嘘の味はビターガナッシュ。 1
短編シリーズ小説かいてみます。
慣れないジャンルなので、生暖かい目で見ててください。
独白譚というのは、日本語的におかしいと思う。
何故なら、独白は人知れず消滅する存在であり、ましてや語るべくして語るようなものでもないからだ。
後世に残る独白譚などない。
だがそれでも綴ろう。
これは、懺悔の独白譚。
幸福の独白譚。
傲慢で、陰険で、恍惚で、残酷で、それでも普遍の独白譚。
そして、――人間の、独白譚だ。
僕は今日も、嘘をついた。
「弁当、美味しかったよ」
それは反射的な言葉だった。まるで壊れかけのオルゴールが、最後の一音を絞り出すように。
何味かも知らないその中身を、必死に思い浮かべる。手がかりは香りも舌触りもなく、ただ記憶の彼方ぼやける「母の期待」だけがある。
鮭、かな。
「あ、そう!今日は(僕の名前)の好物の鮭のバター焼きを入れてみたんだけど、味濃くなかった?」
そうだったのか。
では、どんな味だったのか。――考えてみよう。
白い箸でそっと持ち上げた切り身が、まるで陽に照らされた硝子細工のように光を放つ。
じわ、と香ばしい脂が空気を染め、僕の中の食欲という獣が、檻の中で跳ね回る。
香りが先に口に届き、たまらずその照り焼きにかぶりつく。
崩れる身が舌の上で踊り、濃厚な旨みが、喉奥へと溶け落ちていく。
すかさず、白米を口いっぱいに頬張る――そんな幻想を、僕はただ頭の中で咀嚼する。
「うん、良かったよ」
言葉は自然と落ちていく。まるで重力に従う水滴のように、抵抗もなく、重さもなく。
だけど、もしここで言葉を詰まらせたら、その沈黙はきっと崩落になる。
だからこそ、尚更、口が重たくなる。
「それはよかった」
母さんの声は、いつもより半音高く、そして少し震えていた。
安堵と喜びがないまぜになったその音色は、僕の胸を、鈍く叩いた。
もうこれ以上、何も言えなかった。
僕はリビングの前の廊下を走り抜け、その勢いのまま玄関を飛び出した。
夜の帳がゆっくりと降りようとしていた。
外は、茜色の空が焼け焦げる寸前のような濃い橙色に染まり、街全体がまるで記憶の中にある夢のように、柔らかく滲んで見えた。
ビルの影が舗道を伸び、セミの鳴き声が徐々に遠ざかる。
僕は、行くあてもなく、ただ街を歩いた。
カラスが三羽、空を裂くように飛んでいく。
その鳴き声が、夕焼けに切れ込みを入れるかのように響いた。
――カァー。
まあ、それはそうか。
カラスだもんな。
ふと、自分の喉に手を当ててみる。あんな風に、声を吐けるだろうか?
この身体がもし殻ならば、いっそ破ってしまいたい。
翼の代わりに腕しかない僕が、それでも空を見上げることは、許されるのか。
夕焼けの向こうに、死を重ねてしまう。
――その時、肩を軽く叩かれた。
とん、とん。
振り返ると、そこには明るい髪を揺らした少女が立っていた。
「おーい、宇留野くん」
夕陽に縁取られたその輪郭は、まるで逆光に浮かぶ幻のようだった。
制服姿の牧野さち。
彼女は、胸を張って言った。
「今日ね、学校を休んだあなたに、学級だよりを届けに来たのよ?でも家にはいないし、無駄足かと思ってたら、ここで見つけたんだから。どう、名探偵でしょ?」
彼女の目は、いたずらを仕掛けた子どものように、きらきらと笑っていた。
「ありがとう、牧野さん」
差し出された学級だよりを受け取りながら、僕はそう言った。
「宇留野、そんなキャラだったっけ?」
「うん、多分」
「ふーん……」
あからさまに気に入らないという顔をした彼女は、くるりと踵を返し、夕暮れの街へと溶けていった。
風が吹いた。
手にしていた学級だよりが、ふっと宙に舞った。
「まずい……」
追いかけた先、信号は赤だった。
それでも、風の止んだ先に学級だよりが、地面の上で小さく震えていた。
赤信号が、やけに目につく。
赤、赤、赤。夕焼けの赤。彼女の頬の赤。僕の中の、何かが赤く染まっていく。
ビターガナッシュ、という単語が頭をよぎった。
それは突然だった。
まるでノイズのように割り込んできた言葉。
――ビターガナッシュ。
食べたこともない。
甘いものならまだしも、苦いものなんて。
僕が好きなわけがないのに。
拾い上げた学級だよりには、こう書かれていた。
《ビターガナッシュは美味しいぞ!》
《駅前のカフェ「ショ・コラ」がおすすめ!》
《以上!牧野さちでした~~~!》
まるで、導かれるように。
気づけば僕は、カフェ「ショ・コラ」の前に立っていた。
看板の文字が、まるで記憶の底から浮かび上がってきたように、にじんで見える。
僕は、扉を押した。
微かな鈴の音。
静けさ。
そして、カウンターの奥から、微笑むような目が、僕を迎え入れていた。
次回もお楽しみに。