第三部:幽霊
「馬鹿な。 斬った場所が修復している?」
「ふ、流石に予想外だったかい?」
脇腹を斬り付け、その後に首を切断する筈だった。
にも関わらず、相手の傷は見事に回復している。それこそ最初から斬られていなかったかのように、彼は何も痛みを感じずに立ち上がった。
予想外だ。彼の言葉は図星であり、しかし誰もが感じることであろう。
その秘密は恐らく武器にある。あの特殊な遺産は複数の機能を所持していると思われるが、そんな遺産は見たことも聞いたことも無い。
考えられるとして、恐らくその機能の根本は一つだ。刀身が透過することも、焔を纏うのも、伸びるのも、身体が修復されることも。
それが判明するまでは彼を殺し切るのは難しい。いや、もしかすれば普通の攻撃方法では突破は不可能なのかもしれない。
長期戦が予想される。
そう思った俺だが、彼はそのまま刀身を元の鞘に戻した。戦意も消え失せ、彼の表情は朗らかなものに変わる。最初に会った頃と同じ様な糸目が此方を見やり、口元は柔らかく弧を描いた。
突然の変化に困惑が深まる。あれだけ此方に対して激情を露にしていた姿からはまるで想像出来ない穏やかさに、より警戒感が強まった。
何のつもりだろうか。そう思う己の思考に違和感など存在せず、幻覚の可能性を加味して痛みに意識を向ける。それでも何も変化は起きず、彼が武器を下げたことは現実なのだと認識した。
男の両手がゆっくりと上がっていく。何をするつもりかと足をどの箇所にでも持っていけるように動かし、剣先は揺れない。
そのまま彼は頭と同じだけの高さまで持っていき――此方を驚かせるかのように大きな音を立てながら手を複数回叩いた。
「いや、見事見事。 此方の札は全て切った訳ではないですが、それでも大分削られてしまいました。 このままでは長期戦となり、体力量の差で此方が敗北してしまうでしょう。 ……なので、今日はここで御終いにしませんか」
「何?」
「元々、今回の事態について私は別にどちらに転んでも構いませんでした。 既に此方は黒字であり、これ以上無茶をして利益回収をしなくとも良かったのです。 貴方が仰る通り、これは危険な商売だ。 故に、目標となる額を集めきれば早々に撤退することも視野に入れていたのですよ」
朗々と語る男の言葉には惜しみない喜びが混ざっている。
利益回収は済み、結果として経営は黒字となった。ならば戦う意義も最初から存在しない筈であり、こうして戦うことはどちらにとっても決して良い事に繋がる訳もない。
「なら何故、此処で戦った。 黒字となったのなら、態々此処で戦わなくとも良かっただろう」
「そうですね。 本来であれば、戦う必要などありませんでした。 私が適当に呼び込んだ冒険者に彼等貴族の犯した罪を世間に暴露させ、その騒ぎに乗じて消えるつもりだったのですから」
冒険者という単語に――――俺はあの時侵入してきた暗殺者の姿を思い出す。
囮として活用した彼は今頃尋問か拷問をされていることだろう。それを助け出す術は存在せず、そもそも助けるつもりも無い。
それに結果論ではあるものの、目の前の男と繋がっていたのなら尚更助ける必要も無かった。きっと男の本来の計画ではあの冒険者に書類を発見させ、それを世間に見せるつもりだったのだろう。
あの書類は本物だ。何処かの街で常駐している騎士達にその書類を見せれば、間違いなく報告が王宮に居る騎士達に届く。
そしてそのまま全体の管理をしている公爵達にも伝わり、最終的には裁きを下されていたに違いない。
やり方に若干の違いはあれども、最終的に行き着く先は一緒だ。そしてこいつが潰そうとした理由は、一重に自身の足跡を無くしたかったから。
残したままでは貴族側が再度接触し兼ねない。それを防ぐ為に、彼等には牢屋の中で死んでもらう計画だった。
「貴方の存在は私にとって予想外でした。 彼等の黒い噂が世間に流出していたのは知っていますが、それを馬鹿正直に調べるような者はまったく居ません。 ――つまり、それを調べるだけの確証を貴方は集めきった」
「…………」
「今回の一件で最も困るのは平民ではありません。 貴族であり、引いては王族です。 であれば、貴方はそのどちらかから頼まれて此処に来た訳ですね?」
「どうかな。 確証が無い以上は、ただの善意の使者という線もあるぞ」
男の言葉は鋭い。鋭いからこそ、俺の言葉が虚勢であることも容易く見抜く。
それはないでしょうと肩を竦める姿はかなりの自信を持っているようだ。それを知ってどうするというのかと尋ねようと思ったが、それを聞いた時点でどちらかの命令を聞いていると証言したようなもの。
俺に出来るのは例え虚勢であると見抜かれても、言葉を噤んで真実にさせないこと。相手が確信を抱いているだけなら真実とはならない。
他の情報と合わせて初めて真実となり、彼はそれを有効的に扱えるのだ。
「ああ、安心してください。 別にそれで貴方や雇い主をどうこうはしませんよ。 言ったでしょう、私はどちらに転んでも構わないのだと。 寧ろ逆に貴方の手助けをしても良いくらいだ」
「手助けだと? それこそ戯言だろうが」
あれだけ悪事の手助けをして、此方が断りを入れても彼は提案を止めない。
商魂逞しいというよりは、別の目的を持っているのは明白。その理由を明かしたとしても此方は手助けを望まないし、将来的に更に悪事の手助けをするのは目に見えている。
此処で斬ると宣言したのだ。一切の慈悲を掛けず、如何なる提案も呑まず、悪の芽を摘み取っておく。これで全てが無くなる訳ではないものの、目の前の男が所属しているだろう商店はこれで警戒する。
警戒して多少なりとて鳴りを潜めるだろうが、それでも同じ手法を行ってしまうのが人間だ。ある意味で成長が無いとも言えるし、努力の方向を間違えている。
甘い蜜に釣られるのだけは断じて認めてはならない。それで堕落してしまえば、人間は戻ってくるのが難しいのだから。
「戯言ではありません。 求める者に手を差し伸べるのが表の我等の活動方針。 貴方の活動は危険なもので、貴族や王族が背後に居ながらそのような活動をしているあたり――きっと貴方の背後に居る人間が握っている権力は少ないのでしょう」
王族の中でも異端であるハヌマーンの権力は現状において零である。
正式な発表をしていない限り零のままであるし、結果を出さねば家族の誰もが発表しないだろう。
そんな者が結果を出すには、真っ当な方法では無理だ。それこそ大金星と謳われる程の成果を出さねば、誰も一先ずの理解を示してくれない。
彼の言葉は全て正しい。そして、その観察眼が恐ろしい。一体どれほどの経験を積んだのか解らぬ程に、彼の思考は脅威的だ。
同時に思うのは、もしも彼が味方であったならばというもしも。
彼は逸材だ。敵だからこそ、その評価に余計な付加は与えない。このまま彼が順当に観察眼を育てていけば、歴史に名を残す者になる可能性は否定出来なかった。
「今貴方の側に居る味方は恐らく多くは居りますまい。 ここで私の手を取れば、少なくとも物資という面において不足は無くなります。 私としましても御贔屓にしてくれる太客が出来ますし、どちらにとっても悪い話ではありません」
あくまで取引。その姿勢を崩さないで告げる彼に向かって、俺はナイフを投げた。
ナイフはそのまま彼の身体に突き刺さり、多量の毒を流し始める。しかし、彼はそれを何でもないように引き抜き、傷も即効性の毒も全て無力化させた。
「これが俺の答えだ」
「成程。 残念ですが今日は此処で引き下がるとしましょう。 しかし、私は如何なる方法を使ってでも貴方に商品を買わせてみますので、そのおつもりで」
指を一回弾く。途端に彼の身体に焔が駆け巡り、次の瞬間には焔が消えると同時に彼の姿も消えた。
残されたのは戦闘の跡に、傷を負った俺だけ。不安を残す結末を変える術を今の俺は持ってはおらず、消えた後を暫く見つめてから王宮に向かって走り始めるのだった。