4.提案
強く身体を掴まれたまま、社長にじっと見られ続けている。まるでもう逃がさないと言うような表情に困惑しながら、さっき気づいた事実をもう一度頭の中で整理する。
(まさかあの時の男が社長だったなんて!今から否定しても遅いよな、何故か確信してるし、どうする、どうすれば……何か要求されたりするのか?
というかさっきこの男なんて言った?ずっと探してた?お前は俺のもの?なんでそうなるんだ!?確かにそんなようなこと言ってた気がするけど……)
気持ちを落ち着かせようと考えを整理しようとしたけどやっぱり無理だった。何度考えても混乱する。
(なんでこんなことに……
そもそもなんで俺はこいつのことでこんなに悩まなきゃいけないんだ。今までずっとこいつに悪夢を見させられたってのに。元を正せば花魁を辞めることになったのもこいつのせいだし……)
この男のことを考えていくうちにどんどん腹が立ってくる。そういえばこの男は自分のプライドを傷つけた人物なのだ。そんな男に何故か自分のモノ呼ばわりされていることも。自分の頭の中が今その男のことで占められていることも。
ああ、全てにイライラする。
「――俺は雪代です。それは認めます。
ですがそれが何か。さっきから仰っている、俺が貴方のものっていうのも意味が分からないのですが」
最低限の敬語は守りながら口を開いた。その声には若干のイラつきが含まれているのがわかる。
「言っただろう、あの夜。俺はいつかお前を買うと、そしてお前を俺のものにすると」
自分の問いに社長が答えるが、全く答えになっていないような返答に余計に腹が立つ。
「確かに、言っていましたが、それは貴方が勝手に言っていただけですよね?俺は何も言っていませんし、はいと答えてもいません」
「それならもう一度言おう。お前は俺のものになるんだ」
「は?嫌ですよ!なんで俺が貴方のものにならなきゃいけないんですか!」
「ダメだ、お前は俺のものだ」
一方通行の会話に、繋がらない返答。
もう限界だった。
「……だから!意味がわからないって言ってんだろ!」
相手が自分の会社の社長であることも忘れて声を上げる。
すぐに、やってしまったと思うも、もういいかと自暴自棄な気持ちになる。これが原因でクビになったとしても後悔はない。そう思うほど俺はこの男に腹が立っていた。
むしろクビにしてくれた方がありがたいかもしれない。自分のことを知っている奴が社長だなんて、弱味を握られたようだし、たとえ何のお咎めがなくてもこれから以前のように働いていけるとも思えない。もう言いたいこと言ってやろうと決め、続けて口を開く。
「そもそも俺はお前のせいでずっと苦しめられてきたんだ、誰がお前のものになんてなるかよ!お断りだわ!」
……言ってやった、と達成感にも似た気持ちになる。
声を上げられた本人からは何も返事が返ってこない。口を閉じたまま、じっと俺の方を見ている。
さすがに癇に障ったのだろう。どうせクビになるのだし、言われる前に自分で言い出そう。
「……すみません、本日付けて辞めさせて頂きます」
「ダメだ」
「は?なんで……俺はクビじゃないんですか?」
予想外の返答だった。
「クビにはしない。お前は今日から秘書課に異動し、俺の秘書になってもらう」
「はあ??」
さらに続いた予想外の答えに思わず顔が歪んでしまう。
一体この人は何を言っているのだろう。
「無理です、会社辞めます。辞めさせてください」
これからこいつの秘書だなんて考えただけでもめんどくさい未来しか見えない。もう吹っ切れたように何がなんでも辞めねばならないと強く思った。
「ダメだ。その申し出は受理できない。社長権限で却下とする」
(はあ?!とんだブラック企業じゃねえか!)
もう何を言っても無理だと思うような社長の物言いに、こっちの気持ちが折れそうになる。
こいつに言ったところでどうにもならないと気づき、言い返す気も起きなくなった。
その後無事に社長室からは出られたものの、自分の部署に帰った時には異動の話はすでに伝わっており、すぐに秘書課へ荷物を持って行くこととなった。
こんな突然の異動、絶対変に思われるに決まってる……
しかもあの目立つ社長のそばに居る秘書なんて目立つの必死じゃないか……
はああああと大きなため息をつきながら秘書室へ向かう。なんでこんなことになったのか。
半ば強引に転属させられ、あいつの手のひらでいいように転がされて、流されたことで無くなりかけてた苛立ちも回復し始める。
(あいつも雪代、雪代って、うるさいんだよ、なんでずっと覚えてるんだ、いい加減忘れてくれよ……
はやく俺を忘れてくれ……!!)