第二六八話「“飼い慣らす”のは楽勝ですか? ……前編」
<――何一切安全とは言えない形で定められた“臨時研究所”の建設、及び運用。
この日、最低限の人員で始動した新種……もとい
“翅蟲”の研究は……
“怖怖と”……そう表現するのが最も適切な状況の中
決して長居すべきでは無い“四箇所目”で行われる事と成った。
だが……俺の弱さに気付き
“傍に居る”と言ったエリシアさんの勇気ある優しさは
そんな最悪の状況を、確かに変化させてくれて――>
………
……
…
「ギーーッ……ギーーッ……ギーーッ……」
<――返事か、それとも威嚇か。
この瞬間、本能的に不快さを感じさせる音を発し始めた翅蟲は
背中の“翅”を強く広げ、それを小刻みに震わせ始めた――>
「うひゃ~気味悪るっ! ……っと、主人公っち
翅蟲をもう一度検べてみたらどうかな? 」
「は、はいッ! 能力値確認! ……駄目だ。
やっぱり能力値には何の変化も……ッ?! 」
<――瞬間
強まった翅の震え
直後、その背中から切り離され……いや“発射”された翅は
翅蟲の背後、少し離れた地面へ等間隔に突き刺さり
この場の空気を一変させた。
だが――>
「……ふ~っ。
どうやら、攻撃では無かったみたいだね~っ……ってか。
もしかしてだけど翅蟲……
……“武器を捨てて投降しろ”って命令だと思ったんじゃない? 」
<――直後
魔導杖を下げ、冷や汗を拭いながら
戯けた様にそう言ったエリシアさんに少し遅れ
構えを解いた俺は……その一方で、お世辞にも
命令に従っている様には見えない翅蟲の行動に違和感を感じて居た。
殺意も、好意も……何の感情も感じさせない
翅蟲の異質さに――>
「そ……それなら良いんですが、そうなると
一応“翅”って検べておくべきなんですかね? ……」
「そうだね~……少なくとも身体からは切り離されてるんだし
あれを切り刻んでも、攻撃と見做したりはしないんじゃない?
ってぇ~事で! ……皆の衆っ! 急ぎ検体の回収だ~っ! 」
<――なにはともあれ。
直後……何時もと同じ明るい態度で命令を出したエリシアさんのお陰か
この場を包んで居た嫌な緊張感は薄まり、僅かに表情を緩めた研究員達は
魔導布を広げ、回収の準備を始めた。
だが――>
………
……
…
「ギーッ……ギーッ……」
<――先程よりも僅かに大きく
強く、不快な音を発し始めた翅蟲の姿に研究員達の手は止まり……
……この直後、見計らった様に
翅蟲の背に新たな翅が生え始めた事で
俺達は再び強い緊張感に包まれる事と成った――>
「エリシアさん……どうやら“武装解除”では無かったみたいです」
「そうだね……各自、警戒を怠らないでっ!! 」
<――エリシアさんが命令を下すまでも無く
強い警戒態勢を維持して居た兵士達の眼前で生え揃った新たな翅。
だが、この直後……警戒対象である“本体”では無く
その背後……地面へと突き刺さった翅の中心から
“糸状の何か”が放出され始めた事で
状況は再び、恐ろしい方向へと変化し始めた――>
「なッ……これは……繭?
まさかッ!! ……エリシアさんッ!!! 」
「分かってるッ!! ……全員、急ぎ戦闘準備ッ!!
繭から“主人公っちの命令を訊かない”翅蟲共が生まれる可能性が高い!
検体の採取は後回しッ!! ……一匹も逃すなッ!! 」
<――直後
“繭”を包囲した魔導兵達……だが、そんな彼らを嘲笑うかの様に
再び不快な音を発し“翅”を震わせ始めた翅蟲の姿に
ほんの一瞬、統率は乱れ――>
「なっ?! ……主人公様っ!!
その翅蟲に“動くな”と命令をっ!! 」
<――振り返るや否や叫ぶ様にそう求めた一人の魔導兵。
だが……この直後、まるで“翅”の震えに共鳴するかの如く強く振動し
次々と破裂した繭から発せられた粘性の高い何かは
魔導兵達へと雨の様に降り注ぎ――>
「ひぃっ?! 何だこの液体は?! ……くそっ! 取れんっ!! 」
「くっ……こんな所で!! せめて一矢報いねえと! ……」
<――魔導障壁の外
この瞬間、最前線に立つ魔導兵達を襲った粘度の高い“液体”は……
……少なくとも、彼らの身体を溶解させる事も
毒に侵す事も、捕縛などと言った危機的状況を齎す事も無く……
……唯、嫌がらせの様な“汚れ”としてその身体にへばり付いて居た。
だが……そんなある種、滑稽にも思える状況とは裏腹に
この直後、繭より発せられた――
”ギーッ!! ”
――と言う不快な音は、兵達の心に
“絶望”と呼ぶべき感情を植え付けるのに充分過ぎる状況を
“複数”
生み出してしまって――>
「ひぃっ?! ……く、来るなぁっ!! ……」
「……や、やっぱり翅蟲らを研究するなんて間違ってたんだっ!!
くそったれっ!! ……タダで死んで堪るかっ!!! 」
<――直後
繭より生まれた六体の“翅蟲”……阿鼻叫喚の中
必死に戦闘態勢を取った魔導兵達。
……だが。
彼らが構えた時には既に、翅蟲共は
其処には居らず――>
………
……
…
「な……何だ? 」
<――例え様の無い“違和感”
この瞬間、俺の召喚した個体に“付き従う”様に整列した六体の翅蟲。
そんな中……命令を下す様に短く鳴いた召喚個体
直後、この命令に従う様に隊列から離れた一体は
何故か召喚個体の真正面に立った。
すると――>
「ギーッ……グギャアアアアッ!! 」
<――疾く鋭く
召喚個体から放たれた斬撃……だが
まるで“切られる事を望んで居た”かの様に
一切避けもせず、容易く自らの命を棄てた
その行動の異質さに――>
「な、何だ? 仲間割れか? ……でも、それにしちゃあ……」
「お、おい待て! 召喚個体、死骸を漁って……ぐっ……」
<――兵達から漏れ聞こえた怯える様な声
そんな彼らの視線の先では……斬撃に身を捧げ
その場に倒れた翅蟲の死骸から
“臓物”と呼ぶべき物を引き摺り出そうとして居た
召喚個体の姿があって――>
………
……
…
「ギーッ……ギーッ……」
<――ボトボトと垂れ落ちる血液
鼻を突く強烈な臭い……そんな、直視する事さえ恐ろしい状況の中
召喚個体は、捧げる様に持ち上げた臓物を俺へと差し出した――>
「う゛ッ……こ、これを“検べろ”って言うのか? 」
「ギーッ……ギーッ……」
<――翅蟲と
“言葉を交わそう”……などと思う方が間違って居るのは分かって居た。
だが、余りにも異様な状況に
そんな思考さえ吹き飛んで居たこの時の俺は
眼前の悍ましい光景に耐えきれず、思わずそう問うてしまった。
そして――>
「ギーッ……ギーッ……」
「……わ、分かったよ。
能力値確認――」
<――“仕方無く”
そう言うべき態度を以て、再び能力値確認を発動させた俺は――>
「――ッ?!
誰かッ! 急いで書き留めてくれッ!! ……」
<――直後
明らかとなった膨大な情報を残す為……気付けば
そう叫んで居た――>
………
……
…
「では……念の為、記載漏れの確認をお願い致します」
<――暫くの後
完成した書類に目を通し、眼前の“情報”と見比べて居た俺は
他の蟲共と大差無く“死亡後暫く経つと消滅してしまう”事も含め
能力の殆どが既に研究の進んでいる蟲共と同等か
少し上回る程度と言う事に僅かばかりの安心を感じて居た。
……この瞬間、計二体の翅蟲を犠牲に判明した数多くの能力値
ではあったが……その反面、幾つかの能力には
決して無視出来ない“危うさ”も含まれて居た――>
「……ええ、記載漏れも無いみたいです。
と言うか、その……“グロく無い”分、寧ろ見やすい位で……」
「ご満足頂けた様で安心致しました……しかし“増殖”に“完全変態”と来て
外骨格に“隠匿能力”まで有して居るとは
なんとも恐ろしい限りですね……とは言え
能力値自体は然程ですが……っと、失礼。
何れの能力も警戒すべき物ではありますが……中でも
この“介在”と言う能力に関しては私共にも見覚えがございません。
やはり……翅蟲共が亀裂から現れた事にも関係しているのでしょうか? 」
「すみません、それは俺にも分からなくて……」
<――“増殖”は言わずもがな。
“完全変態”……所謂、蝶や蛾の様な昆虫が
蛹から成体へ変化するのと同じ……と言って良いかは兎も角
少なくとも……恐れて居た大惨事を免れ
研究員達の手で行われる筈だった“検べ”も
異質な形とは言え何とか叶ったこの瞬間、唯一
得られた情報の中で――
“介在”
――と言う名の能力だけは
俺は勿論、研究員の誰にも詳細が分からなくて――>
「介在……能力の説明欄には“狭間に存在する”としか書かれていないし
これじゃ何をする為の能力なのかさえ……」
「え~っと……主人公っち?
見た所、主人公っちの言う事なら聞くみたいだし……後“四体も居る”事だし?
……“介在”の力を知る為にも、試しに一体
例の聖盾に“食わせて”みたら良いんじゃない?
仮に能力としてどんな物かは分からなかったとしても
聖盾の強化には役立つんじゃない? 」
<――暫くの後
悩んで居た俺に対し、エリシアさんはそう提案してくれた。
だが――>
「残念ですが……その案に諸手を上げて賛成する事は出来ません。
僅か数匹に翻弄された上、私達はまだ翅蟲達の動きを
完全に封じる力を得てはいないのです。
そもそも……翅蟲達が起こした行動も
“たまたま攻撃では無かった”と言うだけ……不測の事態を想定すれば
研究機関本部から聖盾を持ち出す事に許可は出来ません。
……無論、私が穿った見方をして居るだけかも知れませんが
それでも私には……その翅蟲達の行動に
“裏がある”様に見えてならないのです……」
<――強く恐れた様に、だが冷静にそう言ったメアリさん。
確かに……人の言葉を発しはしないが、言葉の意味を理解し
異質な形とは言え、俺の要求に応えた以上
そんな、恐るべき思考が存在する可能性を簡単に否定は出来ない。
もし、翅蟲共の行動に
メアリさんの言う“裏”が存在するとしたら――>
「……俺達が実験に使える翅蟲は後四体。
メアリさんが仰った様に
召喚個体に“裏の考えがある”と言う危険を考えれば
計五回の実験が行える計算には成ります……なら、その前提を加味した上で
既存種の基本能力と大差の無い翅蟲等に対し
聖盾以外の装備品でどの程度の効果が見られるか確認を行う事
それ自体は、危険性云々以前に先ず行うべき実験では?
……その後、対策として充分であると分かってから
改めてエリシアさんの案を試せば、最大限安全を確保したまま
翅蟲への対策を手に入れられる筈で……」
<――この瞬間
得体の知れない恐ろしさを感じて居た一方で……召喚個体を含め
俺達の眼前で静止している翅蟲共に“裏の考え”があったとしても
“その数自体を減らす様な”実験を行えば良い……もし
実験中に妙な動きをしたとしても、あの日の様に
俺が奴らを打ち払ってしまえば良い……そんな
ある種、楽観的と言うべき感覚で案を掲げた俺に対し
皆、多少の差はあれど大筋で俺の案を受け入れようとしてくれて居た。
だが――>
「……得られた情報を統合し、既に運用中の各防衛装備へと入力
改良品をこの場に運び、それで効果が見られた……と言うのならば
わざわざ聖盾を持ち出す必要はありません。
その時点で、召喚個体を含め
一刻も早く……全て、消滅させるべきなのです。
第一……聖盾はまだ未完成と呼ぶべき物です
現時点では発動に時間が掛かる上
勇者一行の協力無しでは発動すらしてくれないのです。
そうでなくとも実験の度に八重桜から……兎に角。
そもそも……勇者一行も“亀裂から現れた者達”なのですよ? 」
<――唯の不安や恐れと言った感情論では無く
この瞬間、本来の目的である“防衛の為”と言う大前提と
汎ゆる面での危機回避の為、そう言って俺の提案を拒絶したメアリさん。
直後……そんな彼女の筋の通った意見には
エリシアさんも賛成の立場を取り――>
「ん~……まぁ。
“翅蟲”の研究は必要に駆られて行うべき物だし
汎ゆる意味での“製造費用”を考えれば
色々と手っ取り早い方が絶対良いよね~……てか。
そもそも、私も含めて……皆こんな“最前線”に長居したくは無いだろうし? 」
<――そう、恐らくは
この場に居る全員が薄っすらと感じて居るだろう感情を口にした。
そして――>
「ギーッ……ギーッ……」
<――何らかの思惑すら感じさせる様なタイミングで鳴いた召喚個体に
言い様の無い苛立ちを感じつつも、この直後
メアリさんの提案を受け入れた俺は……“改良品”を準備する為
一旦、研究機関本部へと戻ったメアリさんの帰りを
余りにも“居心地の悪い”状況で待ち続ける事と成った――>
………
……
…
「その……味方してくれたのにごめんね。
私も本当は主人公っちの考えが正しいとは思う……今後万が一
翅蟲らが再発生みたいな事に成ったとしたら
“聖盾の能力を高めてたら良かった”なんて事に成るかも知れないし……」
<――本来ならメアリさんの研究を手伝う為
彼女と共に帰還して居ただろうエリシアさんは……
……未だ完全に解除されては居ない“結界”の為
真っ向から反対の立場を取った“俺”の真横で居心地悪くして居た。
眼前で“命令待ち”とばかりに嫌味な程整列したまま動かない翅蟲共から
万が一を考え、一瞬も目を逸らす事が出来ない中で――>
「そうかも知れない……でも、そうじゃ無い方が何倍も良いんです。
俺だってメアリさんの考えが正しくあって欲しいですし
そもそも……最初の発生時から数えて、俺が蟲共に関与したのは
数えられる程度の短い時間です……それを考えれば
研究機関が費やした時間は比べ物に成らない……
……否が応でも関わった時間が長い以上
きっと、最適解って呼ぶべき方法は研究機関の方が何倍も持ってる筈なんです」
<――“負け惜しみ”や“虚勢”では無く
この瞬間、純粋に感じて居た事を口にした俺に対し
エリシアさんは複雑な表情を浮かべていて――>
「……そんな事無いって。
だって、主人公っちが得た情報は
私達が必死に成って検べた数ヶ月分を一瞬で超えたんだもん。
それなのに私……主人公っちの“逢引”の邪魔をしただけじゃ無く
主人公っちの掲げた案さえも邪魔しちゃって……本当にごめん」
<――と、何だか“妙な方向”に反省した様子でそう言った。
直後、言うまでも無く酷く狼狽えた俺は――>
「デデデッデートは別に俺が望んでる訳じゃないですよッ?!
って、そもそもッ! ……エ、エリシアさんには
エリシアさんの考えと言う物があってですねッ!? ……」
<――安全の為
直ぐ近くで警戒を続けて居た魔導兵達にも
間違い無く聞こえて居ただろう大声でエリシアさんの事を気遣った。
……その所為で、逆にエリシアさんに恥をかかせてしまった事に
遅れて気付く程の酷い慌てっぷりで――>
「……あ、ありがとね。
けど……別に私は主人公っちがデートに行く事
反対はしてないって言うか……もし
主人公っちがソーニャに興味があるなら、私は別に応援するし……
……着て行く服とか選んだり、行く場所とか一緒に考えたりしても良いし
必要ならその為の練習だって付き合うし……」
「い゛ッ?! ……いやいやいやッ!!
なんでそんな話の流れに!? ……って、兎に角ッ!!
おッ……俺が言いたいのはッ!!
……エリシアさんの考えは勿論
メアリさんの考えも、俺の考えも……全ては
護りたい何かの為の想いなんです……だから。
誰が正しくて、誰が間違ってるとかじゃ無く……」
<――最前線に立って居る事さえ忘れたかの様に
この瞬間……最悪の翅蟲を前に、そう必死に思いを伝えようとして居た俺。
だが……この直後
改修作業を終えた幾つかの防衛装備と共に帰還したメアリさんに依って
俺達の会話は有耶無耶となり――>
………
……
…
「……お待たせを致しました。
詳細な情報のお陰もあり、調整は上手く行きましたが
万が一にも“机上の空論”では笑い話にも成りません……
……早速ではありますが実験を行いますので
主人公さん……翅蟲共に命令を」
<――この瞬間
通称“箱”と呼ばれる防衛装備の起動準備を整えたメアリさんは
そう言って、翅蟲等を“箱へ向かわせる”様求めた。
直後……取り急ぎメアリさんの指示に従い
召喚個体に対し命令を下した俺。
だが――>
………
……
…
「ギーッ……」
<――短く
唯一度、小さく鳴いた召喚個体は……
……言語としてでは無く
その態度で、ありありと“拒絶”をしてみせた――>
===第二六八話・終===




