第三部:不自然箇所と嫌悪感
街で騒ぎを起こす訳にはいかない以上、結局のところ付き合わねばならない。
胡散臭い男の助言を聞きながら宿屋を決め、俺は二日だけ宿泊することを決めた。彼には暫く観光もしたいと理由を告げてあるものの、この二日が経過すれば即座に宿泊する宿屋を変更する予定だ。
必要経費としての資金は冒険者時代の物を使う。ハヌマーンからは資金提供の話があったが、まだ何の成果も出していない俺が受け取る訳にはいかない。
丁寧に断り、俺はなるべく冒険者として違和感の薄い下位寄りの宿屋を選択した。
最初の宿屋と比較すれば良いものの、設置されている家具達は港街の物と比較すると質が良い。とはいえ、防犯に向いている材質ではないのは確かだ。
冒険者であれば破壊可能な木材の棚を見つつ、閉め切られた窓の木扉を開ける。
外の風景は穏やかだ。
初めて訪れた人間が定住する候補の一つに数えてしまう程、この街は平和が流れている。
だが、それは何の疑念も持たねばの話。あの男の助言も含め、裏を知っていると違和感を覚える部分は多く存在している。
先程も挙げた肉屋の多さ。それと比較して少ない商店の数々。
不必要なまでに資金を注がれた一部建物に、行き交う人々の表情は何かを隠していた。
誰かの見えない圧政が此処にはある。それはこの国にとって不要な圧であり、取り除かねば次第にこの街には不和が広がっていくだろう。
貴族は平民に支えられている。これは常識であり、構造上絶対に起こり得ることだ。
そもそも己一人で全てを成し遂げる事など出来ず、常に誰かに支えてもらわねば生活など出来よう筈も無い。
「おかし過ぎるだろ、なんだよ此処」
そうだ。この街はあまりにも不自然が過ぎる。
平民は貴族の生活を支え、貴族は平民の生活を支えるものだ。それをせずして安穏は訪れず、支配だけでは何れ崩壊する。
現にこの街では既に不和を感じ取っている人間が居た。その人物が秘密裏に行動し、何処かの機会で爆発させれば直ぐに国にも情報が回ってくるだろう。
限界は近い。その前に穏やかに終わらせなければ、大規模な騒乱となりかねない。
宿屋へと行く前に適当な商店で購入したこの街の地図を見る。邸宅があるのは北の方で、牧場は正反対の南だ。
商業区画と居住区画とこの街は役割によって明確に分割されているようで、面積は商業区画の方が多い。ギルドも商業区画に入り、かなり巨大な面積を占有していた。
その図を眺めていれば直ぐに解る。この街には鍛冶屋が居ない。
全ての街に鍛冶屋があるとは言わないが、中規模以上のギルドがあれば鍛冶屋があるのが常識だ。数多くの冒険者が武器の修理や製造を依頼する時、鍛冶屋が近くに無ければ拠点を移すことも有り得る。
その鍛冶屋が近くには無い。
考えられるのはギルドの広大な面積の中に収められているくらいだが、そうだとすると鍛冶屋はギルドと領主に土地代を払う必要が出てきてしまう。
この街は広いものの、端まで行けば流石に人気の無い場所もある。そこで鍛冶屋を開けば土地代も少ないだろうし、周辺への迷惑も少ないだろう。
街中で鍛冶屋を開くのは苦情の素となり易い。もしもギルドが保有する土地に鍛冶屋を置かせているのであれば、担当者の常識を疑う事になる。
今日の夜に早速調査をするが、このギルドには立ち寄るつもりは無い。
鍛冶屋の存在を探す事など日中で十分だ。冒険者として活動していれば違和感も無いに等しい。
故に、気にすべきは南の牧場だ。
数多くの街の肉事情を解決する牧場は数が多く、正方形の柵も広い。
一人で運営するのは不可能であり、それがこの街の大きな資金源となっているのは確かだ。もしもこの牧場が停止すれば、国に大打撃となるのは間違いない。
大切な牧場故に管理も徹底しなければならないのだが、貴族としては中々関わり合いになりたくない事業であるとも言える。
牧場は必要不可欠とはいえ、どうにも見栄えとは無縁だ。
煌びやかな宝石や功績のみを至上と求める者達からすれば、糞や尿が隣にある事業というものは嫌悪して然るべきだ。王族からの直接の命令でもなければ何処か別の貴族に任せてしまうだろう。
牧場の規模と比較して、貴族の爵位も低い。平民からすれば全員が雲の上の人物ばかりだろうが、一度でも貴族社会を経験すると爵位の格差を理解してしまう。
この牧場は男爵や伯爵に任せて良いものではない。
低くても侯爵。最大でも王族が行うべきで、彼等の忌避の心が透けて見えてくるようだった。
それだけに今は丁度良い。潜入するにしても、貴族の手が入り難い場所であれば抜け穴など無数に存在する。
加え、現地の人間を協力者としなければならないのであれば牧場の人間は最適だ。
最もこの街の闇が見える立ち位置を持ち、最も貴族達が処理し易い立ち位置も持っている。二つの条件が彼等を縛り、苦しめている筈だ。
同じ協力者としていれば話は別であるものの、件の黒幕達は自身の贅沢の為に金を搾り取っている。
そんな連中が平民と協力関係を築くとは考え難い。何かしらの方法で家に帰らせないようにし、反逆の手段を潰して酷使しているだろうことは簡単に予測出来る。
そんな者達と協力関係を結ぶ事が出来れば、此方にとって有利に事が進めることも出来るだろう。その手段はもっと後にするつもりだが、選択としては十分考慮すべきことである。
備え付けのベッドに横になり、目を閉じる。
今日は鍛錬も戦闘もしていなかったが、夜になれば嫌でも身体を酷使する筈だ。周辺を見回る私兵や番犬を配置して侵入者を警戒しているだろう。
人間を欺くだけならば然程難しくはない。簡単ではないが、意識を逸らす手段はある。
問題は動物だ。よく訓練された動物であれば例え餌をぶら下げられても噛み付いてくるだろうし、彼等の資金があれば質の良い動物を購入することも可能だ。
牧場は彼等にとっての大きな資金源。流石に手を抜くことは無いだろう。
「……起きたら、何か食べるか」
直ぐに動けるように持ち込んだ荷物から干した肉や果物を机に置いておく。
装備はベッドの下に置き、剣だけはベッドの端に立て掛けた。警戒しながらの生活は負担が多い。
どれだけ警戒していても、何時かは糸が途切れて深く寝入ってしまうだろう事は想像に易いのだ。なるべく早く情報を集め、決定的な証拠を持って王都に帰還する。
それが俺にとって最も負担を少なくする方法であり、同時に最も難しい方法でもあった。
騎士らしさとは無縁の行動だ。最後に内心で呟き、目を瞑った。
意識を僅かに外に向かせ、意識は浅く沈み込む。深い海に入り込まないように調整しながら寝るのは慣れているものの、簡単ではない。
――そしに、浅い場所では見たくもない夢を見てしまうのだ。
それは俺の願望を形にしたものばかりで、決して叶いはしないのだと突き付けてくる。
家族愛に溢れた生活。騎士として誇らしく生きる生活。愛する誰かと寄り添い、家族全員に祝福される生活。
求めているモノは全て虚像で、実像になってはくれない。
だから浅い場所に居るのは嫌いで、深く潜りたくなってしまう。そうすれば夢を見ることも無く、断絶した意識がいきなり覚醒してくれるのだから。
眠る事は嫌いではない。だが、眠った先で夢を見ることが大嫌いだった。その夢を正確に記憶してしまうことも、どんな風に想像してもその通りになってしまうことも、俺にとっては総じて嫌悪の対象だ。
だからどうか、早くこの仕事が終わる事を願う。その想いで、俺は見たくもない夢の世界へと身を投じていくのであった。