真希の異世界旅行計画
#1-1『真稀の異世界旅行計画』
「異世界に行こうと思うんだ」
唐突に呼び出され、待ち合わせた俺は芳しい香りを漂わせる黒い液体を口に運ぼうとした手が止まった
真稀から重大発表があると聞いていつものイケダコーヒで待ち合わせ、運ばれてきた珈琲を飲んで気持ちを落ち着けながら、さてどんなアホなことを言い出すだろうと身構える間もなく不意を突かれた。
「異世界に行こうと思うんだ」
二回言ってきた。ヤバイ、これは……マジだ。
「落ち着け真希。異世界はバスや自転車で行けるようなところではないと思うぞ」
早まるな、キズは浅いぞ。
「大丈夫、私は正気だよ。分析の結果、そろそろ私の番なんだよ」
うわ、これアカンやつや。
決意に満ちた情熱みなぎる瞳で見つめてくる。結構美人で明るくて人当たりもよく、ファッションセンスもなかなか良いのに、時々コレが発動するせいで大学生になった今もなお彼氏ができない残念なやつである。
今までは気に入った作品を見つけると、ソレにどっぷりハマり込んでその作品の話を一日中付き合わされるくらいだったが、とうとう悪化したか、可哀想に……
わかった、俺が受け止めてやろう。堪忍袋の許す限り。
「そもそも、どういう分析結果が出てそういう結論になったんだ?」
とりあえず、こうなってしまった経緯を聞いてみよう。
「最近宇宙で磁気の乱れが観測されて、それが地球でも影響が出ていて短時間の磁場異常が確認されたの。そのせいで北極で長時間オーロラが発生していたり、各地で大型ハリケーンや地震が発生したの。
これらは近くに存在していた並行宇宙が私たちの住む宇宙と重なった時の衝撃が原因で、その時からマナの流れが激しくなって、人々の精神に干渉して人々が異世界を意識するようになってきたの。意識・観測される規模が一定値を超えたことで量子が反応、固定、具現化して異世界に移動しやすくなっているの」
惜しい。整った顔立ちで真摯に見つめることで、もしかしたら天才が何かを閃いたように強引に押し通せなくもなか……いや、それも無理か。残念なことに、途中から怪しいエセ空想科学ものだか幻想世界ものだよく分からん路線に向かい出した。
「そうか。それで真稀さん、なんでそろそろ君の番なのかね?」
「良い質問ね、悠ちゃん。この結論に至った時に頭の中で閃いたの、青白い光がスパークするみたいに。行かねば!って」
そうだ、食事を注文しよう。ここで一番高いやつ。そしてケーキもつけよう。そしてこいつに奢らせよう。
「真稀、異世界に行きやすくなったかもしれないが、切符を買って電車で行けるわけではないと思うぞ。それは多分眼鏡っ子魔法使いのとこだけだ。あと飛行機で行けるところも違う文化のところだが同じ世界だからな」
「そうよねぇ、やっぱり転生ルートか召喚ルートが確実よね」
腕を組み、真剣に考え込む真稀。
「いや、それらはなんだか他力本願で確実性が薄い気がするぞ?それ故にいつ行けるかわからないから準備のしようもないじゃないか。
焦らず、もっとよくプランを練った方がいいんじゃないか?まだまだ猶予はあるだろうし、もっとよく考えてみろよ」
ていうか諦めて欲しい。忘れて今を生き抜いて欲しい。投げたらアカン
もうちょっと計画を練ってみると言って真稀は帰った。あの調子だと諦めるどころか、さらに決意を固めてしまったかもしれない。それでもしばらくは大人しくしていることだろう……していて欲しい。
それぞれのテーブルで客たちが控えめな声で談笑し、それらが集まって独特な喧騒が支配する店内をなんとなく眺めながら二杯目の珈琲を口に運ぶ。
真希は一つ年下の父方の再従妹で、爺さんの妹の孫にあたる。実家が近所でなにかと面倒を見ていたわけだが、アニメやゲームに夢中になっていた俺に巻き込まれるように真稀もハマるようになった。
ただ、俺が高校で弓道部に入ってそちらに熱中するようになってから、アニメもゲームもほどほどのにわかヲタクになったのに対し、真稀は中学からやっていた剣道を続けて全国大会に出るようになりながらも、どっぷり趣味を満喫していた。そのくせ友達付き合いもよく交友関係も広い。
全く、なんだこのチート娘は…いや、代償に彼氏がいないのか。非ヲタには引かれ、ヲタたちは真希の高スペックぶりに怖気づいて誰も手を出そうとせず、一部は崇拝していたか──。
まぁ本人は全然気にしていないから俺が気にするようなことでもないし、とりあえずおかしな方向に暴走しないように……いや、先ほど予兆が──とにかく祈ろう。
気がつくと店内は満席になって賑わいを増していた。入り口には席待ち客もできていたので俺は会計を済ませるために席を立った。
そういや真稀に食事を奢らせるのを忘れていた──まぁ、いいか。
陽も傾き始めた午後、店を出て大通りを歩きながらぼんやりと真稀が語っていたことを思い返す。並行宇宙とかマナの流れとかはともかく、磁気異常が観測されたのはニュースで言ってたことで、各地のハリケーンや地震などの異常気象や天災も最近よく聞く。
ただ、磁気異常や磁場の乱れは一瞬のことで計測機の誤差の範疇とか言っていたし、異常気象も環境破壊の影響だと説明されている。
でも──と俺に残るヲタク脳が反応する。その一瞬の出来事が、本当になにかの変化の現れだったとしたら?人の意識、念が物体に与える影響のことも何かで聞いた気がする。
……やめよう。考えれば考えるほど俺の思考もおかしな方向に向かって、真稀の言うことが真実だと思えてくる。とかいう考えがまたフラグに……いかん、やめよう。
妙な思考のスパイラルから抜け出すため本屋で課題の資料を物色し、レンタルショップで新作洋画を借り、気が紛れた頃に近所のコンビニで夕飯を買って帰路に着く。
夕暮れに赤く染まる小ぶりなマンションを眺める。民家の立ち並ぶ中を掻い潜るように路面電車が走る、のどかな空気のこの町を俺は気に入っている。街の中心部にある実家に比べればどこか寂れた感じではあるが、そんなしんみりとした雰囲気もどこか落ち着く。
陽も沈み、薄暗くなるまでしばらく景色を満喫すると、マンションの二階にある自分の部屋に向かう。鍵を開けドアノブを回して扉を開け、部屋の中に入った。
飲み物を用意する前に、とりあえずコンビニ弁当をテーブルに置こうとダイニングキッチンを抜けリビングの引き戸を開ける。
……と、紺のローブを着て木の杖を持った、腰まで伸びた長い金髪の女性がいる。
とりあえず静かに引き戸を閉めてダイニングキッチンの冷蔵庫を開けた。
ちょっと落ち着こう。
俺、いつの間に彼女できたの?いやそもそも彼女?女性だったよね?え?実は髪の長い男?俺、いつの間に彼氏いたの?俺×魔法少年?魔法少年×俺?いやいや俺と美少年のラヴとか真希のヲタ友喜ばすようなネタとかありえないし。いやいやいやそもそも魔法使いって?魔法使いだよね?いやいやいやいやそもそも俺の部屋?
……落ち着け、俺。
冷蔵庫から出しかけたお茶のペットボトルを戻して缶ビールを取り出し冷蔵庫を閉め、リビングに向かいそっと引き戸を開けて恐る恐る中を覗く。
畳んだ紺色のソファベッドと木目の楕円形のローテーブル、テレビと兼用のモニターとPCの乗ったラックと小ぶりな本棚、ちょっと安物のOAチェアがある。
リビングに入ってコンビニ弁当と缶ビールをテーブルに置き、押し入れの戸を開ける。中には小物を入れた段箱と衣類ケース、大学から始めたアーチェリーの弓が納めてあった。次にベランダに出るガラスの引き戸を開けて、左右を見てガラス戸を閉める。
──うん、一人暮らしの俺の部屋だ。
とりあえず食事を済ませた俺はソファに腰を埋め、ビールをすすりながらぼんやり考える。あれはなんだったのだろう?いや、何が起こったのだろう?
押し入れにもベランダにも隠れた様子はなかった。すると飛び降りた?ここは二階だし多少無茶をすれば出来なくもないが、着地して直ぐ姿を眩ませるとか、どんだけ俊敏なんだよ。しかもローブと杖持って?きちんと戸も閉めて?すげぇな、おい。……いくら身体能力高くても無理だろ。
でもそうでないのなら──?
喫茶店で真希が言っていたことが頭をよぎる。二つの世界が重なる…?いや、ないだろ、現実的じゃない。では先ほどの出来事は?
そこに思考が行き着いた時、ビールを飲む手が止まる。漫画やアニメに登場するヒーローやメカに燃え、魅力的なヒロインにときめ……とにかく楽しかった、ワクワクしたあの時の気持ちが胸をよぎった。あ、なんかちょっと顔が熱い。
……腹を決めよう。下手な理屈こねたところでどうにかなるわけでもないし、薄っぺらくなるだけだ。どんな方法でいなくなったにせよ、このリビングに人が居たのを俺は見た。これ以後何もなければそれっきりだし、また何かあったら、うろたえずに落ち着いて対処しよう。この件に関して悩むのはこれで終わり。
俺は残ったビールを一気に飲み干すと、ゴミを片付けてPCを起動させる。部活やらレポートやらで中々時間が取れなくなって、長らく放置していたロールプレイングゲームを無性にやりたくなってプレイし始めた。
アクション要素が強いゲームで、すっかり腕も鈍って苦戦するが、それも何だか楽しくて、時間も忘れて夢中で遊んでいたらすっかり夜も更けてしまった。
ゲームを終了して一つ伸びをして立ち上がると、ソファベッドを伸ばして寝支度をする。ふと先ほどまで遊んでいたゲームで、登場人物が魔法を使う時の光と音の演出の映像が頭をよぎって手を止めた。
そういや、魔法使いっぽいのがいなくなる時、なんか音したっけ?
俺は部屋を見回した。が、これといって何もない。
きっと音のしない手段で消えたのだろう。いま気にすることじゃない。開けたままのカーテンと引き戸を閉めて灯りを消した。
「……あ」
思わず声が出た。
明かりが消えて暗くなった部屋、ダイニングキッチンにつながる引き戸に白く淡い光が張り付いていて、それが闇に溶けるようにじんわりと消えていくのだった。