第三部:腐った土地
その土地は汚染されていた。
人々の絶望によって、人々の欲望によって。緑の多く生える土地は薄黒い土を剥き出しにした腐った風景を露にしている。
最早隠し通そうともせず、土を少しでも掘り返してみれば痩せ細った死体が顔を見せてくれることだろう。
かつてを思い出させてくれるのは、領地に流れる川だけだ。
その横を借り受けた馬で走りつつ、遠目に見える街に視線を向けた。
件の話をハヌマーンとアンヌに行い、無事に許可を取った後に即座に準備を整えて王宮を飛び出した。
なるべく目立たないように外に出たが、現在話題の中心となっている俺達が行動を起こせば直ぐに誰かが様子を見る。一応は王子の客人扱いを受けているものの、身形が平凡であることからどのような繋がりを持っているのかと皆気にしているのだ。
王宮内の生活は窮屈で、息が詰まる。
何時かは慣れねばならないとしても、普段から自身の予定だけを決めれば良かった生活をしていたせいで中々に慣れてくれない。
だから外に出れたのは非常に助かるのだが、向かうべき場所は決して明るい雰囲気を漂わせてはいなかった。
それこそ外獣蔓延る廃村に近く、改善を施させねば他所から別の外獣が住み着きかねない。
建築物に住み着く種類の外獣は、基本的に群れで活動する。一体一体が弱いものの、数に任せた集団攻撃は決して侮れない。
そして一番の問題は規格外の生殖能力だ。同種から生まれることは勿論、様々な種族との間にも子供を作ることが出来る。
大型ではない個体しか誕生しないからこそ、彼等は彼等なりに必死に生存戦略をこなしているのだろう。
「まだ近くには引っ掛からないな」
王宮からこの土地に辿り着くまでには時間が掛かる。
その間に外獣の襲撃を受けたとして、件の街に防衛しきる力があるとは思えなかった。
仮にあったとしても、小型であれば簡単に隠れることが出来てしまう。全てを潰したと勝手に判断して引き下がれば、後々惨劇が起きるのは決まっていた。
だが、現時点では人間とは異なる感覚を拾うことは無い。別の道中では何回でも拾う機会があったものの、姿を隠して此方に危害を加えようとはしてこなかった。
徐々に徐々にと街へと接近し、その賑やかさに違和感を抱く。
街の雰囲気は最悪の筈だ。にも関わらず、門番の先で動き回る人々の表情に憂いは無い。
至って普通。何の手を打たずとも、彼等は暮らしていける。
そんな顔ばかりが並んでいるのを目で捉え、門番近くで降りた。
「止まれ」
「冒険者だ。 身分証はこれを」
「拝見する。 ……中々の実力だな」
「港町の方で冒険者をしていてな。 今は良い仕事が向こうに無いからこっちに来たんだ」
「成る程。 我々としてもなるべく高位な冒険者が街を利用してもらえると助かる。 依頼については保証出来んが、治安は良いぞ」
「解った」
俺の身分証は正規の物だ。簡単に通過し、馬を公共の施設に預ける。
他の馬達を見るが、発育に異常は見られない。極端に線が細くも太くも無く、普通の馬が並ぶばかり。
恐らくは外部から来た他の者の馬達だ。これを見ても手掛かりの一つも手には出来ない。
調べるべきはやはり街そのもの。そして、本番は貴族の住む邸宅だ。
街並みは王都程賑やかではない。かといって寂れている訳でも無く、田舎町と比較すれば遥かに人が多い。
人の波を一直線に進みながら店を眺めてみると、どうにも肉屋が目立つ。
雑貨屋にも肉が吊らされる形で販売され、長方形の木板に書かれた値段は非常に安価だ。
立ち寄る人間の数も少なくはないし、皆笑顔で買っていく。種類も豊富で、確かに大規模な農場が領地にあるからこその販売方法だと言える。
此処で生産された肉は大部分が干し肉となり、冒険者や商人達の携帯食となるのだ。その過程で発生した要らない部位を街に流し、腐ってしまうのを避けたのだろう。
合理的であり、消費者側からすれば有難いことだ。
喜ばない道理が無いものの、さりとて俺は肉屋の主人の表情に違和感を覚えた。暫く眺めていると、客が肉を買っていく度に一瞬だが眉を寄せている。
本来であれば売れた事実を喜ぶべきなのに、あの肉屋は肉が売れている事を素直に喜べないでいる。
その理由はきっと、あの手紙の通りだろう。
隠蔽の為の人肉販売。あの店主はそれを知っていて、望んでいないのに売り続けている。
発覚すれば評判を傷付けるなんてものではない。客の一部が肉屋を破壊するのは勿論、店主を殺害しかねない。そして、それは他の肉屋も一緒だ。
毎月一度の税金徴収。それは違反行為ではあるものの、裁くのは難しい。
違反側が証拠を抹消していれば真には出来ず、自身の権力や繋がりのある人間を使って即座に排除に乗り出してしまう。
その相手を排除したとしても、解決する可能性は皆無だ。寧ろ時間を稼がれ、更に真実は遠退いていく。
あらゆる罪を裁くとして、証拠の有無は当然だ。
それが無ければ認められないとされることばかりなのだから、何も税金だけに括る必要は無い。
しかし、帳簿だけの情報というものを証拠にされると厄介度は格段に増す。
中でも税金は必要書類が多く、誰もが重要な物であると厳重に保管する。そこから盗み出すのは至難の業だ。専門職でも貴族の家に入るのは躊躇するのだから、彼等が如何に己の利益を隠すことが上手いかは言うまでもない。
だから正直な話を言えば、俺は貴族の問題事に首を突っ込みたくはなかった。
それしか方法がないと解っているから行動に移しているものの、その必要が無ければ敵対貴族にでも情報を流して後を任せていた。
そちらの方が事を簡単に纏められるし、騒ぎを大きくすることもない。
「こりゃ、夜の行動を中心にするべきかな……」
昼の間に全てを片付けられるのならば何も問題は無かった。
だが、人々の生活は決して地獄の如き様相を見せてはいない。このまま活動したとしても怪しまれるだけだ。
どれだけ巧妙に隠したとしても、昼という目立つ時間では誰かに目撃されかねない。怪しまれて刺客でも放たれれば、流石に時間が掛かり過ぎてしまう。
夜の時間なら活動範囲を広げられる。夜目はこれまでの生活の中で鍛え上げたので問題も無い。
なるべく早めに仕事を終わらせたかった身としては、そちらの方が寧ろ都合が良かった。
肉屋も、食料生産源の牧場も、元凶の住む邸宅も、夜間であれば全ての活動を停止させる。護衛は居るであろうが、俺が入り込んでいるのまでは流石に解ってはいまい。
だが、時期が長引けば誰かが調べていると勘付かれてしまう。
時間を掛けたくはないというより、これは時間を掛けてはならない仕事だ。
ーーーー面倒が過ぎる。
弱音など論外ではあるが、素直な感想が胸に広がった。
そのまま周囲の観察を行いつつ、一際大きな建物を視界に納める。
黒曜石を用いたと思われる黒い建物は他の木造家屋よりも巨大で、嵌め込まれた硝子の数から見るに、三階建ての貴族の邸宅じみている。
しかしその建物の印象とは裏腹に、出てくる人間は野蛮な印象の残る男や女ばかり。
中には華やかな格好をしている若い男女が居るものの、その華やかさは戦場で発揮される類の代物だ。
冒険者ギルド。これで三つ目となる施設だが、圧倒的なまでの差に何も言えない。
領主や有識者によって金の注ぎようは千差万別ではあるものの、此処の街は過剰なまでにギルドに入れ込み過ぎている。
その資金が何処から流れているのかを想像しつつ、これまでの物とはまた違う感触の扉を押し開けた。