第三部:益の鬼
剣撃がぶつかり合う。
それこそが戦いの始まりであると思っていた俺は、相手が回避の姿勢を見せた姿に少々の驚きを得る。
相手は此方の剣を滑るように通り抜け、反撃の一撃を見舞う。その動作は流麗で、やはりこの国で見るような剣術の類ではない。
舞いだ。彼の攻撃方法は踊りや舞に相当し、その動作を取り込んだ手段は中々に戦い辛い。
だが見えない程の速度で振るっている訳でも、此方の剣を壊してしまう程の力で振るっている訳でもない。
言ってしまえば彼の動作は物珍しいから対処に時間が掛かっているからで、相手の動きの流れを掴むことが出来れば対処も可能となる。
それはあくまで現段階ではあるが。
小さな穴に糸を通すような繊細な攻撃。剣をぶつけたくないのは、やはりその剣が脆いからだろう。
「ほうら、どうだい」
「……ッ!」
下から上への切り上げを回避し、丸腰の胴体に剣を横凪ぎに差し込む。
その動作を相手は半歩後ろに下がることで避け、振り切った俺の頭上から頭を割るような振り下ろしが迫る。その一撃を剣の横凪ぎに合わせて回るように横に回避し、そのまま力任せに再度剣を横に振った。
必然的に回転斬りとなる攻撃に彼は慌てる様子も無い。自然な動作で身体を前に傾け、胴体を狙った攻撃は空を切る。
明確な隙となった状況ではあるものの、過剰なまでに前に傾いている以上剣は振れない。
足を曲げ過ぎている。体勢も悪く、そこから無理に剣を使っても速度も威力も出てはこないだろう。
だが俺も状態としては同じだ。回転斬りに威力と速度を乗せるには、自身の力を乗せる必要がある。それを回避されれば、乗せた力の分だけ此方が振り回される。
それを強制的に止めれば、やはり次の攻撃には繋がらないのだ。俺は背後に飛び、相手は此方を追わずにそのまま立ち上がった。
「良い剣だ。 そこらの冒険者とはまるで違う。 この分では私の方が負けるでしょうね」
「同じ予想だ。 アンタの剣術は見事だが、動作が遅い。 ――――冒険者、ではないな?」
相手の実力は見事。ランクにして四か五は固い。
だが、そこまでだ。冒険者として活動することは難しくないものの、かといってそれ一本で生計を立てるには些か以上に準備が不足している。
相手は此方を追ってきた。そして、此方の足を止める為に弓を使っている。あのまま遠距離で攻め続ける方が有利なのは明らかなのに、彼はその選択肢を簡単に捨てた。
冒険者であるならば絶対に取らない選択だ。だからこそ冒険者ではないと指摘し、彼はその言葉に否を言わずに首を静かに縦に振った。
「ご明察。 私は冒険者ではありません。 いえ、冒険者めいた活動もする時はするのですけどね? 本職は商人なんですよ、私」
「商人? ……成程」
武器を携帯しているとはいえ、実力は高くない。そのクセ、彼の身形は非常に良い。
多額の資金を持っているのは明白で、冒険者だけでは彼の装備を全て用意するのは無理だっただろう。
だが、貴族であるようにも見えなかった。全員がそうであるとは言わないが、やはり貴族と呼ばれる存在は武術に関する物にはあまり手を出さない。
それこそ道楽か、昔ながらの役割を担っているのかでなければ無理だ。俺の居た家のようでなければ、貴族の殆どは領地運営をするだけだろう。
商人という男の言葉は信用には値する。だが、所詮は信用するだけだ。信頼には到底足りていないし、言葉だけで全て納得する筈も無い。
商人であるという事実も、まだ彼の言葉だけだ。
「今回此処に来たのは、あの貴族達の世話をする為か」
「ええ。 必要な道具や商店の紹介などなど、我々が行える支援は全てさせていただきました。 ああでも、流石に人肉は流通させてはいませんよ? あれは彼等が治めるあの街の中だけです」
「止めることも出来た筈だ。 そこまで益が欲しいか」
商人は利益を追求する者。その言葉に照らし合わせるなら、あの貴族の元に居た時点ではかなり稼ぐことが出来ただろう。
あの牧場を維持する為には大量の物資が必要となる。その大部分をこの男が所属する商人が用意し、これまで協力をしていた。
彼等にとっては利益が全て。その為には時に違法行為に手を出すことを厭わない。
まさしく彼の言葉は商人らしさに溢れていた。人々に露見されない程度の悪事を働き、表では清廉潔白な店を掲げる。
世の人々が求める物を用意する商人だからこそ、その違法行為を止めることは中々に難しい。
だが、今回それが露見した。彼の背後にある商店の情報を掴めれば、店の取り潰しに発展する事態となるのは想像に難い。
俺の疑問の声に、何を当たり前のことをと口元は弧を描く。
「世の中は金金金ですよ。 金が無ければ食べるのも飲むのも出来ず、ましてや人らしい生活も出来ません。 何をおいても先ずは金。 その為に法を裏切るなど、当然ではないですか」
「……商人らしい。 安心したよ、これで遠慮無く斬れる」
人が護るべき法を無視した者に人らしい扱いをする必要は無い。
彼もそれは解っている筈だ。法を犯してでも益を手にした以上、それが露見すれば人らしくは扱われない。
何処までも犯罪者として扱われ、彼はこれから先の人生を暗闇の中で生きるのだ。
彼が背後の商店の中でどれほどの地位に居るかは定かではない。だが、如何に上の立場であろうとも周りが彼を排斥する。
自分達は彼に唆されただけなのだと、そうやって逃げるのだ。
人の生きようとする意思は異常だ。異常だからこそ、これまで繁栄することが出来た。無数の知恵の中で善も悪も横行したからこそ、俺達という今がある。
彼もまた同じだ。彼は人間の悪徳をこそ素晴らしいと褒め称え、俺は人間の徳を素晴らしいと褒め称えている。
衝突は必至。どちらかが死ぬまで戦うのも必然。――――だが、俺の構えに彼は手を前に突き出して待ったをかけた。
「まぁ待ってください。 此処に来たのは確かに貴方を止める為ではありますが、それはあの貴族達の命令です。 私の意思は別にある」
「何?」
「取引をしませんか。 私が生き残る為、貴方が贔屓される為、契約するんです。 そうすれば貴方は質の良い商品を格安で手に入れることが出来る。 魅力的でしょう?」
こいつ。
思わず柄を握る手に力が籠る。自身の保身の為に、更なる利益追求の為に、俺を金で釣るつもりだ。
己の悪事に欠片も良心の呵責を覚えず、ただ商人として話を持ち掛けている。俺が此処で断るだろうことも見越して、彼は僅かな選択肢を拾いに来た。
確かに、冒険者にとって格安の商品は魅力的だ。それが永遠に続くのであれば、手を結ぶ輩も出てくることだろう。
だが、俺に対してその選択はするべきではなかった。俺がこうして此処に居るのは、ただ仕事としてではないのだから。
返答は走破。己の全力で彼へと迫り、そのまま剣を振り落とす。
大きく振り被った所為で隙が大きくなったものの、そもそもの練度が違う。お互いの技量には明確な格差が存在し、現に俺の行動に初めて目を開いた。
金色のその目は、俺の髪のように綺麗な物ではない。悪意に汚れた金に価値など無く、慈悲も容赦も掛けずに剣を振るった。
だが、相手は限界間近で背後に跳ねて回避した。
肩口から腰に至る部分の服が切り裂かれながらも、肌にまでは到達していない。しかし斬られた事実こそが重要であって、勝負の決着にまでは然程気にしていなかった。
「アンタは交渉が下手だな。 俺が最初からその気が無いことくらい簡単に解るだろうに」
「やっぱりそうなるか……。 これだから金で動かない人間は面倒なんだ。 ――仕方ない、此方も札を一枚切ることにするか」
交渉にもなっていなかったが、決裂したと判断した彼はゆっくりと立ち上がる。
その手に握った刀身からは紫の怪しい焔が仄かに灯り始め、やがて刀身全てが焔に包まれていく。
怪しさを感じさせる刀身は手に触れる事に躊躇を覚えるものの、こういった品物については戦闘の経験がある。
油断せず構え、新しい遺産の存在に意識を集中させた。