第三部:白色の紙
用意された一室は、王宮内において相当な地位の人間が職務を行う場所であった。
綺麗に整頓された書類の束。ギルドで見るような山積みの書類は無く、棚に本の形で収められた書類は余程の綺麗好きと見える。
王宮の一部屋であれば整理整頓は基本かもしれないが、見る限り埃の一つも見えはしない。
青いカーペットは足の衝撃を柔らかく吸収し、花々の彫刻がされた黒の机は冷たさを帯びている。窓にはガラスが嵌め込まれ、カーペットと同色の青いカーテンが両脇で留められていた。
カーペットの外に見える床や壁は全て石造りだ。大理石は王族くらいでなければまともな数を用意出来ないので、滑らかな石を敷き詰めているのだろう。
ただ、その石を用意するだけでも莫大な予算が必要だ。一体この王宮には如何程の資金が投じられているのかと思いつつ、机の上に腕を置いていた男性に目を向けた。
「おはよう。 どうだ、我が王宮の寝心地は?」
「素晴らしいものでした。 今回はありがとうございます」
「構わん、構わん。 どうせ先代が用意した無駄な部屋だ」
席に付いていたのはワシリス王だ。
彼には似合わぬ席に座っている様子を見るに、最上位者に席を譲っている。本当の部屋の持ち主は恐らく彼の横で頭を下げている人物で、プラチナブロンドの初老の男性がやはり豪奢な衣服を纏っていた。
銀縁のモノクルを右に装着し、瞳そのものは黄色に近い。差し込む光は知性の輝きに溢れ、一目見るだけでも智謀を持った人物だと察する事が出来る。
彼は頭を上げ、此方に向かって柔らかく微笑みを形作った。それは誰がどう見ても友好的なものだろうが、一定の線を超えた実力者であれば嫌でも彼の背後にある黒い圧を感じ取ってしまう。
試している、という訳ではない。これは恐らく――拒絶の意志だ。
己の人生に足を踏み込むな。例え足を踏み込むにしても、それ相応の格を持ってから踏み込め。
嘗て師から受けた威圧を思い出し、背筋に冷えた風が流れる。相手が先ず簡単には靡かないだろうとまでは解っていたが、これでは最上の目的を達する事は不可能だ。
口八丁に意味は無し。彼を動かせるとしたら、相応の成果が必要となってくる。
「今回、少々無理をさせる形でパリオ公爵に来てもらった。 ……いきなりの呼び出しに来てもらって悪いな」
「何を仰いますか王様。 私は貴方様の臣下でございます。 呼び出されれば参上するのは自然の道理。 それに対して不満を抱くなど、その時点で臣下失格でしょう」
「それでも、だ。 お前は財務大臣として多忙な日々を過ごしている。 まともな休みもやれていない状況で、こんな場など本来用意すべきではないだろう。 だからこその謝罪だ、余計な言葉は止めて素直に受け取っておけ」
「王様がそう仰るのであれば。 ――では、件の要件について話を進めましょう」
二人の会話が終わり、いよいよパリオ公爵は俺達に視線を向ける。
表情に変化は無く、姿勢が不自然に崩れている様子は無い。だというのに、王に対してよりも些か態度が崩れているようにも思えるのは何故なのか。
一先ず、ナノが道すがらで話した通りにハヌマーン以外が片膝をカーペットに付ける。
今この場において、跪かなくて良いのは王族だけだ。未だ誰にも認められていないとはいえ、ハヌマーンは王の血を持つ人物。
パリオ公爵も興味を持つ筈だと下げた頭で思考しつつ、ハヌマーンが僅かに息を吸い込んだのを耳で捉えた。
「本日はこの場を用意してくださり、誠にありがとうございます。 私の名前はハヌマーン・エーレンブルク。 四人目の王の息子でございます」
「……パリオ・ラッシェルジュと申します。 四人目の王子と言いましたが、それを証明する証拠は御座いますか?」
「……これを」
ハヌマーンが胸元に手を伸ばし、服の下に隠していた何かを取り出す。
金のネックレスだ。卵型の何も装飾されていない単純な首飾りではあるものの、彼が見せた時点で何かしらの証拠品であるのは確か。
そのネックレスを力強く握り締めると、卵型の部分が僅かに発光する。
パリオはそれを興味深く見つめ、王はただ笑っていた。やがて発光そのものが消え、辺りには沈黙が支配する。
パリオが頷く事で沈黙の空気は消え、若干ではあるが公爵本人の圧も薄くなった。
「それは王家の財宝ですな。 当代の血を持つ者でなければ反応しない遺産であり、一平民が持つには分不相応過ぎる代物です。 ――噂は本当だったと、そう認識した方がよろしいですね」
「噂、ですか」
「おや、知らないとは言いますまい。 当代の王が隠した王族。 彼の者こそが王家を継ぐ人物だとも、一部では言われております」
口調は崩れず、しかして噂そのものは信じていないのだろう。
その言葉の何処からでも不信の色が伺え、彼もまた実際に本人を見なければ何も判断出来ぬと考えている。
そしてそれは、少しでも思考を持っていれば当然だ。馬鹿正直に信じる方が愚かであり、もしも本当に信じていたとすれば手を組みたいとはとても思わない。
一先ず、完全に不要という領域からは脱した。この領域のままであれば話そのものも満足に出来ず、俺達は何も達成出来ないだろう。
今回の主役はハヌマーンだ。彼が先頭に立ち、奮闘しなければ何も始まらない。俺達が提案をすることは出来るが、最終的に決めるのはハヌマーンなのだから。
「私は王を継ぐつもりなどありません。 そちらは兄であるバーナード様が継ぐ予定でしょう? 父からもそれはお聞きしている筈です」
「確かに。 王からは直接継承者をお聞きしています。 ですが、これから何が起きるのかは決まってはおりません。 万が一第一王子が死亡する事態となれば、今度は継承者争いが起きるでしょう。 貴方様も強制的に参加することになるでしょう」
「……王子達が平和的な解決を望んでいてもか?」
「全ての貴族が、とは言いません。 ですが、大多数の貴族は己の利益を追求している。 何処の派閥に入れば己の財産を守れるのかと考え、それ故に他人の派閥を一早く崩そうと手を尽くすのです。 時には派閥の長たる王子を殺してでも」
殺してでも。その言葉に、ハヌマーンの身体が一瞬だけ震える気配を捉えた。
彼にとっては最近の出来事だ。シャルル王子を派閥争いに強制的に参加させる為の生贄とされた彼にとって、そんな真似を容易く選択する貴族達の考えが理解出来ていない。
ハヌマーンの根底にある願望は平和だ。自身が生きていたくて、それが他人にも影響を与えるようになっただけ。
方法がまだ解っていない彼にとって、動く原動力はその願望だけだ。
平和的に過ごせば良いではないかと考えてしまうからこそ、貴族達の思考に追い付けない。そして、それでは駄目なのだと俺もナノもアンヌも考えていた。
「故に、王子達は優秀でなければなりません。 何をおいても特化した個性が求められ、それ無しでは政治基盤が揺るぐ程の権力を握る必要があります。 どんな貴族を相手にしても、どんな大商人を相手にしても、一歩も揺らがぬ絶対的な力が王子には求められます」
「絶対的な力……」
殺してしまっては今後の生活が立ち行かなくなる。そんな力を王子が持てば、迂闊な殺傷は出来ない。
感情論に支配された人間であれば暗殺なぞ幾らでもするだろう。もしくは、王子達並の権力を握れると踏んだ貴族でも同様の真似を行う筈である。
それでも、何も無いのと比較すれば圧倒的な力となるのは事実。武力も財力も人を選別すれば味方となり、人々は王子を支持し続ける。
パリオ公爵も今回が挨拶が主題であると理解はしているだろう。その上で踏み込んだ話をするということは、少なくともただ挨拶するだけの王子に価値など無いと考えている。
お前は何を成したいのか。どんな力が欲しいのか。――――王子と認められたいのならば、己の願望を叶える為に貪欲になれと告げていた。
それは剣士でもある俺の考えと一致している。強くなるには貪欲にならねばならず、少しでも気を抜くような事があれば誰かに蹴落とされてしまう。
「貴方はどんな力を欲していますか? 己が王子となる為に、如何なる力を求めてこの王宮で戦おうと考えていらっしゃるのでしょうか」
「私は――」
尋ねるパリオ公爵に、ハヌマーンが口を開く。
それこそが俺達の未来になるのだと、彼は自覚しているのだろうかと少し考えた。