不揃いな七人②
それは、巨大な黒い獣の影のようだった。
漆黒の後景に体の輪郭は溶け込み、蠢く影に浮かび上がる無数の赤黒い眼光が、四方八方からこちらを睨めつけている。
──まさしく、虎視眈々と獲物を狙う捕食者の目つきだ。
目の前の光景に息を呑んだ瞬間、唐突に揺れが収まり、世界の歪みが跡形もなくすっと消え去った。
急に軽くなった身体は突然の変化に反応できず、思い切り地面に叩きつけられる。
「ってえ……!」
全身に走る鈍い衝撃。周囲からも呻き声が漏れる。見れば、俺同様に地面に倒れ伏す者が四人。
受け身を取れていたのは、銀髪の少女とあの奇妙な猫だけらしかった。
銀髪の少女に至っては、すでに体勢を立て直し、油断なく周囲を警戒している。
地面に打ちつけた箇所を擦りながら、起き上がる。
俺たちが動くと、威嚇するように四方八方から低い唸り声が浴びせられた。
「ひっ……」
誰かが小さく悲鳴を上げる。
こちらから一瞬たりとも視線を逸らさず、異形たちが獲物との間合いを測るように、ゆっくりと迫り来るのが感じ取れた。濃厚な殺意に圧迫され、息が詰まる。
じりじりと包囲を狭められていき、俺たち七人は身を寄せ合うように後退ることしかできない。
「ねえ、何か光ってるわ!」
ふと、黒髪美女がそう叫んで俺の後ろを指差す。
咄嗟に指の先を追えば、後方の黒い竹林が黄白色の光に包まれていた。
竹そのものが発光しているわけではない。どこからか溢れ出した光に照らされ、漆黒の稈が艶々と黒光りしている。
その光景に、なんとなくかぐや姫を連想してしまうのは、日本人の性だろうか。
「おいッ! なに呑気に敵から意識を逸らしてるにゃ! そんなの自殺行為──って、ぎゃあ!」
近くから鋭い悲鳴が聞こえた刹那、視界の端を銀の光が走った。
弾かれるように視線を戻すと、銀髪の少女がすでに一匹の異形を真っ二つに両断していた。異形の体が黒い霧となって消滅する。
俺たちが竹林の方を見ていた隙を突いて、別方向から異形たちが飛びかかってきていたのだ。
だが、鮮やかな残身を見せる彼女の一睨で、他の異形たちは一斉に動きを止めた。
警戒しているのか、彼女を憎悪の籠った眼で睨み返し、再び間合いを測り始めている。
「……ほ、ほれ見ろ! 言ったそばから襲ってきたろ! こんな戦いの基本も知らずに、オマエら今までよく生きてこられたにゃ! ま、まあオイラが守ってやらなくもないがにゃ──」
「待って、動かないで。そして、そのキャンキャンした声も敵をさらに刺激する」
「なっ……」
背負っている斧に手をかけ、意気揚々と戦闘体勢に入ろうとした猫を、銀髪の少女が左腕を上げて制した。
あまりにもぴしゃりと言い放たれ、先程までの勢いはどこへやら、猫は「キャンキャン……」と弱々しい声で反芻するばかりだった。
彼女は周囲に睨みを利かせながら、「ルルゥシア」と静かな声で何かの語彙を口にする。
「光の経路を。それで、みんなをあそこへ」
「わ、わかったわ!」
金髪少女が答える。ルルゥシアとは、彼女の名前らしい。
ルルゥシアは左手を竹林の方角へ伸ばし、線を描くように指先を空中で滑らせる。薬指に嵌まっている白金色の指輪が煌めいた。
「──光よ、道を示せ。我らを護りたまえ! デュク・ノス」
彼女が呪文のような言葉を唱える。
すると、その指先から淡金の柔らかな光の粒が溢れ出し、さらさらと砂のように零れ落ちた。光の粒は黒い地面を帯状に流れて照らし、瞬時に竹林へと続く一本道を描いた。
「さあ、あなたたち。この光の道を辿って、あそこまで逃げるわよ」
ルルゥシアが俺たちを鋭く見回す。
「この光には神の守護の効果があって、不浄な連中は触れることすらできないの。だから、この上を歩けば化物たちに襲われる心配もないし、安全に避難できるわ」
「でも、彼女は……」
黒髪美女がためらいがちに銀髪の少女に視線を向ける。俺や猫も少女を窺った。
その気配を感じたのか、彼女はこちらを一瞥だにせず、淡々と口を開く。
「わたしはあれの相手をしてから後を追う。だから、あなたたちは先にあちらへ避難して」
「だ、だけど、あんなたくさんの敵、君だけでどうやって」
俺は咄嗟にそう口にしていた。言ってから、自分のらしくない言動に戸惑いを覚える。
この状況で、自分に何ができるわけでもない。
それでも、彼女を一人その場に残すことが、なぜだか無性に気がかりでならなかった。
それは、果たして罪悪感や引け目なのか。あるいは、もっと別の何かだろうか。
俺の発言を聞いて、少女がほんの一瞬だけこちらに視線を投げ、目が合った。
「……この程度、わたし一人で事足りる」
有無を言わせない冷たさのある、どこか突き放したような言い方だった。
「お洒落なあなたはその女の子を、猫のあなたはそこで酔い潰れてる人をお願い」
「え、ええ」
「わ、わかったにゃ」
黒髪美女と猫がおずおずと返事をする。
先程までの威勢はどこへやら、今の猫は銀髪の少女の気迫に完全に呑まれ、怖じけづいているようだった。
彼らのそばでは、おかっぱの少女が顔面蒼白で地面にへたり込み、武士がうつ伏せに倒れたていた。時々いびきが聞こえてくる。
どうやら、さっき地面に叩きつけられたときに意識を失っていたらしい。どうりで静かだったわけだ。
黒髪美女は「少しだけ我慢してちょうだいね」と声をかけ、具合の悪そうな少女を気遣いながら縦抱きする。
一方で、猫の方は悲惨だった。
「うえっ。寝てても酒臭いにゃ、この酔いどれッ……!」
猫はマントの裾で鼻を押さえながら、武士の着物の襟首をひっ掴んだ。
その小さな体格からは想像もつかない怪力で、自分よりも大きい身体の武士をズリズリと乱暴に引きずり始めた。
大きな斧を背負った背中を丸め、なるべく顔を背けながら汚物でも運ぶような手つきで、文句を垂れつつ光の道へと向かっていく。
彼らが動いたことで、異形たちが低く唸り声を上げる。黒髪の美女と猫がびくりと足を止めた。
だが、異形たちの赤眼は彼らには一瞥もくれず、一直線に銀髪の少女だけを射殺さんばかりに睨みつけている。
再び二人が恐る恐る動き出す。ルルゥシアが彼らを先に行かせ、後に続いた。俺も周囲に警戒を払いながら慎重に経路に近づくが、やはり異形たちに逃げようとする俺たちを追う素振りはない。眼中にないとでも言わんばかりに見向きもしなかった。
異形たちから一点に殺意を浴びせられている銀髪の少女はというと、軽く剣を構えて重心をわずかに落とし、摺り足でゆっくりと移動しながら、たった一人、己を取り囲む異形たちを睥睨し続けている。
「何ぼさっとしてるのよッ。あんたも早く!」
経路を先行していたルルゥシアが振り返り、怒鳴るように叫ぶ。
促されて俺も慌てて足を動かすが、無性に後ろの様子が気にかかり、堪らずに振り返った。
その瞬間、視界の光闇が反転する。
彼女が手にしている青銀の剣が、白銀の輝きを放ち、霧が晴れるように闇が後退していたのだ。
光に照らされ、異形の姿が露わになる。視界を埋め尽くすのは、生き物のように蠢く鬣を蓄えた、巨大な黒い獅子の群れ。
開かれた口からは白い牙が覗き、地を掴む足先からは同じく白い爪が鋭く突き出している。
光を拒絶するように咆哮を上げ、異形たちが一斉に動き出した。
俺が最後に見たのは、彼女に飛びかかる獅子の群れと、それを淡々と見返している彼女の横顔。
そして、少女の手に収まり、波打つような白銀の光を宿す、神々しい十拳の剣だった。
※一部文章が抜けていたので修正しました。
※今月中には、一層(計8話)投稿完了予定です。




