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頑張れた理由(わけ)  作者: 山奥一登


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最終話


 妻と初めて会った時のことを僕は覚えていない。僕は生後数か月で、妻も1歳に満たない時だったと親に聞いたことがある。

 物心ついた時から一緒にいるのが当たり前で、僕は小さい頃は妻とその家族も自分の家族だと思い込んでいたほどだ。当時は妻の母・義母も健在で、しょっちゅう二家族6人で一緒に食事をしたり、どこかに出かけたりしていた。

 妻は昔から笑顔の絶えない子供だった。天真爛漫な様は太陽のようで、彼女の周囲はいつも明るく照らされていた。今思い返すと、義母もそういう人だった。義父も優しい人だけど、妻はどちらかというと義母の影響を大きく受けているかもしれない。

 僕も妻も、当時はお互いを姉弟のように思っていて、少しだけ生まれの早い妻が僕を引っ張り回す、というのが常だった。


 幸せな日々だった。


 妻に症状が出始めたのは5歳の頃だった。一度風邪をひいて幼稚園を数日休んだのを皮切りに、数日通園しては体調を崩し、治ってまた数日通園しては体調を崩す、というのが何度も続いた。妻の両親は何かがおかしいと思い、大きな病院に連れて行き本格的な検査を行ってもらった。それでも中々原因は突き止められず、有名な大学病院で数日間に渡り調べてもらい、ようやく遺伝性の疾患だということが分かった。世界的にも発症者が少ない病気だ。現代ならともかく、当時の技術で見つけるのが困難なのは無理もない。

 その後、義母は同様の検査を受け、そこで初めて自身が疾患を抱えていることに気付いたのだという。

 疾患による大きな症状はないものの、その影響で免疫機能が弱まりやすく、異常に風邪をひきやすい、重症になりやすいというのが厄介なところだ。そして、大きな特徴として「ストレスに著しく弱い」というものがあった。妻と同様に天真爛漫だった義母は、その性格のおかげでそれまで大事には至らなかったのかもしれない。

 病気を認識させること自体がストレスになるかもしれない。ということで、幼い妻には病気のことは伏せておくことに決まったらしい。


 妻はその後、入退院を繰り返すようになった。元気になれば退院する。だが免疫力が弱ったままで、少しの風邪やウイルスに対しても人一倍症状が出てしまう。病院のような清潔な空間にいれば治るのだが、外に出るとウイルスを拾ってきてしまいすぐに風邪をひき、入院する。その繰り返しだった。

 僕も何度も病院へお見舞いに行った。……と言ってもこの時の妻は入院中でも元気いっぱいで、看護師さんからうるさいとよく注意されていたほどだ。入院する度に心配になって訪ねるのだけど、当の本人はけろっとしていて、毎回「心配して損した」と思っていたのを覚えている。

「すぐ治るよ」

「大丈夫だから早く学校に戻りたいなー」

 そんな言葉を、いつもと変わらぬ笑顔で繰り返していた。しかし言葉とは裏腹に、体調は安定せず入退院が繰り返されていた。

 基本的にポジティブで何にも文句も言わない妻だが、一つだけ不満を零していたことがある。

「またこんなに飲むの~?」

 そう口を尖らせる妻の前には、沢山の薬が置かれていた。看護師さんに「多いよ~」と言って困らせていたのをよく覚えている。義父によると、一度錠剤を上手く飲み込めず、口の中で溶けてしまったのだという。それ以降、薬が嫌いになったらしい。しかし渋々ながら薬も全部飲み、入院生活は数日で終わることばかりだった。


 そんな生活が一年ほど続いた頃だったと思う。

 義母が亡くなった。

 あっという間の出来事だった。体調を崩した、と聞いてからすぐに入院。その後一週間ほどで病状が急激に悪化し、大きい病院に移る前に亡くなってしまった。

 間違いなく、疾患の影響があったと思う。

 僕と両親はお葬式に行った。妻も、体調不良の中マスクをして出席していた。僕は失意の中にいる妻を励ましたかったが、義母の前で立ち尽くすその寂しげな背中に、僕は声をかけることができなかった。


 それまでは入院してもすぐに退院していた妻だったが、義母の死以降、入院したまま長期間退院できずにいた。

「大丈夫?」

 僕が聞いても、妻は無表情で頷くだけだった。義父も焦燥していたのだと思う。妻の前では必死に笑顔を作っていたが、談話スペースなどではずっと辛そうな表情を浮かべていたのを覚えている。

 妻は笑わなくなった。

 入院したまま日々が過ぎていき、妻は見る見るうちに痩せていった。

 僕は妻に元気になってほしくて、両親に頼んで毎日のようにお見舞いに行った。そしてなるべく明るい話をした。学校でテストがあったこと。それで僕がひどい点をとったこと。妻が好きだった体育の授業のこと。家であったこと。友達のこと。でも、どれも効果はなかった。

 僕は妻に、また笑ってほしかった。笑えばきっと、妻は元気になると信じていた。

 ある日、いつも通り学校終わりにお見舞いに行くと妻は眠っていた。僕はベッド脇の椅子に腰かけ、変わってしまった妻を改めて眺めた。

 不健康なほどに白くなってしまった肌。筋肉と脂肪がなくなり、体が一回り小さくなって頬はこけていた。シーツから出ている腕には注射や点滴の後が痛々しく残っていて、ベッド脇のテーブルには大量の薬が残っていた。

 そして、眠っていても妻は苦しそうだった。もそもそと動いた後、妻は何かに魘されているようで唸っていた。そして口を開けた。

「……死んじゃいたい」

 妻が寝言でそう言ったのを聞いて、僕は泣いてしまった。そして何もできない自分を責めた。必死に考えても、僕が何をすれば元気になってもらえるのか、さっぱり分からなかった。僕にできるのは、欠かさずお見舞いに行くことだけだった。


 学校のない休日だったと思う。病室をノックしようとすると、中から泣き声が聞こえた。慌てて病室に入ると、妻がお義父さんに向かって枕を投げているところだった。近くにいた看護師さんも、どうしたらいいか分からず狼狽していた。

「もう嫌だ! どうせ治ってもすぐ悪くなるもん! こんなの飲んでも意味ない!!」

 そう言って薬の入った袋を床にたたきつけた。中から大量の薬が散らばる。お義父さんは励まそうと口を開くけど、言葉が出ず立ち尽くすしかないようだった。お義父さんももう、限界だったのだと思う。

 号泣する妻を見て、胸が張り裂けそうだった。……僕は、そんな姿を見たくなかった。元気になってもらいたかった。

「僕が作るよ!!」

 そう宣言した。妻に元気になってほしい一心から出た言葉だった。

「僕が薬を作る! どんな病気でもすぐに治るやつ! いっぱい飲まなくても、一個で全部治るやつ!」

 僕が勢いのままにそう言うと、妻は呆然とした表情で数秒固まっていた。そして目に涙を溜めながら、笑った。

 久しぶりに見る、太陽のような笑顔だった。僕はそれが嬉しくて、妻と同じように泣きながら笑った。


 妻はこの時に僕を好きになってくれた、と言っていた。……今まで気づかなかったが、僕が妻を好きになったのもここだと思う。

 久しぶりに見た妻の笑顔が、とても眩しく見えたから。ずっと見ていたいと思えたから。


 妻はこれまでの分を取り返すかのように、大きく、そして長く笑い続けた。目元の涙はぽろぽろと頬を伝い、シーツに染み込んでいった。僕は妻の手を握り、そのぬくもりを感じた。

「ねえ、その薬は苦くない?」

 妻に尋ねられ、心臓が跳ねたのを覚えている。妻と会話していてそんな風に驚いたのも、それが初めてだった気がする。まだ当時は、それが恋によるものとは分からなかった。

「いっぱい飲みたくなるくらい美味しくするよ」

 その言葉に、妻はまた笑った。僕は妻の笑顔を目に焼き付けた。何の根拠もない、ただの子供の戯言だった。でも、妻はそれで元気になってくれた。そのことが何よりうれしかった。

 その日、僕の人生は決まった。


 妻はその日から順調に回復していき、二週間後には退院した。

 妻の驚異的な回復を見て、幼い僕は思った。妻の太陽のような笑顔が病気を追い払ったのだと。そして、なら薬ができるまでは妻に笑顔でいてもらおう、と。

 当時は知らなかったけど、ストレスに弱いという特徴から、その考えは案外正解だったのだと思う。

以降、妻は一度も入院していない。


 その後、僕らは一緒に成長していき、どちらから言い出すでもなく付き合い始め、その後に僕がプロポーズして結婚した。




……妻に会いたかった。またあの太陽のような笑顔を見たかった。




 目を覚まして最初に目に入ったのは、研究室に似た白い天井だった。長い間目を瞑っていたのだろう。急な光に目が痛み、一度閉じた。そして次に目を開けると、妻が僕を見ていた。

「……バカ……」

 妻はそう言って顔を歪ませた。涙が頬に当たる。

「ごめん……」

 ゆっくりと手を動かし、妻の肩を抱いた。やがて、自分の過ちに気付き後悔した。僕は妻のために頑張ってきたのに。頑張りすぎて体を壊し、結果的に妻を泣かせてしまったのだ。その上、もう未練はないなんて。

 そんなわけないのに。

「ごめん……」

 僕も、涙が止まらなかった。自分の過ちへの悔し涙。そして、妻に再び会えた嬉し涙だった。

「……昔の夢を見ていた気がする」

 二人でひとしきり泣いた後、僕は朦朧とする意識の中で見ていたことを思い出した。

「思い出したの?」

「……本当は全部覚えてたよ。照れ臭くて言えなかっただけ」

「そっか……。じゃあ、約束のことも覚えてる?」

「……約束?」

 約束なんてしたかな、と記憶を振り返るが、僕が薬を作ると一方的に宣言したことしか思い出せなかった。

「うそ! それは本当に忘れてるの!? 信じられない!」

 僕の様子を見て妻はムッとした。

「……だからこんな無茶したんだよ!」

「ごめん。……どんな約束だったっけ?」

 僕が申し訳なく尋ねると、妻は不承不承という風に答えた。

「薬を作るって言ってくれた後、指切りしたのに」


『ねえ、その薬は苦くない?』

『いっぱい飲みたくなるくらい美味しくするよ』

『じゃあ、私がその薬を飲むのを、隣で見ててね』

 そう言って、二人で小指を結んだ。


 妻に言われて、僕はその約束を思い出した。……どうして今まで忘れていたんだろう。

「……そうだった。たしかに約束した」

「薬を作って終わりじゃないんだよ。あなたが隣にいてくれないと」

「……そうだね。もう忘れないよ」

 再び涙があふれてきた。僕は妻をしっかりと抱き締め、妻もそれに応えて僕を強く抱き締めてくれた。時折、妻のお腹からコツンと振動がした。


 妻が僕の着替えなどを取りに行ってくれている間に、後輩が見舞いにやってきた。

「感謝してくださいよ。ほんとに、心臓止まるかと思ったんですから」

「感謝してもし足りないよ。命の恩人だもんな」

 あの日、僕は倒れた直後に後輩に見つかり救急車で搬送されたらしい。もし処置が遅れていたら命が危険だったらしいから、後輩は本当に命の恩人だ。

 後輩はお祝いの飲み物を買いに行くために財布を取り出した後、そのままデスクに忘れて帰ってしまったらしい。そしてそのことに気が付いて研究室まで戻ろうとしたところ、倒れている僕を見つけたのだという。普段ミスをしない後輩のおっちょこちょいのおかげで、僕の命は救われたようだ。

 階段の縁に頭を打ったことで出血し何針か縫ったが、脳には異常はなかったらしい。眩暈がしたのは予想通り、過労のせいだったという。

「もう、一番大事な時期に。色々説明させられて大変だったんですから」

「……すまないと思ってるよ」

 僕はあれから3日間眠っていたらしい。その間も殺到していた関係各所からの説明対応は、後輩が引き受けてくれていたらしい。後に聞いた話では、僕より説明が上手かったとか。

「まあ、とりあえず無事でよかったです。ゆっくり休んでからまた働きましょう」

「そうだね」

「「今度は倒れない程度に」」

 後輩と声が重なり、二人で笑った。このまま研究を続けたら、後輩は僕だけでなく妻や子供の命の恩人にもなるかもしれない。いや、恐らくなるだろう。

「もうすぐ帰ってくるだろうから、命の恩人だって妻に紹介するよ」

「先輩が寝てる間にもうお会いしましたよ。とてもお綺麗で、笑顔の素敵な人でした。先輩があの人を救いたいと思うのもとてもよく分かります」

「うん、自慢の妻なんだ」

 彼女のために生きたい、と思えるほどの。彼女の隣にいたい、と思えるほどの。




「じゃあ、行ってくるよ」

 久しぶりにスーツに袖を通すと、何だか以前よりきつく感じた。入院とその直後の育児休暇で太ったのかもしれない。……単に今まで働き過ぎで痩せすぎていただけなのかもしれないけど。

「気をつけてね。無理しないように!」

 妻の釘を刺すような言い方に、思わず子供のように「分かってるよ」と言い返してしまった。もう忘れないとあれから何度も言っているのに、未だに信用してもらえていないようだ。

「じゃあ、行ってきます」

 妻に言ってから、その腕に抱かれている子供の頭を優しく撫でた。くすぐったそうに身をよじる姿も愛おしかった。

 研究に復帰してからすぐ、後輩と次のプロセスを開始した。新薬の実用化には、まだまだ時間がかかる。






「ねえ、これ何の薬?」

「さあ、なんだろうね。でもパパが頑張って作ってくれた大事なお薬だから、欠かさず飲もうね」

「分かった。一粒だけならがんばって飲む!」

 僕は二人がその薬を口に入れる姿を、しっかり見届けた。一回で完治するようにはできなかったけど。何でも治す薬にはできなかったけど。でも、妻と子供を治す薬を、完成させることができた。

「うえ、にがーい!」

 子供が飲み込むのに失敗したようで、妻が慌てて水を飲ませた。……まだ終わりじゃない。次は薬を甘くする研究をしなくては。


読んで頂きありがとうございました。楽しんでもらえていたら幸いです。


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