震える子ウサギでいたいのですわ。
「ごめん、シャーリー。君に不義理なことをしているのはわかってるんだ」
応接室には、震える二匹の子ウサギがいる……と言っても過言ではない。
片方は毛色が白くて目が赤いアルビノみたいなか弱い子ウサギ。もう片方はオレンジ色の毛色の野ウサギみたいな子ウサギである。
二人とも瞳をウルウルとさせて、自分が世界で一番弱い生き物で、守ってもらえなければ死んでしまうというように主張しているようだった。
主張しているようだったというよりも、オレンジ色の野ウサギ……もといシャーリーはそう主張するために心細そうな表情をして、ハンカチを握って口元に当てて婚約者のブルーノを見つめていた。
しかしブルーノはバツの悪そうな表情で、隣にいるアルビノの子ウサギ……もといグレイスを安心させるように肩に手を置いて安心させるように笑みを浮かべる。
もちろん、子ウサギというのは比喩表現であり、この応接室には二匹と一人がいるのではなく三人の貴族令息令嬢がいるだけなのだ。
ただ、そのうちの二人の令嬢の系統があまりにも似通っているためにそんな表現になったのだ。如何にもか弱そうで、体を小さくして震える姿はまさしく小動物のようだろう。
そう見えるようにシャーリーはさらに瞳に涙をためて、小さく吐息を漏らして涙をこぼす。
しかし同時に懐に忍ばせている魔法石に魔力を込めて魔法を使う。シャーリーはただ何もできない子ウサギではなく、不服ならすべてを吹き飛ばす風の魔法を使える。
けれども利用することなく、しのぶように魔法を使うだけで、態度は変えない。
それを見て、ブルーノはもう一度「ごめん」と小さく言った。
「どうして、謝るばかりなんですの……。あなたはわたくしと結婚してくれると約束していたではありませんの」
か細い声でシャーリーは言う。
それはとても小さな声で、シャーリーの言葉を聞いたグレイスは、何にあてられたのか涙をこぼし「ごめんなさい」と小さくつぶやく。
「それは、もちろん。君には俺が必要だと思ってる。でも、でも彼女を守らなければならないと思ったんだ!」
「……ブルーノ……」
「グレイス。良いんだ、君はそんなふうに思い悩んだりしなくて」
名前を呼んで恐れているようにシャーリーを見るグレイスに、ブルーノはこれでもかと優しくそう口にする。
しかしそんなことを言ったって、実際問題、シャーリーはメーベルト伯爵家の跡取り令嬢であり、彼は婿になる予定だった。
それをどのようにして婚約を取りやめて彼女を養っていこうというのだろう。
実家には許可を取ったのか、彼女の実家の方はとても頼れるような様子ではないだろう。
ゆく当てがない状態になるであろうブルーノが、わざわざシャーリーとの婚約を蹴って、なぜグレイスを守るのか?
それについてははなはだ疑問であるとシャーリーは思った。
けれども長年の思考の癖でその言葉は、子ウサギちゃんらしいものに変換される。
「そんなに彼女を、あ、愛しているの? わたくしよりもずっと? その子との結婚は……とっても難しいですのに」
「わかってる、跡取りでもない俺が、妾の子である彼女を娶ってやっていけるのか? そういうはなしだろう。わかってるんだ、シャーリー、だからこそ君にお願いがある」
「……なんですの」
「ブルーノ……」
グレイスは先ほどから「ブルーノ……」と定期的に言うだけの傀儡と化しているような気がするが、それは仕方ないか弱い子ウサギちゃんなのだから見逃すべきだ。
それよりもお願いの内容が気になってシャーリーはこてんっと小さく首をかしげて、そのお願いの内容に希望を見出したかのように少し笑みを浮かべた。
「シャーリーとの婚約を破棄したいという話は、俺がシャーリーよりもグレイスを優先したいと思ったからだ。だからこそきちんと言うべきだと思った」
すでに嫌な予感がしていたが、シャーリーは頭の回っていないかわいい子ウサギちゃんのようなつもりでうんうんと首を動かす。
「しかし、君が許すならば彼女を第二夫人として迎えたうえで、俺と結婚してほしい。……心優しい君ならば、許してくれるのではないかと思って……」
「え……それは……」
「ブルーノ……」
「もちろん君もきちんと愛する。配偶者としてのサポートもきちんとしよう、ただ彼女をないがしろにするつもりも無いし、君が彼女をないがしろにした場合も俺は許せないそれをわかってほしい!」
意を決したように言ったブルーノに、グレイスはもう何についてそうなっているかわからないがくぅっと感極まってぽろぽろと涙をこぼす。
鳴き声が本物のウサギのようである。
「ごめんなさい、シャーリー。ごめんなさい……」
「どうか俺たちを助けてくれないか、シャーリー。君なら……良いというと俺は信じてる。どうか……頼む……」
その言葉を聞いて、シャーリーは思わず感情の抜け落ちた真顔になりそうになった。
しかし、長年の成果によって瞳をウルウルさせるのをやめずに、たまらずにソファーから立ち上がって、扉を丁寧に開けてぱたぱたと走り出す。
後ろから、ブルーノのシャーリーを呼ぶ声が聞こえてきたが脱兎のごとく走り去り、シャーリーは父の元へと向かったのだった。
「婚約破棄だと? なんだそんなことか、どうせお前が悪かったんだろう」
父は酒に酔った赤ら顔でシャーリーにそんなことを言った。それにシャーリーはやはり魔法を使って魔石を懐に忍ばせる。
子ウサギちゃんをやっていても、こういうことをやらずにはいられない質なのは相変わらずだ。
「お前が謝ってどうにかしてこい。どうせ、お前には新しい婚約者を見つけられるだけの……だけの、技能もないんだからなっ」
「でも、ブ、ブルーノは爵位継承者の配偶者の立場で第二夫人を娶りたいんですって……」
「ハッ、私はそれになんだか納得できるな。お前みたいな女、私だったら物足りなくてそうしたくもなる」
「そ、それに第二夫人の方を優先するって言ってますの……」
「どうせそんなの一時の考えだ。その条件を呑むと伝えとけそれですべて解決だ!」
夜にやってきたのが良くなかったのだろう。
ウイスキーのグラスを傾ける彼を見て、また瞳をウルウルさせてか弱い子ウサギらしくくすんと鼻を鳴らす。
「ほら、またそれだ。……はぁ、シャーリーお前は、そうなんだから多くを望むな。お前は可愛い、それに愛嬌もある、それでいいだろう。配偶者なんて放って置けばいい」
「どうして、そんなふうに、言いますの。わたくしと、ブルーノに選ばれたあの子と何が違うんですの」
「なにも違わないさ。ただ上には上がいるように、下には……か弱い女の下にはさらにか弱い女がいるそれだけだろ。お前は悪くない」
父は、酒に浮かされてぼんやりとした表情のままそう口走る。
それから、シャーリーの事をうつろな瞳に映して、ぼんやりしたまま口走った。
「その子の方が守ってやりたいと思わせただけだ。……ただ私は、お前みたいなそうだけの女なんかよりもずっと…………唯一の自分だけの価値を持った一人が……一番…………」
話をしている最中に、父は一人かけのソファーに深く沈みこんでぐうっと眠りについてしまう。
その様子を見て、シャーリーはしばらく真顔で彼を見つめていた。
いつものウルウルした瞳ではなく、感情のない冷たい表情で髪を耳にかけて指先を組んで考える。
魔法を解いて、そして父が誰の事をそう言っているのか理解して、上には上、下には下、そして唯一の価値とその言葉を反芻した。
翌日シャーリーは、出勤してきた母方の祖父の妹の孫という何とも遠縁の親戚である、ニールの元へと向かった。
彼は男爵家出身で爵位継承権者でもない次男坊、現在メーベルト伯爵家に事務官として勤めに来ている。
彼は少しシャーリーよりも年上だが、そんなことを忘れさせるくらいには大人らしいしっかりとした雰囲気がない。
おっとりとした人種なのだ。
彼は父の執務室に入るや否や、待ち構えていたシャーリーに面食らってその顔の額の端の方には、昔にシャーリーがやってしまった傷が少々残っている。
「シャーリー様?」
そんな彼を、父にも言わずに引っ張っていき、適当な来客用の応接室に入る。彼は混乱している様子だったけれども、シャーリーの行動を拒絶することなくついてきた。
そして扉の鍵を内側から閉めて、シャーリーは彼に、はきはきとしたきちんとした声で言った。
「ちょっと話を聞いてくれます? ニール」
「……」
「何ですの?」
「……いや、か弱そうにするのはやめたのかなって」
「……丁度そのことで話がありましたのよ。なんだかよくわからなくって」
穏やかな表情でそう聞いてくる彼にシャーリーは、適当に言う。
それから、ブルーノの話と父の話を両方そのままあった通りに話す。
すると彼は、そのままうんうんと話を聞いて、何かすぐに意見を言う気ではなさそうだったので、シャーリーはそのまま自分の意見をつなげていった。
「わたくし、子ウサギのような無力で居たいんですのよ。なぜかって? その話をしたことは無かったかしら」
「されてないよ」
「そう。だってわたくし人を傷つけるんですもの。あなた然り、父然り、そう言う性分ですわ」
シャーリーは白状するようにそう口にする。そうするとニールはあっ、これ? と言わんばかりに視線を上に持ってきて自分の額に傷がある方を見た。
「ええ、ご存じでしょう。幼いころから知っているあなたなら」
「まぁ、だって君、乱暴な子供だったからさぁ」
「ええ、それに……守りたくなるんでしょう? 弱い方が、良いんでしょう? 女など」
「そうかな。どうだろう」
「でもまぁ、下には下がいるわけで、守られるように子ウサギのように振る舞っていたら、さらに下の子ウサギが登場して立場を奪われるなら意味なんてありませんわ」
「意味って何の意味?」
「子ウサギの皮をかぶっている意味ですわ」
「なんか怖い、発言だね」
調子を戻して話をするとペラペラと口から次々に言葉が紡がれる。
シャーリーは今だけはウサギの皮を脱いで、良くないものに戻っている。
昔からそうだったのだ、生まれた時からこうだった、シャーリーの母親はシャーリーを産んで死んだのだ。
だから父はひどく傷ついてとても可哀想である。
周りにいた女の子たちも、家庭教師たちもそうだ。
シャーリーが人が考えないようなことを考えて、意欲的に何かに取り組んでいると、それは控えようねと教えてくれる。
ニールと仲良くしていた時も、彼に剣術を指南しようとして滅多打ちにしてしまった。
シャーリーは自分は容赦がなくて躊躇がなくて、どこまでも自己中心的な生き物だと思っている。
だからか弱い女の子が、かわいい子ウサギちゃんに見えて仕方ないのだ。
「怖いけどちょっと面白い。あははっ」
彼もそう。子ウサギというよりも野ウサギぐらいだろうか、いつもニコニコフワフワしていて、可愛い小動物だ。
それでいることは周りの安全の為にも必要なことで、シャーリーはずっとそれに擬態している。
しかし、以前からひしひしと感じていた壁に当たり、今はそれだけではどうやら人生は難しいという事がわかってきた。
「俺は別にどっちでもいいと思うけどね。荒っぽい君でもか弱い君でも、ほら大人になってからあまり君は俺に構ってくれなくなったじゃん。だからこうして、話してくれるだけで嬉しいっていうか」
ニコニコとしてニールはつづける。
彼はシャーリーの前にいて野ウサギで、いつ傷つけられてもおかしくないのにまったくもって危機感が足りていない。
そう思うのに、彼の声は耳心地がいい。それは少々困った事である。
「婚約者がいる人に何を言ってるんだって思うかもしれないけど……ああ、婚約が危ういんだっけ? こまったねぇ」
……可愛い女であれ、愛嬌のある子でいるべきだ、人を傷つけたくない、その言われたことも思ったことも子ウサギの皮をかぶることで、全部カバーできていると思っていましたのに、父は不満で、婚約者は別の女に……。
今の状況はまったくもって、問題なしとは言えないだろう。
だから今こそ、子ウサギの皮を脱いで、彼らに猛烈な自己主張をするべきか。
シャーリーが悩んでいるのはそういう事だ。そうするべきでそうするしかないのなら、それもまた仕方ない。
シャーリーの頭の中は、ほかの人間よりも少々合理的な部分が勝っていた。だからこそ何でもかんでもはっきりさせたり、追い詰めてしまったりして人を傷つける。
こんな自分を何というのだろうか。
その疑問は昔から持ち合わせていて、ファンタジー風に言うなら悪役令嬢。自分風に言うのなら、きっと牙の鋭い猛獣だ。
そう思うと、なけなしの感情がにじみ出てきてジワリと悲しくなってきた。
なんでこうもうまくいかないのだろう。シャーリーはただ……。
考えつつも目の前にいる彼を見る。
すると彼は「でも」と口を開いて、その前髪の隙間から額の傷がよく見える。
「こうだってきっぱり答えは言えないけれど、振り切れた答えを出さなくても良いんじゃないの。シャーリーは極端だから。どっちでもいいし、必要な時に必要な方で居ればいいよ」
「……それでは優柔不断で一番、非効率的ではありませんの?」
「こ、効率で性格を選ばなくてもいいんじゃない?」
「どうしてですの?」
「どうしてって……皆、思うままに生きてるだけだし」
「思うままに生きていたら人を傷つけますわ。だから子ウサギのように無力になりたいと願ったのに」
「子ウサギねぇ」
「でもわたくしよりもさらに無力な子がやってきて、そうするとわたくしは傷つけられる側になりますの?」
彼に伝わるかわからないが、シャーリーは首をかしげて適当な声で言った。
「結局人間は傷つけあう事でしか生きていけませんの?」
「壮大だなぁ」
「真面目なんですの。わたくしはずっと」
「……そうだね。誰も傷つけないし傷つけられないのも難しいけど、傷つけちゃったらさ、助けてもいいんじゃない? ……俺みたいに」
ニールはそう言ってフワフワした笑みを浮かべる。仕事時間に勝手に連れ出して顔に傷までつけた相手なのにニールは穏やかだ。
そしてその言葉には説得力があるように思えた。
彼の顔に傷をつけた日、シャーリーは焦っていた。
彼の家が投資で酷い失敗をして、彼が平民の商家に養子に出されるという話を聞いたとき、彼をどうにかたたき直して騎士団の見習いにしようと考えた。
もちろんすぐには無理でも、目上のシャーリーがずっとそうして彼をぼこぼこにするまで目をかけて、彼を逃すまいと示せばその話は流れると打算が思い浮かんだからだった。
もちろん目論み通りに行った。けれど彼の顔に消えない傷を作ってしまい、結局彼は貧しい生活をするしかない。
そうなってやっと父に頼んで、仕事を与えるようにしてもらったのだ。
それはシャーリーのプライドに差し障る行為だったけれども、誰も傷つけずに要求を通せる子ウサギちゃんのようになりたいとシャーリーは願ったのだ。
その時の事を傷つけられたけれど、同時に助けてもらったと彼が思っていて、それでいいと言ってくれるのなら、シャーリーはそうしてもいいのかと思う。
「良いんだよ、自分の好きなようにすれば。少なくとも俺は君の事大切に思ってるからね」
「それはか弱いわたくしの事ですの、それとも違う方?」
「両方」
「……」
彼の言葉に答えがうまく見つからない。
子ウサギちゃんの皮をかぶっているわけでもないのに沈黙してしまって、なんだかむず痒い。
しかしついさっき言われたことを応用して、ここぞとばかりに瞳をウルッとさせて、子ウサギの皮をかぶって見た。
すると彼は「かわいーね」と素直にシャーリーに言ったのだった。
起こっている問題は父の事ではない。
父はもともとお酒を飲むと、母とシャーリーの事を比べてしまってどうしようもなくなるらしいのだ、そのことぐらいはわかっていた。
それに彼は、幼いころのシャーリーの苛烈さを知っている。だからこそ一概に今の状況を悪いと思っていない。
しかし、傷つけたら助けるとしても、傷つけられた分については傷つけ返すという方法でどうにかしようと考えている。
あくまで傷つけすぎない事、そして彼があんなふうに言ってくれたからにはシャーリーはこれからも子ウサギの皮をかぶり続けようと思う。
というか子ウサギの皮というと、なんともグロテスクな表現になってしまうので何か別の言い方を考えたいものだと思った。
思いながらも、シャーリーは食事を口に運んでいた。
パンをもそもそと噛みしめる。胸ポケットに入れた魔石からレコードのように先日の父の言葉が流れている。
侍女たちはダイニングの異様な雰囲気を感じ取って、ヒソヒソと話をしている。
「…………」
父は顔を青くさせて、食事をせずにシャーリーの事を見つめていた。
その顔にはやってしまったと書いてあるようだった。
『婚約破棄だと? なんだそんなことか、どうせお前が悪かったんだろう』
魔石から先日録音した声が流れる。まぎれもない父の声で短い会話を何度もループしている。
『お前が謝ってどうにかしてこい。どうせ、お前には新しい婚約者を見つけられるだけの……だけの、技能もないんだからなっ』
明らかに舌足らずの酔った声。
酔っぱらって唯一の家族にひどい事を言う父親、そんなものはままいるかもしれない、しかしこうして証拠があり大勢に聞かれる間抜けはそういない。
『そ、それに第二夫人の方を優先するって言ってますの……』
『どうせそんなの一時の考えだ。その条件を呑むと伝えとけそれですべて解決だ!』
断言するように録音の中の父がそう言うとダイニングテーブルにダァンと音を立てて彼は頭をこすりつけた。
「悪かった! 申し訳なかった! シャーリー、いくら酔っていたとはいえ、言っていい事と悪い事があった!!」
「……そんな、良いんですのよ、こ、これがお父さまの本音ですもの……」
「ちが、違うぞ! 断じて!! 娘に幸せになってほしいと思ってない父親がどこにいる!!」
「だってわたくしの事を……こ、こんなふうだって性格を詰って、比べていましたわ……そう誰かと……」
「や、あ、それはな。決して決まった誰かという存在がいるんじゃなくてだな」
父は焦ったように言うが、魔石の音声の再生は止めない。
この魔法は風の魔法の応用で使うことができるのだが、今のところシャーリーのオリジナル魔法なので彼でも止め方はわからない。
『……ただ私は、お前みたいなそういうだけの女なんかよりもずっと…………唯一の自分だけの価値を持った一人が……一番…………』
「ほらここですわ。……誰のことかわたくし知ってますのよ……お父さまの一番愛した、忘れられない人……」
「あああ、やめろ。やめてくれ、こんな歳になってまで酔っぱらって嫁さんの事を言っているなんて話、しないでくれ」
「恋しいんですのね。お父さま……お父さまは一途ですわ、誠実で、健気ですわ……」
そういうと彼はもだえ苦しむように顔を覆って、その様子を見てシャーリーは少し溜飲が下がった。
それからなんでもするからそれをやめてくれという父に、とあるお願いを持ちかける。もちろん瞳をウルウルさせて。
シャーリーのしたお願いによって、ニールがシャーリーの婚約者になり、そして彼の事務官としてのポストに就いたのはブルーノだった。
彼は最初、シャーリーから婚約破棄されて、シャーリーがグレイスの実家に二人が結ばれようとしていると告げ口のようなことをしたせいで怒ってメーベルト伯爵家にやってきた。
「どういうことだっ、シャーリー、婚約を破棄するのはいいとしてもっグレイスの実家にまで連絡するなんて……」
彼は頭を抱えてシャーリーに当たるようにして、声を震わせて言った。
それにシャーリーは、か細い声で、臆病そうに返す。
「……ただ、状況の確認を、したかっただけ、でしたの。まさか……それで困るだなんて……知りませんでしたのよ……」
苦し気に言って瞳をウルウルさせると、彼はとても困り果てたような顔をして、さらに続けて言う。
「それにやっぱり、受け入れられませんわ。……わたくし……幸せな結婚生活を送るのが夢ですの。……第二夫人を優先すると言っている人とそんなこと望めませんわ……」
「っだから、それでも君ならば、どうにか納得してくれると━━━━」
「それはっ、そんなに一般的な、事ですのっ? そんなに受け入れなければならないことですのっ? わたくしは犠牲になるしかないのでしょうか……?」
「ぎ、犠牲になんてそんな……俺は」
もっと強い言葉が沢山思い浮かんでいたけれど、口にすることはなく、シャーリーはつづけて涙ながらに訴えるように言った。
「間違っていませんわ。あ、あの子を助けるためにわたくしの夢を犠牲にする……そういう事ですの」
「…………そんなつもりは……」
「だから、婚約は破棄。もう他人に……な、なりましょう?」
感極まってどうしようもないような表情で言うと、彼はうっと言葉につまったような声を出して何も言えない様子だ。
子ウサギのようにか弱いふうを装っていると不利益を被ることがあるが、それ相応の利益がある。
それはこういう、他人がもうこれ以上追い詰めることが出来なくなるという事だ。
ただでさえか弱そうなのにこれ、以上追い詰めたらいけないと思わせることができる。これは利点だろう。
ブルーノは、困り果ててぶるぶると震えだす。
…………。
その様子を見ていて、シャーリーの中の合理的な部分が判断を下す。
……ブルーノはわたくしのようなか弱い子ウサギをこれ以上追い詰めてまで自分の欲求を通す。そいういうつもりはないのですわね。
それならば、彼の欲求はシャーリーを相手にして行き過ぎてしまっただけではないだろうか。
「そんな、じゃ、じゃあどうしたら。あ、あの子はもうじき、顔を知りもしない僻地の二回り以上違う貴族の元に……」
そんなことをつぶやき始める。
その事情は、きちんと調べたのでシャーリーだって知っている。
妾の子で認知してもらっただけでもありがたい事だが、普通に生きられることは多くない。だからこそ自分が出来る最大限をブルーノはやったのだろう。
そしてシャーリーを傷つける結果になった。
だからこそつづけてシャーリーは言葉を紡いだ。
「……もし、もっと別の方法であの子の事を紹介してくれていたら……っ、わたくしも、手を差し伸べることを……躊躇しなかったのに……」
そういうと彼は、喉を詰まらせたように苦しそうな顔をして「お、俺のせいで」と小さくつぶやいた。
その一言だけで彼は大いに傷ついてくれて、シャーリーはほっとした。子ウサギの皮をかぶっている状態でも傷ついてくれてとても助かる。
そうでなければ、もっと深手を負わせるところだったから。
そして傷つけられて、傷つけて、そうしたらちゃんと最後は助けていい。
それが許されることをシャーリーは今回初めて知ることができた。
「でも一つ提案があるんですの、ブルーノ」
静かな声でそう続ける。
まだもう少し、シャーリーは震える子ウサギでいられそうなのだった。
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