天狗の鼻緒とカマキリ
あの日、あの場所にいた事。
記憶の奥底の幼い自分。
でも、子供じゃなかった。
生まれた時から、変わらない。
変わらないのだ、この心は。
それに気づいたのは、あの日、あの時、あの場所。
関東平野を流れる川の側に暮らしていた。
爆発音が、3回響いた。
トレーラーが、橋を突き破って、河原に、落ちたのだ。
燃料に引火し、その油が川に流れ出ていた。
川が、オレンジに、燃えた。
夕暮れの中、その炎は、土手に集まった野次馬達から、よく見えた。
「あれは、人みたいだぞ。」
大人に混じって、目を凝らすが、夕闇と黒い煙に包まれていく炎は、鎮火していって、人間の影は見えなかった。
ススキの枯れ野原を風が吹いていて、風下の事故の様子は、闇の中に吸い込まれて、消えて行った。
いつの間にか、カマキリの卵が入った泡玉をもち、家に帰った。
落ちたトレーラーより、枯れ枝の卵のほうが、大事だった。
学習机の中に、卵を入れたのが先か、夕飯が先だったか、覚えていない。
不思議な事に、翌日の学校で、この大事故が、話題にならないのだ。
先生も何も言わない。
変だとは、思ったが、1日の授業が始まると、そんな事は、忘れて行った。
その頃、子供のふりをするのに、疲れていた。
みんな、子供のふりをしてるんだろうな、と、思っていた。
遊びや勉強に月日は立ち、ある晩、子供部屋から、悲鳴と共に、ドタバタと、音がする。
カマキリの子供が、孵ったのだ。
小さいカマキリが、親そっくりの姿で、机の引き出しから、湧いて出ている。
それを、ほうきで叩きながら、開け放した窓の外に放り出していた。
生きたままくっついたのもいたが、叩き潰されて、小さな鎌も三角の顔も、滅茶苦茶だった。
蝶々やトンボが好きな人が多いが、本当にあの芋虫やヤゴも好きなんだろうか。
嫌われてるけど、カマキリや蜘蛛は、成虫の姿そのままで、生まれてくるのに。
残念な事に、担任は女の先生だった上に、新任だったので、こんな話は聞けないのを知っていた。
何かを聞くと、眉にしわを寄せ、家の人に、聞きなさいと言われている同級生をみてからは、なおさらだった。
蛇の抜け殻を学校に持って行って、聞こうとした男子は、事件にされた。
向かいの婆ちゃんなんか、財布に、入れてるのに。
仕方なく、文学作品を読み詩を書く、読書少女に、表向きは変更して、おとなしくしていた。
もらった教科書を1日で読んでしまうので、読む物が無くなり、学校の図書館に、通っていたし。
カマキリの子供達は、少し早く生まれたが、もう外では、春の花が咲き、羽虫が飛んでいる。
草わらに何匹かは、ワラワラと隠れて行ったから、大人になるのもいるかもしれない。
学校にある、ありったけの本を漁り、昆虫の生態を読む。
蜘蛛が尻から糸をだし空を渡る事。
捕まえてむしっていた、ミノムシは、飛べず動かず、あの中で卵を産み一生を終える事。
外の小枝を外した後の、柔らかくふわふわしたミノムシのミノの感触が好きだったが、それからは、むしるのをやめた。
生きる伸びるため、越冬する特別な卵や蛹になるものもいるが、成虫で過ごす虫もいる事。
生まれて死ぬまでが、思っていたより短い事は、衝撃だった。
次の学年は、男の先生だったが、やっぱり、ダメだった。
生気がないのだ。
クラスは、まとまらない。
春に行った、遠足先の天狗を祀るお山に、何人かのクラスメート達と、行くことになった。
もちろん、先生になんて、誰も言わない。
親達にも、学校の校庭が開放されてるって事にして、まんまと弁当を作ってもらい、電車賃を握り締めて、駅に集まった。
男子四人に女子三人。
この仲間で、先月もやはり親に内緒で、動物園に、行っていた。
電車は、ここから、終点までだから間違っこない。
低いとはいえ、山なのだが、2人の女の子は、スカートをはいてきていた。
違和感がいっぱいだったが、面倒臭いので、褒める。
自分の好きな物は買ってくれず、押し付けられてばかりいたので、着る物も持ち物も、どうでもよかった。
知識だけが、財産だと、わかっていた。
何事もなく、終点に着く。
ここで降りる人達は、リュックとスニーカーなら、百%、天狗のお山だ。
てっぺんに着いて、お弁当を食べるのが、目的。
学校で歩いた道を歩いた。
他の道がある事は知らない、のんきな、ピクニックだ。
同じ山なのに、二列に並ばなくて良いし、開放感がたまらない。
話はバク転から、バク宙になり、いかに回るか、議論は白熱した。
2人の女子がふてくされてる事に、気がつかない5人だった。
日曜日のお山は、混んでいた。
山頂のベンチをあてにしてきたのだか、満杯だった。
みんな、ここで景色を見ながら、お弁当を開いている。
7人でウロウロしてると、ヒゲのおじさんが、手招きしてくてた。
おじさん達のゴザは、広く、まだまだ余裕があったので、場所探ししていた7人を座らせてくれた。
みんな、真っ赤だ。
昼間っから、酒盛りの席だった。
男の子達は、酔っ払いと話が弾み、又バク宙の事を聞いている。
コツを知ってる大人が居て、色々教えてくれる。
みんなは、次の休み時間に試そうぜ、と、もりあがっていた。
ヒゲのおじさんの背後に不思議な下駄があった。
「あの、あれで、歩けるの?」
おじさんはカラカラと笑った。
「あれは、一本歯だよ。
歩くところか、飛べるとも。
どれ、待ってな。」
げたの鼻緒から、1本の糸を引っ張り出すと、髪の毛に結んでくれた。
「千の虫を殺すとも、千一匹目が、明日に栄えるだよ。」
おじさんは、ニヤリとひげの中で笑った。
「カマキリは、1匹大人になって、ススキの原に泡玉を作るだろうね。」
答えてくれる人だったのだ。
いくつも、質問した。
「虫を殺してしまう事は、仕方ない。」
おじさんの目が青く見える。
「それでも次に命がつながれば良いんだよ。」
宴会をしている仲間達に、パンパンと手を叩いて、お開きを知らせた。
「さあ、もう下らないと、遅くなる。」
確かに、そうだ。
お礼をしていると、女子2人に引っ張られ、アレヨアレヨと、お山から、駅前に来た。
「男子、待たないの?」
2人はサッサと、改札口に、行き、急行に乗り込む。
駅の向こうに、男子が見える。
ああ、女は怖い。
で、その仲間なのだ、今の立場は。
急行は、彼女達の駅に停まるが、一つ手前の最寄駅には、止まら無い。
折り返しに乗ろうとすると、駅員の方に手を引っ張られていった。乗り越した事を言われたが、駅員さんは、折り返しのホームを指し、乗っていいよと、言ってくれた。
不満げな2人は、明日ね〜と、改札口を出て行った。
折り返しは、運良く各駅停車で、無事に、家の近くの駅にたどり着いた。
胸騒ぎがしたが、男子達も薄々気がついているだろう。
その日から、男子と女子は、真っ二つになり、バク宙の稽古は、二度と見られなかった。
今では、虫を見て、キャアって、言ってみるが、馬鹿馬鹿しい。
北国に来て、暮らしているから、ミノムシもカマキリもムカデもいない。
あの日の燃える川と、カマキリの卵と、初めて、問いに答えてくれたひげのおじさんを思い出す。
あの下駄、天狗の履く一本歯の下駄、そっくりだった。
不思議な人だった。
心と外見は今もチグハグしているが、あの日から、自分の気持ちを殺す様な事は、しなくなった。
何かを聞かれれば、真摯に答え、わからなければ、一緒に答えを探す。
答えの無いものもあるが、無いことを知るのも、大事。
あのトレーラー事故で、運転手は脱出し、無事で、巻き添えになった人もいなかったのを知ったのは、最近だった。
トレーラーが運んでいたのは、ジェット燃料だったのだ。
あれは、本当にあった事故だったが、次の日誰も話さなかったのは、開発されたばかりのジェット機用燃料のせいだったのかもしれないし、子供には、関係のない話だったのだろう。
未だに、本当に起きた事の話を、話題に出来ない事があるし。
女子供には、って、風潮はまだまだ、根強い。
だが、それも受け止める力が付いていた。
髪に結ばれた、糸は、消えていたが、心には、残る。
ひとつも変わらない心が、この胸の中に、あるのだから。
今は、ここまで。