第四部:民から子へ
常とは比較にならない騒ぎが起こる中、王宮内の一室は酷く静かなものだった。
焦燥の素振りを微塵も見せないナノ。部屋内で唯一座りながら勉学に励むハヌマーン。護衛として彼の傍にはアンヌが目を瞑って待機し続け、俺は入り口付近で立っている。
普段であれば何かしらの作業をしているものだが、今日は何も行動していない。
王宮内に流れる不穏な風によって侍従は怯え、貴族達も警戒状態だ。不用意に外に出たものなら、そのまま有りもしない罪をでっち上げて捕縛されかねない。
勿論抵抗はするつもりだが、そもそも王宮内で騒ぎは起こしたくない。王宮内を巡回する騎士達は総じて勝てない程ではないものの、苦戦は必至となるだろう。
特殊個体・ガレンザル討伐の功績を俺は騎士団に渡した。
本人達は俺のお蔭で斬り込めたと言ってくれているが、それでも一人では想像以上の苦戦が強いられていた筈だ。
そもそも一体一であれば相手も一人を警戒するだけで良い。普通の冒険者が相手であれば即座に燃やされるか、発生する無数の煙によって身体に異常を抱えることになっただろう。
俺だけで全てを回せたなんて思う訳が無い。比較的無事に済んだのは彼等が居たからこそであり、故にこそ功績は彼等が総取りするべきだ。
それでも不満を口にされたので、ならばネル兄様に渡してはどうかと提案した。
当の本人は驚いてはいたものの、一緒に飛び出したのは事実。俺を評価するのであれば、ネル兄様もまた評価されねばおかしい。
その言葉により、最終的にはネル兄様を筆頭として騎士団だけが功績を貰うこととなった。
彼等には金という解り易い褒美を貰い、追加で設備の拡張予算も手にしている。お蔭で至急される装備の質も向上し、個人が好きなように遊び歩くことが出来る。
上位にいく程金は使わない傾向にあるが、彼等は単純に自分の為に金を使うことに躊躇を覚えただけだ。
手にした金は決して自身の努力によって齎されたものではない。謂わば棚から菓子のようであり、中でも騎士団長やネル兄様は俺の為に金を使おうとしている節がある。
「王宮内が騒がしいな……」
「侍従達に注意致しましょうか?」
「構わないよ、此度の危機に騒然となるのは自然だ。 逆に静けさを保った者が居れば怪しまれるだけだろう」
「私達のように、ですか?」
「……そうだな」
三人の会話は実に短い。
盛り上がることも無く、半ば淡々としたものだ。それでもこれが誰にとっても苦痛にならないのは、生来の気質が静かだからだろう。
俺も静かな方が好きではある。しかし何も会話をせずにただ待機し続けるというのも退屈だ。
いっそ鍛錬に精を出したいところではあるが、何処で何を言われるかも解らない。迂闊に出れない状況というのは、今の俺達にとって些か不便だ。
このままずっと同じ時間が過ぎれば少々地獄ではあるが、良くも悪くも王宮では何かが起こる。
客室に居る身ではあれども、その部分はまったくの一緒だ。
静かな部屋の中にノックが響く。予定されていない来客に全員が扉に目を向け、俺がその扉を開けた。
もしも暗殺者であっても俺なら一撃は問題無い。仮に重症を負ったとしても無理矢理動くだけだ。
「や、暇かい?」
果たして相手は――俺のよく知るシャルル王子だ。
後ろには二名の王宮騎士が居るものの、彼等の表情は非常に困ったと言わんばかりとなっている。
つまりは、決して何か重い内容を話す為に此処に来たのではないのだろう。
彼もその顔を柔和に歪め、ごくごく自然な笑みを見せている。そこに邪気は含まれていないと確信して、部屋内へと彼等を通した。
突然の王子の登場に慌てるのはアンヌで、逆に冷静なのはナノだ。
アンヌの方はやはり仕える側という意識があるからか、上下関係に酷く重きを置いている。
ナノの場合は、どのような態度を示すべきか見極めているのだろう。それで気安い関係を構築出来るのなら、彼女は丁寧語を使いながらも普段通りに話すつもりだ。非常に困ったものである。
「兄上? 一体どうしたのですか」
「王宮内の空気が悪くてね。 正直に言って息が詰まるんだよ。 だからどこかで休もうと思ってね。 それで此処を思い付いたんだ」
「そうですか。 ですが、此処に居るのは少々不味いのではないでしょうか?」
「怪しまれ易い者達の中に居るのはどうかってことかい? ――――それについては問題無いよ」
王子であっても人間だ。空気が悪くなれば気分も良くはないであろうし、何処かでゆっくり休みたい気持ちも出てくるだろう。
中庭や誰かの私室を使うのは無しだ。そんな場所に居れば貴族から頭の痛くなるような話ばかりをされ、折角の休憩が休憩にならない。
そうなるくらいならば、多少怪しまれても寄り付き難い場所に行った方が良い。
恐らくはそんなつもりで彼は此処に来たのだろう。そして、護衛達は彼の無茶振りに付き合わされた形だ。思わずご愁傷様ですと言いそうになり、全力で口を結ぶ。
言えば余計だと睨まれるだけだ。護衛は苦労するもので、俺もその点は一緒なのかもしれない。
ハヌマーンの対面に座り、アンヌが淹れた紅茶に口を付ける。表情が綻んだところを見るに、彼女の入れた紅茶は合格点に達しているのだろう。
足を組んで椅子に座る。その様は相変わらず優雅で、どちらが部屋の主か解らない。
「今回の討伐に一番寄与したのはそこにいるフェイだ。 彼が命を削るような突撃をしなければ何時までも睨み合いになっていたかもしれない」
「そうなれば必然的に森への延焼が広がっていき、今後の林業が行えなくなるかもしれない……」
「だからこそ、王も林業に携わっていた貴族達も感謝しているのさ。 早急に止める為に身体を張った彼に対してね」
つまり、明確に国に対して利益となる行動を起こした俺が仕える主人を、今は悪くは見れないということか。
仮に悪く言ってくる輩が来たとしても、今度は巡回している騎士団が敵に回る。
この王宮で警備をしてくれる存在が敵となるのは地獄だ。自身が雇った護衛以外に頼れず、王宮内の危険度は想像を絶する程になるだろう。
だから安全だとシャルル王子は口にするのだ。彼等の性質を考えた上での読みであり、実際にそれは有効だろう。
だが逆に言えば、そうまでせねば俺達はこうしてゆっくりは出来なかったことになる。
感謝すべきであり、ある意味借りも作ってしまった。これを返済するには一体何をすれば良いのかと考え、しかし直ぐには出てこない。
「この事態は未だ解決していない。 何処の誰が裏で手を引いているのかが不明で、数日経った今も良い連絡は入ってきていない状態だ。 これが解決するまではこっちで休むこともあるかもね」
「兄上。 流石にそれは……」
「まぁまぁ、言いたいことは解るよ? でもね、此処で休憩することには別の思惑もあるんだ」
別の思惑。その言葉で気付いたのは、ナノと俺だけだ。
他二名は首を傾げるだけであり、教えてほしいと目で訴えている。それに対してシャルル王子は意味深に笑い、決して二人には教えはしなかった。
俺もナノも頭の中で予定を組み立てていく。ナノの方が考えるべき情報は多いだろうが、俺だって決して少なくない量の思考を重ねなければならない。
服もそうであるし、当日の参加者もそう。声を掛けるべき者達には全員掛けるとして、場所についてもシャルル王子とは一度話をするべきだ。
事態は瞬く間に変わっていく。予測だが、こんな状況だからこそシャルル王子は行動に踏み切った筈だ。
この一件には王も関与しているだろうし、そうなれば生半可な準備では失敗に終わる。
――此処で大きく流れを変える。
ハヌマーンという平民を王子へと上げ、更なる騒動を巻き起こすのだ。