1.伝説の花魁
「──いつか必ずお前を買う。それまで待ってろ」
(なんでこんなことに・・・!?)
それは数年経った今でも俺を苦しめる、悪夢のような出来事だった。
ある会社――
「なあお前さ、“伝説の花魁”って知ってる?」
「伝説の花魁?あー、あの数年前に突然居なくなったっていう、近江屋の?」
「そうそう、いなくなるまで吉原のトップに君臨してた花魁」
「やばいな、あの吉原でトップになるとかどんだけ凄いんだよ」
「なんでも、突然現れて1年も経たないうちにトップ花魁にまで上り詰めたらしいぜ。
しかも、芸事も技術も超一流で、絶世の美女だったらしい。その人気は凄まじくて、行方が分からなくなった今でも探してる熱心な客もいるくらいだ」
「まじかよ、そんな凄い花魁だったら1回ぐらい会ってみてえな」
「ばか、お前には無理だよ!いくらすると思ってたんだ、超VIPレベルが通える花魁だぜ?」
「それもそうだな、
でもなんでそんな花魁が急に姿を消したんだ?」
「それが謎なんだよなあ、表向きは健康上の理由ってことになってるけど本当かどうかは怪しいしな。
信じなかった客達が店に押しかけて問題になったくらいだし」
「あー、当時めっちゃ騒がれてたよな。ニュースとか新聞でも見たわ」
「それでその花魁の存在が一躍有名になったんだよな。
結局、店側は体調不良の為療養するって言ったっきりで、その後の行方は分からないまま。
それ以前に遊女になるまでにも何をしてたのか、どこにいたのか、年齢も素性も一切明かされてない。
あまりにも謎が多すぎるから、本当はそんな花魁いなかったんじゃないかって言われてるくらい、存在自体が都市伝説みたいなもんだよ。
他にも数々の偉業を残したって言われてたり・・・。
まあ、花魁に纏わる逸話は嘘か本当か分かんないようなものばっかだけどな」
「なるほど、それで“伝説の花魁”か・・・
ていうか、なんでお前そんなに詳しいんだよ!」
「いや昨日テレビでさ・・・――」
2人の社員がそんな会話をしている。
(まだ忘れられてないのか・・・)
その横に座る男が冷や汗をかきながら考える。
眼鏡と前髪で目元を隠した、地味な風貌をした男だ。
男は仕事が一区切り着くと、席を立ち、足早にその場を離れる。
そして、はあ~、とため息混じりにつぶやいた。
「一体いつになったら忘れられるんだろう、花魁のこと・・・」
*
俺には秘密があった。
世間に知られたらきっと大事になってしまうであろう、かなりの秘密である。
そんな秘密に触れる話を、急に隣のデスクにいる同僚が話し出すから、思わず声を上げてしまいそうだった。
そう、さっき2人が話していた“伝説の花魁”とは、俺、深山 春のことである。
この日本には吉原と呼ばれる場所が存在し、それは遊郭として、女の遊女たちが男たちに夢を売る、男の楽園とも呼ばれる場所である。
起源は江戸時代にまで遡り、時代の流れによって消滅しそうになりながらも、現代でも消えずに残っている。
それは国の公然の事実であり、今も男たちは一夜の夢を買おうと日夜通い、国のお偉いさんや海外の偉い人まで訪れる、言わば国を上げての一大産業とも言える場所だ。
そしてそんな吉原のトップに君臨してた花魁っていうのが俺こと、近江屋の雪代だ。
もちろん、遊女は女がつとめるもの。
俺は女ではなく正真正銘の男だ。
なんで男の俺が吉原で花魁なんかやってたかと言うと、話は5年程前に遡る――
当時18歳だった俺は、高校の卒業式を間近に控えたある日父親に、
「お前が遊女になって、店の看板になれ」
と半ば強引に遊女にさせられた。
俺の家は吉原の中にある店のひとつ、『近江屋』を代々取り仕切っており、父親は大旦那、簡単に言うと店のオーナーだった。
その時うちの店は、人気遊女もおらず、経営が傾きかけていた。そこで父は一発逆転にと人気遊女を誕生させることにしたのだ。
そして目をつけられたのが一人息子であった俺だった。
何も男である俺じゃなくても、女の良い人材を見つけてくればよかったのだが、店にそんなお金もなければ余裕もなく、何より自分で言うのもなんだが、そこらの女よりも断然美人だった。
母譲りの美形な顔で中性的な顔立ちと男にしては華奢な体格。
更に化粧を重ね、女よりはしっかりしている体つきも、何枚も重ねた着物で誤魔化す。
そうして出来上がった俺は、完璧な女だった。
しかもそんな家で生まれ育ったため、教養にと、幼い頃から芸事や囲碁将棋、経営学なども覚えさせられ、一般的な知識の他にあらゆる学問も勉強させられていた。
そこまではまだ店の跡取りとしての教養と言えるのだが、俺にとっては姉のような存在である店の遊女たちに、女の扱い方、情事の仕方、さらには男を喜ばせるような知識まで教えこまされていた。
そんな性別以外は遊女に適性がありまくりだった俺に白羽の矢が当たったのである。
当然俺は反抗した。男である自分がなぜ同性の客に媚びを売り、奉仕までしなきゃならないのか、と。
しかし俺の反抗も虚しく、あれよあれよと話は進み、源氏名を雪代と名乗ってデビューすることになった。
そして店に出るや否や、突如現れた圧倒的な美貌を持った優秀な遊女として話題になり、1年も経たないうちに数ある店の中で、売上1位を記録する花魁にまで上り詰めた。
今考えれば、男であることを隠し、遊女をするなんて無謀以外の何物でもないのだが、あの時は皆店を立て直すのに必死で、どこか頭のネジが吹っ飛んでいたのかもしれない。
最初は同性である男に奉仕することに抵抗があったが、育った環境もあってすぐに慣れたし、服を脱がずに接客するのは、あらゆる技術を用いて客を篭絡することで、なんとか切り抜けた。
何よりやってみたらそこまで苦ではなかった。むしろ、自分の技術で客たちを屈服させ、連勝記録を伸ばしていくことには謎の達成感があり楽しくもあった。
これが喜ばしいことなのかは追求しないでおきたいが、まあ、そういう才能があったのかもしれない。
服を脱がずに最後までさせないというのも、客からしたら憤慨ものだが、そんなことが知られたら自分のメンツが潰れると考えた男たちのプライドによってそこまで問題になることも無かった。
逆に服も脱がず、最後までしなくても、客を喜ばせられる程の手練手管を持っている、という遊女の噂を聞きつけた男たちがこぞって店に訪れた。
興味本位や、我こそはその服の下の秘密を暴く!という挑戦にも似た客たちがひっきりなしに訪れ、その噂を聞き付けた客がまた訪れ――というように客を集め、人気を博していった。
もしかしたらそんな不思議な遊女だったからこそ、上手くいったのかもしれない。
そしてあっと言う間に人気遊女になり、位も花魁に上がり、吉原一とまで言われるようになった。
店の経営も花魁“雪代”のおかげで立て直し、瞬く間に人気店の仲間入りを果たした。
そうやって俺は花魁“雪代“として伝説を作ったのだ。
しかし大学3年生になる頃、ある事件が起きたことで、俺は花魁を辞めようと決意する。
当然、突然辞めると言い出しても家族は納得しないので就職活動に集中したいという理由をつけ、説得した。
店も十分繁盛しているから大丈夫だ、このまま花魁を続けていく訳にもいかなかったのでちょうどいいタイミングだと言い聞かせた。
元々店を継ぐ前にどこかの企業に就職し、社会人経験を得た方がいいと俺も両親も考えていたことではあった。
花魁“雪代“が居なくなることで、店の経営がまた危なくなるのではとの心配もあったが、稼ぎ頭の遊女がいると店に人が集まり、他の遊女たちも人気が出ていたおかげで、他の遊女だけでも十分やっていけるだろうと判断され、何とか了承を得た。
反対する家族を説得することには成功したが、問題は客たちにどう伝えるかだった。
適当な理由をつけても納得しないのは目に見えていた。そこで長引かせても面倒になるだけだからと強硬手段に出ることにし、健康上の理由から突然顔を出さないようにした。多少反発はあるだろうが何とかなるだろうと甘く考えていた。
誤算だったのは、雪代の人気は想像していたよりも凄まじく、引退した翌日から店に客やメディアが押しかけてきたことだ。
(あの時は大変だった・・・)
数ヶ月ほど身を隠すように生活し、時が経つにつれ段々と騒ぎは収まっていった。
そうして俺は、誰にも男だと気づかれることなく、2年ほどの遊女人生に幕を下ろしたのだった!
・・・そのはずだったのだ。
ただ1人を除いて――
今でも夢に見る。
夢に出て俺を苦しめる。
まさに悪夢。
悪夢のようなあの夜の出来事。
俺が花魁を辞めることにした本当の理由であり、元凶である事件。
それは、たった一度だけ客に男だとバレてしまったことだ。
そしてそのためにその客と寝てしまったことも・・・
誰にも知られたくなかった。
あの日、あの夜、ずっと自分が守り続けてきた秘密を暴いたあの男を、自分の連勝記録に黒星をつけたあの男の存在を。
思い出すだけで腹が立つ。
まあ、花魁雪代の秘密が世に出ていないところを見ると、自分との約束を守っている律儀な男なのかもしれないが・・・。
でもやっぱり気に入らない。
(まあもう花魁はやらないし、どうせ一生会うこともないか・・・)
もう自分には関係ないことだからと、そう思うことで気持ちを紛らわせ、数年が経った。