第四部:少女の憂い
純白の髪を持つ妹と歩くのは随分と久し振りだ。
最後に面と向かい合ったのは五年前のあの戦いだけ。以降は互いに一度も会うことも無く、騎士団の試験に合格する為に尽力していたのだろう。
五年という歳月でどちらも大きく成長した。見慣れた顔なのに見慣れぬ背丈となり、所作に感じられる品も余計に女性らしくなっている。最早彼女を子供扱いするというのは難しく、されども彼女は何時も通りの関係性こそを望んでいる筈だ。
常に一緒にはいられなくなったあの頃から、彼女もまた兄妹を求めていた。
出来ることならば永遠にと願いつつ、しかし現実は残酷だ。家族は共には居られず、引き裂かれるにはあまりにも唐突に過ぎた。
当時の彼女は、一体どんな感情でもってあの決定を受け止めたのか。
今となっては本人に尋ねるのも憚れ、きっと聞くことは出来ない。
嫌な記憶など思い出さない方が良いことばかりだ。中には思い出さねばならぬ記憶もあるが、少なくとも俺達の過去において思い出さねばならない記憶は少ない。
あの時感じた無力感。あの時抱いた確かな嫉妬。それがあるからこそ、俺には成長の余地が生まれた。
忘れるなかれ。捨てざるなかれ。
一度でもそれを忘れてしまえば、俺はきっと強くはなれないだろう。足掻くこともせず、純粋な才能の差に膝を折って屈してしまっていた筈だ。
隣の彼女を見る。隣同士で歩くのが余程嬉しいのか、小さいながらも彼女は口笛を吹いている。
兄様とは敵対関係を偽造したが、彼女は理解者の道を取った。きっと事前に兄様からは説明されていただろうに、それでも彼女は敵対を嫌ったのだ。
「……そろそろ戻ってやれ。 皆がこっちを見ているぞ」
「あれは皆私に振られた人達ですよ。 結構、その、告白もされましたので」
「ああ、やっぱり。 お前は綺麗だからな」
やはり。彼女の言葉に素直な感想を述べれば、ノインの頬に赤が差す。
少々恥ずかし気なのは、単純に褒められ慣れていないからなのか。いや、惚れている連中からかなり褒められている筈だ。
だが、ただ彼女の美しさに惹かれただけの連中の褒め言葉に彼女は揺らがないだろう。俺やネル兄様以上に感情に敏感な彼女では、表面上の言葉はまったく意味が無い。
良くて愛想笑いで避けられるか、悪くて罵倒されるかのどちらかだ。心の籠った言葉を送らねば、ノインの胸の内を表に引き出すのは難しい。
であれば、彼女が素直に感情を外で見せるのは久し振りなのかもしれない。そう思ってしまうと、何だかノインのことを不憫に感じてしまった。
「生活は大丈夫か? 父上がいくらか配慮するよう命令したかもしれないが、それでも一人で作業をしなきゃいけないだろ」
「私は家事出来ますよ。 五年前じゃまだ不慣れでしたけど、今じゃ誰の手を借りなくても自分で全部出来ますッ」
「本当か!? ……いやぁ、そりゃ頑張ったな」
何となく、彼女の生活を尋ねてみれば予想外の返事が来た。
貴族の子女が家事。食事は食堂で摂れる筈だが、彼女の語る家事は恐らくそれも含まれている。
洗濯だって民主騎士団専属の者が居ても不思議ではないだろう。そちらに任せて騎士の本分を務めるのが当然なのだが、彼女はその当然を一切捨てた。
「あそこに所属してから解ったことですが、どうにも民主騎士団は粗野な者が多過ぎます。 騎士なのに平気で物資を盗みますし、口調だって随分乱暴なんですよ? 偏見かもしれませんが、そんな方々と一緒の卓を囲みたくありません」
「成程。 だが……あー、一応は苦楽を共にする仲間だ。 郷に入っては郷に従えとも言うし、少しくらいは寛容になっても良いんじゃないか?」
「これでも随分寛容になったものですよ。 場所によってはこっちを口説いてくるし、良い恰好でも見せたいのか危険な状況で一番前に出ようとするんです。 お蔭で怪我人が続出ですよ。 女性の方々にも睨まれていますし」
次々に放たれる愚痴の弾丸は止まらず、なおも彼女は俺に不満をぶつけてくる。
しかし、どちらに非があるかと尋ねられれば答えは明白だ。彼女は贔屓目抜きでも美しく、やると決めた事柄には真摯に務める。狡い手段を使わず、文句が溜まり続ければきっと騎士団長達に報告を入れて是正を願うだろう。
それが上手くいっていない時点で、民主騎士団の質には大きな問題がある。
元々民主騎士団は王宮騎士団とは違って比較的入り易い土壌があった。試験は厳しく、訓練も過酷なものが多いが、それでも比較をすれば入れる確率は高いのである。
それは一重に民主騎士団が護らねばならない範囲が広く、全てを成す為には質だけを追求する訳にはいかなかったのだ。
その結果として粗野な人間も多く入り、結果だけで言えば騎士団内の治安が悪化した。マグガンがそれを放置するとも思えないが、彼女は敢えて何も報告せずに耐えているのかもしれない。
自身は新人で、明確に戦果を出した訳ではないのだからと。
「どうやら王宮騎士団の方は問題はあまり無いようですが、私は少し騎士というものの理想水準を高めに見ていたみたいです」
「ノイン……」
失望の念に堪えない。
表情を少し暗くした彼女に、俺はどのような言葉を掛けてやるべきだろうか。女性では王宮騎士団に在籍出来ず、もしも俺が家を出るような騒ぎが起こらなくとも彼女の孤立は発生する。
民主騎士団には女性貴族も男性貴族も当たり前だが在籍してはいるが、彼女の味方になってくれるかと聞かれれば首を傾げざるを得ない。
往々にして貴族が味方になる時は、利する要因を本人が持っているから。彼女を守れば自分に利益が生まれると考えれば、自然と味方をすることも起きる。
問題は、その貴族の利益追求を彼女が嫌っていることだ。質を求め、水準に達さなければ見捨てるという姿勢は彼女が最も嫌っている両親と同じである。
彼女が欲するは高潔な精神のみ。それ以外は、諸共に屑である。
「――頑張れ、なんて言うことは出来ない。 お前は既に努力しているし、その言葉はお前の努力を裏切ることになる」
「フェイ様……」
精一杯の台詞はあまりにも陳腐だ。
だが、それでも彼女は此方を見上げて喜びに満ちた表情を見せる。そこにあるのは、己を理解してくれる者に対する親愛の情だ。
一歩此方に近寄り、肩と腕が当たる距離になる。兄妹であればこの距離も自然ではあるが、知らない者からすれば少々仲を怪しまれる距離だ。実際に複数の視線を感じてしまうのだが、そちらの方は努めて無視を決め込む。
今は出来る限り彼女の要望に応えてあげるべきだ。それで多少は不満を抑えられるというのなら、幾らでも傍に居てもらっても構わない。
「俺に出来ることなんてたかが知れている。 直接的に手助けするのは難しいが、こっちで変えられるなら手を貸すさ。 決して希望が無いなんて思う必要は無い」
「……有難うございます。 やっぱり、貴方は貴方なんですね」
「そうそう性格なんて変わらないさ。 なるべく二人の期待に応えられるような男にもなりたいしな?」
「もう応えていますよ。 そうやって何時も確り立っていてくれるから、私も安心して自分のままでいられます」
微笑む彼女に、此方も笑みを向ける。
どうやら当分は見捨てられる気配も無さそうだ。それに安堵するべきか、持ち上げられていると苦笑するべきか。
今も昔も、彼女は何処か俺やネル兄様を特別視しているところがある。きっと俺達も普通の男なのだと言っても彼女は首を左右に振るだけだろう。
家族だからこその贔屓目、とは言わない。それで彼女の心の均衡が保てるのなら、幾らでも彼女の前で兄として立つだけだ。
向けられた複数の視線に険吞としたものが混じる。それに対して此方も殺気を飛ばせば、複数の民主騎士は顔を青くしながら視線を逸らした。
王宮騎士達も空気を察してか視線を遮る位置を取り、一同はそのまま王都へと向かっていく。――――そういえば、久方振りに兄妹全員が揃ったことになるのか。




