一日目 君は死にたいのだろうけど
「ありがとう、また会えるかどうかは分からないけど。またね」敬意と感謝を込めた気配で、僕は送り出された。
一日目
目が覚める。ここはどこだろう。見覚えのない場所だ。少なくとも彼女の家の近くではない。杞憂だったのだろうか。
様々な考えが巡る。その半分は自殺の方法であった。
首吊り。放火。オーバードーズ。
ここの近くでできる自殺は何があるかを検討していく。
思い当たるのは投身だった。電車か落下か。
そこまで考えて、サラリーマン風の男が心配をしてくれていることに気づく。
道端に人が倒れていたのだ。不自然なことではない。特に今は夏、熱中症と間違えられても仕方はない。
幸い救急車を呼ばれる前だったらしい。そんな親切な人に感謝を告げ、ついでに周囲の情報を聞く。
「このあたりに入っても人に見られないような大きい建造物ってありますか?」
「それより病院に行ったほうがいいんじゃ・・・救急車呼ぶよ?」
「いえ大丈夫です。あと最寄り駅も教えていただけるとありがたいです。」
「最寄り駅はあっちの○○駅だけど・・・うーん、一応あっちになんで残ってるか分からない廃ビルがあるかな。なんでそんなことを?」
最寄り駅で指した方向とは反対方向に指をさす。
「ありがとうございます。」
「あ、ちょっと!君病院行きなさいよ!」
廃ビルの方向に駆け出す。彼女は、なんとなくそちらにいるような気がした。
立ち入り禁止を無視して中に入る。心霊スポットといわれても信じられるほど暗く、陰気な場所だった。
エレベーターはあるが、電気が通ってないのか反応はない。階段を上る。乾いた足音が鳴る。
きっと彼女は上にいる。なぜかそう確信していた。
力を籠める。軋んだ音を立てて扉が開いた。屋上だ。そこにはフェンスがあったが、老朽化からか、それとも他の要因か、一部途切れていた。
彼女はいた。彼女はそこから飛び降り、その人生を終えるつもりであることは明らかであった。
走る。すべてが終わってしまう前に。その手を掴んだ。
彼女は驚き、振り向く。僕の顔を見た瞬間、その顔はさらなる驚愕を示した。
「危ないよ。こんなところにいたら。」
困惑と安心と驚きとを混ぜたような表情に落ち着いて話しかける。
「あー、えっと。泊まるとこないんだけどさ、君の家に一週間くらい泊まらせてくれない?」
沈黙が訪れる。
もう少しおどけて見せたほうがよかっただろうか。それとも真剣に自殺を叱ったほうがよかっただろうか。様々な考えと夏の暑さと蝉の声が頭にめぐる。
永遠にも思えるような、だが恐らくは数十秒もない空白ののち彼女は頷いた。
電車に揺られる。親切な人から聞いた最寄り駅から彼女の家へと向かう。彼女は精神的な疲労からか、それとも肉体的な疲労からか、僕の肩に頭を乗せ、眠っていた。
最後見たときから明らかに痩せた腕、目のクマ、パサついた髪は明らかに健康な生活を送っていないであろうことを示していた。
呼吸が浅い、目じりから涙がこぼれている。悪夢でも見ているのだろうか。
「ごめんね」
口から謝罪が漏れる。明らかに自分のせいであることは確かだった。かといって後悔しているわけではない。こうなるとわかっていてそれでもこの道を選んだのだ。
彼女の手に自分の手を重ねる。細く冷たい手だった。きっと今日は何も食べてないのだろう。食べて戻してしまったのかもしれない。
少しずつ呼吸が落ち着いてくる。こんな僕でも彼女を安心させられているのだろうか。彼女に生きる希望を持たせることができるのだろうか。
自己嫌悪と疑問で決意が折れそうになる。それでもやるしかないのだ。僕は彼女に生きていてほしいのだから。
彼女の家に着く。彼女が起きないのでおんぶしてきた。合い鍵を使って中に入る。彼女はベッドに寝かせ、掃除を始める。あの精神状態だ。できているわけがなかった。
彼女が起きてしまわないよう掃除機は使わずなるべく箒と塵取りで済ませる。考えることは多かった。これからの予定だ。彼女は何がしたいだろうか。
彼女が生きたいと思えるようなことをしなければならない。僕がいなくても生きたいと思えるような世界を見せなければならない。
遠出をして僕達と関係のある場所から遠ざかったほうが良いのだろうか。それとも僕達と関係のある場所を巡ったほうがいいのだろうか。
きっと僕と彼女は一週間後別れることになる。彼女の自殺か、僕の消滅か。彼女が今生きている理由は僕との約束を果たすためだ。
それがなければ多分彼女は僕を幻覚か何かだと判断し、手を振り払って、ビルから身を投げていただろう。
約束を果たせば彼女は僕がいようが自殺を選ぶ。それは確信していた。
これから僕は彼女をさらに傷つけることになるのだろう。それでも僕は彼女と一緒に生きてはいけないのだ。
「明日は海に行こう」
遠出をしても何も変わらない気がした。であれば思い出の場所を巡り、約束を果たし、僕との決別をさせよう。
まずはあの日行けなかった海に。