第四部:身分の壁
己が望み、人に望まれ、初めて生まれるものがある。
それは作品であるし、責任ある立場もそうだ。今でこそ新しい貴族が生まれることは無いが、この国には新しい貴族を用意する法律が存在する。
これは貴族が外獣によって大部分が死んでしまった際に用意されたものだそうで、昔と今の貴族数は大きく違う。平民が功績を稼いで成り上がり、今や他の貴族同様に傍若無人に振る舞っているのだ。
生まれを知っても最早彼等は自身の行動を省みることは無いだろう。それをするには、些か以上に成長し過ぎている。
肥大化した野心と優越感は一度折られてしまえば発狂に即座に変わるだろう。貴族の終わりとは、その殆どが精神的な病に侵されて死ぬのだ。
俺は彼等の事を依然として情けない人間だと思っている。一部は紛れもない強者が混ざっているものの、大部分は弱者のままだ。
自分から地獄に足を踏み込む覚悟も無く、いざとなれば逃げの一手。
勝利ではなく生存を重視する生き方は俺にとって気分の良いものではなかった。そうした貴族達が王宮内で暗躍を繰り返し、王や王子達の頭を抱えさせるのだ。
そんな場所にこれからハヌマーンも立つこととなる。俺達でいくらか支える事が出来ても、所詮大した後ろ盾を持っている訳ではない現状では打てる手立ても極めて少ない。
ただの護衛として傍に居ることは出来ても、他の貴族達の批判に反論することは出来ないのだ。例えしたとしても、彼等は身分差を用いて強引に自身の意見を通す。
理性的な判断を最も持ち易い環境に居ながら、彼等は非常に愚かなままだ。現実を見据えた行動も出来るくせに、一度放った意見に対する責任を無視することもある。
「――どうしたの、そんな場所で」
夕暮れ時の鍛錬用の敷地。
今日も今日とて騎士達が訓練に励むその姿を視界に収めつつ、俺は何とはなしに空を見つめていた。
その横から突然声を掛けられて首を傾けるも、そこに居たのはナノ。既に見慣れてしまった黒いドレスを見て、直ぐに空へと視線を移した。
「何となく、こうしているだけです」
「……そう」
そのまま暫くの間、言葉らしい言葉は無かった。
互いに何処かを見て、隣に誰も居ないかのように視線を交わさない。傍目から見れば険悪な関係ではないかと邪推されるかもしれないが、俺達の間に険悪な空気は一切流れてはいない。
ハヌマーンやアンヌが相手であれば何か言葉を捻り出したのだろう。けれども、今目の前に居るのはあの港街で出会った女性だ。
遠慮という意味では最も遠く、故に無理して言葉を吐くこともない。
だが、それは此方の理屈だ。彼女はそのまま無言でいる訳ではないようで、暫くの後に口を開いた。
「ハヌマーン様とアンヌに説明しておいたわ。 出来れば自分で察してほしかったけど、流石に子供に期待し過ぎるのはね」
「そうですね。 ハヌマーン様はまだまだ幼い。 無理をさせ過ぎれば、それは病となって返ってきますよ」
説明をするのか否か。それについては彼女に任せておいたが、やはりする方を取ったか。
妥当であるし、逆に説明しないのであれば相応の理由が必要だ。王子としての資質を高める為に自分で気付くまで待つというのは、未だ幼いあの子には些か無情だろう。
彼は確かに王族の資格を有しているが、知識や所作がその資格に追い付いていない。ハヌマーン様の部屋に居た時も必死に勉強をしていたので、彼が知識人として活躍するのはまだまだ先だ。
誰かの補助は必要不可欠。それは王も王子も変わらないが、彼の場合はその補助を多くして初めて足で立つことが出来る。
王族に騎士団。更に俺達が率先して彼の味方をすれば、それだけで一勢力としての規模を保てる。
第四勢力の完成はもう目の前だ。そして、そこから彼の多忙な人生が始まっていく。
「……私の仕事もそろそろ終わりですかね」
「なんでよ、あんたハヌマーン様に離れるなって言われてたじゃない」
「そうですが、しかし自分の身分を考えるとこのままでは王宮には居られません」
元の身分でなら兎も角、現在の俺の身分は平民冒険者だ。
別に何か偉業を達成した訳でもないし、何処かの貴族と懇意である訳でもない。繋がりと言えば王族達であるが、彼等が無理をして俺を繋ぎ止める理由は無いのだ。
冒険者である限り、死ななければ呼び出されることもあるだろう。ハヌマーンの今後の活動を考えると、普通の平民は障害にしかなりえない。
ナノとは違うのだ。彼女の場合は明確に国に利益を齎す存在である。彼女は保護しておかなければ、今後の人材確保は極めて困難となるだろう。
決定権を持つのは貴族であるが、諸々の処理をするのは雇われた平民だ。学び舎の一つも無いようでは他国に此処は平民を虐げる国だと判断されかねない。
ナノと俺では明確に立場が違う。故にハヌマーンがどれだけ俺を傍に置こうとしても、他からの批判が高まれば出て行くしかない。
「ナノ様は必要不可欠な存在だ。 代わりに、私であればいくらでも代えが効きます。 ランク六を探すのは少し手間ですが、上位冒険者に比べれば可能性は遥かに高いでしょう」
「相変わらずね。 そうやって相手の事ばかり考えている」
「別に何時も考えている訳ではありませんよ。 今回はそうした方が幾つかの障害は消えるだろうと、そう思ったまでです」
「そこに他者の感情も含めなさいな。 ……別に貴方が居たところで何も変わりはしないわよ」
他者の感情。
指摘された言葉に頭を巡らすが、やはりその方がどう考えても効率が良い。なるべく順調に目的を達成する為には、障害を可能な限り取り除くことは必要だ。
俺が理解し切れていないのか、彼女は頭痛を覚えたように米神に指を当てる。
「確かに平民が騎士として王族の護衛役となるのは不可能よ。 最高位冒険者が護衛をしているという話もあるけれど、その実態は貴族達の間でも掴めてはいない。 つまり居ても居ない扱いをされているわ」
「私が今後騎士になる場合は、やはり民主からですかね」
「普通ならそうでしょうね。 そして、民主騎士団の場合は最大でも豪商まででしょうね。 国との直接契約を結んだ商人であれば、民主の誰かを半ば永続的に護衛役に任命出来る。 だから、直接ハヌマーン様の護衛役になることは出来ないわ。 ――けどね」
一度、彼女は言葉を切る。
「あんたの残した実績を王族は知っている。 その全てが将来大問題に発展するだろうと理解もしている。 あんたは平民の冒険者だけれど、王宮騎士団以上の結果を残したわ。 そんなあんたを王族は果たして野に放つと思う? あんただったら、そんな奴が居たらどうする?」
結果だけを鑑みれば、成程確かに理解は出来る。
彼女からの問いかけについても答えは一つだ。絶対に逃がすとは思えないし、俺もそんな奴を逃がすつもりは毛頭無い。
それこそ強引な手段を用いてでも成立させる筈だ。例えばそう――――身分を成り上がらせてでも。
「まさか……有り得るのか?」
「伝説的な活躍は確かにしていないわ。 強さという観点でも、正直あんたより強い人間は多く居るでしょうね。 それでも、無視出来ない結果を出したのはあんたよ」
歴史上において平民から貴族に上がった人間はそれなりに居る。
最近でも商人が金の力で貴族の一員になった程だ。だから、やろうと思えば出来るだろう。
しかし、俺をそうするのは流石に反発を生む。王族の中でも反対意見を言う者の方が多く居る筈だ。なれる筈が無いし、俺は別になりたいとも思っていない。
「しかし私は……俺は……」
「最後に言っておくわ。 この案は既に決定されている。 他ならぬ王によってね」
夕暮れの空に、一陣の強風が流れた。