第三部:妖刀
刀身が左右にブレている。
本人は一度も身体を動かしていないというのに、武器だけが怪しげに動いているのだ。まるで意志を持っているかのように揺らめく様は普通とはかけ離れ、警戒感を嫌でも引き出させる。
遺産であるのは明白。だが、その遺産が一体どのような機能を有しているのか解らない。
攻撃的な機能を備えているのか、はたまた本人の身体能力を補助する機能を有しているのか。見た目だけでは一切予測出来ないのが遺産であり、攻め方については考えねばならなかった。
そもそも、何故相手は遺産を所持しているのか。あれの希少性は言わずとも知れていることで、だからこそ誰も彼もが使わずに保存することが多い。
当たり前のように腰にぶら下げているなど本来有り得ず、その無警戒が逆に周囲の視線を集めなかったのだろう。
「遺産……」
「こいつは最近別の国の遺跡から発掘された代物でね。 中々に使えるから特別に譲ってもらったんだ。 良いだろ?」
一度、二度。
剣を振る度に怪しい紫の焔は激しさを増し、さながらそれは人魂そのもの。
実際に見た訳ではないが、本で登場するようなモノと一切変わらない。この世の物とは思えぬ見た目に自然と視線は刀身に吸い寄せられ、二の足を踏んだ。
相手はそんな俺を見て、笑みを深めた。足を踏み込み、此方へと一気に突撃を開始する。
何の考えも無いような突然の行動だが、遺産が遺産だ。どのような効能を持つから解らず、しかしてそれを調べる為には此方もぶつかり合う必要があった。
右肩から左腰に抜けるような斬撃に沿わせるように剣を当てる。鍔迫り合いを嫌った刀身同士の激突に持ち込み、相手の回避を誘う。
だが、相手はこれまでとは違ってそのまま剣を振り下ろした。――――その瞬間に起きた事象は、一瞬ではあるが訳が解らないものだ。
鮮血が舞う。この戦いの中で初めて血飛沫が噴き出し、その対象は彼では無く俺だ。
「……何でッ」
刀身は一部もズレてはいなかった。確実に激突する状況であったにも関わらず、相手の剣は此方の剣をすり抜けた。
まるで最初から俺の剣など存在しなかったが如く、身体は見事に切り裂かれたのだ。
身体に走る激痛は予想外のもので、それでも致命傷にまで至らなかったのは半ば反射によるものだった。
一度後退し、腰の回復薬に口を付ける。
傷が塞がっていく感触を実感しながら相手の剣を見ると、その剣には一切の血が付いていない。最初の時のまま、彼の武器はその場にあり続けている。
「――刀身が透けている?」
「お、良い線行ってるね。 正確にはちょっと違うんだけど、まぁ頑張って対処してみなよ――ッ!!」
状況は彼に有利だ。透ける刀身など一見すればあまり脅威にはならないかもしれないが、実力のある剣士が振るう攻撃を防御出来ないという事実は重い。
盾を構えても通ってしまい、防壁に逃げ込んでも切り裂かれる。唯一の対処は距離を取ることのみで、それは彼も理解の範疇だろう。
接近戦に至っては更に此方に不利だ。回避を強要する武器など極悪でしかなく、唯一の救いはその機能と俺の攻撃手段が完全に勝敗を左右するものではなかったことである。
俺の攻撃方法は速度に任せた攻撃。当然ながら防御よりも回避を優先する戦い方を軸とし、その点で言えば彼の剣は確実に負けてしまう程の脅威を持っている訳ではない。
避け、避け、回り込み、足元を払うように剣を振るう。
それを相手は跳ねて回避するものの、空中ではまともに移動など出来はしない。そのまま彼の足を掴んで刀身で腕を傷付けられる前に全力で地面に投げ飛ばした。
「やれるか……?」
零れた言葉は、俺の心に湧いた確かな本音だ。
剣は警戒すべきではあるが、相手側の基本能力が高くない。これで俺と同等であれば苦戦していたものの、純粋な実力では此方の勝利は揺るがないのだ。
相手もそれは解っているのか、地面に打ち付けられた背中を擦りながら立ち上がる。痛みを堪える表情をしているあたり、透けているのは刀身だけなのだろう。
決して身体そのものが幽霊のようになった訳ではない。それが解れば攻撃の術はある。
「やっぱり基本性能では負けが見えていますか……。 遺産があっても私がこの様じゃ負けは見えているなぁ」
「だったらさっさと死ね。 お前の背後を洗いたいが、流石にそれだけの時間は無いからな」
「でしょうねぇ。 僕も自分の所属する商店の証拠は残さないつもりですけど。 ――貴方が私と契約をしてくれれば最高なんですが」
「寝言は寝て言え」
相手の主張など此方は一切受け入れない。
全てを切って捨てる俺に、相手は呆れたように天を仰いだ。
「人情ですか。 それだけで食っていけるなら私は何も言いませんが、世の中は決して人情だけで全てが解決する訳ではありませんよ。 貴方もあそこを調べたのなら解っているでしょう? 世の中には悪徳によって救われている人間がいることを」
「闇市が開催されていることで市場に行けない人間達が買い物をするようになった。 そのお蔭で長距離を歩かずとも村との間を往復出来るようになり、助かっている人間は無数に居る」
人々の常識に照らし合わせるならば、闇市というのはやはり不正品が売られている場所だ。
奴隷もそうであるし、御禁制の商品も確かに売られている。冒険者の活動の中には御禁制が売買されることを阻止する仕事も存在するし、表面だけを見れば人々が嫌う場所であるのは言うまでもない。
だが、同時に闇市では様々な商人が売られているのだ。定価よりもいくらか高いとはいえ、食料品も道具類も販売されている。
それによって生活が成り立っている村も存在しているからこそ、潰し切ってしまえばその村が困窮に喘ぐだろう。
闇市の発端は悪からだが、その悪によって救われた人間が居るのも事実。それを否定するのは、現実を見ていないのも同然だ。
「だが違法は違法だ。 取り締まるべき人間は取締り、そうではない店はそのままにしておけば良い。 闇市を普通の市場に変えてしまえば人も物も更に増える筈だ」
「……馬鹿だねぇ。 そんなことが出来る訳無いじゃないか。 そもそも闇市が誕生した理由には王族が関与しているんだよ?」
「何?」
「今でこそ多数の禁制品が闇市には出回っていますが、始まった当初は王族が規制を掛けて独占した商品を出回らせていました。 王族による独占など到底納得出来るものではなく、ましてやそれが己の欲を満たす為であると知れば……誰であっても理解など出来はしないでしょう?」
「あの王族達が? とてもではないが信じられないな」
「王族といっても所詮は貴族。 平民を虐げる感性は健在なんですよ」
初めて、男は表情を笑みから違うものに変えた。
唾を吐いて嫌悪の表情を見せるその様には彼自身の恨みが垣間見え、それが本人の性根に繋がっているのだろう。
彼もまた、他の平民と変わらず貴族達が嫌いなのだ。嫌いだからこそ悪に走り、貴族達を利用して己の地位を高め続けている。
そして、貴族もそんな平民の事など知らずに虐げ続ける。何時か訪れる崩壊になど知らないまま、貪れるだけ貪り続けるのだ。
彼が貴族達に協力しているのは、貴族達が吸う筈の蜜を横から多少なりとも奪う為。それによって別の誰かが死ぬような目に合ったとしても、彼は一切気にしない。
平民の人生は一歩間違えれば即死だ。非情にならねば悪を成すことなど出来はしない。――ある意味彼は覚悟して商人という仕事に付いていた。
それを否定するのは、俺には出来ない。だから、愚直に剣を前に出す。
「お前の言葉には幾らか理解出来るものがある。 だが、それで今回の事態を見逃すつもりはない」
「そうだろうね。 きっと君は幸せな人生を歩んだのだろうさ」
此方を馬鹿にするような目に、心は一瞬だけ憤怒に染まった。
楽な人生など一度も無かった。幸せな人生もまったく築けなかった。幸せな人など、俺にはまったく想像出来ない。
だが、幸せな人生を歩んでいる人間はそのままで居てほしい。そう願う心は確かで、だから憤怒は一瞬で済んだ。
戦うのだ。この男を殺し、その性根を生涯に残さない。より明確となった目的に、頭は酷く冴え渡った。