第二七九話「“喪失”を受け入れるのは……楽勝ですか? 」
<――仲間と過ごす穏やかな時間
澄み切った空気、穏やかな店主……口触りの滑らかなこの国の銘菓。
俺は……そんな平和な時間を、真の意味で皆と過ごしたかった。
唯、それだけだった――>
………
……
…
「喜べ……駄犬と毒蛇の“分離”は無事に終了した。
まぁ、少々問題は在ったが……見た所“貴様”は回復術師であろう?
よもや治せん傷でも無い筈……しかし
人族の脆さ……我には理解出来んな。
とは言え、この駄犬が死に魅入られ始めているのは確かだ……女。
駄犬を生かすも殺すも貴様次第だ……後は貴様の好きにするが良い」
《――この瞬間
瀕死と成った主人公の肉体をメルの眼前へと放り投げ
そう告げた“古代龍の末裔”……直後、血相を変え
一心不乱に治癒魔導を施し始めた彼女を横目に
エリシアは声を荒げた――》
「お前……主人公っちに何をしたッ?! 答えろッ!! 」
「舐めた口を……我はその駄犬の願いを叶えたまでだ」
「……ふざけるなッ!!
アンタに取っては唯の鬱陶しい“駄犬”なのかも知れない……でもッ!
私達に取っては何より大切な仲間なのッ!! ……それを……」
「黙れ雌犬が……今直ぐ貴様ら全員纏めて縊り殺しても構わんのだぞ?
そもそも、その駄犬は生きて居るだろう? ……長くは持たんだろうがな。
……何れにせよ、感謝さえ面倒だ。
命を繋ぐだけならばその女の治癒で事足りる筈……
……駄犬共々、この毒液を持ち去るが良い。
それだけあれば駄犬の願いは充分に叶う筈……」
「……ふざけんな。
“アンタも”ではあるけど……“本体”は何処に遣ったのさ?
“泥棒扱いは嫌”……なんじゃなかったの? 」
「ほう? ……良い度胸だな? 雌犬。
……我の憐れみが故の行動を
盗人が如くに宣うとは……良いだろう。
その駄犬が命、微塵も惜しく無いと宣う為れば
書は直ぐにでも返してやろう……だが。
既に我が所有物と成った“蛇遣宮之書”を
そうまでして欲する意味が貴様らにあるとは思えぬが……な」
「それは此方の台詞だよ……
……何で其処までその本を欲しがるのさ? 」
「“迷惑料とでも考え、三割取れ”……だったか?
……貴様ら人間の思考は全く以て理解出来んが
この駄犬に流れし“血の記憶”には、確かにそう宣った事実が刻まれて居た。
“ギヒー”と言ったか……斯くも面妖な“龍”が居る物だな? 」
「……脅すつもり? 」
「我が何処へ向かおうと、貴様らに指図される謂れは無い……
……その“面妖な龍”が
“竜族の戦士長”が危惧する程に有用為れば
人族が棲まう国の一つや二つ、滅ぼす事もやむ無しであろう……」
「ッ……約束して。
その本はアンタにあげる……だから……」
「良かろう……元より我は力など求めて居らぬ。
駄犬と共に去るが良い……契約の不安を思う為れば
二度と我が領土に足を踏み入れるな……
……用があれば此方から出向く」
「わ、分かったよ……」
………
……
…
「……メルちゃん、主人公っちの調子はどう? 」
「と、峠は超えました……でも、まだ予断を許さない状況ですっ……」
「そっか……なら、容態が落ち着き次第ギヒーに戻って
それからの事は……その時に考えよう。
今は、どうにかしてこの荷馬車を動く様にしないと……」
「エリシアよ……力仕事ならば吾輩に任せるが良い……」
「ありがとねガルド……」
………
……
…
「……良し。
これで少なくとも主人公っちを運ぶ事は出来る筈……」
「待って下さいっ! ……主人公さんの意識が!
……主人公さんっ! 主人公さんっ! 」
「ッ?! ……がはッ!! ゲホッゲホッ!! ……」
―――
――
―
(……主よ。
この上、更に勝手を申す……吾の不甲斐ない
装備としての一生を……どうか。
笑わず、責めず……て……欲し……)
<――途切れ途切れに
この瞬間、弱々しく発せられた装備の悲痛な訴えは
俺に強烈な喪失感を植え付けた。
直後……強烈な吐き気と共に俺の体から放出された“鉄粉”の様な物体。
それが装備を形成する何かだった事に気付き
今も尚、自らに感じる高い魔導適性とは裏腹に
どんな低級の魔導技でさえ発動させる事は不可能だとも気付いたこの瞬間。
俺は……装備を失った事に気付いた。
転生してからと言う物、ずっと傍で
俺の発動させる下手な魔導に耐え
その力を最大限活かそうとしてくれて居た
自らの分身とも言うべき装備の事を。
“伝説の職業”と呼ばれ、持て囃され……
……そんな自らの地位に怯えさえして居た俺の事を
ずっと見守ってくれて居た彼の事を――>
………
……
…
「主人公っち……そ、それ……」
「装備……ッ……装備ッ!! ……装備が……装備がッ!!
俺の所為だ……俺が……俺がッ……」
<――“後悔”は先にも立たないし、役にも立ってはくれない。
……この瞬間、強い後悔と喪失感を感じ
地に落ちた彼の躰を必死に掻き集めて居た俺に対し
仲間達は皆、何も言わず手を貸してくれた。
……懐から魔導布を取り出したエリシアさんは
俺の横に正座し、魔導布を膝の上に置き……マリーンは
装備の躰が一粒たりとも零れ落ちぬ様、そっと手で支えてくれた。
ガルドは……風で装備が飛ばされぬ様、自らの体で風を防ぎ
メルは俺の治療を続け……皆
俺の不甲斐無さにずっと目を瞑って居てくれた――>
「……主人公よ。
涙で其奴が濡れたならば……其奴は錆び、つらい思いをするかも知れぬ。
涙に暮れる事を責めなどしない、だが……自らの友を護る為だ。
主人公……今は堪えよ」
<――静かにそう言ったガルド。
直後……涙を拭い、唇を噛み締め
俺は、装備の欠片を一粒たりとも残さず集め続けた――>
………
……
…
「……政令国家に戻る事さえ、今の俺には出来ません。
エリシアさん、皆……装備……ッ……俺の所為で……すまない……」
<――パラパラと降り始めた雨
荷馬車の屋根に響く雨音は
俺の不甲斐なさを責めて居る様にさえ聞こえ……
……暫くの後、やっとの思いで辿り着いたギヒー
だが、この直後……既に限界を超えて居たのだろう荷馬車は
役目を終えたかの様に完全に崩壊し
まるで俺達の置かれている状況を示すかの様に
この場の空気を更に重苦しい物へと変貌させた。
だが……そんな中。
近くを通り掛かった一人の“老婆”は
俺達に気付き――>
………
……
…
「おや? ……どうしたんだい? そんなにボロボロで。
一体、何が遭ったんだい? ……って
そんな事を聞いてる暇は無い様子だ……仕方無い。
……取り敢えず、ウチの店に来なっ!! 」
「あ、貴女は……干物屋の……」
「挨拶は後だ! ……ってアンタ酷い怪我じゃないかいっ?!
話は良いから早く来なっ!! ……」
<――言うや否や
干物屋の店主“エダ婆さん”は、俺達を自らの店へと案内し――>
………
……
…
「よし……取り敢えずはこれで大丈夫だろう。
しかし、裁縫ってぇのはババアには堪えるねぇ……
……腰が痛く成っちまったよ!
ま、龍乳さえ飲んどきゃ大抵の問題は治るんだがねぇ? 」
<――引き裂かれた俺の服を器用に縫い直したかと思うと
腰を叩きながら、そう楽しげに言った。
そして――>
「どれ、アンタ達も飲むかい? ……よく冷えてて美味しいよ~?
それとも、温かい方が好みかい? 」
<――そう言って“保存庫”から山程の龍乳を取り出したエダ婆さんは
俺達に龍乳を配り、自らは再び
勢い良くもう一瓶を飲み干すと――>
「……なんだい? 飲まないのかい?
無理に飲めとは言わないが、こんなに美味しい物を飲まないのは
ちぃとばかり損だよ? ……特に、怪我の酷いアンタは少し多めに飲んどきな!
怪我の一つや二つ位直ぐに治っちまうよ? ……ハッハッハ! 」
<――そう言って俺に龍乳を強く進めた。
だが……そんな“エダ婆さん”の底抜けに明るい振る舞いが
今の俺には苦しくて――>
「……これを飲んで装備が生き返るなら幾らでも飲みますし
その所為でどれだけ腹を下す事に成ったって構わない。
俺は……俺は唯、大切な存在を護りたかっただけなんだ……」
「……見りゃあ分かるが、余程酷い目に遭った様だねぇ。
さっきから大事そうに握り締めてるそれが……“装備さん”かい? 」
「はい……俺の所為で此奴が犠牲に……」
「そうかい……なら、その装備さんとやらは
今頃、アンタが生きてる事を心から喜んでる筈さ……だが。
幾ら惜しい相手でも、悲しんでばかりじゃあ物事は進まないもんだ。
それと……“腹を下す”かどうかは体質の問題さ。
“相性”が良けりゃあ、この龍乳は比類なき力を与えてくれる。
……どうせ“人生最低の日”なんだろう?
グダクダ言わず、一思いにぐびっと飲んでみなッ!! 」
<――直後
エダ婆さんに促され、半ば強引に龍乳を飲まされた俺は――>
………
……
…
「お……美味しい……」
「おぉ~! そうだろうっ! そうだろうっ!
……これの美味さが分かるだけでも儲け物さ!
そうと分かったらじゃんじゃん飲みなッ! ……もしかしたら
あたしを超える事だって夢じゃないかも知れないよ?! 」
「そんなつもりは……」
「良いからじゃんじゃん飲みなっ! ……」
「うぐッ?! そんなに一気にはッ……」
………
……
…
「わ、私……ちょっと“お花を摘んで来る”わね! 」
「マリーンさん……わ、私もご一緒しますっ!! 」
「メルちゃん待って! 私も!! ……お、おばあちゃんっ!!
……トイレ何処っ?! 」
「ぐっ……吾輩の腹も蠢いて居る……女将……厠は……」
<――暫くの後
マリーンを皮切りに皆が目を白黒とさせながらトイレに走った中
何故か俺だけは腹を下さず――>
「おや? ……アンタはトイレに行かなくても良いのかい? 」
「ええ……飲んだ量が量なので“尿意”自体は少しありますけど
でも、お腹自体は痛くないって言うか……寧ろ
さっきまでよりも腹に力が入ってると言うか……」
「……そうかい。
って事は――
――アンタは“大会に出る素質がある”って事だ! アッハッハッ! 」
「そ、そんな予定は全く無いんですが……って。
俺も一応、トイレに行ってきます……」
「ほう……どっちだい? 」
「そ、その……小さい方で……」
「そうかいそうかい! ……行っといで! 」
………
……
…
「……おやぁっ?
何だか、皆“やつれて”ないかい? ……って、聞くだけ野暮かねぇ?
さて、もし腹が空いてるなら干物で良けりゃあ焼けるが食べるかい?
デザートに桃団子もあるよ? ……」
<――暫くの後
俺以外の皆が妙に“げっそり”として居た中
エダ婆さんはそう言って干物を炙り始めた。
香ばしい香りが食欲をそそる……まぁ、この瞬間
そんな感覚を感じる余裕があったのは俺だけだったみたいだが。
ともあれ……大食漢なガルドでさえ完全に食欲を失って居たこの時
俺は、何故か途轍も無く強い食欲を感じて居た。
後悔や悲しみや怒りや絶望……
……どんな感情の中に在っても腹は減る。
そんな、生きていれば当たり前に感じる“空腹感”にさえ
言い様の無い苛立ちを感じつつ
直後、エダ婆さんに進められるがまま干物を口に運んだ俺――
“装備は……彼奴はもう、帰ってこないのか? ”
“装備を治す方法は無いのか? ”
――彼ともう一度
つまらない言い合いをする時間は……俺にはもう
与えられないと言うのか? ――>
………
……
…
「……なんだい、泣く程美味しかったかい? 」
「いえ……美味しいですけど、其処まででは」
「なっ! ……失礼な客だよ全く!
……ま、生きてりゃ色々あるもんさ。
だが、何事も簡単に諦めちゃ駄目だよ? ……諦めが悪い方が
簡単に諦めるよりもちょっとだけ“カッコいい”んだからね? 」
「ええ……干物も出来上がるまでに時間掛かりますもんね……」
「そ、そう言う事じゃ無いんだが……困ったねぇ、この子は……」
………
……
…
「……いやぁ~っ! 良く寝た~っ!
ありがとね! おばあちゃん! ……ってか、寝室広かったねぇ~っ?!
一人なのにあんなにベッド大っきいのって
やっぱり“チャンピオン”だからかな~っ? 」
<――翌朝
強い疲労が故か、驚く程確りと眠れてしまった事にさえ
罪悪感を感じて居たこの瞬間、何時もと変わらぬハイテンションで
何処か楽しげにそう言ったエリシアさんに対し――>
「そう言う訳じゃ無いんだが……ま、そう言う事にしとくかねぇ?
誰しも応分の物が欲しくなるってだけさ……ともあれ
皆、疲れが取れた様で良かったよ……それはそうと。
……もう、旅立つのかい? 」
<――そう問うたエダ婆さん。
直後、ほんの少しだけ間を開け――>
「うん……帰って色々とやらないと駄目な事があってね」
<――そう答えたエリシアさんから感じた雰囲気は
何時もとは違う、悲しみの色をして居た――>
「そうかい……忙しいんだろうが、体調には気をつけるんだよ?
……ああ、そうそう!
乗り物が壊れてそのままじゃ帰れないだろう?
“普通の”荷馬車で申し訳無いが……一応用意はしといたよ! 」
<――そう言って
表口に停められた荷馬車を指し示したエダ婆さん。
だが……酒場で声を掛けた程度の間柄でしか無い筈の俺達に対し
介抱し、食事と寝床を与えただけに終わらず
剰え荷馬車まで用立てる様な義理は無い様に感じ――>
「あの……何故俺達に此処まで……」
<――そう、思わず問うた俺に対し
エダ婆さんは優しい笑みを浮かべ――>
「何故って……そりゃあアンタ、ファンの女の子は居るわ
“将来有望”な少年は居るわで……
……それで何もしなきゃ、あたしは唯のクソババアだよ!
それと……人生最悪の日ってのは誰にでも訪れるもんさ。
あたしにもそんな日はあった……だが
そんな時でも助けてくれる存在は必ずどっかに居るもんだ。
ま、眼の前に現れてくれるかどうかは時の運かも知れないがね……
……ともあれだ。
良いかい? ……諦めが悪く生きるんだ。
諦めずに挑み続けりゃあ、人生案外何とかなるもんさ……って
ちょっと話が長かったかねぇ?
ま、年寄りの無駄話だと思って聞き流しといておくれ!
さて……嬢ちゃん達には桃団子を。
そっちの恰幅の良いオーク族の旦那には干物を。
そして……見込みのある主人公には“これ”を。
良いね? 何事も諦めるんじゃないよ? ……
……アンタ達は皆、きっと大丈夫さ」
<――そう言って俺達にお土産まで持たせてくれたエダ婆さん。
だが……女性陣やガルドに渡された物とは違い
俺に手渡された“物”だけは……何に使える物かは疎か
そもそも“何なのか”さえ判らなくて――>
「あ、あの……これって一体……」
<――デコボコとした表面
錆びた鉄板の様な見た目をした“謎の板”に疑問を感じ
そう問うた俺に対し――>
「おや? ……そいつは明らかに“要らない”って目だね?
良いかい? ……人様からの贈り物は、例え要らないと思っても
簡単に捨てたりしちゃあ駄目なんだからね?
最低でも一年……家に飾っときな。
それでも尚、要らないと思ったら
その時は“捨てずに”人様に譲りな……良いね? 」
<――そう、強く念を押したエダ婆さん。
そんな彼女の圧の強さに、断る事など出来る訳も無く――>
「わ、分かりました……」
<――と、謎の板を受け取った俺は
未だ僅かに痛む首元を抑えながら
用意された荷馬車へと乗り込んだ。
すると――>
「……あぁ、忘れる所だったよ!
長旅で喉が渇いたらこれを飲みなっ! ――」
<――出発直前
そう言って、荷馬車の中に山程の龍乳を乗せたエダ婆さん。
その量が故か、それとも“経験”が故か……直後
露骨に嫌な顔をした仲間達の事は兎も角――>
「……エダさん、色々と有難うございました。
また今度……もっと“諦めの悪い男”に成った時、帰ってきます。
その時には、今日のお礼を改めてさせて下さい」
「――ああ! 楽しみにしとくよっ!
その日まで後千年でも二千年でも生きとくから……
……約束は確りと護るんだよ? 」
「い゛ぃッ?! な、何だか本当に千年後でも生きてそうで怖いですけど……
……とッ、兎に角!
また何れッ! ……」
<――直後
明るく送り出してくれたエダ婆さんに別れを告げ
俺達は政令国家への帰路へと就いた――>
………
……
…
「く……ッ! ……」
<――荷馬車の揺れが傷口の痛みを強める
揺れに依る痛みは、装備を失った悲しみを思い出させ――
“もし、この液体に何の効力も無かったら”
――と、俺に最悪の想定さえさせた。
苦しい……
悲しい……
辛い……
俺は……
……今ある幸せを大切に出来て居るのだろうか?
これ以上、何かを失ったら……
俺は、正気で居られるのだろうか? ――>
………
……
…
「よし……そろそろ、私の力でも政令国家に飛べる距離かな」
<――どれだけの時間が経ったのだろうか?
荷馬車を停め、そう言ったエリシアさんに導かれる様に
荷馬車を降りた俺は……何故か
彼女の描く魔導陣に“違和感”を感じ――>
「……エリシアさん。
それ多分、こう言う風に描いた方が効率が良いと思います」
「へっ? ……って、あぁっ!!? 何してるの主人公っちッ!!
魔導陣ってちゃんと描かないと危ないんだよッ?! 」
「な、何って……あッ?! ……ごッ、ごめんなさいッ!! 」
<――何故か魔導陣の“出来”に違和感を感じ
エリシアさんの描いた魔導陣を“修正”してしまった。
俺には魔導陣の知識など殆ど無い筈なのに――>
「も~っ……取り敢えず、描き直したから
主人公っちは所定の位置に立ってくれるかな?
てか、もう弄らないでね? ……分かった? 」
「す、すみませんでした……」
<――直後
再び描き直された魔導陣……だが、やはり。
何故か俺には魔導陣への“違和感”が在って――>
===第二七九話・終===




