第三部:嫌悪すべきは何者か
食事を摂り、全ての説明を終えた俺達はハヌマーンの安全の為に王宮に寝泊りする許可が下りた。
王からの直々の言葉に従ってハヌマーンは他国の王族向けの客室を部屋として使用し、俺達はその隣にある従者用の部屋を幾つか宛がわれる。
男性用と女性用に別れていたのは貴族社会であれば常識であるが、俺一人となった部屋はあまりにも広い。
従者用の部屋とはいえ、王族の従者達向けに用意されていた部屋だ。自国の評価を落とさない為にも気合を入れて作られただけに、下手な貴族並の豪華さを誇っている。
とはいえ、従者用だけに基本的には実用性が重視されていた。装飾品よりも武器の整備道具や質の良い無骨な椅子と机があり、これは女性部屋も一緒だろう。
此処で暮らしていくのであれば、俺も王宮内の法に則る必要がある。
護衛としての立ち位置を確立した現在において、俺に求められているのはハヌマーンに誰も傷付けさせないことだ。
毒、暗殺、冤罪行為。その全てにおいて俺は俺なりに守り通さねばならず、この怪物達の魔窟とも言える王宮内で一定の評価を得ることも重要だった。
己一人であれば他人からの評価に一喜一憂していただろう。俺は親という他人からの評価によって崩れたのだから、気にしないなんて絶対に言えはしない。
だが、此処には主であるハヌマーンが居る。彼が居る現在において評価を気にする素振りを見せれば、ただの点数稼ぎと思われてしまうのは確実だ。
何よりも、貴族社会は見栄と誇りを最重要視する。狡からい真似など好まず、堂々としている人間こそを彼等は好いているだろう。
「……そう考えると、今の俺の姿って真反対だよな」
磨かれた鏡に映る自分の姿は、端的に言って怪しさ満点だった。
服装については気にしろと言われた為に質の良い物を選んだものの、そもそも顔を見せたくないが為に王宮内でも外套を着ている状況だ。
黒い外套は滑らかな感触を持ち、銀で縁取られている。貯金していた資金の一部を開放した所為で夢の一軒家からは遠のいたものの、それでも真の夢の前ではこの程度は些事である。
ベージュのズボンも内部に装甲板を仕込んであるが、傍目には何の防具も付けていないように工夫された代物だ。
質の良いズボンではあるものの、やはりそこは平民基準。貴族の目から見れば決して上等とは言えない。
現状において、俺が出せる限界はここまでだ。女性陣達もこの恰好について然程批判されはしなかったが、同時に称賛されることも無かった。
及第点。つまるところはそういう事で、着替えてもあまり上向きの精神を獲得することは無い。
それでも、王宮内ではこの恰好が標準となる。ハヌマーンと行動する際には常にこの恰好が必要とされ、女性陣達もそれなりの恰好をしなければならない。
アンヌについてはあまり気にしていなかった。彼女は最初からハヌマーンの護衛役を務めていたので、服装についてある程度揃える手段は持っているだろう。
問題となるべきはやはりナノだ。彼女は例えドレスを纏っていなくとも美しいが、かといってその美しさだけでこの王宮内を渡り歩けるかと言えばそうではない。
見栄の重視は何よりも必要とされる。俺達が明確に功績を打ち立てるまでは、他人からの目は全て悪いものだと考えておくべきだ。
「――ノック音?」
夜も更けてきた頃合い。そんな時間に来訪を告げるノックの音が扉から聞こえ、思わず振り返ってしまう。
こんな時間に俺相手に訪れる人物なんて限られている。扉を静かに開けると、やはりそこには俺の想像していた人物が護衛を連れずに立っていた。
あの頃よりも伸ばされた金の髪に、優し気な青の宝石の如き瞳。口は緩やかに弧を描き、その顔からは喜色の感情しか伺えない。
第二王子・シャルル。王宮内で会話すべきではない人物の登場に、扉を開く事を忘れてしまうのも致し方ないだろう。
「こんな夜更けにすまないね。 ……ちょっと話したくて」
「いえ、私は構いませんが。 シャルル様は大丈夫なのですか?」
「僕の事なら大丈夫だよ。 護衛を騙すなんて簡単さ」
それは大丈夫とは言えないのではないだろうか。
思わず出そうになった言葉を飲み込み、中へと王子を招き入れる。彼は自身の部屋のように一直線に椅子に座り、机に用意されていた水差しに躊躇無く手を出した。
俺自身まだ毒があるかどうかも確かめていない水を王子に飲ませる訳にはいかず、咄嗟に手首を掴んで静止させた。
「まだ確認を終えていません。 飲むのは私が終えてからでお願いします」
「……警戒心が強くて結構。 五年前とあまり変わっていないようだね」
水差しから手を離し、彼は微笑を俺に送る。やけに友好的な姿に疑問を感じざるを得ないが、兎に角下手な物を飲ませない為に小さなグラスに入った水を飲む。
喉を通った水に濁りは無い。飲み切った後に毒性反応が出ることも無く、これならばともう一つのグラスに水を入れた。
感謝の言葉と共にシャルル王子はそれを一気に飲み干し、息を吐く。その姿がいやに艶めかしいのは、単純に彼の容姿が中性的過ぎるからだろう。
五年を過ぎ、もう彼も成人を迎えている筈だ。背丈も伸び、随分と幼さも抜けている。
にも関わらず、余計に中性的な姿に磨きが掛かっているのは何故なのだろう。その笑み一つでも容易く男を勘違いさせられそうな風貌に、少々の不安を感じずにはいられない。
「それで、一体どのような要件で此方に? 此処にはハヌマーン様はいらっしゃいませんが」
「解っているよ。 僕が聞きたいのは今日の一件についてだ。 君がナルセの人間であるのは五年前のネル・ナルセから想像が付いていたけど、仲が悪い様子は無かった。 勿論彼が王族に懇願した際にも仲の深さを確認したけど、やっぱり仲が悪い様子は無い。 にも関わらず、どうして刀傷沙汰を起こしたんだい?」
「それは私がナルセの人間だとハヌマーン様達に覚られない為です」
「それは解る。 君達が誰かの勢力に付くということがどれだけ問題視されるのかも当然承知済みだ。 僕が聞きたいのは、彼等を騙す為にどうして戦う事を選択したのかについて。 あの場面であれば口論で済ませても問題は無かった筈だけど?」
「万が一を考えた上での行動です。 ――――人は真に迫った嘘に騙され易い」
王子が訪れた理由については理解した。
五年前から正体を看破されていた事実に何も感じない訳ではないが、かといって過剰に気にする程でもない。
どうしてあの場面に刀傷沙汰を起こしたのか。シャルル王子が疑問に感じている事柄に、意識を割くべきだ。俺達にとっては酷く単純な話ではあるが、もしかすると他人には理解不能なのかもしれないのだから。
人が嘘を吐く時、そこには十割の嘘と何割かの事実が混ざった嘘がある。
どちらの方が他人を騙せるのかと言えば、それは後者だ。調べた際に真実の部分が見えれば、人は容易に信用する事がある。
今回で言えばナルセ家の弟が居なくなった事実がそれだ。調べられた際に本当に弟が居なければ、彼等は敵対の情報を事実と誤認するだろう。
更に万全を期す為にも刃と血を用意し、結果的に強く彼等は信じてくれている。例え彼等が偶然にも俺と兄妹の仲の良い場面を見たとしても、見間違いが錯覚と認識してくれるだろう。
「それなら、彼等にだけ真実を教えても良かったんじゃない? 一応は同じ勢力であるし、隠し事は不和を招くだけだ」
「その不和の種を彼等は感じる事はありません。 真相は最初から闇の中ですから」
「……何というか、そこまですると俄然気になるね」
「何がでしょうか」
「君がそこまで貴族を捨てたがる理由。 何故平民のままで居たいと思うのかについて、僕は一度も君に尋ねてはいなかった。 本当に逃げるだけなら、何処かの貴族を頼る事も出来ただろう? ナルセ家の人間なんて何処の貴族も喉から手が出る程欲しいからね」
「……」
シャルル王子の言葉は正論だ。正論だが、当時の俺にはそんな言葉は何一つ通らないだろう。
これに関しては道理ではない。親の愛を明確に受けて育った身ではないからこそ、何よりも優先すべき事を最重要視して俺は動いた。
兄妹の為。兄妹の家を守る為。そして、親と衝突したくなかった。
挑めば敗北するからだとか、無視を決め込んでいた訳では断じて無い。一重に俺は、最初から激突する事を良しとは認めていなかっただけだ。
それを説明したとて、納得してもらえるかどうかは解らない。
間違いなく、ワシリス王は俺達の親とは気質が違う。愛を与えない人間ではなく、己の道を示しながらも他者を慈しむ心を持っている。
それを俺の親が持っていれば、未来は違っていただろうか。
もしもの可能性を一瞬だけ脳裏に描き、有り得ないだろうなと首を振った。