なんだから労れやっ!!」
口調は女らしさの欠片も無いが……マリアーノは叩かれた後頭部を撫でながら文句を言う。
「わ、悪い……しかし、お前も悪い」
本気で謝罪する声音に拗ねた様な低い文句も混じる。マリアーノは撫でていた手でばつが悪そうに頭を掻いた。
暗殺されても可怪しく無い地位にいる皇太子のルトガーなのだ。心配半分揶揄い半分で言って良い言葉では無かった。氷の帝国に限らず、何処に居たってその手の危険は漏れなく着いて来る。それは、本人が痛い程分かっている。
「悪かった。オレもフラグを立てたい訳じゃ無いから……。まあ、旅って、どう足掻いたって危険だからさ。明日は態々、崖を登って行くって聞いたし。気をつけて行けよ?」
「フラ、グ?また前世の言葉か。いや、聞くまい。うむ、崖か、崖登りは初めてだからな、楽しみなんだが」
「はああぁぁぁっ!?楽しみぃ!!?何言ってんのぉ!?お前、彼処がどういう所だか分かって言ってんのか!?」
マリアーノの余りの驚愕振りにルトガーは思わず後ずさった。
「い、いや?聞いただけだが……何でも、直角に切り立った崖に自然に出来た段々を利用して階段を作ったとか……」
「そうだっ!直角にっ切り立ったぁっ!崖にだぁ!」
マリアーノのテンションが高くて……高過ぎて、ルトガーに頬に冷たい汗が流れた。
「階段だっ!階段なんだよっ!!延々と、山の上までだ!!」
「そ、そうか、それは、た大変だな」
ルトガーの口から苦笑いが漏れるが、興奮しているマリアーノは気付かない。一歩二歩と後ずさったルトガーを追い掛ける、無意識で。
「ああっ!!」
マリアーノが悲痛な叫び声を上げた。ルトガーはもう逃げ出したかった。
「分かってないよぅっ!あんたっ!!その階段が一体全体何段あると思ってんだぁっ!!」
マリアーノは大きく首を振った。両腕を大きく縦に振って、全身で哀しみを表している様だ。
「いいや!知りたく無いっ!!一段一段数えている奇特な人間がいたら正気を疑っちまうぜ!!!」
ルトガーはマリアーノの正気を疑いたかった。しかし、不意に顔を上げたマリアーノの紺碧色の瞳と目が合って正気を失ってなどいない事を知る。怒気を孕んだ凛々しい瞳。それが、何かを考える様に移ろいでだんだんと怒気は薄れていく。
「はーーーーー。兎も角、メチャクチャ大変な階段だから、頑張ってくれ……」
マリアーノの興奮は乱高下したようで、盛大な溜め息を吐いた。
「あ、ああ。が、頑張る」
マリアーノに圧されて出たルとガーの言葉に、彼女は嗤う。今になってやっと、青白くなったルトガーの顔色に気付いたのだ。
「悪りぃ。オレ、昔、近くに住んでた事があって……その崖に生えてる薬草とか採ると金になるから」
ボソボソと言い訳染みた事を言う。
「登った事、あんだわ。勿論、山の上まで行けた事はないけど……ありゃ、死んだわ。マジ死んだ」
昔を思い出しているマリアーノの瞳はゆらゆらと揺れていて、「死んでない、生きているぞ」なんて揶揄える雰囲気では無い。
「だから!気を付けろよルトガー!階段を一歩踏み外したら真っ逆さまだかんなっ!適度に休んでマッサージしろよ。次の日マジ死ぬから」
「……筋肉痛で?」
「筋肉痛でっ!!」
「そして無事帰国しあ暁には!オレを北の帝国に招いてくれっ!! いやぁ今から楽しみだなぁ!美少女!美女!美熟女! ――痛ってぇぇ!!!」
そうして、翌朝。
北の帝国の皇太子ルトガーと海の国の公女クラリーチェ、公子エルネスト、宰相の息子アルフォンソを乗せた馬車を山の上国の騎士団団長アンブロワーズ・ノーランドが引き連れて公都を出ると……件の崖の下の村まで一行は進んだのだった。




