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独白譚  作者: Atto
2/6

嘘の味はビターガナッシュ。 2

1の続きです。

相変わらず拙いとは思いますが、どうか楽しんで。








カフェ「ショ・コラ」は、まるで時間から切り離されたような静寂をまとっていた。

木の温もりを帯びた内装に、優しく漂うコーヒーの香り。天井から垂れるランプの光が、黄昏の残光をさらに柔らかくしていた。

足を踏み入れた瞬間、その空間が現実ではないと、どこかで理解していたのかもしれない。


窓際の席に腰を下ろすと、目の前には空の椅子がぽつんと佇んでいた。そこに誰が座るべきだったのかを、僕はまだ思い出せない。


「お客様、当店への初めてのご来店ですか」


不意にかけられた声に、僕は顔を上げる。

そこには、まるで西洋人形のような少女が立っていた。

白磁のような肌と、深い黒髪。琥珀にも似たその瞳は、なぜか僕の内側を覗き込むようだった。


「ええ、初めてです」


少女はしばし僕を見つめたあと、くす、と微笑んだ。


「いえ。お客様は常連でしょうに」


常連。そんなはずはない。けれど、口を開こうとした瞬間、なぜか喉がきゅっと締まる。

代わりに彼女は静かに言った。


「少々お待ちくださいませ。ビターガナッシュをご用意いたします」


その言葉に、僕はどこかで聞いたノイズのような響きを感じた。ビターガナッシュ――まただ。その単語は、僕の中にずっと以前からあったような、不自然な懐かしさを含んでいた。


彼女がカウンターの奥へ消えていくと、再び静けさが戻った。

僕は外の景色に目をやる。夜の帳がすっかり街を包み込み、窓の外にはほとんど人影もない。

だけど、ふと記憶の断片のように浮かぶのは、明るい髪の少女だった。


牧野。


そうだ。僕は彼女と話していた。学級だより。夕焼け。赤信号。……その先は?


思い出そうとしても、記憶が霧の中で迷子になっていく。


「お待たせしました」


音もなく戻ってきた彼女が、テーブルにそっと小さな皿を置く。

そこには、小ぶりなビターガナッシュがひとつ。

艶のある黒褐色のチョコレートの塊に、仄かな金色の装飾が施されている。


「ごゆっくりどうぞ」


彼女は深く頭を下げ、そのままカウンターの奥へと戻っていった。


僕はフォークを手に取り、ガナッシュを口に運ぶ。


最初に感じたのは、意外なほどの柔らかさだった。舌の上でとろけるその塊は、ただの甘さではない。奥にほろ苦さと、微かな酸味があった。


瞬間、視界がゆらぐ。


まるで、音のない地震のように。

現実がゆっくりと軋む感覚。

カフェの中に満ちていた空気が、少しずつざらつき始める。

そして、耳の奥で微かなノイズが聞こえた。


――ピリ、ピリピリ。


その音は、脳のどこかを直接叩くような、乾いた電流音だった。


視界がにじむ。椅子の脚、窓の縁、ランプの光――すべてが歪んで、溶けていくようだった。


そして、世界が反転した。


一瞬の無音。


次に目を開けたとき、僕は夜の駅前に立っていた。

さっきまでいたカフェは消えていて、足元にはくしゃくしゃになった学級だよりが転がっていた。


「……あれ?」


指先を見つめる。ビターガナッシュの欠片も、口の中の甘苦い余韻も、何ひとつ残っていなかった。

けれど、確かにあの味は、僕の中に刻まれていた。


そして、あのカフェの空気も。


まるで夢だったのか?


でも、それにしては、あまりにも生々しかった。


風がまた吹いた。街の灯が揺れる。背後で誰かの足音がする気がした。


僕は振り返った。


誰も、いない。


ただ、夜の街が、しんと音もなく僕を包んでいた。

続きをお楽しみに。

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