王子の助言
「――これが現在の我が家で起きている出来事です」
カップに注がれた紅茶の数は既に五杯目に突入していた。
陽は傾き、もう間もなく夕方になろうとしている。仕事は終わりへ向かい、既に夕食を過ごしている市井の人間が無数に存在していた。
飲食店もそろそろ閉店に近付いている。店員達は静かに一人ずつ家へと帰り始め、今では僅か三人程度しか残されてはいなかった。
ネルは全てを話し、シャルルの言葉を待つ。
ノインはシャルルの考えるように目を閉じる姿に不安の混ざった眼差しを送っていた。話した内容が内容だけに、事の大きさは決して小さいものではない。
侯爵という位は決して低い地位ではないのだ。そこが問題を起こせば、貴族社会に醜聞として広がる。
二人の両親は一切気にしないだろうが、その時点で客観的なナルセ家の評価はがた落ちするのだ。
二人からすれば、それは別に構わない。
あの両親が嘆き苦しむとは思えないが、生活に苦労するのは間違いなし。その栄光が消え、落ちぶれた男と女として暮らしていくのであれば二人にとってこれほど痛快に思う事も無い。
自分達も一気に平民へと落ちるだろうが、ザラの居ない生活など有り得ないのだ。平民になる事によってザラが戻って来るのであれば、二人は簡単に貴族の位を放棄する。
しかし、それではザラを探す為の手段を手にする事が出来ない。
今は貴族であるからこそ情報収集に専念する事が出来ているのであって、この貴族位が消失すれば身体を鍛える余裕すら確保出来ないのだ。
「事情は大体理解した。 ……が、にわかには信じられないというのが個人的な感想だ」
「仰りたい理由は理解出来ます。 私達兄妹も最初は信じていました。 例え三流だと断定されようとも、あの人達は変わらぬままであると」
シャルルが最初に吐き出した言葉は、二人が想像する内容だった。
故にそこに違和感は無い。ネルは首肯し、次いで言葉を繋げる。ノインはネルを信頼して何も発さず、ただただ暗い雰囲気を振り撒き続けた。
シャルル王子がこの件について関わる意味は無い。逆に関わった場合、余計な情報を知ってしまったと内心で頭を抱えてしまうのは想像に難くなかった。
もしも協力を取り付けられたら、シャルルの力はかなり強い。王程ではないにせよ、下手な公爵家よりも上の権力は情報収集においてかなりの強さを誇る。
侯爵家の交友関係の無い子供では探せる範囲に限界があるのだ。これ以上は、更に年齢を重ねて行ける範囲を自分で開拓する必要がある。
一方、シャルルは二人の内容を聞きながら思い出す事があった。
切り捨てられた男。年齢は二人の間である事から鑑みて、九歳程度。武を鍛え、知識を吸収し、誰よりも友愛を求める姿勢は、どうしてもあの少年と重なってしまうのだ。
ここまで共通点がある以上、あの少年がまったく関りが無いとは考えられない。
例え影武者であろうとも、そうであればあの少年とザラとの間に繋がりがあるのは事実。――――それを素直に教えるべきかとシャルルは暫くの間考える。
その無言の時間が二人には辛い。ザラがまだ近くに居るだろう内に限界まで行動したいのだ。
結論を早く出してほしいと心が急かすが、それを口に出してしまっては相手側が激怒するだけ。余計な言葉が身を滅ぼすのは、何時の世でも明らかだ。
「一つ、心当たりがある」
「それは何でしょう?」
「実はこの街に来た直後に暗殺者がやって来てね。 練度もまったくない素人も素人だったんだけど、自分の殺気の範囲を知るという一点だけを鍛えた暗殺者だったんだ」
「シャルル王子を含め、王族の方々は通達無しに視察を行いますからね。 暗殺者を差し向けようにも下手に実力者を雇って外れてしまっては金の無駄遣いに繋がります」
「そうだね。 だからこそあんな暗殺者が来たんだろうけど、その時に間の悪い事に女の子からお菓子を貰っている最中だったんだよ。 相手もそれを好機だと考えたみたいでね、その瞬間に襲い掛かってきたんだ」
そして、その時にとある少年が守ってくれた。
最後のシャルルの言葉に、ノインは明確に目を見開く。既に少年の二文字で彼女は反応を示すのだが、この街でそんな行動を取るような少年は限られている。
「いきなり剣を投げてね。 その上、尋問と称していきなり足の指を折ったりし始めたんだ。 最初はかなり驚いたよ。 こんな子供が居るのかってね」
シャルルは暫く考え、口に出した。
彼には助けられたが、それでも現時点では少年は平民だ。王族であっても、寧ろ王族であるからこそ他の貴族達とは好意的な関係を築いておかなければならない。
あの少年が真実ナルセ家の人間であるならば後で幾らでも謝罪するつもりだ。だが、今はナルセ家の方を優先して情報を出した。
この飲食店で先程まで一緒に紅茶を飲み、その少年がネル達が語る内容と一致していると告げると、ノインは居ても立っても居られないとばかりに立ち上がる。
だが、それをネルが目で制した。礼儀も何も無く、勝手に行動しようとする真似は反感を買う。
ノイン自身が追い詰められていても、それは関係無いのだ。故にネルは礼儀を通す為に今は座れと目で伝え、それを見たノインは言葉も無く静かに座り込んだ。
彼女はテーブルの上で両手を握り締め、身体を震えさせる。今すぐに動き出そうとする身体を無理矢理止めているため、長くなればなる程にその震えは加速していくだろう。
「……あの、シャルル様。 ザラ兄様はどのようなご様子でしたか?」
「そうだね。 一言で例えるなら、落ち着いていたよ。 少なくとも失踪直後には見えなかったな。 恐らくは大分前から計画をしていたんだろうね」
その落ち着きの要因が家族から離れられたからだというのが、二人の心を抉る。
家族に会えば嫉妬してしまう。そして、そんな醜い感情が爆発して害するような真似をしたくない。
そんな日々は確かにザラの余裕を削っていた。身体を必要以上に鍛え続けていたのもその嫉妬心を忘れる為だとすれば、離れるという選択は賢明そのものだ。
最早幼い頃には戻れない。三人の生活を続ける事は難しく、ザラの為を思えば離れたままでいさせる事が一番の幸せに通じるだろう。
だが、それならばと二人は思うのだ。
三人は常に一緒だった。一年前の頃より離れる期間が長くなってしまったが、それでも三人は繋がり合っていると思っていたのだ。
この状況を改善させてみせる。
父親や母親の言葉など無視して、ザラを有用な存在であると再度家族として認識させるのだ。
その為に無駄であっても家族と話し合った。僅かな芽がある限り状況は変化していくのだと信じて、身体を鍛える事にも全力で取り組んだ。
今もなお、幼い頃の夢は輝いている。ネルは団長となり、ノインは民主騎士団の団長となるのだと決めたあの夜の事は一瞬も忘れたことは無い。
だから、ザラには相談してほしかった。一番最初に夢を掲げ、その熱意に惚れたからこそ、夢を捨てるような行動について話し合いの時間を設けてほしかった。
「正直な話をさせてもらうと、貴族としては兎も角として彼のした事は正しい行いだ」
「正しい、ですか?」
「親に切り捨てられ、才能そのものは誰よりも下。 そんな状況で自分の中に劣等感が生まれない筈もないし、それがやがて殺意に変化していくのも不思議じゃない。 けど、彼は家族を愛している。 愛していたから、自分がそうなるのを許せない」
「だから黙って出て行くのが正解なんですかッ……」
「だって、君達に相談すれば必ず止めるだろう? 馬鹿な真似はやめろと言うだろうし、話してしまったら君達はもしかしてを想定して監視を用意する」
「…………」
「それじゃあ彼が惨いだけだ。 嫉妬が蓄積されるだけで、何も解決はしない」
馬鹿な真似は止めろ?――そんな事は解り切っている。
貴族として愚かな事も承知済み。その上で、家族を物理的にも精神的にも守る為に消息を絶ったのだ。
どうか兄妹達は夢を叶えてくれ。自分は無事に生き抜いてみせるから、何も考えずに自分達の幸せだけを求めてくれ。
シャルルは彼を自己犠牲の人間だと断定した。故に、これまでの情報によって嫌でも彼の言いたいことが解ってしまう。
自分の幸せなど二の次の行動は、決して賞賛されるものではない。
否を突き付け、自分も他人も幸せになる道を模索するのが人間だ。その意味では、彼の精神性は決して人間らしさを保てている訳ではない。
何時崩壊するかも解らない砂上の楼閣だ。だが、その感想とは矛盾するような強固さも彼は持ち合わせている。
「初対面だけど、彼はきっと平民になっても生きていけるだろうね。 下手に立身出世をするよりも、そのまま静かに暮らしていけば彼は平和なままだ」
このまま彼を放置するのが一番良い。
シャルルの意見はつまり、捜索を続けようとする二人の否定だった。そして、その意見に二人は何も言えない。
語っている内容は納得の出来るものだった。人生で一度でも能力の無いと言われたことの無い人間が慰めようとしたところで、それは単純に逆効果だ。
ノインが思い出すのは、失踪直前の二人の会話。あの時は最後に重苦しくなってしまったが、全体的に見れば何時も通りの語らいだった。
だがあの裏でザラが苦しんでいたのだとしたら。心の中で悪態を吐いていたならば。
それに気付けなかった自分は、果たして妹に相応しいのだろうか。
突き当たった現実に、震えていた身体は何時の間にか止まっていた。今度は硬直し、動き出す気配すらまるでない。
「接触をしたいなら数年は待つんだ。 それだけの期間があれば、互いに気持ちも落ち着いているだろう。 もしかすればひょっこり家に帰ってくるかもしれない。 希望的なものに過ぎないが、それでも無いよりはマシだ」
今はただ、待つことこそが最良である。
シャルルの言葉は強かった。これが自信無さげに告げられたのであればまだ否定の材料を探していたのだが、断定するかの如く告げられてしまえば大人しくする他無い。
暗くなる二人を後に、シャルルは席を立った。既に夜になりかけている状態で視察は不可能であり、やるのは明日となるだろう。
閉店時間よりも長く居続けてしまった。店員に通常の五倍の金を支払い、騎士達を伴って外に出る。
隣にはザインが居た。
夜風を浴びながら歩き、ふと思いついたようにシャルルは言葉を紡いだ。
「ザイン、騎士団の誰かを使ってあの少年を探してくれ」
「畏まりました。 騎士団に入団させるおつもりで?」
「それは解らないな。 けど、あのナルセの家の人間だ。 三流と決められようとも他の人間に比べれば遥かに強いだろう。 私の近衛にするのも悪くはない」
「なんと……」
ザインは絶句した。その意味を理解出来るのは、ザインを含めて数名のみ。
その様子にシャルルは微笑みを浮かべた。明るく、しかし艶やかに。
何時の間にか評価百に届きそうでビックリです!有難うございます!!