5.見た目で判断するということ
次の日の朝。
穂坂くんは、ぱあっとした笑顔でオレたちを出迎えてくれた。
「今朝は納豆チーズと、魚肉ソーセージのピザトーストにした!」
おお、〈夢の中〉とは違う! と、思いながら「えー、2種類も作ったんだ! 偉いなあ」と、素直な感想を言った。
「2枚作るなら、2種類あった方がいいじゃん?」
「そうだけど、自分で作るとなると面倒だから同じのでいいやってならない?」
「自分で食べるんだから、うまい方が良いだろう?」
穂坂くんは、面倒ではないらしい。
「そういう考え方ができるっていうのは、穂坂くんは料理作るのが向いているんだよ。オレなんか、できるだけ簡単に済ませたいもん」
穂坂くんは目をぱちくりさせて、珍しい顔をした。
「そ、そうか……?」
後ろから史也が手を挙げて、「オレ、きな粉トースト食ってきた!」と、また新たなるメニューを提示してきた。
しかも『きな粉』だ!
「きな粉トースト? それはちょっと、おいしそうだな」
「バター塗って、きな粉と砂糖をかけるだけだよ」
史也が嬉しそうに教えてくれた。そしてオレはこのチャンスを逃がさない。
「へえ、簡単でいいね! きな粉、好きなんだ?」
「え? まあ、ふつうに」
史也がしれっと言った。ええっ、何だって? 大好きだろう?
「ああ、えーと、そういえばオレの知っているヤツで、きな粉に砂糖を少し入れたのを、そのまま食べるくらい好きなヤツがいるよ」
オレは早くこの情報を史也の口から聞きたくて、つい、自分から言ってしまった。
すると、「えっ、そんな奴いるの?」と、穂坂くんがまずい反応をした。
史也は『きな粉だけをモリモリ食べる』ことが普通ではないことを分かっていた。だから、他の人には言っちゃダメと〈夢の中〉でオレは怒られたのだ。これは、ヤバい。
「いや、きな粉はおいしいから!」慌ててフォローをしてみた。
「いや、変だろ?」
史也が腕を組んで、冷たい目でオレを見て言い切った。
「きな粉なんて、もちにまぶす程度の存在だよ」
大失敗してしまった。もう史也ときなこの話はできない。
ああ、オレはむせながらきな粉を食べる史也が好きだったのに……いや、食べているところは見たこと無いけど。
本当にオレは会話が下手くそだ……
というわけで、せっかく史也が振ってくれた『きな粉チャンス』を、最悪な形で潰してしまったのだった。がっくり。
その日の1時間目は体育で、オレはおとなしく見学だった。
史也は、オレがいない時はだいたい一人でいるみたいだ。話しかけられれば返事はするけど、自分から動くことはない。まあ、オレの場合、オレをトイレに連れて行ったり、世話を焼くために、仕方なくなんだけど。
〈夢の中〉では、男子も女子も関係なく皆がそれぞれ話していたけど、今は、男女くっきり別々だ。まあ、あんな特殊な状況でなければ、女子の人に話しかけるなんて恥ずかしくて、とても無理なのはよく分かる。
女子の人たちは、仲良しグループに分かれて、楽しそうに話している。
あ、熊野さんが遅れて来た。……ん? あれ、仲の良い子がいないのかな? 誰も声をかけないなあ……〈夢の中〉だったら、あんなに皆が話したがっていたのに。
ああいう、一人でいる姿は、ちょっと前の自分に重なる。なんというか、いたたまれない。
熊野さんは、特にいじめられているという風でもないけど、休み時間もいつもひとりだ。一人でずっと本を読んでいる。以前の自分もこんな感じだったな。
〈夢の中〉の熊野さんは、クラスのみんなと話すことを楽しんでいて、話が面白くて、男子の中では女子の一番人気だった。
ちなみに、今現在の男子による女子の一番人気は、城所さんだ。まあ、学年で1番可愛いし、勉強も運動もできるし当然だ。
当然、だけど。〈夢の中〉では違っていたな。夏休みに入る頃には、城所さんは特に人気があるわけではなかった。
この違いは何だろう?
オレ達は、水玉さんの指示によって毎日皆と話をしていた。そして、話をすることによって、今まで知らなかったクラスの人、全員の性格が分かるようになっていた。
クラス全員が、クラス全員の性格が分かるようになって、そこで初めて熊野さんは一番人気になったのだ。
そして、その時の女子の人による男子の一番人気は、史也ではなく寺崎くんだった。
あの時、熊野さんと寺崎君がそれぞれ1番人気になっていた時、誰が見た目を気にしていただろうか?
むしろあの時のオレは、目がくるくるとよく動く表情豊かな熊野さんの方が、見た目としても城所さんより好ましく思っていたと思う。
つまりは、そういうことだ。
新しいクラスが始まったばかりのころは、皆それぞれの性格が分からない状態だ。分からないから、とりあえず、唯一の見分ける情報である見た目で、評価をする。
水玉さんの指示がない限り、全員と話すなんてことはありえないから、そのまま見た目の評価だけで判断をし続けているのだ。
そして、全員と話すことなく、見た目だけで判断し続けることを続けた結果が、今の見た目ばかりを気にする世の中になってしまったのではないだろうか。
とか、オレは思うようになった。
そして、熊野さんの表情が豊かになったのは、皆と話したことによって新しい世界が広がっていたからだ。彼女が、それぞれの相手と話すことで、また、その相手に喜ばれて認められるという、良い循環を繰り返したことによって、彼女自身が自信を持てた結果だ。
たぶん、誰もがそうやって自分自身に自信が持てれば、表情豊かな良い顔になれるのではないだろうか?
そうなれば、遺伝子の優劣によるイケメンとか美人とか可愛いとかはあまり関係なくなって、『好きになった人のその顔が好き』と思える、正しい価値観の世の中になるのではないか、とも思う。
でも今はまだ、イケメンとか、美人や可愛い人だけが、その自信を持つことを許されている状態だ。遺伝子的にイケメンや美人な上に、自信まで溢れているのだ。かなうわけがない。
だから、今の熊野さんからは全身から自信のなさが滲み出ていて、長い前髪で目を見ることさえできない。
〈夢の中〉で史也と仲良く話していた熊野さんとは、まったくの別人だ。
ああ、そういえば、水玉さんも「見た目で判断しないように」とか、そういうことを言っていた気がするな。
えーと、何て言っていたかな……?
なんてことを、ボーっと考えていると体操服から着替え終えた史也が、顔を近づけて小声で話しかけてきた。
「お前、熊野が好きなの?」
何を言っているんだ、こいつは! びっくりした顔のまま史也を見た。
「何だよその顔は、図星か。さっきから、ずっと見ていたよな」
そんなことを言う史也が、残念でならなかった。熊野さんをあんなに気に入っていたのは自分のくせに。
でも、この気持ちを史也に言うわけにもいかず、顔を歪ませてから、はあーっと大きなため息をついた。
「ため息ついてないで、話しかけて来いよ」
史也がニヤニヤしている。
「……」
あまりにも史也の言い草がうっとうしかったので、オレは一度教室を見回してから、言われた通りに話しかけることにした。
机の間を移動するだけなら、松葉杖は無くても問題ない。両手を机について、熊野さんの席まで片足で移動する。
「熊野さん、何を読んでいるの?」少し、大きめの声で訊いた。
「え……?」
熊野さんがびっくりして顔を上げた。
物凄い、怯えた顔をしているけど、がんばってオレにしか聞こえない小さい声で答えてくれた。大人気のラノベだ。母親が大好きなので、オレもこっそり読んでいる。
「それ、最新刊? 最近やっと出たんだよね」
そして敢えて、登場人物や固有名詞を交えて大きい声で話をしてみる。
すると、背後から高橋胡桃が食いついてきた。
「それ、最新刊なの?」
「えっ?」
「わあ、もう出てたんだ! ああ、しまった、今月のおこづかい使い切っちゃったんだよね」
高橋さんが頭を抱える。
「あ……」
熊野さんが、勇気を振り絞って言った。
「か、貸してあげる……」
「いいのー?」
「う、うん……」
「嬉しい! 本当にいいの?」
「うん」
二人の笑い声が教室に弾けた。
その頃には、オレは史也のところにさっさと戻っていた。
あの二人は〈夢の中〉でも本友達で、女子の中で一番に仲が良かったのだ。きっかけさえあれば仲良くなるのは分かっていたから、近くに高橋さんがいるタイミングを、オレは狙っていたのだ。
「あいつに取られたな」と、史也に笑われたけど、あの二人が仲良くなってよかったと、オレは一仕事をやり終えて、ホッとした気分だった。