沖縄へ旅立つ女性は妊娠の予感を持つ。
9月11日、水曜日の出勤途中。
混雑極まる国道8号線の路上で、私は、元ちとせのアルバムを聴いていた。
彼女の唄を聴くようになってから、確実に私の朝のラッシュ時のイライラ指数が、下降傾向にあることに気がつく。
唄の力。
沖縄の魅力。
前回、沖縄に行ったのは、もう2年も前なんだな。
ふと、鮮明に記憶が、胸に差し込んできた。
まず最初は胸にぐっと一撃。
そして、濃い砂糖水のように、不敵な重たさで、じわじわと、私を浸蝕しはじめた。
体が、けだるい甘さに包まれる。
めまいがしそうで、私は頭をふって、運転に集中するように、気を取り直そうとする。
でも、あふれ出てくる、記憶の断片。
いや。
もはや、記憶からはみ出してしまっている。
もしくは記憶の中に、別の次元から何かが流入しはじめている。
目にしたこともないような風景までもが、渦を巻き始め、私は、囚われていった。
それでも、記憶をたどってみるなら。
2年前の秋、満月の夜の首里城で催された「仲秋の宴」に、たまたまでくわした。
泡盛を飲みながら、伝統的な琉球舞踊や、勇壮なエイサーを、見た。
月が刻々と、軌道にのって運行していくスピードで、夜は進んでいく。
どの出し物も、絶対に端折られることはなく、最初の頃は「うわ、このペースで、これだけの出し物をやったら、何時までかかるんだ?」とぎょっとしてプログラムを見たものだが、すぐに夢中になって、最後には、更けていく夜に取り残されて、宴の終わりの中で、さみしくてならなかった。
宴の余韻をかみしめながら、夜道をとぼとぼ、宿まで帰った途中に、真っ白に輝くスーパーがあった。
小川洋子さんの「シュガータイム」の、主要な場面である「サンシャインマーケット」のイメージがだぶったので、
私は今でもその店を勝手に「サンシャインマーケット」と呼んでいる。
こうこうと明るく。でもどこかさみしい気持ちを、そっと包んで、足りなくもないし、はみだしもしない。
ちょうどよい大きさの店。
『サンシャインマーケット』で、あまいあまい、メイドインアメリカのチョコレートを買った。
チョコレートを食べながら眠った夜に、底なしの悪夢にうなされて、その当時好きだった男の子に泣きながら電話をかけた。
南国の楽園は、摩訶不思議で、奇怪で、でも死ぬほど甘美で、私はとりこになった。
もう一度、沖縄に行きたい。
でも、遠いよなぁ。
会社が近づく。
最後の跨道橋は、大きな川を渡る。
朝日にきらめく、川面が目の前に開けた瞬間、旅だちは決まった。
会社についてすぐ、チケットをインターネットでとった。
もう笑いがとまらないほど、元気に、陽気になった。
私は自由よ。
大声でどこかまわず、誰かまわず、そういいふらして歩きたいような。
はちきれそうにわくわくしながら、出発を待った。
出発の朝は、静かだった。
かしこまるような静寂の中、私はそおっと、旅だつ。
滑走路を滑り出す飛行機。
一瞬の浮遊感。
あっというまにミニチュアになる、下界の風景。
私には一つの予感があった。
子を宿しているかもしれない。
だから旅の間中、私はおなかを包み込むように歩いていたんだと思う。