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頑張れた理由(わけ)  作者: 山奥一登


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第4話


 研究所に着くと荷物を受け取り、僕を待ってくれていた事務の方に挨拶をした。事務の方が帰るのを見届け、いつも通り研究所に残るのは僕だけかと思ったが、本館から研究棟への通路の途中にある所長室から話し声が聞こえた。どうやら来客中らしかった。

 研究室で荷物の包装を解き内容を確認してから保管場所へ置いた。そのまま帰るつもりだったのだが、先ほどまでの帰省が頭をよぎり、居ても立っても居られずに実験を行うことにした。予想では、大した時間はかからない。

 実験の用意をし、もう一度自身で考えた手順を確認しながら手を動かす。

 妻と同じように、僕も久しぶりの帰省で昔のことを思い出した。車中では照れくさくて覚えてない、なんて言ったが、本当は全て覚えている。あの時言った言葉。あの時の想い。あの時の覚悟。それらは褪せることなく自分の中に残っている。いや、むしろあの時より想いや覚悟は強くなっているくらいだ。妻が待っている。お義父さんが待っている。そして、生まれてくる子供も。


 実験後、結果が出るまで(と予測していた)の10分間を、コーヒーを飲みながら過ごしていた。そして10分が経ち再び顕微鏡を覗いた時、自分が何らかのミスを犯したのかと思った。


「え?」


 病原菌が見当たらなかった。


 手の震えを必死に抑えながら、いつも通り、いつも通り、ともう一度同様の実験を行った。今度は目を離さない。ジッと、顕微鏡を見つめ続ける。

何千、何万回も見てきた憎き病原菌は少しずつその数を減らしていき、やがてひとつ残らず消えた。……間違いない。

 もう震えを抑えることはできなかった。心臓も痛いくらいの速度で脈打ち始め、呼吸が乱れる。

 まだだ。誰かに確認してもらうまでは。

 とりあえず所長に連絡を、と内線を手に取る。ダイヤルを押す指が震え、数度ミスしたが何とか所長室にかけることができた。

 まだいるだろうか……。

 所長が出るまでの数コールが異常に長く感じた。

「……所長ですか、すみません。至急確認して頂きたいことが……。ええ、できればすぐに。……もしかしたら、発見したかもしれません……」

 そう報告すると、所長は声色を変えてすぐに電話を切った。所長が到着するまでの5分間、僕は何度も深呼吸をしたが、鼓動は痛いほど激しいままだった。

 所長が息を切らしながら到着すると、僕は実験をもう一度、説明しながら行って見せた。所長は説明を聞いてから資料に目を通した後、僕と交代して顕微鏡を見つめ続けた。その背後で僕は自分の頬を思い切りつねった。痛い。夢ではないようだ。

 やがて、所長は病原菌が消滅していくのを見届け、表情を明るくした。

「おめでとう」

 丁度来ていたという別の研究所の所長も研究室に招き、証人は2人に増えた。



 そこからは慌ただしかった。所長は今日が土曜日であることなど関係ないとばかりに副所長をはじめとするお偉いさん方を呼び出し、何度も同じように確認してもらった。そして所内の別の環境下でも実験を行い、再現性は間違いないと断定された。その後、所長たちと共に、実験前に作った論文に少し手を加え、英語などに翻訳もした。

 これまで治療不可能とされていた病に対する有効成分の発見。これは一大ニュースだ。万が一にも誤報を流すわけにはいかない。念入りに、少しずつ、論文を他の研究所へ送り、実験可能な場所では再現してもらった。

少しずつ、でも確実に、僕の研究所から広がった波紋が世界中に広がっていった。

 途中、妻に『仕事で成果が出た。今日は帰れないかもしれない』という旨を連絡した。その後、返事を見る間もなく、次々に発生する作業に追われた。


 あっという間に時間が過ぎていった。僕は異なる相手に何度も同じ内容の説明を行い(時には英語、ドイツ語でもした)、何度も実験をして見せた。


 全てが一段落したのは日曜日の夜だった。すぐに帰る、と妻に言ってから丸一日が過ぎていた。ようやく電話が鳴り止み、今後に関する細かいプロセスも組み上がった。休日にも関わらず出勤してくれていた所員の方たちが一人、また一人と帰っていくのを、僕と所長で見送った。そして二人きりになった時、所長は僕の手を強く握った。

「おめでとう。君がこの研究室を作りたいと言ってきた時は正直無茶だと思っていた。でも、君は世界の全ての研究所が匙を投げたことをやり遂げた。君のことを誇りに思うよ」

 所長の言葉は僕の心に沁み込んでいった。お礼を言うのは僕の方だ。

「……僕のわがままを認めてくれたこと。限られた予算を、ここに回してくれたこと。そして結果が出せない6年間、他の研究所が全て撤退してもこの研究室を残してくれたこと、そして後輩を配属させてくれたこと、全て所長の協力のおかげで叶いました。……ありがとうございます」

 所長の手を強く握り、そして十秒ほど頭を下げてから、ゆっくりと手を離した。

「まだまだ先は長い。でもそのことはまた明日、いや、明後日から話そう。今日と明日はゆっくり休んでくれ」

 所長は笑顔で僕を労ってから研究室を後にした。ドアが閉まると、僕は自分の椅子に倒れるように勢いよくもたれかかった。

 ふう、と一息ついたところで、研究室の外からコツコツという足音がし始めた。所長が忘れ物でもしたのだろうか。そう思い周囲を見渡すが何もない。足音はどんどん近づいてきて、やがてドアが勢いよく開け放たれた。

「先輩!!」

 ぜーぜーと息を吐きながらドアを開けたのは後輩だった。とても仕事に来るとは思えない可愛らしい私服で、靴はヒールだった。旅行に行くと言っていたから気を遣って連絡しなかったのだが、僕以外の誰かが連絡したのだろうか。

「本当ですか!? 見つかったって!!」

 後輩は言いながらぼさぼさになっていた髪を結び、すぐに実験道具の前に座った。

「うん。確認してみて」

 後輩は説明せずとも手際よく実験を行う。そして真剣な眼差しで顕微鏡を覗き込み続けた。

「ほんとだ。間違いない……」

 5分ほどかけて病原菌が消えるのを見届け、後輩は顕微鏡から目を離して天井を仰いだ。隣で立っていた僕には、後輩の目に今にも溢れそうなくらいの涙が溜まっているのが見えた。そして僕と目が合うと、後輩は僕の白衣の裾を引っ張り、そのまま抱きついた。泣かれるのを見られたくないのだろう。

「おめでとうございます……。遂にやりましたね」

「うん。後輩のおかげだよ。ありがとう」

「いえ、これは先輩の功績です。私なんて……」

 ぐすん、と鼻を啜る音がしてから後輩は泣き出した。10分ほど泣いていたと思う。その間僕は、何度も後輩に感謝を伝えた。


「お祝いをしましょう」

 後輩は僕から離れると、真っ赤になった目を擦りながら笑顔でそう提案した。

「もちろん。いつにしようか」

「いえ、それはまた今度で。……今、少しだけやりましょう」

 後輩はそう言って、財布だけ持って研究室を出て行った。そして数分後、僕がいつも飲んでいるオレンジジュースと後輩がいつも飲んでいるカフェオレを抱えて戻ってきた。

「はい、いつものです」

「ありがとう。ちょっと待ってね今財布を……」

「いいですよ。これくらい奢らせてください」

 後輩はそう言いながら財布を自分のデスクに置き、その後カフェオレのプルタブを開けた。

「じゃあお言葉に甘えて」

 僕もプルタブを開けた。後輩は僕の向かいのデスクに座り、カフェオレを掲げた。しかし間にそれぞれのPCモニターがあり、立ち上がらないと乾杯ができないことに気付いてムッとした。……4年前の歓迎会と同じ流れだった。

そして少し考えた後、キャスター付きの椅子に座りながら僕の隣まで移動してきた。ううん、と咳払いをしてからもう一度カフェオレを掲げた。

「では、改めておめでとうございます!」

「ありがとう」

 二人の缶が軽い音を立てた。そしてオレンジジュースを何口か飲んだ。……そこで、自分が昨日の夜から何も食べていないことに気が付いた。オレンジジュースは空きっ腹に沁みた。

「先輩、今のお気持ちは?」

 後輩はカフェオレを置いて、握り拳をマイクに見立ててインタビュアーのように尋ねた。……今の気持ち……。

「……すごく嬉しい。でも、まだ実感がないのも正直なところかな」

「たしかに、なんかあんまり嬉しそうじゃないですもんね」

「うん。本当にずーっとこの時が来るのを願ってて、でもそのうちに、願ってる状態が当たり前になってたから、切り替えができてないというか」

 自分でも未だに夢の中にいるようなフワフワとした気持ちだった。それに疲れも相まってか、中々上手く言葉が出ない。

「家にいるのに帰りたい、って思うのと同じですかね」

 後輩の庶民的な答えに思わず笑ってしまった。

「そうかもしれない」

でもたしかに、同じかもしれない。願っているという状況に慣れてしまって、叶ったことに脳が気付いていないのだろう。

「まあでもそうですよね。小さい頃からの夢を叶えたんですから」

「……そうだね。本当に長かった。でも、その全てが今日報われた気がする」

「実際それだけのことをしましたよ先輩は」

「ありがとう。……これも、後輩がいてくれたからだよ。ありがとう」

 後輩に手を差し伸べた。

「な、なんですか、既婚者のくせに」

「それとこれとは別だよ。それに、さっき抱きついてきたのはどこのどいつだ」

「……あれは咄嗟というかうっかりというか……」

 後輩はごにょごにょ言いながら、遠慮がちに僕の手を握った。その小さな手を僕は精一杯の感謝を込めて握った。すると、後輩も強く握り返してきた。

「……少しでも力になることができて、本当に良かったです」

 後輩はそう言って頭を下げた。何だか、どっちかが異動するみたいだと思ってしまった。でも、別に別れるわけじゃない。それに。

「まだ終わりじゃない」

「そうですね。一応臨床試験まで視野に入れて論文書いてましたけど、実際実験したらどうなるか分かりませんし」

「そうだね」

 僕たちは幾つもあるプロセスの一段回目を突破したに過ぎない。先はまだまだ長い。

「でも、きっと大丈夫です。私たちなら」

 後輩の目は確信に満ちていた。僕もその通りだと思って頷いた。

「なんたって私たちは、世界で誰も見つけられなかったものを見つけたんですから」

「そうだね。これからもよろしく」

「こちらこそです」

 二人で頭を下げると、ごつんとぶつかった。ひとしきり笑い合ってから手を離した。

「私、そろそろ行きますね。友達を置いてきてるので」

「うん。わざわざありがとう。明日は休みだから」

「分かりました。先輩もゆっくり休んでください。お疲れ様です」

 後輩が去ると、研究室は再び空調の音だけが響く寂しい空間になった。昔は一人が当たり前だったのに。最近でも土日には一人が当たり前だったのに、こんなに寂しく感じるのはさっきまで沢山の人がいたからだろうか。

 背もたれに思う存分寄りかかり、全身の力を抜いて大きく息を吐いた。そして、ここまでの道程を、研究室を見渡しながら振り返った。

 6年、いや、幼少期からも含めればもっと。それだけ長い年月をかけてきた努力が、ようやく報われた。その余韻を、全身で味わった。

「長かった……」

 さっき後輩に言ったように、これで終わりではない。むしろこれからもやるべきことは沢山ある。でも、それでも、確実に前進したんだ。今日くらいは気を緩めてもいいだろう。

すっかり見慣れた研究室の天井。そして二つのデスクと山のように増えた実験失敗の資料、研究道具。それら全てが愛おしく見える。全て無駄じゃなかったと思えた。

 そろそろ帰ろう。そう思い鞄を手に取る。そして昨日からずっと見られずにいたスマホを見ると、妻からのメッセージが届いていた。

『おめでとう!! お腹の子とダブルでお祝いだね!!』

 そのメッセージを見た瞬間、涙が溢れ出してきた。ずっと湧かなかった実感が、間欠泉のように噴き出してきた。

 僕はやったんだ。遂に、妻を救う足がかりを見つけることができたんだ。それに、妻だけじゃない。お腹の子も……。涙が止まらなかった。しかし、早く妻の顔が見たい。時刻は22時。もう眠っているだろうか。でもいい。寝顔でも見ることができれば。いや、むしろ眠っていてくれた方がいいかもしれない。情けない泣き顔を見せずに済むから。

 研究室を消灯する。誰もいない研究室に向かって、「ありがとう」と言ってからドアを閉めた。


 すっかり人気のなくなった研究所。いつもと同じ廊下。でも、何だかいつもと違う場所のように思えた。それはきっと、僕の心境が変わったからなのだろう。二階から一階へと降りる階段に着くと、踊り場に月光が差し込んでいた。きっと今までも見たことはあるはずなのに、今日は一段と綺麗に見える。そしてその灯りへ近づこうと階段を一歩下りた時、その光景は淡くなり、やがて歪んだ。

 体のバランスが崩れたから視界が揺れたのか、それとも視界が揺れて体のバランスが崩れたのか分からなかった。気が付くと僕の体は階段に転げ落ち、何の抵抗もしないまま明るい踊り場まで転がり落ちた。

 痛い。

 そう思ったが、感覚がなかった。何かに内側から抑え込まれているかのように、体はこれっぽっちも動いてくれなかった。なのに、なぜか意識ははっきりとしていた。脳にも火事場の馬鹿力のようなものがあるのかもしれない。

 まずいなあ。

 痛みを感じず動けないことも、やけに冷静な脳も、異常だった。

 今日までの日々を振り返る。

 兆候はあった。体はサインを送り続けていたんだ。でも、僕はそれを無視して無茶をし続けた。そのツケが回ってきたんだ。

 階段から落ちた時に頭も強打していた。痛みはないが何となく分かる。もし脳内出血などがあった場合は応急処置までの時間が大事、という話を聞いたことがある。だけどここは基本僕と後輩以外誰も寄り付かない研究棟の最西端で、今は日曜日の夜だ。そして後輩には明日は休みだと伝えてしまった。もしかしたら明日、誰かが気付いてくれる可能性もあるがそれでも手遅れになるには十分すぎる時間が経過するだろう。

 諦観に満ちたため息を吐くこともできなかった。

自分が助からないかもしれない。その事実に直面して尚冷静なのは、きっと脳に異常をきたしているせいだけじゃない。もし昨日までなら、もっと絶望して、もっと狼狽していたことだろう。死にたくない。死んでたまるか。そう思っていただろう。でも、僕は人生を懸けてやるべきことをやったという達成感があった。もしここで僕が死んでも、後輩は絶対に薬を完成させる。

きっと、志半ばで死んでしまった人も沢山いる。そんな残酷な世界で僕は、人生を捧げた夢を叶えることができたんだ。

幸せじゃないか。

 世界の誰も成し得なかったことをやり遂げたんだ。その報いとしては当然なのかもしれない。むしろ、これが今日だったことに感謝しないといけない。……何に感謝するんだ? 思考がまとまらなくなってきた。……電池切れ前のおもちゃのように、少し動いて、少し止まって、を繰り返している。……でももういいんだ。何も考えなくていいんだ。


 寝る間も惜しんで研究する必要もない。


 やるべきことはやったんだ。


 あの時の決意は達成した。未練はない。






 ……もう一度だけ、妻の顔が見たかった。……子供の顔も……見てみたかった……。




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