招かれざる非日常の中に望んだ再会
#1-4『招かれざる非日常の中に望んだ再会』
互いの顔を見つめたまま俺と彼女はしばらく動かなかった……いや、俺の場合彼女が退いてくれないと動けないわけだけど。
状況に気づいた彼女は慌てて俺の上から降りてその場にしゃがみこむと、警戒の色を浮かべながら申し訳なさそうに俺を見つめてくる。
放って置くわけにもいかないと思い、気になることもあったので、まずはダメもとで尋ねてみた。
「俺の話すこと、分かります?」
すると彼女は眉を寄せて首をひねる。何を意味するジェスチャーなのかはわからないが、理解していないのは伝わってきた。
「……ですよね」
俺は右手で彼女と俺を指し示し、それからマンションの方角を指でさして手招きし、ここから移動しようと身振りで伝えてみた。彼女は少し考えたが頷いて立ち上がる。
──お、伝わった?
俺がマンションの方に歩き出すと彼女も後についてきたので、どうやら伝わったらしいと安堵した。そして賛否の意思表示は大体同じなのではないかと推察した。
ホッと安堵してマンションに向かって歩き出した時、後ろから彼女が何か呟く声が聞こえたので振り返ると、彼女の杖を持っていない方の手が白く光っている。
──お、おおお俺、襲われませんよね? 単にまだ警戒していて、いつでも身を守れるようにしているだけですよねっ!?
無事に(?)マンションの部屋にたどりついて玄関のドアを開けて中に入る。俺が靴を脱いでダイニングキッチンのフローリングに上がると、彼女も戸惑いながらショートブーツを脱いでフローリングに上がる。
そして俺がリビングの明かりをつけると彼女は一瞬足を止め、ハッと息を呑んでリビングに駆け込んだ。辺りを見まわし、そして改めて俺の顔を覗き込み、何かを思い出したのか得心のいく顔をした。
「やっぱり、あの時の人だったか……」
彼女の反応に俺が納得していると、彼女は安堵の吐息をつき、そして……お腹が鳴った。
顔を赤らめて俯く彼女が妙に愛らしかった。俺は身振りで「待ってて」と伝えるとエアコンのスイッチを入れて、ダイニングキッチンに移動すると手鍋でお湯を沸かした。
「……ま、今日はもう来ないだろう」
割と遅い時間になっているのに真稀がいなかったので、そうつぶやくと俺は買い物袋の紙袋からパンを取り出してアルミホイルで包み、オーブントースターで温めた。
食器棚から皿2枚とスープカップ2客を取り出し、カップに粉末ポタージュを入れた。少しして湯が沸いたのでカップに注ぎ入れてかき混ぜ、トレイにカップとスプーンを乗せてリビングに戻ると、魔法使い(?)の女性は突っ立ったまま温風を吐き出すエアコンを不思議そうに眺めていたので、クッションを用意して座るよう手で示し、ローテーブルに湯気の立ち上るポタージュの入ったスープカップとスプーンを置いて彼女に飲むよう勧めた。
彼女はおずおずとクッションに座るとしばしポタージュを眺め、スプーンを持つとポタージュを掬って少しずつ飲み始めた。
そのときトースターから加熱終了のベルが鳴ったので俺はダイニングキッチンに行くと、トースターからパンを取り出して皿に並べていく。
麦の穂に見立てたベーコンエピ、全然三日月じゃないけどバターをたっぷりと幾層にも織り込んだクロワッサン、練りこんだチーズが外にも顔をのぞかせるチーズとオリーブのバゲット……あのパン屋の旨いパンの中でも俺のお気に入りたち。
最後に温めずにおいたベリーのタルトを添えてリビングに戻った。ポタージュを飲んでいた女性は、皿から立ち上るパンの香りに視線を上げ、俺がローテーブルに置くまでずっと皿を目で追っていた。
口を半開きにしてパンを見、窺うように俺を見るので手で指し示し「どうぞ、召し上がって」とほほ笑むと、彼女はクロワッサンを手に取って一口分ちぎった。湯気と共にバターの香りが広がり、彼女はそれを嬉しそうに嗅いでちぎったクロワッサンを口に入れた。途端、相好を崩し、夢中で食べ始めた。
彼女が喜んで食べるのを見て、俺もベーコンエピをちぎって食べる。噛むたびにベーコンから旨味がにじみ出て生地と絡み、小麦のほのかな甘さとベーコンの旨味と塩味が合わさって何とも言えない美味しさが口の中に広がり思わず顔がほころぶ。
そうして黙々と食事をし、すべて平らげた彼女は微笑みながら何か喋った。多分、感謝の意を示してくれたのだろう……と思う。ただ、どこかで聞いたことがあるような、ないような……。響きがフランス語にも似ているが、フランス語で彼女が話す単語を聞いたことがない。
「君は、どこから来たの? もしくは……何が起こってるの?」
言葉の意味は伝わらないだろうことは分っているけど、聞かずにはいられなかった。何もない空間に出来た別の空間につながる光の枠、何かわからないままだったけど光った手。今時、どこの国でもおおよそ日常着ないであろう装い……あれ? お祭りか何かだった? ……まぁいいや。聞きたいこと、気になっていたことを聞ける機会が訪れたのだ。
しかし案の定、言葉の意味は通じなかったようで彼女は首を傾げるのみだった。俺は軽くため息を吐くと立ち上がって、引き戸に手でなぞるように枠を作ると、枠を手で示して手を振った。本当にここから彼女の向かいたい場所に行けるかどうかは甚だ怪しいかったが、俺はここと、さっきの毛腿の群れがいるところに繋がっていた場所しか知らない。逆を言えば、俺の「帰っていいよ」という意思は伝わると思った。
彼女はしばらくじっと俺を見つめていたが、ためらいがちに何か喋った。当然、俺には意味が分からず、苦笑して両掌を外に向けて“お手上げ”のしぐさをした。
それを見て彼女はしばし熟考すると大きく深呼吸して何かを決意したように顔を引き締め、力のこもった眼で俺を見据えると、何かをつぶやきながら光る右手で自分の額に触れ、次いで俺の額に触れながら少し上気した顔を俺に近づけ……キスをした。