003★ ロマンティック・ドラマティック
人工的な明るさで満たされた夜の公園の小さなベンチに隣り合わせで座る影が二つ。
そのひとつはもちろんこの俺、鷺澤燠のものです。
甘ったるいコーヒーに吐き気を催しながらも、せっかくの心遣いを無駄にするわけにもいかないということで頑張ってちょびちょび口をつけている次第であります。おかげさまで一応体は暖まりましたけど、気持ち悪いったらありゃしません。帰ったら絶対口直しに濃い目のコーヒーを飲んでやると心に決めました。
ところでもうひとつの影――つまり俺の隣に座っているのが誰なのかといえば、甘ったるいコーヒーを美味しそうにすする、自動販売機の先客様です。
夜風にゆらゆらと揺れる赤みがかった滑らかで綺麗なブロンドヘア、雪のように白く透明感のある肌、空の青より蒼いであろう瞳、そしてあたかも緻密な計算の上で作られた人形のように整ったその顔の造形――先客様はそんな人間離れした風貌の、小柄な美少女でした。
動かず喋らなければ本物のお人形さんのようです。
歳は大体中学生……いや、小学生高学年くらいでしょうか?
その華奢な身の丈は俺の胸まで届くか届かないかといったぐらいで、ひらひらとしたフリルがあしらわれたゴシック調の黒いドレスを身につけているせいもあってか、持ち上げたらすごく軽そうな感じがします。高い高いとかしてあげたいです。
……。
で、誰なのでしょうこの娘は。
淡々と説明してみましたけど、実は結構混乱していたりします。
どうして俺は出会ったばかりで見ず知らずの女の子に甘ったるい缶コーヒーを進呈されて一緒に飲んでいるのでしょうねえ……?
気にしたら負けとかいうゲームなのでしょうか、これ。
勝てませんて。
親御さんがご一緒ではないようですから、大人の一員としてここは帰宅を促すべきなのでしょうか。
夜遅くの幼い少女の一人歩きは大変危険です。しかもこの子のような美少女なら尚更危険です。
というか、むしろ俺の身だって危険です。こんな夜遅くに少女とベンチに座ってのんびり缶コーヒー飲んでる姿なんてお巡りさんに見つかったら即職務質問でしょう。事情を話せば注意くらいで済むかもしれませんが、余計な疑いは受けないに限ります。冤罪ダメ、絶対。
でもワケあり家出娘さんという可能性だって無きにしもあらずです。そんな少女相手に「早く帰りなさい(柔らかい笑みをたたえながら)」なんて言ったらどんな地雷を踏んでしまうやら……。
これから面接も控えている(かもしれない)わけですし、トラブルに巻き込まれるのは勘弁していただきたいところです。事なかれ主義バンザーイ。
まあ、でもわからないのならば聞けば良いだけの話です。
人は生物の中で唯一言葉を用いることによって情報を伝達し合うことのできる高尚な生物なのですから、その能力を存分に活用するべきでしょう。出し惜しみをする必要などないのです。全力全開で発揮してしまえば良いのです。
幸いにもこの少女、先程自動販売機の前で少し話した感じでは日本人離れした外見であるにもかかわらず日本語は達者なようでしたし、会話をするのに問題も無いはず。つまり進路オールグリーン、発射オーライ五秒前!
俺のコミュニケーション能力が試されます。
「……あのースミマセン、コーヒー貰っておいてアレなのですけど、あなた様はいったいどこのどちら様なのでしょうか?」
とりあえず無難な言葉から入ります。
すると少女は缶コーヒーからその小さな口を離して、会話の基本である愛想の良い笑みを浮かべた俺の顔へと蒼い瞳を向けてきます。
「どちら様、か。ふふふ、そうだね、名乗りもしないでいきなりコーヒーどうぞだなんて言われても困っちゃうよね。うんうん、実に当然の疑問だよね、ごめんごめん」
そう言いながら微笑む少女の表情にはどこか妖しげな雰囲気が醸しだされており、外見とのギャップに少々驚かされる俺。
何と言うのでしょうか、妙に大人びているというか……落ち着いているというか。
子供と接しているというよりは大人のお姉さんと接しているような感覚がするというか。
不思議な子です。
「僕の名前は禍波命。禍々しいの『禍』に津波の『波』で『禍波』、あとは生命の『命』で禍波命だよ」
「禍波さん……ですか。珍しいお名前ですねえ」
名前の珍しさ以前に和名だったことに驚きですが……。
ハーフさんなのでしょうかね。
というか僕っ娘さんだったんですね。
「キミのお名前も聞かせてもらえるかな? 一応僕も名乗ったわけだしね、訊いても良いだろう?」
「あ、ハイ、そうですね、名乗っていただいたのに俺だけ名乗らないというのも変な話ですね。えーと、鷺澤燠と申しますです、ハイ! 是非是非『いっくん』と親しげな愛称呼んじゃってくれて構いません! ハイ!」
「ふうん。なるほど。よろしくね、イクっくん」
「クが増えただけで卑猥な愛称に!?」
「だが僕はあえて絶頂くんと呼ばせてもらうことにするよ」
「鷺澤エクスタシー!?」
生まれてこの方そんな愛称で呼ばれたことはありません。
というか、もはや愛称ではなく蔑称ですよね。イジメですよね、グスン。
……しかし、可愛らしく幼い外見の割に下ネタとか全然イケちゃう子なんですね、禍波さん……。
スペック高ーい。
「……ええと話を戻しまして。では禍波さん、こんな所でいったい何を? どうして俺にコーヒーなんて奢ってくれたのです?」
「ダーツを投げたら偶然この公園に当たってね」
「ダーツの旅!?」
「空飛ぶパンツがここに墜落――」
「してませんよ!?」
「キャーイヤー燠くんったらこんな人気の無い公園に連れ込んで僕に何をするつもりなんだいこのケダモノー」
「俺が無理矢理連れてきたみたいに!?」
「まあ全部嘘だよ」
「じゃなきゃ困ります……」
読めない……!
会話の流れが全く読めない……!
俺としたことが、突っ込むのがやっとです……!
しかし禍波さんはそんな俺の戸惑いをよそにまだ残っていた缶コーヒーの中身を一気に飲み干し、ベンチの横にあるゴミ箱へと向かって放り投げます。投げられた缶は吸い込まれるかのように綺麗な放物線を描いてゴミ箱に吸い込まれ、カランカランと甲高い音を立てて収まりました。
その一連の流れを見届けてから、禍波さんは再び口を開きます。
「本当はね、燠くん、キミに会いに来たんだよ」
「俺に……ですか? え、あの、あれ、でも俺たちって初対面ですよね? 前に会ったことありましたっけ?」
「あはは、それ一昔前のナンパ文句みたいだね。でも……違うよ。僕たちは正真正銘初対面。後にも先にも、僕らが初めて出会った瞬間は今この時以外にないさ」
「……? それではどうして俺に? 何の理由も無く……というわけではないはずですし」
「前世の因縁を果たさせてもらおうかなと思ってね」
「それは予想だにしなかった理由です!?」
「僕はキミに『ぐえへへへへ、お前の体、付き合い始めた頃は百点満点中九九点ってとこだったんだけどよぉ……飽きちまった。今はせいぜい四○点くらいだな。つーわけで、お前もういらない。さっさと帰ってくんね?』と言われたあの日のことは死んでも忘れられなかったよ」
「前世の俺最低ー!?」
「というわけで今回の人生でも弄ばれにやってきたわけだよ」
「あれ!? 今の流れだと恨みを晴らす感じじゃありませんでした!?」
「僕ってば鬼畜展開フェチだからさ」
「また難儀な趣味ですね……っていうかどうせまた冗談か何かなんですよね? ふふっ、俺にはわかってますよ!」
「あはは、まあね。趣味以外は(ボソッ)」
「…………」
ボソッと何か聞こえたような気もしましたが、俺は何も聞きませんでした。
なーんにも聞こえませんでした。
ええ何も。
……本当ですってば。
「ところで僕らの初デートでは何を食べようかという話の続きなのだけれど」
「どこから飛んできたんですかその話!?」
「僕とて女の子だからね、やっぱりオシャレでロマンティックな食事を希望するよ。例えば……そうだね、本格的なイタリアンのお店でパスタなんか食べたいね」
「は、はあ、パスタですか……。でもパスタってオシャレでロマンティックですか?」
「乙女心をくすぐるほんのりと甘酸っぱいスパイスの効いたホワイトソースに高原を吹き抜けるそよ風のような爽やかさを加えた初恋風味仕立て――そんなパスタなら」
「シェフ泣かせの注文っ!?」
「えー、でも『このパスタは一見するとただのパスタにしか見えないかもしれないが、実はこのパスタが誕生するまでの間にはシェフの葛藤、苦悶、挫折、後悔などといった様々な感情が織り交じった、血と汗と涙と愛情の物語があったのだ――!』とかなんとかロマンティックな演出とかできそうじゃない?」
「わあすごいドラマティック!」
視聴率とれなさそうなドキュメンタリーになりそうですね……。
女の子ってよくわかりません。
難しいお年頃です。
「……ってまた話がずれましたよ禍波さん。それで、俺に会いに来た理由って何なのですか? そろそろ聞かせてくださいよう」
「おや、まだわからないのかい? 燠くん、それはちょっと鈍すぎやしないかな」
「と言われましても……禍波さんのような可愛らしい女性から声をかけられる理由なんてまったく身に覚えがありませんよ。降参です。白旗です。リングに白タオルを投げ入れますよ」
「諦めないでごらんよ。うーん……じゃあ、こう言えばわかるかな? ――キミは今日、こんな夜遅くにこの公園で何をしていたんだい?」
「俺がこの公園で何をしていたかって、それは――」
百万円というあり得ない月給が記されていたアルバイト募集のチラシを見つけて、電話して……よくわからないままに電話は切れましたけど、今から面接をしたいからそこで待っててと言われたのでベンチに座って待っていて、そうしていたら寒くなって缶コーヒーを買おうとして禍波さんに会った――
……え。
情報を整理してみたらアラびっくり、ひどく陳腐で簡単で単純な答えしか導き出すことができません。
禍波さんの子供のような外見という視覚的情報を抜きにすれば、その結論へと辿り着くのはより容易なこととなります。
というかむしろそれ以外の結論に辿り着くことは不可能です。
アルバイトの応募の電話をした。
待っていた。
人が来た。
つまり――
「まさか……まさか禍波さんが百万円アルバイトの雇い主様だったんですか!?」
「ご名答。――さあ、面接を始めようか、鷺澤燠くん?」
――俺の新しい上司様は、どうやらロリ美少女のようです。