日常よ、サヨウナラ
#1-3『日常よ、サヨウナラ』
真稀が俺の家に泊まってから三日が過ぎてもやはり何も起こらない。あんな偶然がそう何度も起こるわけもなく、もうこのまま何も起こらないだろうと、あの不思議な現象についてはもう考えないことにしたし、真稀にしてもいい加減諦めるだろうと思った。
なのに──
「……なんで俺んちにいるんだよ」
夜、バイトが終わってコンビニで適当に弁当を買ってマンションに帰ってみると部屋の中に真稀がいた。鍵を開けて、ダイニングキッチンを横切り、リビングに続く引き戸を開けたら、頭にタオルを巻いて部屋着でくつろぎながら俺のPCでゲームをやっている真稀がいた。鍵、掛けてたのに。こいつ、合鍵持ってないのに。
まるで真稀の部屋に俺が入って来たかのように、真希はめっちゃ寛いだ様子で「何?」と言った顔で俺を振り返る。
「……なんでいるんだよ」
もう一度聞いた。
「え? 悠ちゃんに会いたかったから」
だからどうしたといった顔でしれっと答えやがった。
「……おまえ、鍵持ってないだろうに。どうやって入ったんだよ」
「あぁ……おばさんに鍵貸してって言ったら、“あげる”って言って鍵くれた」
そう言ってPC机から母さんのキーホルダーが付いた鍵をつまみ上げて見せてくる。母よ、なにホイホイ合鍵渡しとんねん! なんか、一気に今日一日の疲れが押し寄せてきた俺はその場にへたり込んだ。
「……まぁ、いいや。俺んちに来るのは構わないけど、あれから本当になんもないんだ。異世界関係のことを調べたってなんも出てこないぞ?」
そう言うと真稀は体をこちらに向けて姿勢を正し、急にまじめな顔で俺と向き合った。
「そのことなんだけど……私、気づいてしまったのよ。ゾーンに関係する現象は場所ではなく、悠ちゃんがいるところに発生するの。つまり、悠ちゃん自身が特異点だということ」
なん……だと……
「場所を調べたってダメなのよ。何かが発生したからと言って、その場所を調べたところで何も再現はされない。悠ちゃんがいることでゾーンが発生するし、逆に言えば悠ちゃんの傍にいれば発生を確認できるということなのよ」
そういうことだったのか!
…………
……いや、まてまて、ゾーンってなんだ。それっぽいこと言ってるけど理屈めちゃくちゃじゃないか。こいつ美人なだけに、真面目な顔して話されると危うく引き込まれそうになる。
「おい、いいか?それなら俺自身、あの後も何かしら体験してもおかしく──」
……あったわ、一個……。真希を連れて商店街に買い物をしているとき、店と店の間の細道に置かれたポリバケツに子供くらいの身長の毛むくじゃらな人型の何かがバケツの中身を漁ってた。
説明しづらいが、本能的にヒトではないことが判った。ああいうのは見たことに気付かれると何されるか分からんから、敢えて焦点を合わさず意識しないようにしてた。そしてそのまま忘れてた。
あれは確かコーンウォール地方の伝承にある……いや……はっきり見たわけじゃないから断定はできないな、また遭遇するようなことがあったら、そのときに判断しよう。
俺は動揺が顔に出ないように気をつけて、努めて平静に話を続けた。
「……そんな現象が何度も頻繁に起こるわけないだろ。おまえ四六時中、俺に付き纏うつもりか?」
「そんなわけないじゃない。私だってバイトと趣味の時間があるんだし」
あぁ、ちゃんと生活することは意識してくれてる……え? 学校は?
「とにかく悠ちゃんの邪魔はしないから、大丈夫。出かけるときは目立たないように尾行するし、大抵はここにいるだけで、毎日いるわけじゃないから」
いや、尾行はやめて。
「ほどほどにしてくれよ……。そうだ、夕飯。弁当、俺の分しか買ってないから、これ半分ずつにして、あとあり合わせでなんか作るからちょっと待っててくれ」
「ありがとー」
俺はコンビニ弁当を持ってキッチンに向かう、弁当の唐揚げにほんの少しだけ酒をふりかけてアルミホイルでくるむとトースターにつっこんで加熱する。
その間に弁当のポテトサラダとパスタは俺の皿に移して冷蔵庫からキャベツを取り出し、細く刻んで真稀の皿に移して、余った分を俺の皿に移す。
手鍋で湯を沸かし、即席の味噌汁をお椀に入れ、湯が沸くのを待っている間に唐揚げがあったまったので皿に移すとリビングに持っていき、真稀が準備していたローテーブルに置いた。
キッチンに戻ると湯が沸いていたので味噌汁のお椀に注ぎ、俺のご飯茶碗に弁当のご飯をいれて炊飯器のご飯も足し入れる。真稀の茶碗に炊飯器のご飯をよそうと、キッチンにやって来た真稀に味噌汁を持たせて箸と茶碗を持ってリビングに向かった。
食事をしながら真稀に新作ゲームの情報を聞き、食べ終わるとドリップパックの珈琲で一息入れる。両手でカップを包み込むように持って、息を吹きかけながら少しずつ珈琲を飲んでいた真稀が何とはなしに聞いてきた。
「悠ちゃん、さぁ……」
「んー?」
「悠ちゃん、エロゲーとかエロ本とか持ってないよね、なんで?」
「あー……特に興味ないからな……」
嘘です。めちゃくちゃ興味あります。でもショップのコーナーの前を通るたびにドキドキしすぎて入れないんです店員さんに「へぇこいつこんなの買うんだ」って思われるのが怖いんです。そして年に数回、真稀がうちに遊びに来るから油断ならなくて部屋に置いておけないんです通販もうっかり履歴が残ってたらやばいから注文できないんです!
……いやまて。まさかお前、家探ししたのではあるまいな?
「ふぅん……この前、彼氏がいる子がさぁ、彼んち行ったとき、本棚の参考書とかレポートファイルが並んでるのを見て、どんなレポート書いてるんだろうって何気にファイル開いたんだって。そしたらウスい本が挟まっててさ、なんかカッときて彼氏とケンカになっちゃったんだって……。で、“彼氏がエロ本とか持ってても許せるか”って話になったのよ」
「……ふぅん……」
彼氏、お気の毒です……。
「私はね、悠ちゃんがエロ本とかエロゲーとか持ってても平気だよ」
「なんで俺の話になる……。そもそも彼氏じゃないだろうに」
「まぁエロ本はどうだかわからないけど、エロゲーはむしろ一緒に遊びたいかなぁ」
「……おい」
俺は眉間にしわを寄せて真稀を見る。真稀は空を見つめながら楽しそうに語り続けていたかとおもえば、ローテーブルに両肘をついてカップ越しに俺を見た。
「ねぇ、エロゲーって……面白いの?」
「……さぁ……? 面白いんじゃないのか?」
じっと見つめてくる真稀の瞳から顔を背ける。まずい……これは一緒にエロゲーをやらされる流れだ。俺にはエロゲーを買うことすらハードルが高いのに一緒にプレイするだと……?
しかし、真稀は興味をなくしたように「ふぅん」と言ってまた珈琲を飲み始め、俺も内心ホッとしながら何事もなかったように珈琲を飲む。
「あのさぁ、悠ちゃん。お願いがあるんだけど……」
しばしの静寂の後、真稀が妙に甘えるように頼みごとをしてきた。いま話した話題の後だけに、ものすごく嫌な予感しかしない
「……なんだよ」
「ちょっとだけ狩り、手伝って?」
なっっんだよ。どんな無茶頼まれるんだろうってめっちゃ警戒したわ。……てか、こいつ、うちに来たのはそれも目的だったな……? しかし、まぁいいだろう。
「ちょっと待ってろ」
俺は立ち上がると押し入れから二つ折りの携帯ゲーム機を取り出した。以前、真稀が一緒にやりたがっていたから、学校の帰りに回り道して実家に置きっぱなしだったゲーム機を取ってきたのだった。
……が。真稀が嬉しそうにデカいリュックから取り出したのは、京都の大手ゲーム機メーカーの最新携帯機だった。それを見て俺は固まってしまった。
「ゲーム機、そっちかよ!」
思わず突っ込む俺に目を丸くした真希は、俺の手にあるゲーム機を見て顔をしかめる。
「悠ちゃん、いくら何でもいまどきそれで遊んでる人いないよ?」
いや、君がこの前うちに持ってきたのはコレなんだが?
「おまえ、この前コレのをやってたじゃないか」
「あれなら悠ちゃんも持ってると思って持ってきてただけよ……うっわぁーないわー」
こっちのセリフです! ソフトは持ってなかったから、わっざわざゲームショップで買ってきて、すぐ一緒のクエスト行けるように、睡眠時間を削ってまで、マッハで装備を揃えたのに! ひどい!
……なんて、な。ふふん、今回はここで終わりではないのだよ。
「それならPC版のを買ってあるから、俺はそっちのを──」
「クロスプレイ対応してるわけないじゃん」
……デスヨネ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
結局、どっちがどっちに合わせるかでひと悶着あり、ゲームが遊べるようにPCをアップデートするより携帯機を買う方がコストが安いということで俺が携帯機を購入して真稀に合わせることになった。なんだか言いくるめられた気がする。ちょっと悔しい。
何気なく時計を見ると結構遅い時間だったので、送って行こうと腰を浮かしかけて止まった。
──んん? さっきは何となくスルーしたが、妙なものを見た気が……。
…………
……デカいリュック……
携帯機で遊んでいる真稀の傍に、登山に使うような妙にデカいリュックが鎮座している。数日の着替えに加えてキャンプ道具一式がすっぽり収まる丈夫な作りのものだ。恐る恐る聞いてみた。
「……真稀さん、もしかしてご宿泊ですか?」
「はい、二泊三日で一名おねがいします」
「…………」
本当に張り込むつもりらしい……。
──三日後──
結局、真稀が滞在しているあいだ何事も起こらなかった。真稀の分も料理作ったり、ゲーム機買わされたり、今後頻繁に泊まるであろうからと寝具を買ったりと、俺自身にとっては色々ありすぎましたけどねっ!
泊まっている間、真稀は俺のマンションから直接大学に行った。リュックから取り出したトートバッグ肩にかけて……。冬用寝袋とエアベッドは、デカいリュックと一緒に俺の部屋に置き去りである。
そういうわけで、真稀はまた来るだろうと思って俺は学校とバイトが終わると、お気に入りのパン屋に寄って、真稀の分も一緒にパンを買って帰った。
こじんまりとした人気のない最寄り駅で路面電車を降りる。俺のマンションは実家や、真稀といつも待ち合わせる喫茶店に行くときに利用する、利用客が多い大きな駅とこの駅の間にあり、学校やバイトに行くときはこちらの駅が近いので、普段はこちらの駅を利用しているのだが……夜は利用者が少なく、殆ど俺しか降りる人がいない。
中途半端に間隔があいて、頼りない光量の街灯が照らす夜道を一人歩く。マンションまでの道も夜には通る人すらいなくなるため、仄暗さも相まって、たまに不気味に感じることがある。
真稀がまた泊まりに来ているかもしれないと、歩くペースを少し早めて近所の公園を横切っているときのことだ。
公園とは反対側、俺の右にある民家のブロック塀から公園の方にむかってそよそよと空気が流れた。その空気に触れた途端、静電気に触れたかのように総毛立って思わず立ち止まった。刹那、今度は公園側から光を感じ、そちらを振り向こうとして──
「ふごっ!」
左わき腹に何かがぶつかってきた衝撃でよろめき、そのまま右側に押し倒された。視界が揺らぎ、何とか受け身を取って頭をぶつけることは免れたものの、肩と背中と腰をしたたかに打って痛みに顔をしかめる。
何が起こったのだろうと公園の方を見てみれば、空間に一畳ほどの淡く白い光の枠が出来ており、その内側に枠の光に照らされてぼんやりと暗い森が見えた。そして森の奥からうなり声とともに足音を響かせながら何か獣の群れのようなものが近づいてきている。
死の危険を感じて立ち上がって逃げようとした時、初めて腹に重いものが乗っているのに気づき、そちらに視線を落としてぎょっとした。
暗い色の外套を纏った何者かが俺の腹に倒れこんでいて、頭を覆ったフードから零れ落ちた金色の髪が、街頭に照らされ優しく輝いていた。
入ってくる情報に頭が追い付かずに固まっていると、その人物は俺の腹の上で片肘をつきながら上体を起こし、身体をひねって手に持っていた杖をかざして何かつぶやくと光の枠が急激に閉じ始め、獣の群れ──なんとなく狼のように見えた──があと少しで枠を越えようかという時に完全に消滅した。
そして辺りに静寂が戻り、改めて腹に乗っかる人物を見た時、あちらもこちらに視線を上げて丁度目が合った。
まっすぐに流れるような淡い金の髪、小柄で少し頬のこけた顔に北欧系の白い肌。そしていつか見た、驚いてこちらを見返してくる空色の綺麗な瞳。
俺はいつぞやの人物との再会と、何事も起こらない平穏な日常が音を立てて崩れ落ちていくのを感じた。