第三部:特異体質
「この度は私の話をお聞きくださり、誠にありがとうございます」
「私で良ければ幾らでも御聞きしますので、どうぞ気になさらず」
「はい。 何か有事が起きれば直ぐに近場の騎士に御声を掛けてください。 精鋭達が全力で守り通しますので」
ハヌマーンと騎士団長であるバーグナーとの会話は非情に堅苦しいものだった。
形式的な場程の丁寧さは求められずとも、彼の性格を読んだ上で適切な語彙を選択せねばならない。俺達だけになった直後にハヌマーンの穏やかな顔は疲労の混じったものに変わり、知らない人間の目には残らないだろうと盛大に溜息すら吐いている。
面倒臭い。顔にはそう書かれ、俺もアンヌも思わず同情してしまった。
相手は決して悪人ではなかった。多少強引な部分があっても礼儀正しく、善人としての振舞いを意識せずとも続けている。
長い間騎士としての生活も続いたのか、彼が纏っている白い制服も非常に似合っていた。
味方であれば頼りになる。その認識は間違っていないだろうし、俺がハヌマーンに尋ねれば同じ言葉が返ってくると確信していた。
だが、味方とするには問題がある。彼は善人があるが故に、多少の悪事も許さない。
王族が悪事を働いていないと疑わず、常に敬うべき相手だと過剰なまでに下手に出ていた。それはハヌマーンに対しても同じで、だからこそハヌマーンは敢えて王族の子供らしく幼くも賢い人間を演じたのである。
本当の彼は面識が無い相手でも丁寧語は使わない。それは自尊があるからではなく、幼い頃から隠されていたとはいえ王族だと知っていたからである。
彼は己の年齢とは不釣り合いな程に場の空気を読む力に長けている。
そして、求めた者の姿に近付ける才能を持ってもいる。彼が学び、経験を積む限り、皆が求める理想の姿に近付いていくだろう。
今回は騎士団長が求める優しき人間を演じた。如何様な振舞いも許し、如何様な言葉にも腹立たしさを感じない。ある程度の線引きはしてあるものの、騎士団長は決してその線を超えることは無かった。
それは本能で感じ取ったからなのか、それとも偶然そうなっただけなのか。
実力が高いのは確かだ。あの場で話をしている間、俺は何処かに意識を割く真似は一切出来なかった。それを行い、もしも彼が突然刃を引き抜けば間に合わなかっただろう。
「王宮の人間は個性的な者ばかりだったが、やっぱり騎士団長も同じか……」
「ハヌマーン様……」
「解っている、アンヌ。 正直予想の範疇を超えていたが、この程度で逃げるつもりはない」
アンヌは心配しているようだが、彼はその程度で折れる人間ではない。
人間関係なんて常に歪なものだ。何処で失敗し、何処で成功するかなんて誰にも解らない。俺がこうなった出来事そのものも予想外に予想外が重なって出来上がったのだから、最早一々気にしていても仕様がないのだ。
ここは前向きに考えるべきだろう。騎士団長の性格は理解したし、同時に一つの手札を手にすることが出来た。
未だ切り札とまでは言い切れないものの、少なくとも頼りになる札とはなる。ただし、俺達がそれを使えるのはハヌマーンに関係することだけ。
相手は理由無くハヌマーンを王子だと認めているが、それは噂を呑んでしまったからだ。もしも誰かがハヌマーンは王子などではないと大声で吹聴すれば、間違いなく騎士団長は声を荒げて確認しに来る筈だ。
「王宮での戦いは任せてくれないか。 ――何故だか解らないが、私には相手の感情が透けて見える」
「透けて見える……ですか?」
「完璧にとは言えない。 されど、時折他人の身体が透けて見えることがある。 そして、透けた胸に感情の色を見ることが出来る」
特異体質な人間は僅かながらに存在する。
遺産のような摩訶不思議な物体が存在するくらいだ。透視能力を持っているような人間が居たとしても、可能性としては決して低いものではない。
だが、実際に目の前でそれを告白されると二の句を告げるのが難しい。
どうして今、この瞬間に俺に対して話したのか。どうして、その力を有効的に使おうとしないのか。
完璧に使えずとも札の中では強力だ。使おうと思えば、幾らでも使い道は浮かび上がる筈。王子としての道を選択せずとも、交渉官として生計を立てることも難しくはない。
「フェイ殿。 貴方の言いたいことは解っている。 ……これに関しては正直、言うべき機会を窺っていたとしか言えない。 私自身が情けなくも言えない瞬間が確かにあった。 だからここまで伸びてしまったんだ。 すまない」
「……いえ、誰とて言えないことはあります。 お気になさる必要は御座いません」
そうだ、彼が決意してからまだ時間は経っていない。
それまでは卑屈な少年であったのだ。隠したいと思う気持ちは当たり前だし、その力を悪用されてしまえば最悪の事態を引き起こされかねない。
隠し事は誰もが持つモノ。それを明かしてくれただけ、彼と此方との間に信頼関係が構築されたと思うべきだ。
それに俺はまだ何も明かしていない。嘘だらけの情報を並べている身と比較して、彼の方が余程高潔な精神をしている。
若干ではあるが気不味い空気が流れた。互いに何を話すべきなのかと言葉を彷徨わせ、しかし場を明るくさせるような話題が浮かばない。
このまま気不味いままとなっては折角の気遣いが無駄となる。――だが、そういう時にこそ女性陣が活躍してくれるのだ。
「はいはい、気不味い空気を流さない。 それよりも今後について幾つか話し合いをしておきましょう」
手を叩き、ナノは皆の視線を集めながら努めて大きな声で気不味さを吹き飛ばす。
今後の話し合い。それは確かに重要で、丁度良い話題だ。このまま自室に引き篭もるよりも実のある話であり、それを邪魔するつもりは一切無い。
ハヌマーンもそれは同じだったようで、頷いて肯定を露にする。アンヌだけはハヌマーンにも向けた言葉に何かを言いたいようだったが、それもナノの一睨みで沈静下させられた。
今この瞬間において、場の支配権を握っているのはナノだ。彼女の言うことを無視しては何をされるか解ったものではない。
「先ずはお疲れ、フェイ。 あんたの活躍によって私達に有利な風が流れ始めたわ。 王もより好意的になるでしょうし、期待されている分の手助けはしてくれるでしょう。 それに、無数の貴族達が私達に意識を向けているわ」
「正体不明の平民集団。 貴族の悪事を暴き、その先頭に立つのは幼い少年。 誰もが彼のことを隠された王子だと疑っています」
「王を継ぐ部分は眉唾にしても、ある程度その噂は真実を内包している。 なら、私達がするべきはその真実を見せ付けることだけよ」
俺達は周りから意識されるようになった。
であれば、周りから干渉される可能性も持つようになる。それは誰もが承知している話であり、今更話をされても反応に困ってしまう。
彼女もこの話自体は既に解っていることだと認識している。よってこれはただの確認だ。
基本情報を共有し、その上で先に進める。常識的な話ではあるものの、それが出来る人間は意外なことに少ない。
「その為にも、次の仕事よ。 最近耳にしたんだけど、騎士達が特殊な外獣を発見したみたいでね。 その討伐に王宮騎士団の精鋭を派遣するわ」
何をするにしても、先ずは成果だ。その為に馬車馬のように使われるのは覚悟していたので、彼女の頼む次の仕事も想像が付いた。
だが――特殊な外獣という言葉に引っ掛かりを覚えるのは気の所為ではないだろう。