小田原星人と下着泥棒(1)
ある晴れた午後。俺はいつものように佐々原大学の庭園のベンチに座り、「は~いお茶」を啜っていた。
今日はぽかぽかと日が差しとてもいい天気だ。点々と存在する緩やかに流れる雲をぼんやりと眺める。ここのところ毎日のように曇り空ばかりでうんざりしていた。
どのチャンネルの天気予報でも今日も曇りになるということだった。晴れだと言ったのは確か石原気象予報士ひとりだ。
(さすが俺の尊敬するヨシズミだけのことはあるよな)
満足気に微笑む。この光景を見た人間は「空を見ながら何をニヤニヤしてるんだ」と訝しく思うに違いない。しかし構わなかった。今日はとてもすがすがしい気分だ。
「そこのご老人、日向ぼっこしながら一人で笑ってんじゃない。気持ち悪いぞ」
振り返ると、俺と同じく佐々原大学3年の長友弘道がこちらに向かっているところだった。
「ご老人って。何?そのフリ」
確かに縁側でお茶飲みながらぼ~っとしてるのはそれっぽいけども。弘道は俺の隣りに座ると大きくひとつため息をした。
「なんだため息なんかついて。幸せが逃げるぞ」
「言うことまで年寄りくさいな。いやさ、最近なんか面白いことねえなあと思ってよ」
いきなりどうしたのだ、こいつは。なにを感傷に浸っているんだか。
「でもまあ確かにそうだな。勉強も落ち着いてきちゃってるし、就職活動を始めるにはちょっと早いかもな」
とはいえ就職活動は早いに越したことはないとは思うが。俺はお茶の缶を逆さに掲げ最後の一滴まで残らず飲み干した。ベンチの脇にある網状の鉄のごみ箱にそれを放る。
「ナイスシュート」
軽くガッツポーズをして立ち上がった。大きく伸びをする。
「なんだ、もう行くのか?もうちょっと俺の話に付き合えよ」
「何か面白い話をしてくれるってんなら聞いてやらないこともないな」
弘道はまた大きくため息をついた。
「さっき面白いことがないなあって言ったばっかなんですケド。あ、そうだ、お前聞いたか?学生アパートの怪奇事件のウワサ」
振り返り校舎を見やる。最近名が知られるようになってきた若き建築デザイナーが手掛けたというその校舎は、大した歴史を持たないこの大学に格調と風格を持たせるとともに、どこか近未来的なシャープな一面をも覗かせる造りとなっている。
俺はこの校舎を見るたびに感嘆の声をあげそうになる。校舎のほぼ中央の、屋上付近。そこにはこれまたそのデザイナーがこの校舎のためにデザインしたという大きな時計が掲げられている。俺はその時計で時間を確認するのが好きだった。
「まだ昼の授業には時間があるな。怪奇現象とかお化けとかあんまり得意じゃないんだけど」
俺はしぶしぶベンチに座り直した。その他に暇つぶしになるようなものもないし、第一興味もあった。学生アパートは佐々原大学が運営している俺も住んでいるところだ。というよりアパートに住んでいない学生の方が少ない。言ってみれば寮制度の学校に近い。そこで何があったか、気になって当然だ。
「最近女子の棟でちょくちょく下着が無くなるって騒ぎがあるらしいんだ」
なんだ、そんなことか。俺は一気に関心を無くした。
「ありがとう。いい暇つぶしになったよ」
そう言うと俺は腰を浮かした。弘道が慌てて掴みかかる。
「ばか。ただの下着泥棒じゃないんだっての。」
「いてて。何だよ、分かった。分かったからそう引っ張るな」
三度ベンチに腰を下ろす。
「で、どの辺がただの下着泥棒じゃないってんだ?」
俺は襟を正しながら問いただした。
「それはな、下着が無くなったっていう女子の部屋は、どれも3階以上ってことなんだよ」
ほう、俺はついつい弘道の話に食いついてしまった。
「わざわざよじ登って盗んでいったってことか。ご苦労なことだ」
「そう思うよな。でも1回2回じゃない。もちろん警察に通報をしているからな。パトロールを強化してくれているはずなんだ。その目を盗んで盗りに行けると思うか?」
仮に世界一のロッククライマーであってもそれは無理な話だろう。確かに不思議な話しだ。そしてふと思い出した。
「ああ、それで最近よくアパート付近で警察を見かけるのか」
「それ今思いつくところか?」
「それで、その件はまだ未解決のままか?」
「解決しちゃったら怪奇事件じゃなくなっちまう」
それもそうだな。俺はぼんやりと流れ行く雲を眺めた。今日はこのまま授業をサボろうかな、そんな気持ちになってしまう陽気だった。春は目の前だ。