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日常と希望的非日常

#1-2『日常と希望的非日常』


 異変があってから一週間、身の回りで特に何も起こらず、大きな事件も聞かない。


 いや、エライさんの不祥事やら有名人のスキャンダルやらと世間が騒ぐ事件は起きているが、関連しそうな事柄は起きていない。まぁそんなものだろう。正直、俺もあの出来事そのものについては嘘くさく感じ始めている。


 それはそれとして


 また俺は真稀に呼び出されてイケダコーヒに来ている。なんでも新しいプランを思いついたらしい。


 早いな……もっと色々考えているうちに、日常生活の忙しさからうやむやになって飽きてると思ってたのに。


 ウソです。実はちょっと面白くなってて、次はどんなプランを思いつくだろうとワクワクしてました……無茶やらかさない前提で。


 実際、なんだか待ち遠しくて約束の時間より早く来て、どんなプランを打ち明けてくれるのかと思いを巡らせ、ドキドキしながら珈琲を飲んでいる。あらやだ、なんだか乙女。


 テーブルに置いたスマホをタップして時間を見ると、そろそろ約束の時間だ。結構きっちり時間を守る真稀だからもうくる頃だ。


 そんなことを考えてたら入り口に真稀が現れる。今日は黒のポンチョコートを羽織り、濃紺のスラックスを履いていた。長い栗色の髪は今日はストレートにして紺のキャスケットを被っている。


──ん?コスプレ?


 普段、明るい色合いでTPOに合わせた服装を選ぶ真希が、流行りのファッションとは大きく離れているうえに男装のようなそうでないような、どこか中途半端ながら絶妙にバランスの取れている装いに変な違和感に首をひねるが、こちらを見つけて笑顔でヒラヒラと手を振りながらやってくる真稀が自然なものに見えて考えるのをやめた。美人は何でも似合うとかそういう理屈だろうか?


 真稀はコートを脱いで俺の向かいの席に腰を下ろすと、畳んだコートを隣の席に置いた。コートの下に着ていたタートルネックセーターの白に、少し赤みの強い栗色の髪が映える。真稀がオーダーを聞きに来たウェイターに珈琲を頼み、他愛のない話題で珈琲を待つ。


 いやもうホントに、最近寒くなってきたとかサークルで行く山のこととか今月は欲しいゲームが多すぎて小遣いが足りないとかどうでもいい──いや、いち推しゲームの情報にはめっちゃ乗り気で聞きました。そうか、俺も予約して……いや、そうじゃなくて、もっと大事な話があるだろうに。はやる気持ちを顔には出さずに、件の話題が上がるのを辛抱強く待った。


「──それで今日、悠ちゃんを呼んだのはね、先日の件で私が一つ大事な見落としに気が付いたからなの」


 待っていた珈琲が運ばれ、待ちわびた話題が始まった。いいぞぅ


「異世界に行きやすくなった話はこの前話したから端折るわね。で、異世界に行きやすくなるということは、つまり異世界に行く手段も発生しやすくなっているということなのよ」


 うん、知ってる。


「つまり、そろそろ私の身近なところで、そういうイベントが発生するはずなの」


 ……こやつ、発想はなんだかアホっぽいのに鋭いところ突いてくるというか、恐ろしく勘が鋭いな……。


「それでね、最先端技術を駆使した、とても画期的なヴァーチャルシステムが発表されていないか技術系雑誌をチェックしたり、扉とか通るときに違和感がないか意識したり、家の和室の畳の下に入り口ができていないか剥がしてみたり、命懸けで助けなければいけないような出来事に出くわさないか警戒してたのだけれど、全然そんなことに遭遇しなくって…。でもね、いい線いってるとは思うのよ」


 報告なのか愚痴なのかよくわからないことを言うと真稀は残念そうにため息を吐く。


 くれぐれも叔父さん、叔母さんを泣かせることはひかえてくれよ……? しかしあれだ、俺もなんだか残念だ。もっと斬新な切り口からアイデアを聞けると思ったのに……。もしくは、例の異変について閃く何かを期待したのに。


 俺は内心、真稀に先日の異変のことを打ち明けるべきか否か迷った。あれから何も起こらないし、終わったことなので今更打ち明けたところでどうなるわけでもない。


 ちょっと自慢したい気持ちはあるが、どういう経緯でああなったのかわからないし、消えた理由もわからないから追及されても説明できない。ただ“あった”としか話せない。どうしたものか──


「──それでね、アプローチを変えて、オカルトに詳しい友達とかが、突然覚醒したり正体を現さないか注意深く観察してるの」


 真希、お願いだからくれぐれもストーカー行為はやめてあげてね。


「それに私自身、何かに覚醒するかもしれないでしょ? 神降ろし的な祈りも込めて、今日はライゾウ様を意識して書生っぽくしてみました。スタンドカラーシャツは寒かったから白いタートルネックセーターにして、学帽は持ってないからそれっぽいキャスケットにしたけど、まぁいいよね?」


 適当すぎるだろ!だいたい覚醒ってなんだ。真稀だけでなく、俺とか周りにいるやつらが突然何かに目覚めるとでも? これはもう、ただ発生する見込みのうっっっすい突発的なイベント待ちでしかないじゃないか、プランどこ行った? 前回以上に突っ込むとこ満載すぎだろう……さては考えすぎて思考だけが異空間に行ってるな、こいつ。


 しかし、そうか。普段、明るい色の服を選ぶ傾向にあるのに、今日は黒とか紺が目立つのはそういうことか。先日のアレを見ているだけに、もっとなにか意味があるのかと勘繰ったじゃないか……。真稀さん、今回のレポートは不可です。内容を考え直して来週までに再提出するように。


「真希、ライゾウ君のもまぁ異世界みたいなものだけど全然違うからな? そもそもその場合、現実世界の一部が異空間になって入り口みたいなとこから──」


 言いかけて先日の光景が脳裏をよぎって言葉に詰まった。


「確かに、異空間や空間のひずみが現れて向こうからやってくる可能性があるよね。異世界を移動できる手段を用いてこっちに来た存在に連れて行ってもらうことは十分ありうる。むしろその可能性のが高いわね」


 やっぱりそういう発想になりますよね。でもそれは待ってても多分もうないからな、多分。


 不意に真稀が無言で俺の顔を凝視する。気にしないふりで珈琲を飲んでいたが、いくら経っても全く動かず、無言でじっと見ている…なんか怖い。


 俺はだんだん居心地悪くなって、なんとなく目をそらしてしまった。


「そういや、悠ちゃんの方で何か変わったことない?」


 この人は超能力者ですか。ていうか唐突だな、おい


「──なんでそう思う?」


 俺は声が震えそうになるのをグッとこらえて平静を装いながら問い返す。


「だってこんな話をしているわけだから、悠ちゃんも潜在意識で異世界を引き寄せちゃってるんじゃないかと思って」


「!?」


 頭の中を読まれたような気がして思わずたじろいでしまった。相変わらず発想はあほっぽいのに、なんでこう……もう、いいや。話したところで問題ないだろう。


「……実は先週、俺の部屋で妙なことがあった。真稀と別れて家に帰ったら、魔法使いみたいな恰好をしたのが部屋にいた……気がした」


 大したことでもなかったかのようにそっけなく言ってみたが、聞いていた真稀の顔つきが変わり、テーブルに手をつき勢いよく身を乗り出した。


「どうして…!」


 叫ぼうとする真稀を片手で制して目で席に押し戻す。


「すぐにいなくなったし、手掛かりになりそうなものも見つからなかったからだよ」


 ちょっとだけ嘘をついた。たぶん白い光は目立たなかっただけで、しばらく引き戸に残っていたと思う。


「悠ちゃん、今から部屋行こう」


 真稀は目をキラキラさせてそう言うと、一気に珈琲を飲み干して立ち上がり、いそいそと自分のコートとバッグを抱えて俺を急かしてくる。


 ゆっくりと珈琲を味わっていたかったが、仕方なく急ぎ飲み干す。俺がコートを掴むなり、真稀は焦れったそうに俺の腕を掴んで引っ張っていく。俺は慌てて伝票をつかむとレジで会計を(真稀はレジ前で俺の手を解放してさっさと店を出た)済ませた。今度こいつに奢らす、絶対。


 路面電車を自宅に向かう途中にあるターミナル駅で一旦下車した。俺一人ならコンビニで済ませるが、叔母さんの美味い手料理を食べ慣れた真稀にはちゃんとしたものを食べさせなければという、妙な使命感から、何か作るために駅近くにあるスーパーに夕飯の食材を買いに行くことにした。


 駅ビルを出て、どこか懐かさの漂うのどかな町を歩きながらスーパーに向かう。


「なんで異世界なんかに行きたいんだ?」


 商店街に並ぶ店を眺めながらなんとなく尋ねてみると、真稀はまるで信じられなというような表情で俺の顔を凝視した。


「異世界だよ?行きたいに決まってんじゃん!それに異界の勇者が呼び寄せられるということは、その世界に危機が迫っているわけじゃん?助けを求められたら協力してあげるべきじゃん?」


「……そっか」


 真稀の熱弁を素っ気なく返しながら、俺は視線を漂わせた。建物と建物の間の狭い路地、視界の隅でとらえた小さな人影を視界から外すように──


 さほど歩かないうちにスーパーにたどり着く。ここにくるまでに何を作るか考え、翌日食事の献立を考えなくて済むのでカレーに決めていた。玉ねぎはまだ残っていたはずなので、ジャガイモ、人参を買い物カゴに入れ、豚肉が安かったのでコマ切れ肉をカゴに放り込むと、少し考えてブロッコリーも放り込み、お菓子売り場で食玩を真剣に見ている真稀をひっ捕まえると、支払いを済ませてスーパーを出た。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 再び路面電車に乗ってマンションまで帰ると、俺が調理をしている間中、真稀は部屋のあちこちを調べ始め、冷蔵庫を開けると大発見をしたかのように缶ビールを掴んでリビングに逃走し、俺に取り上げられて替わりに握らされた缶ジュースを渋々開けると、勝手にPCを立ち上げてジュースをちびちび飲みながら何やらやり始めた。


 カレーが出来上がり、皿によそってリビングに持って入ってPC画面を覗くと、真稀は何かの配信動画を観ていたようだった。


 俺がカレーの皿をテーブルに置くと、観るのをやめて床に座って食べようとするので、座布団を出してきてやる。


「なんも敷いてないんだから直に座ると腹冷やすぞ。冬のフローリング舐めんな」


「鍛えてますから」


 どこかで見た決めポーズをすると真稀は嬉しそうに座布団に座り直し、俺も自分用に敷いた座布団に座って食べ始めた。


 二人とも無言でカレーを食べる。真稀のところはいつも楽しく会話をしながら食事をしているから、食事中はあまり喋らない俺に合わせてくれているのかもしれない。


 カレーを食べ終わって食後の珈琲を淹れ、ソファに座って一口すするとようやく一息ついた。真稀も相変わらず座布団に座って珈琲をすすっていたが、唐突に聞いてきた。


「悠ちゃんさぁ、なんでエアコンつけないの?」


「弓道やってた頃から寒いのは慣れてるからな、ストーブもコタツもほとんど使わなくなったんだよ」


 嘘です。いや全部嘘ではないけど、電気代ケチって暖房器具はほとんど使いません。


「寒いならエアコンつけて構わないよ」


「ううん、大丈夫。冬キャンしてたらもっと寒いし、コート着てれば平気」


 ええ子や。しかし、やはりくつろげないだろうからエアコンをつけて暖房にしてやった。真稀はにっこり笑って「ありがとう」と言うと、この部屋で起きた出来事を話すよう催促してくる。


「あっという間の出来事だから大して話せないぞ。帰ってきてそこの引き戸を開けたら、誰もいないはずなのに木の杖持って紺のローブを着た人がいたから驚いて戸を閉めた。で、気分を落ち着かせて確認しようと改めて引き戸を開けたらもういなかったんだ」


 そう言ってリビングの引き戸を示す。


「その間、特に魔法が発動するような音はなかったし、リビングの中を探してみたけどどこにもいなかったんだ」


 黙って聞いていた真稀は「ふうん」と言って立ち上がると、ダイニングキッチンに出て引き戸を閉める。そしてまた開けるとダイニングキッチンから首だけ差し入れてリビングを眺め回した。


 そしてリビングに入ると部屋の真ん中で仁王立ちになり、腕を組んでダイニングキッチンを睨みつけながら思案顔になる。


 しばらく同じ姿勢のまま動かなかった真稀は、唐突に引き戸を閉めて探るように引き戸のあちこちに触れていたが、白く光っていた辺りで不意に手を止めて聞いてきた。


「悠ちゃん、この辺になんかあった?」


 俺は心臓が止まりそうになった。真稀、恐ろしい子


「た、たしか電気を消したら白っぽい光のようなものがあったような、無かったような…」


 俺がやや狼狽えながら答えると、真稀はしたり顔でこちらを見据える。


「なるほど」


 それだけ言うと真稀は興味を失ったかのように引き戸から離れた。


 部屋も暖かくなってきたので俺はコートを脱いで壁のフックにあるハンガーに掛け、真稀のコートも掛けてやろうと手を差し出す。


「今日泊まってくね」


 真稀は脱いだコートを俺に差し出しながら微笑みかける。笑顔が怖い。それより困ったことに客を泊める用意は俺の部屋にない。


「まだそんなに遅くないだろう?飯も食ったし、さっさと帰れよ」


 顔をしかめて抗議する俺の言葉に真稀は聞く耳を持たず、押入れの衣装ケースから服を漁りだす。そしてケースの底の辺りからパジャマを……ん? 俺パジャマ持ってたのか、忘れてた……いや、そうじゃなくて、替えの下着はどうすんだ。女性用下着なんぞ持ってな──いや、それはさすがに「ない」と断言できる。そして俺の下着も貸すわけにいかん。


 などということを考えている間にも真稀はパジャマを持ってバスルームに入っていく。と、ひょこりと顔だけ覗かせる。


「絶対覗かないでよ」


あ、オヤクソク。


「いや、覗かんし」


 なんだか一気に冷めた気分になってそう答えると、真稀はいきなり頬を膨らませる。


「そこはむきになって言い返してくるところでしょ!」


 そう言って指を突きつけ真稀はバスルームに引っ込んだ。


 ……いや、ホントにもう、どうでもいい。


 真稀がシャワーを浴びている間にソファを引き出してベッドにすると、何かないかと押入れの段箱を探って夏用の寝袋を見つけた。


 真稀を床に寝かせるわけにいかないから俺が使うことになるけど、夏用なので冬では寒すぎて使い物にならない。非常に嫌だが、しょうがないのでエアコンをつけたまま寝るしかないか。


 寝具を整えて座布団に座って本を読みながら待っていると、髪も乾かし終えた真稀が出てきたので、俺は入れ替わるように着替えを持って脱衣所に入る。


 低い機械音が耳に入り、見れば脱衣所に設置してある全自動洗濯機が回っている。そういや、さっき押し入れで探し物をしているときに洗濯機が回り出す音を聞いたような……?


 ………真稀さん、俺の服、洗えません……。


 ま、まぁ巷のお父さん方は、年頃の娘さんに「おとーさんのと一緒に洗わないで!」とか言われているらしいから、そんな感じで一緒に洗いたく……なかったとかいうのはなんか悲しいから、単に替えの下着がないからさっさと洗いたかったのだろうと考えることにする。洗濯は翌日にまとめてやればいい。


 俺はシャワーを浴びながら、喫茶店であったことを思い出す。この部屋での異変について何かわかりそうなヒントみたいなものを期待したが、真稀の発想は暴走してたな、おかしな方に。

 まぁ危険な方向に行かなかっただけ良かったかもしれない。この部屋のことも、また何か起こらない限り気に留めなくなるだろう。


──そういや、スーパーに行くまでに見たアレ


 商店街でみた映像が蘇りそうになって、慌てて消し去る。真稀との会話でそれっぽく見えたのだろう……思考を引きずってはダメだ。忘れよう。


 真稀も言うように、様々な作品では行先の世界はたいてい危機的状況になっている傾向にある。単に空間がゆがんで異世界に行けるようになっただけだとしても、その現象自体が異常事態で危険をはらんでいるわけで、無事に移動できる保証もない。つまり非常に命の危険が伴う、片道切符かもしれない旅行に赴くわけだ。


 そのうえ、やったこともない技術がいきなりポンと出来るようになって活躍するとかありえんだろうに。あんなもん、漫画や小説なんかの都合のいい設定で、現実にそんなことが出来れば労力と時間を費やして技を磨いてる人たちはバカみたいじゃないか。


 実際の異世界移動なんて、言わばAというゲームの村人がBという別ジャンルのゲームにいきなり放り込まれて、ルールがわからんまま足掻いて死ぬか、途方に暮れてただ死んでしまうだけだ。俺はごめんだな。


 では逆に向こうの世界から何か来たら?こっちもあまり良いことはないな。たいてい現れる奴は……いかん。どうも思考がそっちに向かう。今はこれ以上考えるのはやめよう。


 バスルームを出て髪を乾かしリビングに戻ると、さっき俺が発見したパジャマを着た真稀が、座布団に座って折り畳み式の携帯ゲーム機で何かプレイしながらビールを飲んでいた。


 そして口の開いたものがテーブルにもう一本。


て、おい! それ二本目じゃねぇか!


「お前なぁ……ひとんちに来たらちょっとは遠慮しろよ。そのビール、この辺じゃ売ってないから、わざわざ遠くの酒屋まで行って買ってるやつなんだぞ」


「いいじゃん、私たちの仲なんだし。悠ちゃんのものは私のもの、私の心は悠ちゃんのもの、でしょ?」


「おまえなぁ──」


 ケラケラ笑いながら真稀が言う。どっかのガキ大将のセリフそのままならキツく言い返せたが、心……? 真稀、お前…………なにも提供しないつもりだな? やっぱりまんまガキ大将のアレじゃないか。


「あと、一緒に洗濯したくない気持ちはわからんでもないが、せめて洗濯機を使うときはひとこと言ってくれ。近所迷惑になるから夜中に何度も洗濯機を動かしてたくないんだ」


「え? あぁ、悠ちゃんだったら全然平気だよ。でもごめんね、次から気をつけるよ」


 そう言って真稀はきまり悪そうに笑う。大丈夫やったんかい!


 俺は大きく息を吐き出すと、ダイニングキッチンの食器棚から特大ジョッキと、棚の下方にある食料庫に使っている開きから1リットル缶のビールを取り出す。冷蔵庫に入りきらなかったので、今の時期ならほぼ適温になるからと、ここに入れておいたのが幸いした。冷蔵庫に入れておいたらこれが飲まれていただろう。


 俺が持ってきたビールを見た真稀は目を見開き、次いで悔しそうな目で俺を睨みながら手元の350ml缶のビールを口に運ぶ。まだまだ甘いのだよ、真稀クン。


「寝るにはまだ早いよね?ゲームしよ、ゲーム」


「俺、携帯機で一緒に遊べるのないぞ」


 俺の言葉に真稀はありえないという表情をする。


「え!?うっそ。狩りゲーくらい持ってるでしょ?」


「ポータブルは三作目でやめてしまった。今はステ4のに移行してる」


「なによぉ、手伝ってもらおうと思ってたのに……」


 真稀はつまらなさそうな顔をして自分のゲーム機に視線を落とす。画面を覗いてみるとちょっと前に流行った大型生物を狩猟するアクションゲームだった。あぁ、やってたのはそれか。


「ステ4のだったら一緒にやってやるから、そっちは諦めろ」


 そう言うと俺はPCで先日やっていたゲームを立ち上げた。俺がゲームをやり始めると真稀は自分のを中断して俺のプレイ画面を観る。子供の頃も、こうやって俺がやってるのをじっと見てたな。


「……やっぱさ、魔法みたいな急激なエネルギー変化が発生したら周囲に相応の痕跡を残すと思うのよ。おっきな音がしたり光ったり」


 おとなしく観戦していた真稀が、ゲーム内でキャラクターが魔法を使うのを見ると唐突に口を開く。


「まぁそうなんだろうな。俺が見たのも、弱い光だったけど一応痕跡は残ってたし。まぁゆっくり静かに消滅してったけどな」


 俺が操作しているキャラクターに防御の魔法を使用させると、オレンジに近い黄色い半透明な球がキャラクターを包み込み、結界の魔法を使わせるとキャラクターを中心にゲーム内の地面に円を描くように数個の紫の光が現れる。


「それに、こんな風に発生時にほとんど音がしないとか、光すら確認しづらい魔法なんていうのも存在するのかもしれない。俺も魔法が発動する瞬間を確認していないからな。それについてはどうとも言えない」


 聞いていた真稀はテーブルに突っ伏して呟いた。


「もっかい来ないかなぁ、その人……」


 いや、もう面倒くさいことになりそうだから勘弁してほしい。あ、でもあの人が女性だったら、もいっかい会ってみたいかも。危険な人でないこと前提で。


 だいぶ遅い時間になってきたので適当なところでゲームを終わらせる。俺が遊んでる間も、真稀はずっと大人しく見てた。子供のころからそうだったな、横から口出ししたり野次ったりせず、クリアしたら俺以上に喜んで──。


 今日は一緒に遊んでやれなくてなんだか悪いことしたな。新しいのが出たら今度は一緒に遊んでやるか。


「明日早いからそろそろ寝るけど、俺が寝袋使うから真稀はベッドで寝ろな」


 そう言って俺はテーブルをどけると寝袋に包まった。暖房効いてるから大丈夫だけど、正直温まれる気がしない。


「悠ちゃん、それ夏用シュラフだよね? そんなので寝たら下手すると凍死するよ」


 真稀がベッドに腰掛けながらこちらを見下ろして心配そうに言う。そういやこいつは登山サークルだかに入ってたんだっけ。いや、知ってるから。そして背中痛いし。


「エアコンつけとけば大丈夫だよ。気にせず寝ろ」


「私が泊まるって無理言ったからこうなってるんでしょ? 気にならないわけないじゃん。ちょっと窮屈だけど二人寝られないこともないし、悠ちゃんもこっちで寝なよ」


 申し訳なさそうに言ってくる。正直寝にくくなるからそれも嫌なんだと言いたいが、こういうことは真稀も引かんからなぁ……かと言って真稀にこの寝袋で寝ろとも言えない。


 俺は少し考えたが、結局諦めて寝袋をたたむ。エアコンをつけたまま寝るのもお財布と身体によくないし、何より背中が痛かった。


 真稀は端に寄り、俺は空いたところに体を押し込む。まぁ何とか二人並んで寝られるスペースはあったが、やっぱり寝返りしづらいな。


「悠ちゃんって細く見えるのに、結構筋肉質だよね……意外」


 俺が布団に入るなり、真稀は遠慮なしに体を触りまくってくる。なんとなく予想していたことだから敢えて気にしないようにする。


「高校では弓道やってたし、今もアーチェリーやってるからな。俺が使ってるのはリカーブボウだから、しっかり筋肉つけとかないと、弦を引いたまま維持できないんだよ」


 真稀は軽く感心しながら、尚も腕や胸部を撫でまわす。いい加減寝たいのでそろそろやめて欲しい。


「悠ちゃんこんなにスタイル良くて微妙に顔もいいのに、なんで彼女いないの?」


 あなたがそんなこと言いますかそうですか。ていうか微妙ってなんだ。


「いい加減寝ろよ。俺は朝ジョギングするから早く起きたいんだよ」


 うんざりしてきて訴えると、さすがにこれ以上やると本気で怒られるのを察したのか、真稀は触るのをやめた。


 そのかわり


「布団があったまるまでくっつかせてね」


 言うなり身体を密着させてくる。パジャマを着ているとはいえ、下着をつけていない真稀の身体の感触が伝わってくる。


 ……真稀さん、寝られません……


 朝になり、俺はそっとベッドを抜け出すと、ジャージに着替えてジョギングに出た。昨晩はあまり寝られなくて正直すごく眠い。


 町内をぐるっと一周して部屋に戻ると真稀はすでに起きて着替えていて、朝食を作ってくれていた。シャワーで汗を洗い流して着替えている間に、真稀は朝食をテーブルに並べて座布団に座って待っていた。トースト、ベーコンエッグ、サラダ、珈琲。うん、藤宮家の朝食だ。


 俺は礼を言って真稀の向かいに座ると、手を合わせて食事をいただく。俺が食べるのを見て真稀も食べはじめた。


「魔法使いさん、来るかもしれないと期待したのに、やっぱり来なかったかぁ」


 真稀は独り言のようにぼやくと、恨めし気に引き戸を見る。


「ずっと来なかったんだ、来るわけないだろうよ」


 俺は食事しながらそっけなく答えた。あんなこと、もう起こるとは思えん。


「来ないとも限らないよ? ゲートを開くために必要な条件が揃うのを待っているのかもしれないじゃん」


「それはあるかもしれないけど、ここに来たのがそもそも間違いで、改めて目的の場所に行くことが出来たから、もうここには来ないんだと思うけどね」


 異変から何も起こらない日が続いて、俺が考えていたことだ……あの人はもう来ないだろう。


 朝食を食べ終わり、食器を洗って大学に行くための準備をする。真稀は今日は講義がなく、そのまま家に帰るらしい。途中まで一緒に路面電車に乗って移動し、俺が途中で降りるときに、真稀が別れ際に手を振る。


「行ってらっしゃい、悠ちゃん。もし何か起こったら、絶対知らせてね」


 手を振り返しながら思う。危険がなければ知らせてやるよ。

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