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3 ウィーンの思い出

3 ウィーンの思い出


 エリザベートは1918年ウィーンの銀行家フォン・クノーベルスドルフ家に生まれた。クノーベルスドルフ家は前世紀末から急に頭角を現した新興成金で苗字につけるvonの称号も今世紀に入ってから金で買ったものだった。エリザベートには年の離れた兄が二人いたが、彼女はただ一人の女子ということで両親からも兄たちからも甘やかされ放題で育った。両親はエリザベートがスイスの寄宿制女学校を卒業するとすぐにでも結婚話を勧めるつもりであったが、彼女がバイオリンの勉強を続けたいという希望を申し出ると2年間の専攻科進学を快く許した。1938年6月、20歳になったエリザベートがウィーンの街へ戻るとそこはナチスドイツのハーケンクロイツ一色になっていた。一瞬、何かのお祭かと思ってしまったほどだった。「そういえば3月にオーストリアではドイツと合併する国民投票が行われるって新聞に載っていた」と彼女は呑気に思い出した。クノーベルスドルフ邸にもハーケンクロイツが飾られ、大統領と首相を兼ねているというヒトラー総統の肖像画がかざられていた。

「総統閣下はオーストリアの出身なのですよ」

 母親がそう教えてくれた。財界の人間として政党に寄付金をするかわりに権益を保障してもらう、それは世の常であったのでエリザベートは特になんとも思わなかった。併合されて二級市民として扱われるのなら我慢ならなかったであろうが、併合は国民投票で決められて圧倒的多数が賛成したというし、大ドイツ帝国の一員としての誇りとともに彼女はこの併合になじんでいった。


 20歳になってしまったというので縁談をまとめてしまおうと両親は張り切っていた。本人抜きでいろいろと話が進められ、とうとうある貴族の館でのパーティーで候補者を紹介されることになった。憂鬱な気分でエリザベートはパーティーに参加したが、父はずっとナチの幹部と話しこんでいて、少し離れたところで母がいらいらしているのが見てとれた。エリザベートはため息をついて庭に出た。夏至から幾日も過ぎていないので夜の8時でも昼間のように明るかった。このまま紹介される男性と結婚するのだろうか。紹介された後、一曲踊って……恋も知らずに? 彼女は女学校でいろいろな本を読んだ。詩集や小説、どれも恋はすばらしいと書いてあった。恋に憧れる少女時代、消灯時間を過ぎても友人たちと話し込んだ。エリザベートはいらいらして小石を蹴った。軽く蹴ったつもりなのに、小石は庭をころがっていき、その終着点には黒く光るブーツが見えた。

 エリザベートは顔を上げた。長身の若い青年が立っていた。青年は黒い制服を着て、髑髏と鷲のついた制帽をかぶっていた。褐色のシャツの上に腰をしぼった黒い軍用ジャケット、乗馬ズボンに長靴、黒い軍帽という黒ずくめの制服だった。ジャケットの右襟にはSSの重ね稲妻の紋章、左襟には星三つと一本線の中尉を表す階級章がついていたが、エリザベートにはそれがどういう地位なのか分からなかった。青年の帽子の隙間から輝く金髪が見え、彼の瞳は蒼かった。

「フロイライン、いくら家の中でもこんなひとけのないところに来るのは感心しませんよ」

 青年がそう言ったが、エリザベートは言葉が出なかった。青年の美しさに魅せられてしまっていた。なんて素敵なのだろう。街でドイツの親衛隊の制服は見慣れてしまっていた。けれど、今こうして目の前にたっているこの親衛隊の青年……まるで彼のためにデザインされたみたいによく似合っていた。

「パーティーに戻るならエスコートしますよ」

 彼はエリザベートが腕をかけられるように自分の腕をちょっと曲げた。エリザベートが困ったような顔をしたので青年は心配そうに覗き込んだ。

「気分でも悪いのですか?」

「いいえ」

 エリザベートはようやく口を開いた。

「パーティー会場には戻りたくないんです」

「どうして? ダンスが嫌なら食事でもしませんか? 私は今来たばかりでお腹がすいているんです。ぜひご一緒に」

 青年は微笑んだ。エリザベートの心の中は見知らぬハンサムな青年が自分に関心を示してくれる喜びと、パーティー会場に戻ったら父親がやってきて「夫候補」を押し付けられるかもしれないという不安が葛藤していた。

「……父が、私に紹介したいという男性がいるらしくて。私はそれが嫌なんです」

「じゃあ、今日は僕と一緒に踊っていましょう。そうすれば紹介する隙もないでしょうし。協力しますよ」

 これで話は決まり、二人は会場に戻って食事をした。彼はベルリン生まれの親衛隊中尉でジークフリート・フォン・リヒテンラーデと名乗った。ナチの幹部と話し込んでいた父親は末娘が見知らぬ若い将校と一緒にいるのを見て仰天した。銀行家は顔見知りのブラウンSS大佐に聞いてみた。

「ああ、リヒテンラーデSS中尉ですよ。おや、お宅のお嬢さんとお似合いじゃないですか? 中尉にも早く結婚して優秀なアーリア人を増やしてもらいたいと私はせっついているんですがね」


 エリザベート・フォン・クノーベルスドルフはこの夜のうちにリヒテンラーデ中尉に魅せられてしまった。彼の美しさと優しさもさることながら、彼はプロイセン帝国の旧家であるリヒテンラーデ侯爵の称号をついでいるので、成金コンプレックスの強かったエリザベートから見ればそれだけで憧れの対象であった。この夜エリザベートに付き添っていたリヒテンラーデ中尉についてはしばらく彼女の友人たちの間で話題となった。

 彼にまた会いたいという気持ちはエリザベートの中で日増しに強くなっていった。そしてこの幼い恋は彼女自身も驚くほどすんなりかなえられることになった。クノーベルスドルフ家のパーティーにジークフリートを含むドイツのお歴々が現れたのである。ジークフリートはエリザベートにダンスを申し込み、彼女は夢のようであった。何より驚いたことにブラウンSS大佐のほうからクノーベルスドルフ氏に対して縁談の取りまとめの打診があり、父親も快諾したのであった。ブラウン大佐にとっては「親衛隊員は25歳までに結婚して最低4人の子供を作り、よき夫よき父であるべし」という通達にしたがい、その年齢ぎりぎりになっているリヒテンラーデ中尉を早く結婚させたいという思惑があった。ユダヤ系資本をオーストリアから追い出し、金融界のトップに立ちたいと目論んでいるクノーベルスドルフ氏にとってはナチス幹部と縁組を結び、さらなる権益拡大を目指すのも得策と写ったのであった。さらにジークフリートが大学を出てからSSに入隊していること、第一次大戦でその財産をほとんど失ったとはいえドイツ貴族の旧家の出であることなどから将来的にも政府幹部としての出世が見込まれるということも期待されていた。

 婚約が発表され、家具やドレスを選びエリザベートは幸せであったが、同時に不安にもさいなまれるようになった。どうしてあんなに素敵な彼が自分を選んでくれたのだろう。この憧れが恋なのだろうか。

 スイスの女学校にはいろいろな国から生徒が来ていたため、エリザベートはいろいろな言語を習得していた。1936年に「風と共に去りぬ」がベストセラーになったときはドイツ語の翻訳ではあきたらずに英語の原書まで読んだほどだった。主人公スカーレットは激しく人を愛し、どなりちらし、平手打ちをする女性だった。恋や愛ってああいう激しいものだと思っていたけれど……こんなにも両親からも周りからも認められ、自分が好意を抱ける男と結婚できるなんて、「話がうますぎる」のではないだろうか。なにか後でとんでもないしっぺ返しがあるのではないだろうか。

 1939年6月、26歳と21歳の若い二人は盛大な結婚式の後、イタリアへ新婚旅行に出かけ、ウィーンの広々としたアパートメントで新婚生活を始めた。何人かの召使が実家から移ってきて二人の世話をし、ジークフリートの俸給に加えてエリザベートは実家から一財産分けてもらっていたので生活は何不自由なかった。この年の9月にドイツは突然ポーランドに攻め込み、一時騒然としたがすぐに戦闘は終わってしまい、人々は話題にすることもなかった。ジークフリートはなにやら忙しそうにしていたが、エリザベートはこの頃初めての「つわり」と戦っており、戦争のことなどほとんど知らなかった。婚約中もダンスの時以外は手も触れず、ベッドの中で何が行われるのか具体的な知識もなく結婚したエリザベートは、一日に何度もトイレに駆け込んで吐きながら「こんなに簡単に人間って妊娠するものなのね」と不思議に思った。

 1940年の4月にはベルギーやフランス・イギリスとの戦闘が始まったが、エリザベートは医師から早産の恐れありという診断に恐怖を覚えてベッドから出られない日々が続いていた。そして6月、パリ陥落にドイツ帝国内がわきかえる頃、リヒテンラーデ侯爵家には跡取りが誕生し、エドゥアルトと名づけられた。結婚式に劣らぬ祝電が山と届けられ、その中にはジークフリートの母方につらなるバイエルン王家や北ドイツのホーエンツォレルン王家といった貴族階級のものもあったし、親衛隊長官ヒムラーや国家保安本部長官ハイドリヒといった政府幹部からのものも多数あった。

 この年の夏、夫妻はヒトラー総統がいつも夏を過ごすベルヒデスガーテンの山荘に招かれるメンバーに加わり、ジークフリートは念願かなって大尉昇進、ベルリンの国歌保安本部(RSHA)勤務になった。ベルリン南西部の高級住宅地グリューネヴァルトのはずれにあるリヒテンラーデ侯爵家からの世襲財産である朽ち果てかけた城郭を修復し、二人は子供と使用人をつれて移り住んだ。ちょうどクノーベルスドルフ家を定年退職していた執事のカウフマンに頼み込んでベルリンについてきてもらった。カウフマンと夫人のテレジアにしてもこの年若い「お嬢様」のことが心配でたまらなかったので、この申し出を快諾した。ベルリンの社交界ではエリザベートはどこへ行っても「侯爵夫人」としての丁重に扱われ、あるいは政府のエリートの奥方としてうらやましがられ、実家からの金銭的援助は生活にさらなる潤いを与えた。

 「4人の子供」という原理原則に従い、夫妻には1942年に次男ヘルムート、1944年に三男アルフレートというように順調に3人の子供が誕生した。貴族の、あるいは金持ちの常として子供の養育は養育係にまかせてエリザベートは音楽会やパーティーに顔を出したり、大学に聴講生として通ってみたり、愛国の熱情にかられて慈善バザーを手伝ったりもした。ジークフリートがピアノの名手であったので二人はよく二重奏を楽しんだ。夫は優しく、家では仕事のことを全く話さなかった。エリザベートはジークフリートがRSHAの第何局に勤めているのかすら知らず、興味もなかった。傍目には理想的な家庭に見えただろうが、彼女の心には何か満たされない、けれど何が欲しいのかも分からない部分が存在していたのは確かだった。


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