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序夜 ある女子大学生の末路

 黄昏時のビル群は陽の光を反射してなお、夏の光ですら御しがたき影を地上に映し出す。

 電光が闇を照らし、地上には陽光が絶えてもなお人々が闊歩する。もはや古来より伝わる、宵闇の恐怖を忘れた者たち。

 だが宵闇は。夜は善なるものたちの恐怖を糧とする者が、日の光を拠り所にせん者どもを喰らわんとする狩りの場でもある。そして妖化生の類にもれず、人悪もまた百鬼行軍に加わる。

 夜とはげに恐ろしき場所。しかしてゆめ忘れるなかれ。

 夜闇を飛び回る梟夜鷹の如き、日の光を恐れし善もまた、夜辺を生業としていることを。


 「ちっ」

 ラブホテルの一室。瀟洒かつ淫靡に装飾された部屋の中でその密会は行われていた。

 一人の若い、人相の悪い男が女性から封筒を取り上げた。無理やり手の内の封筒を奪い取られた女はびくりと肩を震わせて、おずおずと頭二つ上の男の顔を伺う。

 男は乱雑に封筒を開けて中身を確認。そこから現れたのは旧一万円札。しかも数枚どころではない、日本で最も価値の高い紙幣の束。

 額面にして数十万。それだけの金額を奪い取ってなお、若い男は舌打ちして女を睨みつけた。

 「おいおいおい、これだけかよ。お前、何人と寝たんだよ」

 「ご、五人……」

 「それだけかよぉ!?お前、俺にどんだけの掛けがあるか知ってるか?一千五百万だぞ?」

 若い男は苛立たし気に女を大きなベットへと突き飛ばす。怯えて身が縮こまっていた女は抵抗することすらできず、小さな悲鳴を上げながらベッドに倒れ込んだ。

 「もう三か月だぞ?これだけ返済待って、しかも神待ちの穴場まで教えて百万届かないってなら、もう前の約束守ってくれるってことだよな?」

 「そ、そんな!?私まだ大学生で……」

 「だからなんだよ。大丈夫だって、マスクすりゃ顔なんてばれないしクスリのんどきゃ妊娠もしねぇって」

 若い男はそういいながら女性にスマホを突き付ける。そこには淫靡に乱れる裸体の女性が映し出されていた。その画像を見た女性は羞恥に赤面しつつ男を睨みつける。

 「これもあるしな。ほら、どうする?SNSに流してもいいんだぜ?ほら、ほら!」

 若い男の挑発、いや催促に女性は項垂れるしか術を持たない。男性を張り倒す体躯も筋力も威勢もない、その上弱みは彼の掌の内。

 事はそも、ホストに金銭物品を貢ぎ首が回らなくなった女性の責任。だが眼前の男が漏らした讒言に乗って路上売春で借金を返済しようとした。そこからが過ちだった。

 いつの間にか若い男が女性の客に知人を送り、秘密裏に行為の写真を録画していた。それを盾にこの一か月はほぼ毎日電話をかけられ、ほぼ毎夜誰と知らぬ男たちに体を弄られる日々。 

 それでも返せぬ金額しか集まらず、ここ一週間は己の淫売をデータとして販売すると急かされていた。だからこそ無理な売春を繰り返して、繰り返して……。それでも、百万。

 (ああ……馬鹿だな、私)

 この男の腹黒さを見抜けなかった己の不甲斐なさ。その前に己の無節操を恥じ入るばかり。だがどれだけ詫びても媚びても泣き喚いても、警察どころか神様すら見れぬラブホテルの中。

 己の人生は終わった。大学は中退になるだろう。親にも見捨てられるだろう。今交際している彼とも、もう会えまい。人生が崩壊していく音を耳元で聞きつつ、いつの間にか近寄っていた男が胸を揉みしだく感覚すら、上の空。

 (助けて……神様……)

 そして最後にたどり着くのは、信じてもいなかった神仏への請願。忌み神でも見捨て仏でも、祟り神でもいい。彼女は願う、己の身体を蝕むこの男を殺せと。


 そして、その願いは届いた。


 若い男が女の服に手をかけた、その瞬間。部屋のドアが大きな音で鳴り打たれる。その音に肩を震わせた若い男が舌打ちしつつドアに駆け寄った。

 「たく、誰だよ!」

 乱暴にドアを開ける、が。女性からも見えた、確かにあったドアの前に、誰もいない。

 突如として部屋に備え付けられた受話器がコール音を発する。男がドアを叩きつけるように閉め、困惑する女が手を伸ばすより早く受話器を取り上げた。

 「もしもし!おい、誰だよ!」

 幾分か男の声に困惑が籠っている。だがその受話器からは、何も聞こえない。

 そう、環境音すら、ノイズすら。古い受話器特有の砂嵐すら感じない静寂を、横たわっていた女性も聞き取った。

 「おい、もしもし?もしもーし!」

 困惑が不安へと押し上げられた男の声。女性は何も言うことができず、しかし男の反感を買いたくなくて動けぬまま。やがて電話口の相手が何ら反応を返さないことに辟易したか、受話器を叩きつけた若い男が女性に視線を向ける。 

 「お楽しみの邪魔しやがって。おら、脱ぎやがれ。脱衣ショーも録画してやるからな」

 若い男の声に女性は小さく頷き、己のシャツのボタンに手をかけた。

 その直後、誰もいないはずのシャワー室、その扉が音もなく開いた。

 「え?」

 男が気配を察して振り返る。いつの間にか開いたシャワー室からは誰も浴びていないのに、シャワーが流れ出でている。ゆっくりと部屋に流れ込む無色の液体から湯気が舞い上がる。

 「おい、どういうことだよ……」

 事ここにきて、明らかにおかしいと若い男が理解した。素早く金品貴重品の類を持って、部屋からでようと足早に歩き出す。まるで蹴り破らん勢いでドアを思い切り開いて。

 そして、彼は消えた。否、悲鳴を上げながらドアの向こう側へと堕ちていった。

 「え?え?」

 訳も分からぬ女性は己の身じまいを正してベッドから身を起こした。開け放たれたドアの向こう側を、ドアに近づかないようにして恐る恐る見る。確かに、ドアの向こう側は連れてこられたラブホテルの廊下だ。だが男の気配は廊下にない。


 「お姉さん、大丈夫ですか?」


 突如、女性の背後から若い女の声がした。小さく悲鳴を上げつつ振り返った女性は、背後に立つ制服姿の女を視界に納める。

 今どきの女子高生だ。それこそ女性が数年前まで纏っていた服装やトレンドを意識した髪型。あるいは手荷物や背格好などを見ても違和感はない。いつの間にか背後に立っていた、という点を除いて彼女を畏れる必要はない。

 ない、はずなのに。彼女が背後に立っていた理由以外にも、彼女から畏れを感じる。

 「あ、あの」

 「大丈夫ですか?とりあえず、この場所から出ましょうか」

 同じような文言を繰り返す女に、年上であるはずの女性はただ頷くしかできない。

 そして気が付いたら女性はラブホテルから少し離れた路上に立っていて。

 制服姿の女は、まるで女性の空想だったかのように。どこにもいなかった。


 後日知ったところに曰く、女性が貢いでいた若い男は様々な女に金品を貢がせ、その対価を払えぬ額まで引き上げて女を追い込み、売春させて金銭を得る半グレグループの一員だった。

 だがその男が「何もない所で」落下死しているのが発見され、彼のスマホから様々な情報を警察が引き出すことに成功。女性がラブホテルで脅迫された一件から数か月後には、その組織をほぼ壊滅状態まで追い込むことに成功した。

 当然、女性の名前や画像もデータに残っていたことから警察の捜査を受けることになり。

 その警察官からオフレコとして、ある話を聞き及んでいた。

 「半グレ集団が畏怖していた女子高生がいる」

 当然、その情報はそれ以上もたらされる事無く。女性も聞き出すことなく、一件を終えた。

 だが女性は知っている。その女子高生の正体を。


 「ありがとうございました~」

 女性──京地佳苗が事件集結の報告に来た女性警官をにこやかに送り出す。佳苗の笑顔が晴れ渡っていることに安堵したのだろう、女性警官は後腐れなく佳苗のアパートから立ち去った。

 「……戻りました。S子さん。警察の方、何の疑問も持たれてませんでしたよ」

 佳苗がリビングに戻ると、小さなちゃぶ台の前に一人の女子高生が座っていた。

 ラブホテルで佳苗の後ろに突如現れ、佳苗を窮地から救った女子高生。そう言えば聞こえはいいが実態、彼女は優しい救世主ではない。

 S子、そう呼ばれた女子高生がにこやかに視線を佳苗に向ける。彼女の瞳は黒く塗りつぶされ、見慣れ始めてきた佳苗に少なからず動揺を生み出す。

 「そうですか。ところで、ですが」

 S子がそういいながら己の傍らを小さく叩く。座れということなのだろう、佳苗はおずおずと彼女の横に座った。佳苗が正座したのを確認して、S子が佳苗の小さな手を取る。

 「私が居座る理由、お分かりですね?」

 「は、はい。人を呪わば穴二つ、ですか」

 「そういうことです。相手がどのような存在であれ貴女は人を呪った。畏れを抱いた相手への報復を願った。私はいわば、人を祟り殺す怨霊のようなものです」

 だから殺した。否、祟り殺した。S子は言外にそう伝えている。ならば佳苗の目の前にいる理由もおのずと推察が付く。

 「私、祟り殺されるんですね」

 「そうです。ですが今ではない」

 佳苗が己でも驚くほど冷静に己の死を予告すると、S子は満足げに頷いて手元にあったプラスチックのカップに注がれたコーヒーを口に含む。

 そして、S子はあまりの苦さに顔をしかめてむせた。

 「けっほけほ、えほ。ちょっと、これ苦くないですか!?」

 「え?えと、インスタント入れすぎたかな」

 S子からの苦情に佳苗は慌てて彼女のカップを見る。確かに、佳苗のそれより数段コーヒーの色が濃い。やってしまったと佳苗が青ざめて謝罪を口走った。

 だが不安げに顔色をうかがう佳苗に己の弱みを見せたとS子のほうが顔を青ざめる。

 「ごめんなさい、ちゃんと見てなくて」

 「ま、まぁ私も祟り神みたいなものですから?これぐらいのコーヒーいけますし?」

 そして無理やりS子は極濃インスタントコーヒーを口腔に流し込み。剰え残っていた苦みに極渋の苦さを口の中でブレンドしてまたせき込んだ。

 (本当に、この子祟り神なのかなぁ)

 辛そうにせき込むS子には恐怖も感じる。だが時折見せるこういう反応が、佳苗にとっては生きている人間のようにも思えてならない。

 いずれにせよ、佳苗は人を祟った。そしてその報いを何れ受けることになる。

 「私は祟り神ですよ?人間ではありません、取り違えないように」

 いつの間にかせき込んでいたS子の顔が佳苗の面前に近づいていた。おぞましいほど美しい美少女の顔が、いじらしく笑う。

 「貴女を祟り殺す日まで、貴女は私の贄であり、虜です。お忘れなきように。あ、あと今度からインスタントの量は加減してくださいね?貴女の寿命が減りかねませんので」

 S子の言葉に佳苗は静かに頷く。S子の囁くような祟り詞を胸に焼き付けて。


 夏の日差しはすでに落ち、秋口の冷風が残夏を消し飛ばそうと吹き始めていた。

 佳苗の祟られた日常が戻ってくる。

 大学が、再開する。

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