第3話
僕の実家が見え、その1秒後に妻の実家が見える。僕らの家は隣同士だ。
僕の実家に車を停めたけど、母からはまだ帰れていないという連絡が来ていたので先に妻の実家にお邪魔することにした。
「お父さんただいまー」
「お邪魔します」
妻が玄関を開け、僕が後に続く。妻の実家には幼少期からよくお邪魔していて、僕にとっては祖父母の家より慣れ親しんだ場所だった。
「おかえり」
お義父さんがゆっくりと、笑顔で出迎えてくれた。その柔和な笑顔は昔から変わらないけど、昔と比べると白髪が増え、少し痩せたようだった。お義父さんにも、僕は小さい頃から良くしてもらっていた。
「お母さんもただいま」
妻は帰省すると、必ず最初に仏間に行き義母に線香をあげる。いつも数分間手を合わせているのだけど、今日はそれが一際長かった。きっと子供のことを報告していたのだろう。僕も妻の後に線香をあげ、妻の妊娠の報告が僕の仕事のせいで遅れたことを謝罪した。
僕が線香をあげ終えてリビングへ向かうと、お義父さんと妻はテーブルを挟み、座布団の上でお茶を啜っていた。
妻の隣に座ると、お義父さんは僕を見て申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「すまないね。余計な手間をかけさせてしまって」
「いえ、こちらこそあまり帰ってこられずすみません」
「いやいいんだ。多忙なのは娘からよく聞いている」
「そうなんだよ。全然帰ってこないんだから」
「申し訳ないと思ってるよ……」
むくれる妻に言われ身を縮こめた。そんなやりとりを見て、お義父さんはハハハと笑った。
「二人は昔から変わらないな。でもいいことじゃないか。人様の役に立つ立派な職業だ」
「そう言って頂けるとありがたいです」
「私も分かってるって! 冗談だから気にしないでよ?」
「それも分かってるよ」
妻と僕の会話を、お義父さんは子供のころと変わらず優しい目で見ていた。
「それで、容態は大丈夫なのか?」
お義父さんが妻に聞くと、妻はお腹を擦りながら答えた。
「うん。つわりとかはあるけど異常はないよ」
「そうか……」
「電話でもそう言ったじゃん! お父さんが心配し過ぎなんだよ!」
「父親が娘と孫の心配をするのは当たり前のことだろう!!」
お義父さんがすごい剣幕でそう反論したので、僕と妻は思わず吹き出してしまった。たしかに、当たり前のことだ。笑われたことが不服だったのか、それとも取り乱してしまったことが恥ずかしかったのか、お義父さんはむすっとした表情でお茶を啜った。
「ふたりも子供が生まれたら親の気持ちが痛いほど分かると思うぞ」
お義父さんが照れくさそうに言うのを見て、僕は妻が如何に愛されて育ったかを改めて理解した。そして、自分たちもそういう家庭を築けたらいいな、と思った。
「あ、そうだ」
妻が何かを思い出したようで、おもむろに立ち上がった。
「久しぶりに自分の部屋見てくるね。家で暇だから漫画持って帰りたいし」
「一緒に行こうか?」
妻の部屋は二階だ。
「いいよいいよ。自分の家だし平気だよ」
ついていこうとしたが、妻に制止されたのでそのまま見送った。
二階でドアが閉まる音が聞こえてから、お義父さんは咳払いをした。
「……娘の容態は〝本当に〟大丈夫なのかい?」
そう尋ねるお義父さんの表情はさっきとは打って変わって険しい。
「はい。先週も先生の所に伺いましたが、妻にも子供にも異常はないみたいです」
「そうか……。なら良かった」
お義父さんは深く胸を撫で下ろした。ただ。
「とはいえ、いつ何が起きるか分からないというのは変わりません。ちょっとしたきっかけで一気に、というのが恐ろしいところですから」
「その恐ろしさは私が一番よく知っているつもりだよ。……やっぱり、難しいのかい?」
「はい、中々……。すみません、僕が不甲斐ないばかりに」
「いや、そんなことはないよ。君は本当によくやってくれている。すまないね、君に任せきりになってしまって」
「それは僕が選んだことですから、気になさらないでください」
「娘が元気なのも、君がいい夫でいてくれている証拠だよ」
「いえ、それはお義父さんの育て方が素晴らしかったんです。娘さんは本当に明るくて、逆に僕が助けられてばかりです」
「そうか……。そう言ってくれると私も救われるよ」
お義父さんはそう言って仏間の方を見た。口元は何かが溢れ出るのを抑えるように、きつく結ばれていた。
「娘さんは僕が必ず」
僕が言うと、お義父さんはうん、とゆっくり頷いた。そして、俯いたまま目元を擦った。
「……無理はしないように。改めて娘を、そして君たちの娘を、よろしくお願いします」
「はい…!」
差し出された手を、僕は強く握った。二階でドアが開く音がして、やがて妻が漫画を抱えて階段を下りてきた。妻は満足げに漫画を袋に詰めて、再び三人で1時間ほど話をした。お義父さんの表情にはもう、先ほどの悲痛さはなかった。
心配するのが当たり前なら、心配されたくないのも、当たり前のことなのかもしれないとふと思った。
その後、母から帰ってきたと連絡があったので僕の実家にも帰り、僕と妻、そして僕の両親とで小一時間ほど話をした。
僕は特に心配される要素がないので帰省が少ないことをとやかく言われはしないけど、妻の帰省が少なすぎることでみっちりと叱られた。子供のように叱られている僕を、妻は擁護するでもなく笑っていた。
帰る前には僕の両親と、お義父さんも見送りに来てくれた。車に乗り込むと、母が窓をコツコツと叩いた。
「あんた昔っからだけど、ひどいくまよ。気をつけて帰りなさいね」
母が心配そうにしていたので「大丈夫だよ」と努めて明るく言った。
車が走り出すと、妻は気持ち良さそうに伸びをした。
「お父さんたち、この後一緒に飲むんだろうね」
サイドミラー越しに見ると、3人は何か話をしているようだった。
「だろうね。いつもそうだし」
カーブを曲がると見送ってくれた3人は見えなくなった。出産後は早めに帰省しよう、そう思った。
「やっぱり実家は落ち着くね~」
「そうだね」
すっかりリフレッシュした様子で話す妻に相槌を打ちながら帰路に向かう。帰りの高速道路はそこまで混んでいなかった。復路が混むのはまだ先なのだろう。やがて妻がウトウトしてきたのが分かったので、流していた音楽のボリュームを下げた。
「なんだか昔のこと思い出しちゃった」
妻が眠たげな声で言った。
「昔って?」
「色々。小さい頃から」
「……色々あったもんね」
「……うん」
消え入るような声で答えた後、妻は目を閉じた。眠ってしまったのだろう。音楽のボリュームをまた少し下げた。外は少しずつ暗くなり始めていた。
「ふふっ」
しばらくして、隣から吹き出すような笑い声がした。ちらりと見ると、妻は起きていた。
「起きてたの?」
「うん。昔のこと思い出してただけ」
「……なんか面白いことでも思い出した?」
「うん。面白いっていうか、すごく嬉しかったこと。あれだよ、あれ」
「あれ?」
「覚えてないの!? 私に言ってくれたこと! 私はあれで惚れたのに!」
「……覚えてない」
「本当に? じゃあ言ってあげようか。僕が…」
「やめて」
「覚えてるんじゃん!」
「覚えてるけど、昔のことだし恥ずかしいよ」
「そんなに恥ずかしいかなーカッコいいのに。現に今有言実行してるわけだし」
「まあ、勉強は頑張ったからね」
「ほんとにね。最初はあんまり学校行けてなかった私の方が成績良かったのに。いつの間にか抜かされちゃった」
「目的があると人は頑張れるんだよ」
「目的? 言い方間違ってるよ。愛だよ愛。私への」
そう言って妻は自分を指さした。
「……そういうことにしておくよ」
僕がそう答えると、妻はにまにまとした笑顔で肩に抱きついてきた。危ないからやめて、と言うと不服そうに離れ、次の信号待ちでパンチが飛んできた。
家に着くと、二人で夕食を食べた。会話内容は主に昔のことで、妻は終始饒舌だった。
その後、スマホを見ると職場から不在着信が入っていた。かけ直すと事務の人が出て、昨日後輩が発注した荷物が届いているとのことだった。普通のものなら明日まで本館にある荷物置き場に保管してもらうのだが、今回は研究室でしか保管できないものもあるため、そういうわけにはいかなかった。すぐに向かいます、と告げて電話を切った。
「仕事?」
妻が少し不安げな顔でそう尋ねた。
「うん。荷物が来ただけ」
度々こういう呼び出しはある。荷物が来ただけの時は大抵30分もせずに帰れるというのは妻も知っているので、ホッとした様子だった。
「気をつけてね」
妻に見送られ家を出た。さすがにスーツは着なかった。




