004★ 面接
はいコンバンハ鷺澤燠です。
絶頂くんではありません。
そんなわけでついにやってきました、楽しい楽しい面接の時間でございます。
え?
どうして面接が楽しい時間なんだって?(自問自答してみます)
そりゃあなんかこう、面接って一対一の人間が真剣に向かい合うじゃないですか。だから何て言うんでしょうね、心の奥底まで覗かれているような気がして、ぞくぞくするといいますか、端的に言えば見られる快感といいますか、んぎもぢいぃぃぃ!みたいな?☆
……あ、ハイ、冗談デスヨ? 鷺澤エクスタシーではありませんからね、ええ。俺の愛称はいっくんですからね、ええ。
いやはや、でも日雇い以外のバイトの面接なんて初めてですからね、やはり少々緊張しているようです。
人前に出るとかえって興奮するような性格なので、緊張等とは無縁だと思っていたのですけど、そんなことはなかったようです。 いっくんも一般的な男の子ってことで、はい、おあとがよろしいようで。
よろしくなくても、前置きはこのくらいにしましょう。俺のワンマントークばかりじゃ楽しくありませんもんね。やっぱり登場人物に美少女は必須ですよね。マジで俺にロリ趣味はありませんけどね。
というわけで、そろそろ美少女こと禍波さんによる面接を始めていただきましょう。
隣に腰掛ける禍波さんに可能な限り体を向けて、誠意と魅力に溢れるキリッとした表情を作り、彼女の言葉を待ちます。
キリッ。
「……さて、じゃあこれから面接をするわけだけど」
「ハイ! 鷺澤燠、準備は万端でございます! 好きな食べ物から得意な性癖まで何でも答えちゃいます! よろしくお願いします!」
「じゃあ、採用ということで」
「あっ、本当ですか!? ありがとうございますありがとうございます! これからよろしくお願いします!」
「うんうん、よろしくね、燠くん。じゃああとは仕事を頼むときに電話させてもらうことにするよ。あ、番号は着信履歴にあるから大丈夫だよ」
「そうですか! はい、ありがとうございます! それでは失礼しま――」
と、俺はベンチから立ちかけて、
「――ってえええぇ!? 採用!? 面接のめの字も始まってなかったのに採用って一体全体どういうことですか!?」
いい加減突っ込みました。
……いや、スルーできませんって。
不採用ではなくて採用なのですから不満があるわけではありませんが、だからといって面接らしい話を一切せずに採用などと言われても納得できるはずがありません。
『嬉しい』より『どうして』という気持ちのほうが大きいのです。
……はっ。
でももしかしたら禍波さんに俺を一目見た瞬間ビビビとくるイナズマ的なものがあって、採用を決めたのかもしれません。
だとしたら何ら不思議な点はありません。
いえ、むしろ仕方のないことだとも言えましょう。
やっぱり俺の内からとめどなく溢れ出るこのカリスマ的な人を惹きつける力みたいなものは抑えようがないですからね、思わず採用と言ってしまった禍波さんの気持ちはよーくわかりますよ、ええ。
いやはや俺もなかなか罪な男ですねぇ!
あはははははは!
「――ってな感じの理由ですかね? 採用の基準になったのは!」
「燠くんってたまにウザいって言われないかい?」
「ごめんなさい……」
ですよねー。
「では禍波さん、俺の魅力が原因ではないのでしたら何故俺は採用なのでしょうか。面接どころか自己紹介したくらいじゃないですか」
「うん? ああ、採用の理由ね。理由、理由……そうだね、強いて言うなら――」
「強いて言うなら?」
「ノリで」
「ノリ!?」
「もしくはフィーリングとか」
「フィーリング!?」
「さっき言ったパスタとか」
「パスタ!?」
「にゃんぱるにゃんぱるぷりりひー☆」
「にゃんぱるにゃんぱるぷりりひー!?」
「……何でもいいからとりあえず驚いてみてるでしょ、燠くん」
バレてました。
「とは言われましても禍波さん、ノリやフィーリングで雇ったなんて言われたら驚くしかないじゃないですか。というか、まさか本当にそんな理由で雇っただなんてことはありませんよね?」
「にゃんぱるにゃんぱるぷりりひー☆」
「誤魔化すときにも使えるんですね、それ……」
「いやまあ誤魔化すつもりはなかったのだけれど、気に入っちゃって。ごめんね?」
「可愛いから全然全く微塵も問題ありませんけどね!」
「あはは、ありがとう。……で、話を戻してキミを雇った理由というやつなのだけど――残念ながらキミが期待するような深い理由は無くってね、僕が丹精込めて書き上げたチラシが怪し過ぎるせいか燠くんが電話してきてくれるまで二週間も全然応募が無かったものだから、もう誰か電話してきてくれる子がいたらとりあえず採用にしておこうって心に決めてたんだよね」
「……えーとつまり要約すると――誰でも良かった?」
「うんっ!」
「わあ笑顔が眩しいや!」
まあ、これはある意味誰かが応募する前に応募できてラッキー☆とポジティブに捉えるべきでしょうか……。
というかそこまで人手不足に悩んでいたのならそもそもチラシを作り直せばよかったのでは?という疑問も浮かぶには浮かんできましたが、とにかくこれで俺の月収が百万円になるということが確定したのですからわざわざ言う必要もありませんね。素直に事態を受け入れることにしましょう。
ふふふ……これで俺も学生にして年収一千万オーバーのリア充(現実生活が充実してる人)の仲間入りですよ!
嗚呼、両親のありがたみを忘れたわけではありませんけれど両親が健在だった頃より収入が大きくなる日がくるだなんて驚きです!
これで俺と妹の学費はもちろんのこと、少々高めの車なんかも買えちゃうかもしれませんねえ!
そして高級車をぶいぶい乗り回して可愛い彼女(きっとできる筈です、いつか)とドライブ! 素晴らしきリア充ライフばんざーい! ばんざーい!
……あれ、ちょっと待ってください。
先程聞いた通り禍波さんが俺の新しい雇い主様だということは、百万円という莫大な報酬は禍波さんが支払ってくれるというわけですよね?
だとすれば、これは果たして素直に喜んでも良いのでしょうか……。
禍波さんは雰囲気こそ子供のそれとはかけ離れているものの、見た目はどう見ても子供。とてもじゃありませんが百万円という大金を軽々と俺に渡すことのできるような人には見えません。今までの会話から鑑みるに冗談が好きな人のようでもありますから、もしかしたら百万円という報酬も冗談でした、という展開だってあり得なくはないかもしれません。
これは……一応確認しておくべきでしょう。
「あの、禍波さん禍波さん。俺を雇用していただけるのは光栄の至りなのですけれど、あのチラシに書いてあった月給百万円というのは本当なのですか?」
「うん? ああ、給料のことかい? もちろん本当だよ。毎月百万円を支払うことは約束しよう。働き次第ではそれ以上支払っても良いくらいだしね」
「ま、マジで本当で本気でリアリーですか!? 本当のホントでマジデジマで百万円頂けるんですか!?」
「あはは、信用できないかい? なんだったら前払いでもいいよ。うーんと……ちょっと待ってね」
禍波さんはそんなことを言ったかと思うと突然ベンチから立ち上がり、着ているドレスの胸元へと腕を突っ込み、ごそごそと漁り出し始めました。
そんなことをしていれば当然、禍波さんの腕によってドレスの襟元が広げられていますからちらちらと禍波さんの白い柔肌が見え隠れ見え隠れ。あっ、今ちょっと膨らみっぽいのが見え――なんて非紳士的な視線を俺が向けているはずもなく、しっかりと手で覆って禍波さんを直視しないようにしています。指の隙間からなんて何も見えてません。……見えてませんから邪魔しないで下さい。
そんなこんなで格闘すること数十秒、禍波さんはやっとごそごそと服の中を漁る動きを止め、胸元から何か紙の束のようなものを引っこ抜きました。
そしてその引っこ抜いた何かを座ったままの俺に向かって放り投げてきます。
突然のことでしたが俺はそれをうまくキャッチし、何をよこされたのでしょうと公園の照明にあてて確認してみると、その紙の束には福沢諭吉様が描かれていました。
有り体に言うなら一万円というやつです。普通に言っても一万円というやつです。
それがたくさん、紙幣とは思えないような重量の束となって、俺の手に握られていました。
……あ、ほんのり温かい。禍波さんのお胸の温度だぁ、わあい――
「――って喜ぶところ違いますよ俺っ!? ちちちちょちょちょっと禍波さん、いったいこれは何ですか!? あなたいったい俺に何を寄越してくれやがりましたか!?」
「匂いを嗅いでみればわかるんじゃないかな」
「くんくんくんくん……むむっ、こ、これはすごく良い香りがします! 禍波さん……はぁはぁ禍波さん良い匂い……はぁはぁ……」」
「……燠くんごめん、やっぱやめてちょっと気持ち悪いや」
「な、何ですって!? こ、こんなに良い匂いなのにやめろと申されますか!?」
「燠くんのスペックを見誤っていたようだよ、うん。だからちょっとそれ鼻から離して僕の説明聞いてくれないかな?」
「あ、ハイすみません……」
言いながらベンチに腰を戻す禍波さんでしたが、気のせいかその位置は先程より俺から離れているような気がします。
何故でしょうか……。
「んっとね、それは前払い分の百万円だよ。これで僕が百万円という給与を支払う能力があると信用してもらえたかな?」
「あ、百万円ですか。そうですか、百万円――ってえええええええ!? 百万円って、え、諭吉さんが百人分ですか!?」
「うん、百万円。やっと普通の反応に戻ってくれたね」
「禍波さんの香りで遠い世界へとトリップしていて頭から抜け落ちていましたけど、やっぱりこれ百万円だったんですか!? こんなに良い匂いがするのに百万円だったんですね!」
「燠くーん、いい加減そこから離れてね?」
「しかも現金!? え、あの、俺本当にこんな大金もらっちゃっていいんですか!? 百万円ですよ百万円!?」
「いいんだよ、給料の前払いなんだからさ。燠くんには当然のように受け取り権利がある。気兼ねなくポケットに収めておくれよ」
「あ、あ、ありがとうございます……! こんな良い匂いの大金を毎月もらえるだなんて、俺は夢でも見ているのでしょうか!?」
「……じ、次回からは普通に渡そうかな……」
禍波さんが若干引き気味なのが気になりますが……何はともあれ、禍波さんが百万円という大金をぽんと出せる人物であり、給料もきちんと支払ってくれそうだということはよくわかりました。
……ですが、禍波さんはわかっているのでしょうか。
こうして前払いをしたことにより、俺がこのまま百万円を持ち逃げして仕事をしない可能性が発生するということを。
いや、もちろん半分が誠実さで構成されているこの俺にそんな行動を起こす気など毛頭ありませんが、しかし百万円という見たことも触ったこともない大量の現金を手にして多少なりとも動揺、興奮、高揚しております。このまま逃げ去りたいという人がいたら、気持ちはわからなくはありません。
ただ単に禍波さんが俺のことを信用して渡してくれたのかもしれませんが、いささか無用心過ぎるのではないでしょうか――などと考えていると、それを見透かしたような禍波さんの発言が。
「僕はね、これでも人を見る目はある方だと思っているんだ」
「人を見る目……ですか?」
「うん。名前くらいしか知らない会ったばかりの相手でもさ、わかることってあるだろう? この人はきっとこういう性格なんだろうなあ、こういう考えを持っているんだろうなあ、といったような予想めいたことがさ。第一印象とはまた違ったものなのだけど、まあ近いものだから同じと考えても良いかもしれないね。それはしばしば想像に過ぎないものだったりして現実との食い違いが生じることもあるけど、僕のその想像は大体外れないんだ。その想像で僕は燠くんを信用に足る人物だと判断した。だからその判断に従って給料を前払いさせてもらっただけのことさ。持ち逃げされる、だなんて可能性は初めから考慮の内に入ってないんだよ」
「……なるほど。つまり簡単に言ってしまえば、その第一印象とやらで俺は禍波さんのお眼鏡に適った――そういうわけですね?」
「そうだね、そういうこと。だから燠くん、僕はキミを信用した上で言わせてもらいたいのだけれど――」
そして禍波さんは再び立ち上がり、俺の目の前に立って華奢な右手を差し出し、眩しいほどにこやかな笑顔でこう言うのでした。
「――僕の下で働いてくれないかい?」
その笑顔に一切の迷いは見当たりません。
器が大きいのか。
人を疑うことを知らないだけなのかはわかりませんが――
「ふーむ、ふむ。ハイ、わかりました! そこまで仰られて断れるはずもありませんし断る理由もありません! この話、ありがたく受けさせていただきますっ! 報酬に見合う働きをバリバリガリガリ頑張りますのでこれからよろしくお願いしますっ!」
――禍波さんが俺を信用してくれたように、俺も禍波さんを信用して、雇われることにしたいと思います。
恐らく、悪いことにはならないでしょう。
そんな予感がします。
そんな気にさせてくれます。
……不思議な人ですねぇ、ホント。
ですが、いくら不思議少女禍波さんだとはいえ、まさか次のような行動に移ると思っていなかった俺は、完全に面食らう形となりました。
「よし、じゃあ燠くんは採用ということで。これからよろしくね。早速だけど、時間もないし契約させてもらうね」
失礼ながら身長が合わなかったため、俺は差し出された禍波さんの手をベンチに腰掛けたまま取っていたのですが、その手が突然強い力で引っ張られ、俺は抵抗する間も無く禍波さんの元へと吸い寄せられるように前のめりになっていき――気付くと、ふわりとした甘い香りとともに柔らかく温かな感触が押し付けられていました。
押し付けられた場所は、唇。
押し付けられたものも、唇。
わざわざ言うまでもありませんが、非常にわかりやすくカタカナ二文字で表すと、キスというやつです。
漢字で表すと接吻というやつです。
可愛く言えばチューというやつです。
俺は、なぜか禍波さんにそれをされています。
……。
…………ってぇぇぇええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?
状況を理解した俺は考える間もなく慌てて禍波さんの体を押し戻し、その甘く柔らかな感触から逃れました。
「ごごめすばーすもふへ、な、な、何ぞばってんしちゃらっかったんやん!?」
「うん? なんだい? 日本語で頼むよ」
「だ、だだだだから、ななナニなな何をしてくれちゃってんですかと言ったんですよー!!」
『面食らった』というよりはむしろ『面食らわれた』と表現したほうが正しいのかもしれませんが、そんなことはどうでもよく、俺の頭は一瞬にして真っ白になり、百万円を渡されたときとは比較にならないほどの動揺と混乱に襲われた俺は、ただただそう叫ぶことしかできませんでした。
しかし事の張本人である禍波さんはといえば涼しい表情で、「そんなに動揺しちゃって、いったいどうしたんだい?」とでも言いたげな表情で首を傾げています。
「何をって……キスだよ、キス。もしかして知らなかったのかい?」
「しし知らないわけないでしょお!? こ、このご時世で古今東西どこを探せばキスという行為を知らない人間がいるんですか! だ、だだだだから俺が言いたいのはですね、何でキきキ、キッスをしたんですかと聞いているんです!」
「する前に言っただろう? 契約だよ、契約。雇用契約を結ぶためのキスだよ。……何か変だったかい?」
「へ、変も何も、普通はそういう契約でキスなんてしませんから! 聞いたことありませんよ!?」
「ふうん、そうなのかい? 人を雇用するにあたって人間関係に関する様々な参考書を読んでいたのだけれど、確かに『突然のkissで彼はあなたにメロメロ! 停滞した関係を切り開きたいときにはイチかバチか賭けてみよう!』と書いてあったんだけどなあ」
「何の参考書ですかそれ!? 絶対上司と部下の関係に関する情報じゃありましぇん!」
俺は頭をがりがりと毟って公園の冷たい石床の上を転げ回りました。
脳の処理速度がまったく追いついてくれません。熱暴走で溶けてしまいそうです。
なんてことをやっていると、
「……なんかごめんね。まさかこんなに嫌がられるとは思わなくって。もう二度としないから許してくれないかな」
どうやら俺の挙動不審っぷりが過ぎたようで、禍波さんが申し訳無さそうな表情で謝罪をしてきてしまう始末。
こ、これはいけません……禍波さんは何も悪くないというのに!
ですが突然のキスというものの威力の絶大さを知ってしまった今、このまま放置しておくというわけにもいきません……。ここは正直な考えを述べさせていただくべきでしょう。
「い、いえこれは決して嫌がっているわけではなくてただ単に戸惑っているというかむしろ両手をあげてヒャッホイと喜びたいくらいなので謝っていただく必要は全く無いのですが、やはりこういうことは恋人同士などで行うべきだと思うので、ええ、まあやめていただいたほうが無難でしょうかね……」
「しかし僕の唇の柔らかさを忘れられずに今晩ベッドの上で悶々とする燠くんであった」
「変なモノローグ挟むのやめていただけません!?」
「ポケットティッシュあるけど、いる?」
「何の心配してくださってるんですか、何の!?」
「まあ僕も僕とてキスするの初めてだったからね、燠くんの心配をしている場合じゃないかもしれないなあ。あはは、結構ドキドキするものなんだね?」
「……ハイ? ハジメテ? キススルノ? ファースト?」
「うん。キスするのは燠くんが初めてだったよ?」
「ふぁーすときっすうううう!?」
何、何なんですかこの展開!?
どうして俺こんな見た目幼い少女のファーストキス奪っちゃったことになってるんですか!?
女の子のファーストキスとか重っ! 罪悪感物凄っ!
俺死ぬんですかね?
こんなイベント起こしちゃって、これから死ぬんですかねやっぱり!?
それとも伏線か何かなんですかねえ!? 「禍波ちゃんのファーストキス奪いやがって……死ねぇぇぇぇ!」みたいな展開のフラグだったんですかねえ!?
もうとにかくイヤアアアアァァ!!
そうして俺が再び頭を抱えて悶えていると、つい先程ファーストキスを済ましたばかりの初々しき乙女(……のはず)である禍波さんが突然「あ!」と声を上げてベンチから立ち上がりました。
いったいどうしたというのでしょう。
「ごめん燠くん、僕これから行かなくちゃならないところがあるんだったよ。とりあえず契約も済んだし、今日のところはここまでってことでいいかな? 後でまた電話するからさ」
「……へ? あ、ハイ。よ、用事があるのでしたらそちらを優先していただいてくれて構いませんよ、ええ。」
このまま話していても、今日の俺はキスの衝撃から抜けられそうにありませんし……丁度良いです。
引き止める必要はありません。
「うん、ありがとう。じゃあまたね、燠くん。仕事ができたら連絡するから、これからよろしく頼むよ」
そう言って外見相応のかわいらしい笑みを見せ、小さな手をひらひらと振ってから俺に背を向けて去っていく禍波さん。
未だに頭の中が沸騰していて冷静な判断ができなかった俺はしばらくその後ろ姿をぼーっと眺めていましたが、大変なことを聞き忘れていたことに気付き、慌てて立ち上がって禍波さんを追いかけて走ります。
どうして俺はこれを聞かずに契約してしまったのでしょう……。いや、決して後悔しているわけではありませんが、それでも雇用の契約を結ぶ上で最も重要な点を聞き忘れるだなんて間抜けすぎます……!
しかし、結果から言ってしまえば俺がそれを禍波さんに訊くことは適いませんでした。
公園から出て行くところまでは目で追えていたはずだったのですが、俺が公園から出るともうそこに禍波さんの姿はありませんでした。
禍波さんが公園から出てから俺が公園から出るまでの間はわずか数秒程度。たったそれだけの間に距離を離されたとは考えられません。まるで夜の闇に溶け込んで消えてしまったかのように、禍波さんの姿は痕跡すら見当たりませんでした。
行き場を失った言葉が、俺の独白となって夜の住宅街に木霊します。
「禍波さん……百万円の仕事の内容って、いったい何なのですか……?」
鷺澤燠、一八歳独身、大学生。
月収百万円――職種不明。
……俺の新しいステータスです。