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心の音  作者: 永丘麻呂
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序章

朝目が覚めると、昨日と今日の間にいるような感覚に出会うことがたまにある。

日付は変わっているのだろうけど、頭の中ではまだ昨日の続きで、例えるなら夜通しカラオケでもしたような感覚だ。

「やってしまった」

ゼミの準備をしないまま眠ってしまった。

寝る前のことはあまり覚えてないが、ゼミの準備は朝早く起きてやると決意して、ベッドに向かったことだけは覚えている。

幸いにもまだ朝6時だ。今からならまだ間に合う。

ゼミの内容は、英語の論文を読み込み、それを自分の解釈でA4の紙にまとめ、教授とゼミ仲間の前で発表するというものだ。

電車で論文を読み込み、学校で最後のまとめをすれば間に合う。

そう思い布団を天井に届きそうな勢いで吹っ飛ばして、とりあえずシャワーを浴び、髭を剃り必要最低限の身だしなみだけ整えた。


支度を終えた頃、父親が二階から降りて来た。

「おっ、早いな。 昨日は呑んでたみたいだからどうせまた寝坊すると思ってたよ。」

「ゼミの準備があってな」

圭吾は父親と目を合わせることもなく、準備をするそぶりをした。

「そうかそうか、昔は俺もしょっちゅう呑んだもんだよ。大学生の頃なんか、マックでバイトしててな、お客さんとしてよく来ていた高校生たちに何故だか妙に慕われて、1人暮らしのうちでよくそいつらと呑んだもんだよ。今思えば、良くない大学生だったな。はははっ!」

そう話す父からは、心地よいフォークソング、例えるならビートルズのノルウェイの森の様なメロディが聴こえた。しかし、一見、明るいメロディには、どこか寂しさが隠れていてどことなく哀愁が漂っていた。あの頃には戻れないという現実に、どこか寂しさを抱いている。そう圭吾は感じた。父にも今の俺の様な時代があり、俺もいずれ今の父の様に思う日がくるのかもしれない。そう思うと今の時の流れに争うことなく、ひょうひょうと生きている自分がバカらしく思えた。


最寄り駅の北上尾駅までは、家から自転車で10分程度のところにある。駅の隣にある駐輪場の、お決まりの場所に自転車を停め、駅のホームへ向かった。

車内は比較的空いており、座れこそしなかったものの、ドア横の角を確保することができた。大学のある東小金井駅まではだいたい1時間半。ちょこっとだけ読み進めていた論文だったので、割とすらすら読むことができ、乗り換えをする以外はほぼ論文の読解に神経を注いでいた。

「今何駅だろ」そう思い車内ドア上にあるモニターを見てみると、

「え、…… 通り過ぎている。」

モニターに映っていたのは東小金井駅の1つ後の武蔵小金井駅であった。電車を降り反対側のホームまで移動した。次の電車は6分後だった。微妙な時間なのでとりあえず東小金井につくまでは休憩しようと論文をリュックの中にしまった。

ホームを見渡すと人はそう多くなかった。

気分転換に、誰かの心音でもきいてみよう。圭吾はそう思い、まずは横を通り過ぎようとするサラリーマンに目をやった。彼から聞こえてくる音は、少し攻撃的だが弱々しく、聴き心地がいいとは言えなかった。彼の音から分かることは、仕事への不満。土曜日なのになんで仕事しないといけないんだ。そんなところだろう。こういう心音を聴いているとこっちの気分まで落ちてしまう。圭吾はそう思い、隣の女子高生に目にやった。経験上、中学~高校生の心音はとても愉快だ。目先に起こった幸福な出来事に必要以上喜んでしまう、この年頃の子の軽快なロック調はこっちの気分まで上げてくれる。また綺麗なハープの様な音を奏でる子もいる。きっと社会の汚さを知らない、純粋な心だからこそ奏でられる心音なのだろう。今はそんな綺麗な心音が聴きたい気分だったので、期待に胸膨らませ、今出せる最大の集中力を心音を聴くことに注いだ。しかし、期待とは裏腹に異様な音が耳に入った。まず音が異様に高い、それでもってメロディが恐ろしく、不協和音という言葉で表現できないレベルの不快さだ。むかしむかし使ってたバイオリンをチューニングもなにも合わせないまま弾いているような感じだ。例えるなら世界中の人たちでムンクの叫びのテーマを決めるとなったらなら満場一致でこの曲に決まりそうな気がする。ここまで酷い心音は初めてであったが、この女子校生が何を考えているか圭吾はおおよそ想像できた。

「じ、自殺しようとしている…」

これまで命を自ら絶とうとしている人の心音は聞いたことがなかったが確信できた。それくらい異様なのだ。

その時、駅のアナウンスが流れた。

「まもなく、一番線に中央特快東京行きがまいります」

「まずい、中央特快はこの駅に停まらない。嫌な予感がする」

アナウンスと同時に明らか女子高生の心音にも変化があった。恐怖がどんどん濃くなっている。さらには心音だけでなく、様子もおかしく、下を向き脚が震え、拳を強く握っているのが分かった。

「これはマズイ。本当にマズイ。だが、止めたところで感違いだったらどうする。相当キモいぞ俺。でも心音も聴いたし、これが外れたことなんて最近ではないに等しいぞ」

なかなか行動に移せず、そもそもどう行動したらいいのかも分からず、気付いたら手が汗でびっしょりになっていた。そして、右から悪魔の足跡のような機械音が聞こえ始めた。

電車を右目に見て、再び女子高生に目を移すとまさに一歩前に踏み出すところであった。

もうそこからは考えて行動というよりは、膝蓋腱反射の様に身体が動き、女子高生の腕を俺が出せる最大の握力で掴んでいた。

女子高生はギョッと驚き、こちらを振り返った。彼女は泣いていた。そしてその泣顔の後ろで、電車が通過していった。いまこの子を殺めるところだった電車だと思うと、ターミネーターのような殺人機械にしか見えなかった。

「そんなのダメだよ!」

自分でも何を言ってるのか分からなかったが咄嗟に言葉がでた。

数秒の間の後に、いきなり女子高生は俺の胸に飛び付き泣きじゃくった。心音から、死ねなかった悲しさと、恐怖から逃れられた安堵の境目に彼女がいることを感じた。

「と、とりあえずさ、どっかいかない?カフェとか」

自分でも何を言ってるんだとすぐに後悔したが、一刻も早くこの場を去りたい俺にとってはどうでもいいことだった。周りの目が全てこっちに注がれている。通り過ぎる人々がチラチラこっちを見てくる。さらには心音まで聴こえてきて、とりあえずドン引きされてる。

「う、うん」

無言の様にも思える微かな声で彼女は答えてくれた。


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