002★ SHS
「――とはいっても、やっぱり怪しいですよねぇ……」
時はあと一時間程で日付が変わるといったところ。
つまり午後十一時頃。
良い子はねんねのお時間です。
イベント会場の受付という日雇いアルバイトの帰り道の途中でそんなチラシを拾ってしまった、俺こと鷺澤燠は、無駄に電灯が多くチラシを読むのにも問題がないくらいに明るい公園でひとり、ベンチにふんぞり返っています。脚なんかも組んじゃったりして非常にお行儀は良くありませんが、まあ時間が時間なので誰もいませんし、別に大丈夫でしょう。今日の俺はアルバイトの内容が内容だったのでスーツ姿ですから、きっとこんな時間まで残業お疲れ様公園でちょっと一服しつつゆっくりしていってねサラリーマンさん!というような目でしか見られないはずです。どんな目なのかはご想像にお任せしたいと思います。
……というか、人の気配がなさすぎて人の目も何もありませんけどね。
この公園――七見河第三公園は俺の自宅のすぐ近くにある公園なのですけど、住宅地のすぐ脇に設置されている割には広いですし、中央に立つ樹齢何百年という杉の木が象徴的な緑の多い公園なので、俺は昔から結構気に入っている場所だったりします。当然俺以外の近所の方々からも人気で、昼間は買い物帰りの主婦様たちが井戸端会議をするために、夕方には学校帰りのちびっ子たちが広々とした敷地で遊ぶために集まりなかなかの賑わいを見せる、地域の憩いの場となっております。反面、そのピークを過ぎればこの通り寂しいものですが……これはこれで静かで良い雰囲気の素敵な場所だと思います。
ここに住んでも良いくらいですね。
……すみません言い過ぎました。そんなサバイバル無理です。
さて、簡単な状況説明は終わりました。
それよりもこのチラシのことです。これは大変なことです。どれくらい大変かって、とにかく大変だと言いたくなる大変さなのです。
月給百万円ですよ、百万円。
ひゃくまんえん、つまり一万円が百枚ということです。
諭吉が百人ということです。
よくあるテレビ番組とかの賞金的な金額です。
一般サラリーマンの三ヶ月分のお給料です。いえ、もしかすると四ヶ月分かもしれません。
今まで好条件のアルバイトを見つけることができず日雇いのアルバイトばかりを渡り歩いていた俺にとって、このありえない条件は眉唾ものです。棚からぼた餅といった感じです。幸運の神様の存在を全力で肯定し、そのありがたみを世界中へ大々的にアピールしちゃいたくなること間違いなしです。新しい宗教なんかを創設しても良いでしょう。
何せ俺だいぶ前に両親とか亡くしちゃってまして、妹と二人暮らしなんですよハイ。
一応遺産なんかもそれなりにはあったのですけど、両親はごくごく一般的な会社員だったので、家のローンを支払ったり学費を支払ったりしていたら残高が心許なくなってきちゃいまして、更にこれから四年間学費を払い続けなければならないことを考えるととてもじゃありませんけど足りたものじゃありません。
赤字もいいところです。
そんなワケ有り学生の味方、奨学金制度は当然利用するつもりですがそれにしたって厳しいことに変わりはありません。
それに今年度は可愛い可愛い妹の受験だって控えています。できれば彼女が行きたいと希望する大学に行かせてやりたいですから、予備校に通いたいと言えば通わせてあげるつもりですし、県外の大学に行きたいと言うのなら一人暮らしに必要なものだって買ってあげるつもりです。
だからそのためにも何とかしなきゃなぁと思っていたところなんですよね。
そんな状況にある俺がこのようなチラシを拾ったということは、まさに天啓!
神様によるありがたいお恵みに違いありません!
おお、アーメンジーザスハッピーニューイヤー!
ありがとうございます神様土下座して御礼申し上げます!
……と言いたいところですが。
やっぱり、怪しすぎますよねぇ……。
何故かって、このチラシ、給料と募集の条件は書いてありますけど、会社名の記述もなければ肝心の仕事内容についても何の記述もないんですよ?
『詳細は下記電話番号へお問い合わせください』との記述の通り電話番号だけはきちんと記されていますけど、電話をかけたら変な会社や有料サービスとかに繋がって多額のお金を要求されたりするんじゃあ……? あわわわ。
しかもこのチラシ、なんと手書き。
このデジタル化が進んだ二一世紀に手書きって……手を抜いているんだか手をかけているんだかよくわかりません。怪しさ助長しまくりです。丸っこい字でやたら可愛い感じですが、それが逆に怪しさを引き立てているような気もします。とにかくひたすら胡散臭いのです。
百万円という破格の給与は確かに魅力的ですけど、その給与以外に魅力はゼロ。
はたしてこんな怪しげな求人に応募する人などいるのでしょうか?
常識的に考えてこの求人がまともなものであるはずがありませんし、リスクばかりが高いですよね。
もしもいるとしたら相当の物好きか、変人か、チャレンジャー精神に富んだ人か、あるいは――
「――俺くらいでしょうね!」
24時間受付OK!となっていたので、つい先程に。てへ。
……いや、だってだって怪しいのはわかりきってますけど、本当に百万円をもらえるバイトだという可能性もゼロとは言い切れないじゃないですか。少しでも可能性があるのなら俺は縋ります。
だって欲しいですもん、百万円。
もし本当に毎月百万円ももらえるのだとしたら、鷺澤家の生活は安定どころか贅沢をする余裕すら出てくるでしょう。そんな可能性が目の前に転がっていて、手を伸ばさずにいられるわけがありません。宝くじを買うよりは可能性高いんじゃないかと思いますしね、ええ。
求人人数は一人だけでしたし、もたもたしてたら誰か他の人が先に申し込んじゃってましたよ、きっと。
というわけで後悔はしてません。
電話してしまったことにより俺の携帯番号が相手方にしっかりと伝わっていたとしても後悔はしてません。
それがたとえ悪用されることになったとしても後悔はしてません。
その結果電話会社から身に覚えの無い多額の請求が届いたりしたとしても後悔――あ、やっぱりします。ごめんなさいやっぱり後悔します。超リグレットです。
とまあ、多少ネガティブな考えに至ってしまうのにも一応理由がありまして。
実は先程電話で話した感じ、やっぱりちょっと変だったのです。
変というか……あれはむしろ謎というべきでしょうか。
会話を再現するとこんな感じ。
「あ、もしもし。アルバイト募集のチラシを見て応募させていただいたのですが――」
「え、本当かい? いやあ良かった良かった、一向に応募がなくて困ってたんだよね。うんうん、ありがとうありがとう。じゃあ早速面接したいんだけどいいかな?」
「は、はい? あの、えっとその前に仕事内容の詳細などを確認させていただきた――」
「ああ、そんなの後でいいからいいから。じゃあ今からそこ行くから、ベンチにでも座って待っててよ。じゃあねー」
ここで電話は切れました。
それはもう一切の言葉を挟む暇も無く。
……変、というか普通ならありえませんよね……。
突っ込みどころが満載過ぎです。
俺、名乗る暇すらなかったんですけど。
もちろん今俺がどこにいるかということだって言う暇はありませんでしたから、『今からそこ行くから』なんて言われても『そこ』というのがこの市民公園であるのか、はたまた別の場所なのかどうやら。というか、まさか逆探知なんてできるはずがないでしょうし、電話をかけただけで居場所を特定されるだなんてことは無いでしょうから、ますます『そこ』というのがどこのことなのかわかりません。
とりあえず電話をかけた場所がこの公園でしたし、丁度良くベンチもあったのでこうして言われた通りに腰掛けて待っていますけど。
……けど、誰かが現れる気配は今のところゼロです。
電話をかけてからもう既に三十分が経過しようとしていますが、その間人っ子一人として見かけません。さすがサイレントヒーリングスポット七見河第三公園。
やはり場所がわからずに迷っているのでしょうか。
それともただのイタズラだったのでしょうか……。
もし前者だったら大変です。
かわいい女の子がこんな遅い時間にうろうろしていたら街の不良や変なおじさんに絡まれてしまうかもしれません。この辺りの治安は悪くないはずですけど、それでも深夜の女の子の一人歩きが危険であることに変わりはないはずです。
あ、何でかわいい女の子と表現したかというと、電話で話した相手がとてもかわいらしい声をした女の子だったからです。
……喋り方は変でしたけど。
応対も変でしたけど。
それ以前に、本人が来るとも限りませんけど。
でも本人だとしたら間違いなく美少女です。声でわかります。
何にせよ、あと五分待っても来ないようでしたらもう一度電話をかけてみましょう。
俺とて健全かつ真面目で優秀な学生なわけで、いつまでも待っていられるほど暇ではないのです。明日は一限目から講義がありますし、早めに就寝させていただきたいところなのです。
睡眠不足はお肌の大敵。
そして真面目な受講態度の敵(居眠り的な意味で)。
それに帰りが遅くなれば俺の愛する愛する妹も心配するでしょうし。そりゃあもう枕を濡らす勢いで心配しているはずですし。
……心配してくれるよね? ね?
まあ、深くは考えないようにすることにしまして。
あと五分待つにしても少々肌寒くなってきました。まだ四月の半ばですからね、昼間はそれなりにぽかぽかとした陽気を感じられるようにはなってきたもののこの時間になるとまだまだ冷えます。コートを着てこなかったことを後悔せざるを得ません。
ホットコーヒーでも飲んで体を温めることにしましょう。
こういう無駄遣いはあまり感心できないのですが、百万円のための必要経費ということにして妥協します。風邪をひくよりはマシでしょうしね。
そうと決まれば早速行動。
ベンチから冷えた腰を持ち上げ、公園の入口に設置されている自動販売機へと向かいます。
コーヒーはブラック派なのですが、飲みたいときに限って売り切れていたりしますからね、ちょっと心配です。もし無かったらコンポタ、あるいはココアにでもしましょう。甘ったるいコーヒーだけは絶対に飲みたくありません。大人な男である俺には砂糖もミルクも必要ないのです。人生もコーヒーも、苦いくらいが面白いのですよ……ふふふ。なんちゃって。
「……おや?」
そんなことを考えながら自動販売機のもとへとたどり着いた俺でしたが、そこには先客がいました。
人気は全く感じられなかったはずなのですが……いつの間に?
その先客は俺の登場に気付くと、にこりと愛想よい笑みを浮かべて、こう言うのでした。
「長い時間待たせて悪かったね。寒かっただろう? お詫びにと思って暖かい飲み物を買っていたのだけれど、どうだい?」
そうして差し出されたのは甘ったるそうな缶コーヒー。
……よくわかりませんが、とりあえず。
このお方とは趣味が合わないということは確かみたいです。