表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
独白譚  作者: Atto
1/6

嘘の味はビターガナッシュ。 1

短編シリーズ小説かいてみます。

慣れないジャンルなので、生暖かい目で見ててください。








独白譚というのは、日本語的におかしいと思う。

何故なら、独白は人知れず消滅する存在であり、ましてや語るべくして語るようなものでもないからだ。

後世に残る独白譚などない。

だがそれでも綴ろう。

これは、懺悔の独白譚。

幸福の独白譚。

傲慢で、陰険で、恍惚で、残酷で、それでも普遍の独白譚。

そして、――人間の、独白譚だ。


僕は今日も、嘘をついた。


「弁当、美味しかったよ」


それは反射的な言葉だった。まるで壊れかけのオルゴールが、最後の一音を絞り出すように。

何味かも知らないその中身を、必死に思い浮かべる。手がかりは香りも舌触りもなく、ただ記憶の彼方ぼやける「母の期待」だけがある。

鮭、かな。


「あ、そう!今日は(僕の名前)の好物の鮭のバター焼きを入れてみたんだけど、味濃くなかった?」


そうだったのか。

では、どんな味だったのか。――考えてみよう。

白い箸でそっと持ち上げた切り身が、まるで陽に照らされた硝子細工のように光を放つ。

じわ、と香ばしい脂が空気を染め、僕の中の食欲という獣が、檻の中で跳ね回る。

香りが先に口に届き、たまらずその照り焼きにかぶりつく。

崩れる身が舌の上で踊り、濃厚な旨みが、喉奥へと溶け落ちていく。

すかさず、白米を口いっぱいに頬張る――そんな幻想を、僕はただ頭の中で咀嚼する。


「うん、良かったよ」


言葉は自然と落ちていく。まるで重力に従う水滴のように、抵抗もなく、重さもなく。

だけど、もしここで言葉を詰まらせたら、その沈黙はきっと崩落になる。

だからこそ、尚更、口が重たくなる。


「それはよかった」


母さんの声は、いつもより半音高く、そして少し震えていた。

安堵と喜びがないまぜになったその音色は、僕の胸を、鈍く叩いた。


もうこれ以上、何も言えなかった。


僕はリビングの前の廊下を走り抜け、その勢いのまま玄関を飛び出した。

夜の帳がゆっくりと降りようとしていた。


外は、茜色の空が焼け焦げる寸前のような濃い橙色に染まり、街全体がまるで記憶の中にある夢のように、柔らかく滲んで見えた。

ビルの影が舗道を伸び、セミの鳴き声が徐々に遠ざかる。

僕は、行くあてもなく、ただ街を歩いた。


カラスが三羽、空を裂くように飛んでいく。

その鳴き声が、夕焼けに切れ込みを入れるかのように響いた。


――カァー。


まあ、それはそうか。

カラスだもんな。


ふと、自分の喉に手を当ててみる。あんな風に、声を吐けるだろうか?

この身体がもし殻ならば、いっそ破ってしまいたい。

翼の代わりに腕しかない僕が、それでも空を見上げることは、許されるのか。


夕焼けの向こうに、死を重ねてしまう。


――その時、肩を軽く叩かれた。


とん、とん。


振り返ると、そこには明るい髪を揺らした少女が立っていた。


「おーい、宇留野くん」


夕陽に縁取られたその輪郭は、まるで逆光に浮かぶ幻のようだった。

制服姿の牧野さち。


彼女は、胸を張って言った。


「今日ね、学校を休んだあなたに、学級だよりを届けに来たのよ?でも家にはいないし、無駄足かと思ってたら、ここで見つけたんだから。どう、名探偵でしょ?」


彼女の目は、いたずらを仕掛けた子どものように、きらきらと笑っていた。


「ありがとう、牧野さん」


差し出された学級だよりを受け取りながら、僕はそう言った。


「宇留野、そんなキャラだったっけ?」

「うん、多分」

「ふーん……」


あからさまに気に入らないという顔をした彼女は、くるりと踵を返し、夕暮れの街へと溶けていった。


風が吹いた。

手にしていた学級だよりが、ふっと宙に舞った。


「まずい……」


追いかけた先、信号は赤だった。


それでも、風の止んだ先に学級だよりが、地面の上で小さく震えていた。

赤信号が、やけに目につく。

赤、赤、赤。夕焼けの赤。彼女の頬の赤。僕の中の、何かが赤く染まっていく。


ビターガナッシュ、という単語が頭をよぎった。


それは突然だった。

まるでノイズのように割り込んできた言葉。


 ――ビターガナッシュ。


食べたこともない。

甘いものならまだしも、苦いものなんて。

僕が好きなわけがないのに。


拾い上げた学級だよりには、こう書かれていた。


《ビターガナッシュは美味しいぞ!》

《駅前のカフェ「ショ・コラ」がおすすめ!》

《以上!牧野さちでした~~~!》


まるで、導かれるように。


気づけば僕は、カフェ「ショ・コラ」の前に立っていた。


看板の文字が、まるで記憶の底から浮かび上がってきたように、にじんで見える。


僕は、扉を押した。


微かな鈴の音。

静けさ。

そして、カウンターの奥から、微笑むような目が、僕を迎え入れていた。

次回もお楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ