第四部:言葉を重ねて
「封書の兼は別に構わないよ。 正直に言って有り余っているしね」
丸テーブルの上で紅茶を飲んでいた彼に感謝を示しつつ、封書を何枚か頂戴する。
何故か同じテーブルに座ることになっているが、深く考えるのは止めておいた方が良いのだろう。彼は最初に会った頃から何処か普通とは異なり、自分だけの基準で行動していた。
縁が金箔で覆われ、表には金の狼が描かれた封書は王族しか使えない専用の物だ。これを所持しているか、あるいは使った時点で王族関係者であると示すことが出来る。
それは一種の安全保障に繋がると同時に、最も王族の悪意を受ける可能性を持つことにも繋がってしまう。
諸刃の剣。その言葉が適当になってしまうのが今回の封書であり、だからこそ他者の信用を得る一つの明確な手段にもなるのだ。
本来ならばそのような貴重な代物を容易く他者に渡しなどしない。
どれだけ彼が自身の基準を設けていても、封書は管理されている筈だ。そこから数枚でも持っていけば、何かしらの問題に発展する可能性も否めないだろう。
にも関わらず、彼は協力的だ。その理由が不透明で、故に怪しさを漂わせている。
この封書を渡すことで何か後ろめたい事をさせるのではないか。もしくは、今後不利になるような策略を巡らす為に此処で封書を渡したのではないか。
彼の性格が決して悪に傾いている訳ではないが、かといって人間には多数の面がある。利益を求めて他者を陥れることなんて貴族であれば当たり前だ。
「頂いた手前質問をするのはおかしいのでしょうが、よろしいのですか?」
「本当はあまり褒められたものじゃないね。 幾ら信用しているとはいえ、王族の権力の一部をこんな簡単に渡しては僕等の価値が落ちてしまう。 余程の事態か、余程の信頼が無ければ本来渡すだなんてのは考えないかな」
「では、今回は何故そんなにも簡単に?」
「決まっているだろう?」
彼は此方へと顔を寄せる。
向かい側に居るが故に距離は離れている筈だが、躊躇の無い接近に少し胸に波が立った。それは彼の中性的な顔が寄ってきたからか。
宝石めいた青い瞳は透明で、汚れをまるで含んでいない。以前何処かで似たような眼を持った人物を見た覚えがあった筈だが、直ぐには思い出せなかった。
「ハヌマーンの事は君達よりも前から知っているよ。 彼は物事を悲観的に見てしまうというか、どうにも己の考えが全て間違いだと思ってしまう質だ。 それは僕等が励ましたところで変わりはしなかったし、実際君も彼の諦観的な部分は見ただろう?」
「ええ。 ですが、彼の環境を考えればそうなっても不思議ではありません」
「まぁ、ね。 あんな面倒な環境にもしも僕が居たとしても――彼のようになってた可能性は高いだろうね」
一瞬。一瞬だけ、彼の纏う雰囲気が変わった。
その感情は一瞬過ぎて解らなかったが、あまり明るさのあるものではない。彼について思いを馳せて、その環境に思うことがあるのだろうか。
あっても不思議ではないが、此方に隠している以上は触れる必要は無い。彼には彼だけの領域があって、そこに踏み込んで良いのは余程親しい者のみ。
分を弁えねば彼の気分を害してしまう。それは俺の本意ではないし、物事の主軸から外れている。
彼が何を考えているのかは読めない。それに読んだところで、此方に害を与えなければ何も問題にはなりえない。
「だから彼が変わった時、真っ先に君の影響だと思ったよ。 他の面々の方が彼と接する機会は多かっただろうけど、何も変わりはしなかったからね。 家族を良い方向に歩かせてくれた相手に対して、僕なりに感謝を示そうと思ったのさ」
「……ありがとうございます。 そのように思っていただけるなど、感無量で御座います」
再度、頭を下げる。
彼には迷惑を掛けることになった。頼めばもらえるだろうと踏んではいたが、こうまで簡単にいくとまでは流石に考えてはいなかったのだ。
何かしら対価を求められると思っていたからこそ、今この場には他の面々が居ない。仮に居たとしたら内容次第で反発が生まれ、そのまま溝とならないとも限らないだろう。
彼は真実、ハヌマーンの為に行動した。その事実を無駄にはせず、有効に活用して結果を残す。
それでこそ封書の意味があり、明確な勝利にもなる。ハヌマーンが表舞台にどんどん出て行く時、これらの結果が有利に働くのは一目瞭然だ。
やることは終えた。後はこれを携えて騎士団長の元に向かい、協力を取り付けるだけ。事前に協力を取り付けてくれれば思いつつも、そう出来るだけの繋がりをまだ俺達は構築出来ていない。
「他に何か困っていることはあるかい? 派閥がどうだとか、後継者がどうとか騒がれているけど、王も僕等も次の後継者はもう決まっている。 共に手を取ることは可能だ」
「ありがとうございます。 ですが、これで十分です。 これ以上頼ってしまっては、我々が貴方様に依存してしまいますから」
「――それも別に構わないけどね」
更なる援助の言葉に、しかし俺は否と突き付ける。
これ以上手助けをされては俺達の派閥が派閥とは呼べなくなるのだ。手厚い援助は嬉しいものの、それではハヌマーンの派閥の皮を被っただけのシャルル派閥となってしまう。
それは俺の望むところではない。なので納得してもらえるだけの理由を述べたのだが、いきなり飛び出した言葉に咄嗟に声が漏れてしまう。
それを見て、彼は静かに笑みを浮かべる。優しく微笑に溢れ、国そのものを包み込もうとするその表情は何処か女性的な側面が出過ぎているようにも見える。
母親。咄嗟に浮かんだ言葉に、直ぐに何を言っているのかと頭を振る。
男性に対して女性的ですねと口にするなど、失礼極まりない。だからこそ、注目するべきは彼の放った言葉に対してだ。
「勿論、最上はハヌマーンが立派に王子となることだ。 だけど、そう簡単に物事が進む筈が無い。 これからの人生の中で暗殺をされる機会も増えるだろうし、悪意や欲望に満ちた貴族達の視線に晒されることにもなる。 その眼に屈したとしても、致し方無いことだ」
「……つまり、それで屈するのであればその程度であると?」
「言い方は悪いけど、その通りだ。 誰も彼もが悪意に屈しない訳ではない。 ハヌマーンを守る為であれば、依存させて出来る限り負担を抑えることも出来る」
「それでは貴方様の負担が増えるばかりではないですか」
依存させ、何もかもをシャルル様が取り仕切る。
彼は言われた通りのことを行って、決して責任を背負うことは無い。楽ではあるし、シャルル様であればなるべく貴族の目に晒されない場所で仕事をさせようとするだろう。
それは一緒の転落ではあるものの、心の強さは常に一緒ではない。強い者が居る一方で、どうしようもなく弱い者も出てきてしまう。
彼の発言を否定するのは俺には出来なかった。現状が未だ不安定である以上、断言出来る程の確固たる資格を彼に見せることはまだ出来ない。
しかし、それはまだだ。厳しい現実を前にしても、恐らくハヌマーンは屈しはしない。
最近になって見せ始めた片鱗は決して伊達ではなく、将来的には大物になれるだけの器を持っている。それをどう成長させるかはあの二人が考えることで、俺は彼の将来を道半ばで終わらせないように尽力するだけだ。
それに、そんな真似をさせてはシャルル様の負担が尋常ではない。過労による死は働き者によくあることだが、彼もそうなりかねない。
「可愛い弟が死ぬことに比べれば負担くらいなんでもないよ。 それに、もしも僕が苦しければ君は助けてくれるだろう?」
「勿論です。 私は派閥に関係無くシャルル様をお守り致します」
「……やっぱり君は良い人だなぁ」
シャルル様には縁がある。故に、守ることに否は無い。
尤も、彼には優秀な護衛が居ることだろう。今はまだ姿が見えていないものの、何処かで待機している筈だ。
きっと俺の護衛なんて役には立たない。そう思いながらも、力強く宣言した。
そのに対し、シャルル様は静かに言葉を漏らす。その言葉はしみじみとしていて、何か強い感情が漂っていた。