偽物の令嬢に転生したけど、九年なんて待てるか!だから本物を迎えに行った。
冷たい大理石の床に響く、私の小さな足音。
アルバート侯爵家の屋敷は、王都でも一、二を争うほど広大で豪奢な造りになっている。壁には見事な装飾が施されたタペストリーが掛けられ、天井からは眩いばかりのシャンデリアが吊るされている。しかし、その豪奢さとは裏腹に、この屋敷に漂う空気はどこまでも冷たく、淀んでいた。
少なくとも、現在七歳である私、レスティ・アルバートに向けられる空気は、北風よりも冷たい。
「あら、レスティお嬢様。またお一人ですか?」
すれ違ったメイドの一人が、口元に手を当ててクスクスと笑いながら通り過ぎていく。その目には、主への敬意など微塵も含まれていない。むしろ、汚いものでも見るかのような、侮蔑の光が宿っていた。
普通、七歳の子供に向けられる視線ではない。だが、これが私の日常だった。
お父様とお兄様は、私と顔を合わせることを極力避けている。用事があっても執事を通して伝えられるだけで、一緒に食事をとることも稀だ。
そして、お母様は……彼女は、私が物心ついた頃から、離れの自室に引きこもったままだ。時折、窓越しに虚ろな目をして外を眺めている姿を見かけるが、私と目が合うと、ひどく怯えたようにカーテンを閉めてしまう。
(なんで私、こんなに嫌われてるんだろうなぁ……)
子供ながらに、私はいつもそう思っていた。
勉強も礼儀作法も、家庭教師が驚くほど完璧にこなしている。我儘だって言わない。それなのに、誰も私を愛してくれない。
そんな鬱屈とした思いを抱えながら、私は二階へ続く大階段を下りようとしていた。
その時だ。
「あ」
ツルリ、と。
磨き上げられた大階段の最上段で、履き慣れない室内履きの先が滑った。
メイドの誰かが、わざとワックスを厚く塗っていたのかもしれない。いや、そんな邪推をしている余裕はなかった。
私の小さな体はバランスを崩し、宙へ投げ出された。
(あ、これ死んだわ)
高い高い階段の頂上から、真っ逆さまに落ちていく。スローモーションのように景色が流れていく中、私は不思議と冷静だった。
しかし、私の体は、私の意志とは無関係に驚くべき反応を示した。
クルンッ!
空中で身をよじり、姿勢を制御する。
まるで長年訓練を積んだ体操選手のように。いや、それ以上だ。
前方に一回転、さらに空中でひねりを加え――いわゆるウルトラCと呼ばれる難易度の高い技を、ドレスを着た七歳の幼女が完璧なフォームで決めたのだ。
タァンッ!
そして、大階段の下。見事な三点着地(片膝をつき、両手を床に添えるヒーローのような姿勢)を決めた。
衝撃は最小限に抑えられ、擦り傷一つない。
「……ふぅ、決まったぜ」
思わず、前世の口癖が漏れた。
……え? 前世?
その瞬間、着地の衝撃(あるいは空中で回転しすぎたことによる脳の揺れ)によって、私の頭の中に膨大な情報が濁流のように流れ込んできた。
「ぐっ……あたま、が……」
私は床に蹲り、頭を抱えた。
思い出してしまった。
私が、日本のどこにでもいる平凡なオタクOLだったことを。
休日は一日中ベッドに寝転がって、スマートフォンでウェブ小説を読み漁るのが至福の時だった。徹夜で長編ドロドロ恋愛ファンタジー小説を読み終えた後、仕事に向かう途中で居眠り運転のトラックに突っ込まれて……そこで記憶が途切れている。
「ってことは、私、転生したの……? しかも、この世界って……」
私は周囲を見渡した。
見覚えのある、無駄に豪華なシャンデリア。冷たい目をした使用人たち。そして、何より私自身の名前、『レスティ・アルバート』。
間違いない。ここは、私が前世で死ぬ直前に読んでいた恋愛小説『銀の聖女と永遠の誓い』の世界だ。
だが、問題は私の立ち位置である。
私はヒロインではない。悪役令嬢でさえない。
物語の開始時点(ヒロインが十六歳で社交界デビューする時)には、すでに精神を病んで修道院に幽閉されている、哀れな『偽物の令嬢』なのだ。
この小説の序盤の最大の山場は、『真実の娘の帰還』である。
実は、アルバート侯爵夫人が出産した直後、悪意を持った何者か(作中ではすでに死んでいる)によって、本物の赤ん坊と、別の赤ん坊がすり替えられていたのだ。
その『すり替えられた偽物の赤ん坊』こそが、私、レスティである。
侯爵夫人は、母の直感で「この子は私の娘ではない」と気づいていた。しかし、証拠はなく、周囲からは産後の神経衰弱だと扱われ、やがて本当に心を壊してしまった。
夫である侯爵や長男も、妻(母)を狂わせた原因である私を無意識に憎み、冷遇していたのだ。
物語の本編は、十六歳になった本物の令嬢(銀髪碧眼の超絶美少女)が偶然見出され、侯爵家に帰還するところから始まる。
その時、長年の冷遇で性格が捻じ曲がっていた偽物の令嬢レスティは、嫉妬に狂って本物を害そうとし、あっさりと断罪されて修道院へポイ捨てされるのだ。
「……いやいやいやいや!」
私は大理石の床をバンバンと叩いた。
「なんだそのクソみたいな人生! 生まれてからずっと愛されず、冷遇されて、最後は修道院で一生幽閉!? ふざけんな! 私、何も悪いことしてないじゃん! すり替えられたのだって、私が望んだわけじゃないのに!」
怒りがフツフツと湧き上がってくる。
前世の記憶を取り戻した今、自分がなぜこんなにも冷遇されていたのか、その理由がはっきりと分かった。
そりゃあ、家族からすれば私は『愛する妻(母)を壊した得体の知れないガキ』であり、無意識に本物ではないと気づいているからこそ、愛せないのだろう。彼らもまた、すり替えの被害者なのだから。
でも、だからといって、私が大人しく破滅の運命を受け入れる義理はない。
私は立ち上がり、ドレスの裾の埃を払った。
「決めた。こんな泥船みたいな侯爵家、さっさとオサラバしてやる。……でも、その前に」
私はニヤリと笑った。
私には、前世で読んだ『原作の知識』という最強の武器がある。
この知識を使って、私の運命を大きく変えてみせようじゃないか。
前世の記憶を取り戻し、自分が『偽物の令嬢』であるという衝撃の事実を悟ってから数日。
私は自室のベッドの上で、今後の対策を練るための作戦会議(参加者:私一人)を開いていた。
「さて、現在の状況を整理しよう」
私はノート(前世の知識を活かしてこっそり手作りしたメモ帳)にペンを走らせる。
1.私はレスティ・アルバート(7歳)。本物の侯爵令嬢とすり替えられた偽物。
2.家族からは絶賛冷遇中。使用人も私を見下している。
3.原作小説の開始は、ヒロインが十六歳で社交界にデビュタントする時。
4.原作通りにいけば、私はあと九年間この冷遇に耐え、性格が歪みきったところで修道院へ追放される。
「……うん、無理」
私はペンを投げ捨てた。
あと九年? 冗談じゃない。
七歳の子供の九年といえば、人生の倍以上の時間だ。そんな長い間、針のむしろのようなこの屋敷で、誰からも愛されず、冷ややかな視線を浴びながら生きていくなんて、絶対に発狂する。原作のレスティが性格を歪ませてしまったのも、今なら痛いほど理解できた。環境が悪すぎるのだ。
「じゃあ、どうする? 家出する?」
いや、それも現実的ではない。
七歳の子供が、護衛も金も身分証明書もなく街に出れば、あっという間に人攫いの餌食になるか、野垂れ死ぬのがオチだ。ファンタジー世界のスラムの治安を舐めてはいけない。
ならば、この屋敷での待遇を改善するしかない。
しかし、私がどれほど「いい子」を演じようとも、根本的な問題――私が『本物ではない』という事実――が解決しない限り、両親たちの心の底にある嫌悪感は拭えないだろう。
「根本的な問題……。そうか、本物がいないからいけないんだ」
ポン、と手を叩く。
原作では、十六歳になったヒロインが偶然、王太子の目に留まり、その容姿が侯爵家に酷似していることから調査が入り、真実が発覚する。
だったら、その『真実の発覚』を、九年分前倒ししてしまえばいいのだ。
「私が、本物の令嬢を見つけて連れて帰ってくればいいんだわ!」
なんて名案だろう。我ながら天才かもしれない。
本物が帰ってくれば、お母様の病んだ心も回復するだろうし、お父様とお兄様も本当の家族を取り戻してハッピーだ。
そして、その『本物』を見つけて連れてきた恩人である私を、まさか無碍に追い出したり、修道院にぶち込んだりはしないはずだ。少しの慰謝料をもらって、平民として気楽に生きていく道も開けるかもしれない。
問題は、『本物の令嬢』が今どこにいるか、だ。
私は目を閉じ、前世で読んだ小説の記憶を掘り起こす。
(本物の名前は……そう、アリア。銀の髪と碧の瞳を持つ、The・ヒロインって感じの美少女。彼女が育ったのは……王都の東の端、スラム街のすぐ近くにある……『太陽の光孤児院』だ!)
思い出した!
アリアはすり替えられた後、どういうわけか孤児院の前に捨てられており、そこで育つことになる。そして、あの孤児院の院長は、裏で支援金を横領し、子供たちを劣悪な環境で働かせているという、典型的な小悪党だったはずだ。
「よし、目標は『太陽の光孤児院』に決定。アリアを救出し、侯爵家に連れ帰る!」
目的は定まった。
しかし、最大の障壁が立ち塞がる。
どうやって、七歳の私がその孤児院まで行くのか?
当然ながら、侯爵家の令嬢(一応)である私が、一人で王都の端まで外出することなど許されない。馬車も手配できないし、護衛もつかない。こっそり抜け出したとしても、目的地に着く前に迷子になるか、悪い大人に捕まるのがオチだ。
「大人の協力が必要ね……。でも、お父様やお兄様にお願いしても、『お前が何を馬鹿なことを言っている』と一蹴されるだけだろうし……」
誰か、自由に動けて、ある程度の権力があって、私の言うことを聞いてくれる都合のいい人間はいないだろうか。
……一人だけ、いた。
「ルシアン様……!」
ルシアン・ヴァン・クライス。
国内でもトップクラスの権力を誇るクライス公爵家の次男であり、私の『婚約者』だ。
政略結婚の駒として、私が三歳の時に結ばれた婚約。相手は現在十歳。
普通なら、冷遇されている偽令嬢など見向きもしないだろう。だが、このルシアンという少年は、少しばかり変わっていた。
彼は非常に聡明で、それゆえに周囲の大人たちの建前や偽善に退屈しきっていた。
そんな中、侯爵家で孤立しながらも、どこか達観したような(単に感情を殺していただけなのだが)私に、奇妙な興味を抱いていたのだ。
月に一度、義務として彼が侯爵家を訪れるお茶会。
これまで私は、ただ黙って彼の話を聞き流すだけの人形のような態度をとっていたが、前世の記憶を取り戻した今なら、彼を上手く転がす……ゲフンゲフン、彼に協力をお願いすることができるかもしれない。
「ちょうど明日が、その月に一度のお茶会の日ね」
私は鏡の前に立ち、ニヤリと悪党のような笑みを浮かべた。
待っててね、本物のアリアちゃん。この偽物のお姉ちゃん(中身はアラサー)が、今すぐあなたを救い出してあげるから!
翌日、予定通りクライス公爵令息、ルシアン・ヴァン・クライスが我が侯爵家を訪れた。
十歳にしてすでに完成された美しい顔立ち。金糸のように輝くブロンドの髪に、知性を感じさせるアイスブルーの瞳。彼が将来、社交界の華として数々の令嬢を泣かせることになるのは、原作知識から知っている。
屋敷の温室にしつらえられたテーブルで、私たちは向かい合って座っていた。
用意された紅茶は最高級品だが、周りを囲む使用人たちの冷ややかな視線は相変わらずだ。ルシアンもその空気を察しているのか、いつもどこか退屈そうに、あるいは観察するような目で私を見ていた。
しかし、今日の私は一味違う。
「ルシアン様」
「ん? なんだい、レスティ。今日は珍しく君から話しかけてくるんだね」
ルシアンが少し驚いたように眉を上げる。
私は、前世で培った「年下におねだりする時のあざとい妹」の演技をフル稼働させた。上目遣いで彼を見つめ、少しだけ小首を傾げる。
「あのね、お願いがあるのです。私、王都の孤児院を視察に行きたいの」
「……孤児院? 君が?」
「はい。我が侯爵家も多くの孤児院に寄付をしていますが、実際にどのような生活を送っているのか、自分の目で見て学びたいのです。これからの貴族の務めとして」
七歳の子供にしては出来すぎたセリフだが、ルシアン相手ならこの方が通じる。
ルシアンはアイスブルーの瞳を細め、私の真意を探るように見つめてきた。
「侯爵に頼めばいいじゃないか。僕に頼む理由は?」
「……お父様は、お忙しいですから」
私は少しだけ視線を伏せ、寂しそうな表情を作った。「私なんかの頼みを聞いてくれるはずがない」という言外のニュアンスを込めて。
ルシアンの顔からスッと表情が消え、真剣なものに変わる。彼は私が家でどういう扱いを受けているか、ある程度察しているはずだ。
「……なるほどね。いいだろう。僕がエスコートしよう。行き先は決まっているのかい?」
「はい! 東区にある『太陽の光孤児院』をお願いします!」
計画通り!
ルシアンの権力と護衛騎士を使えば、安全に、そして確実に孤児院へ乗り込むことができる。
◇
数日後。
私たちは公爵家の立派な馬車に乗り、『太陽の光孤児院』に到着した。
ルシアンの背後には、いかにも強そうな護衛騎士が二名控えている。これなら何があっても安心だ。
「よ、よくぞお越しくださいました、ルシアン様、レスティ様!」
出迎えたのは、丸々と太り、ギラギラした指輪をいくつもはめた中年の男。この孤児院の院長だ。顔には媚びへつらうような愛想笑いを貼り付けているが、目が笑っていない。典型的な悪党の顔だ。
「視察と伺っております。ささ、どうぞ中へ。我が孤児院の子供たちは、皆健やかに……」
「院長先生」
院長が案内しようとするのを遮り、私は口を開いた。
「さきほど、そこの裏口から見えた子供たちの服、ひどく擦り切れていましたけれど。それに、みんな酷く痩せていました」
「えっ、あ、いや、それは……子供は元気に遊ぶものですから、服もすぐに破れてしまいまして……」
「そうですか。でも、貴方の指輪は随分と立派ですね。そのルビー、侯爵家の寄付金数ヶ月分はしそうですけれど」
ピシャリと言い放つと、院長の顔から愛想笑いが消え、脂汗が滲み始めた。
ルシアンが面白そうに私を見ている。
「レスティ、それはどういうことだい?」
「ルシアン様、この孤児院の帳簿を見せていただきましょう。……あ、院長先生、誤魔化そうとしても無駄ですよ。本物の帳簿は、院長室の机の裏にある隠し金庫の中ですよね?」
「なっ!?」
院長が素頓狂な声を上げた。
なぜ知っているかって? 原作に書いてあったからだ。ヒロインの過去回想で、「あの院長はいつも机の裏を気にしていて、後で調査が入った時にそこから裏帳簿が出てきた」という描写があったのだ。
「騎士様、院長室へお願いします。机の裏の隠し金庫です」
ルシアンが顎でしゃくると、護衛騎士たちが素早く動いた。
数分後、騎士が戻ってきて、ルシアンに一冊の黒い革張りの手帳を差し出した。
「ルシアン様。ご令嬢の仰る通り、隠し金庫の中にこれが」
「……ほう。寄付金の横領、闇市への横流し、さらには子供たちの違法労働の斡旋まで。随分と真っ黒な帳簿だね、院長」
ルシアンの声は氷のように冷たかった。
院長はすでに膝から崩れ落ち、「ひぃっ」と情けない声を上げている。
「ま、待ってください! これは誤解で……!」
「言い訳は衛兵団の詰所で聞こう。捕縛しろ」
護衛騎士によってあっさりと拘束される院長。
一件落着である。
ルシアンは私を振り返り、感嘆の息を漏らした。
「驚いたな。ただの視察じゃなかったのかい? まるで名探偵だ。どうして隠し金庫のことまで分かったんだ?」
「……神のお告げです」
適当に誤魔化しておく。
しかし、ルシアンの私を見る目は、以前の『退屈しのぎの観察対象』から、『底知れない興味の対象』へと変わっていた。
「君は、僕が思っていたよりもずっと面白い令嬢のようだ。……で、君の本当の目的はなんだい? まさか、ただ不正を暴きたかっただけじゃないだろう?」
鋭い。さすがは天才令息。
私はニヤリと笑い、孤児院の奥へ続く扉を指差した。
「ええ、私の本当の目的は……これからですわ」
院長が捕縛され、孤児院の職員たちが慌てふためく中、私はルシアンを伴って建物の奥へと進んだ。
劣悪な環境で生活させられていた孤児たちは、突然の騒ぎに怯え、部屋の隅に身を寄せ合っている。
「酷い環境だな……。王都のすぐ近くに、こんな場所があったとは」
ルシアンが眉をひそめる。公爵家の御曹司である彼にとって、この光景は衝撃的だっただろう。
私は子供たちの顔を一人一人確認していく。
目当ての特徴は、プラチナブロンドとも呼べる輝く銀の髪と、宝石のように澄んだ碧の瞳。
アルバート侯爵家の血筋に強く現れる特徴だ。
(いない……。まさか、原作と違う場所にいるとか?)
焦りが芽生え始めたその時。
部屋の一番奥、薄暗いベッドの下に隠れるようにして震えている小さな影を見つけた。
「……あの子だ」
私はゆっくりと近づき、ベッドの下を覗き込んだ。
そこには、泥と埃にまみれながらも、隠しきれない高貴な輝きを放つ銀髪の少女がいた。怯えたように見上げてくる瞳は、間違いなくアルバート侯爵家特有の美しい碧色。
「あなた、お名前は?」
「……あ、アリア……です」
震える声で答える少女。
ビンゴだ! 本物のヒロイン、アリアちゃんを発見した!
現在の年齢は私と同じ七歳のはずだが、栄養状態が悪いためか、一回り小さく見えた。
「アリア。怖がらなくていいわ。もう悪い院長先生はいないから」
私はアリアの手を引き、ベッドの下から助け出した。
そして、振り返ってルシアンに向かって宣言した。
「ルシアン様! 私、この子がすごく気に入りました!」
「……は?」
「一目惚れです! 運命を感じます! だから、この子を私のお友達として、侯爵家に連れて帰ります!」
ルシアンがポカンと口を開けた。護衛騎士たちも目をパチクリさせている。
無理もない。孤児院の不正を暴き出した冷静な名探偵っぷりから一転、ただの我儘な子供のような発言をしたのだから。
「レスティ。孤児を引き取るのは簡単なことじゃない。君の一存で決められることでは……」
「嫌です! 絶対に連れて帰ります! ルシアン様の力でなんとかしてください! なんでも言うこと聞いてくれるって言ったじゃないですかぁ!」
言っていない。
だが、ここで引くわけにはいかない。私は全力で地団駄を踏み、我儘なお嬢様を演じきった。
ルシアンは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた後、ふっと笑い出した。
「……ははっ、本当に君は予測不能だ。いいだろう。院長が捕まった以上、この孤児院は一時的に閉鎖される。保護という名目で、侯爵家に預ける手はずを整えよう。侯爵への説明は僕も手伝うよ」
「ありがとうございます、ルシアン様! 大好き!」
こうして、私は最大の目的である『本物の令嬢アリアの確保』に成功したのだ。
◇
アルバート侯爵家、エントランスホール。
「レスティ! お前は一体何を勝手なことを……!」
帰還した私を待ち構えていたのは、怒り心頭の父(侯爵)と、冷ややかな目をした兄だった。
ルシアンからの急報を受けて、仕事を放り出して帰ってきたらしい。
「お父様、お怒りはごもっともですが、まずは私がお連れしたこの子を見てください」
私は、メイドたちに綺麗にお風呂に入れてもらい、私の予備のドレス(一番シンプルなもの)を着せたアリアを前に押し出した。
汚れが落ち、銀色の髪がサラサラと輝いている。
父と兄の視線が、アリアに向かう。
その瞬間、時間が止まった。
「あ……」
「な、なんだ……この子は……」
父の目が見開かれ、手からステッキが滑り落ちる。
兄は息を呑み、信じられないものを見るようにアリアを見つめている。
無理もない。アリアの顔立ちは、若き日の母に生き写しであり、その銀髪と碧眼は、まぎれもないアルバート家の証なのだから。本能が、血が、彼女を『本物』だと叫んでいるはずだ。
「この子の名前はアリア。孤児院で保護しました」
私の言葉に、父はゆっくりとアリアに歩み寄り、その小さな肩を震える手で包み込んだ。
「アリア……。ああ、何という……。間違いない、私の……私の……!」
厳格なはずの父の目から、大粒の涙が溢れ出した。
兄もまた、顔を覆って泣き崩れている。
その時、エントランスホールの階段の上から、信じられない声が響いた。
「……その髪……その瞳……」
全員が視線を上げる。
そこには、何年もの間、決して自室から出ようとしなかった母の姿があった。
騒ぎを聞きつけて出てきたのだろう。母は階段をふらふらと下り、真っ直ぐにアリアの元へ向かった。
「お母様……?」
「ああ……ああ……!」
母はアリアをきつく抱きしめ、号泣し始めた。
長年、彼女の心を覆っていた分厚い氷が、音を立てて砕け散っていくのが分かった。本物の娘の温もりが、彼女の狂気を溶かしたのだ。
「ごめんなさい……守ってあげられなくて、ごめんなさい……! 私の、本当の娘……!」
アリアも突然のことに戸惑いながらも、母の温もりに安心したのか、その背中に小さな腕を回し、泣き始めた。
父と兄も二人に寄り添い、家族四人が抱き合って涙を流す。
感動の再会である。
原作小説のクライマックスを、九年も前倒しで実現させたのだ。
私はその光景を少し離れた場所から見つめ、一人静かに頷いた。
(よし、ミッションコンプリート。私の役目はこれで終わりだ)
アリアが本物の侯爵令嬢であることが証明されるまで、時間はかからなかった。
王家直属の魔導士による血縁鑑定、かつての助産師の証言、そして何より、アリアの容姿そのものが動かぬ証拠だった。
屋敷の空気は一変した。
お母様はすっかり正気を取り戻し、人が変わったように明るく、優しくなった。お父様とお兄様も、失われた時間を取り戻すかのようにアリアを溺愛している。
使用人たちも、本物の令嬢の帰還を祝い、屋敷中が幸福なオーラに包まれていた。
そして、事件から一週間後。
私は自室で、トランクに荷物を詰めていた。
(持っていくのは、お小遣いで買った本と、最低限の着替えくらいでいいかな。宝石とかドレスは侯爵家の財産だし)
本物が戻ってきた以上、私という『偽物』の居場所はもうこの家にはない。
私がすり替えの犯人でないことは皆分かっているだろうが、それでも、私がいることでアリアや家族に複雑な思いを抱かせるのは本意ではない。
「レスティお嬢様……本気で、出て行かれるのですか?」
見習いメイドのアンナが、涙ぐみながら尋ねてきた。彼女は最近、私専属になったばかりの心優しい少女だ。
「ええ。長居する理由もないしね。少しの路銀をもらって、修道院にでも入るか、平民として暮らすわ。大丈夫、私、けっこう図太いから」
私はトランクを閉じ、パチンと留め金をかけた。
これでよし。
あとは、お父様たちに別れの挨拶をして、クールに去るだけだ。
トランクを引きずり、家族が集まっているであろうサロンの扉を開ける。
そこには、お父様、お母様、お兄様、そして綺麗なドレスを着たアリアの姿があった。さらに、なぜかルシアンまで同席している。
「みんな、揃っているわね。実はお話が……」
「レスティ!」
私が言い終わる前に、お母様が駆け寄ってきて、私を力強く抱きしめた。
「えっ? お、お母様?」
「ありがとう、レスティ。あなたがアリアを見つけてくれなかったら、私は一生、暗闇の中で生きていたわ。今まで、あなたに辛く当たってしまって……本当に、本当にごめんなさい……!」
お母様はポロポロと涙をこぼしながら、何度も謝罪の言葉を口にする。
その後ろから、お父様とお兄様も歩み寄ってきた。
「レスティ。私たちも、君には謝らなければならない。大人の身勝手で、君を傷つけてしまった。許してくれとは言わないが……どうか、これからも私たちの娘でいてくれないだろうか」
「俺も……不甲斐ない兄で悪かった。これからは、アリアと一緒に、君のことも本当の妹として大切にしたいんだ」
……あれ?
なんか、思っていた展開と違う。
『お前は偽物だ! 出て行け!』と言われる覚悟をしていたのに、なんだこのアットホームな空気は。
「レスティお姉ちゃん!」
アリアが私に抱きついてきた。
「行っちゃやだ! レスティお姉ちゃんが助けてくれなかったら、私、ずっとあそこにいたもん! お姉ちゃんがいないと、私、寂しい!」
アリアまで大泣きし始めた。
私は呆然としながら、唯一冷静そうなルシアンを見た。
「ルシアン様……これは一体?」
「見ての通りさ。君は侯爵家の恩人だ。誰も君を追い出そうなんて思っていない。むしろ、正式に養女として迎え入れ、侯爵家の長女として遇することに決まったらしいよ。僕との婚約も、そのまま継続だそうだ」
ルシアンは肩をすくめながら、楽しそうに笑った。
「次女? 養女?」
私は目を白黒させた。
つまり、私は追い出されない? 修道院にも行かなくていい?
それどころか、侯爵家の娘としての地位は保たれ、しかも『本物の令嬢』という重圧から解放された、ただの『養女』になるってこと?
「……お父様、お母様。一つだけ、お願いがあります」
「なんだい? なんでも言いなさい」
私は真剣な表情で、お父様たちを見つめた。
「私、お姉ちゃんというポジションは責任が重くて嫌です。だから、アリアを姉にして、私を妹にしてください!」
「え?」
「いや、年齢は君の方が数ヶ月上のはずだが……」
「細かいことはいいんです! 私は妹がいいんです! 末っ子特権を享受したいんです!」
私は力説した。
姉になれば、立派な令嬢としての振る舞いを求められる。だが、妹(しかも血の繋がらない養女)となれば、多少の我儘や自由は許されるはずだ!
家族はポカンとしていたが、やがてルシアンが大爆笑し始めた。
それに釣られて、お父様たちも苦笑いし、最後にはアリアも笑い出した。
「分かった。君の好きにするといい。今日から君は、アリアの妹だ」
お父様のその言葉で、私の輝かしい未来が確定した。
◇
それから数年後。
アリアは美しく成長し、まさに完璧な侯爵令嬢として社交界の華となっていた。
一方、妹ポジションをゲットした私はといえば。
「レスティお嬢様、またお昼寝ですか?」
「アンナ、うるさいわよ。これは成長のための重要な儀式よ」
私は温室のソファで、優雅にお茶を飲みながら、前世の知識を活かして書いた自作の小説を読んでいた。
面倒な夜会や茶会は、すべて「お姉様にお任せしますわ」と押し付け、私はのんびりと屋敷で過ごす日々。
ルシアンも時折やってきては、私の怠惰な生活を面白がって見ていくが、小言は言わない。
冷遇されていた偽物の令嬢は、本物を連れてきたことで家族の絆を取り戻し、最高のポジションを手に入れた。
(やったー! 念願のニート生活(実質)を手に入れたぞ!)
心の中でガッツポーズを決める。
私の第二の人生は、最高にハッピーなものになったのだった。




