第三部:愚者の予想外
組み立てた内容そのものは最初に俺とネル兄様で決めた通り。
俺を市井の人間としてそのままにしておく為にも、基本的には敵対関係である事実を忘れてはならない。
彼等にとっては衝撃的な話だ。そもそも昔話をしなかった事も合わさり、今にも殴り掛からんとするナノの姿が見える。
そんな顔をさせたくはなかったが、やはり俺の事情を加味すれば嘘は付かねばならない。
俺自身の我儘が入っている事も重々承知している。寧ろ割合で言えばかなりの部分を俺の我儘に割いていると言えるだろう。
こんな話をした時点で解雇は必至だ。それを決めるのはハヌマーンであり、彼が一言そう告げれば誰も反対は出来ない。いや、そもそも誰も反対なんてしないか。
「黙っていた事実は謝罪致します。 ですが、私にとって彼の詳細は伏せたかった」
「……現状を理解した上で言うべき態度ではないわ。 謝罪をするよりも前にその部分は教えておいてほしかったわね」
「ナルセ家が敵……考えただけでも恐ろしい話です。 私達だけではとてもとても勝ち目がありません」
ナノは怒りを露にしているが、冷静な部分はまだ崩れてはいない。
代わりにアンヌの方は正気を失いかねない程に震えていた。それだけこの国にとってナルセの家の力は偉大だということだ。
俺が知り得ている部分は極一部。この王宮の図書室を使えれば、更に多くの功績が出てくるのは間違いない。
きっとそれら全てが俺の父親の功績ではないだろう。だが、代々の当主が築き上げた功績の山は決して全貴族にとって無視は出来まい。
父親相手にすら畏怖を覚えるのだ。他の貴族がナルセ家を調べれば、アンヌのようになってしまうのも頷ける。――と、その直後に思考を停止させる衝撃が頬から全体に広がった。
強制的に顔は真横を向き、ゆっくりと戻せば手を振り下ろしたナノの姿。そこで初めて自分が頬を叩かれたのだと理解して、途端に腫れるような痛みが襲い掛かった。
「このままあんたを切り捨てるのは簡単だわ。 それでナルセ家との因縁も無くなる。 でもそれじゃあ、私達の守りが無くなってしまうのも事実。 アンヌも護衛として優秀だけど、一人だけで全員を守り切るなんて無謀だわ」
「……即座に解雇はしないと?」
「そうよ。 これからどうなるにせよ、また荒れるのは確実。 少しでも戦力は多い方が良いし、新しく誰かを雇うだけの時間の余裕は無いでしょうね。 だから今はまだ解雇はしない」
力強く椅子に座り込み、荒く息を吐いて怒りを追い出した。
理性的で在ろうとする彼女の姿に頭を下げて感謝し、次いでハヌマーンに顔を向ける。今まで場違いな状態だった彼は一瞬だけ身体を震わせ、俺に対して厳しい眼差しを見せた。
「この通り、隠し事をしていたのは事実です。 如何様な処罰でもお受け致します」
「……その前に一つ聞かせてくれ」
「何なりと」
「お前の夢は真実か。 過去も今も、騎士になる事が夢なのか?」
「――勿論で御座います」
何時か何処かで語ったような話を何故今ここで持ち出すのか。
疑問はあれども、しかしその夢に関して嘘は一部も混ざってはいない。俺の夢は今も変わらず、騎士となって誰かを守り抜くことである。
真剣に語り掛ける少年の表情は年相応には見えない。自身もあまり年相応には見えないと知り合いの冒険者に言われたが、彼の顔はそんな俺から見ても違う。
最初に会った頃とは別人だ。一人の男の急速な成長を感じつつ、そんな彼の裁定を待つ。
何を言っても俺は素直に受け入れるしかないが、直感で彼は俺を捨てる真似をしないだろう。もしもナノ達の言葉を受けていなければ本当に捨てていた可能性があるものの、先程の話を聞いた時点で捨てるという選択肢は皆無だ。
だが、それでも確かめたいことが彼にはあるのだ。
「私はお前の夢に、正直に言えば共感した。 その夢を応援し、出来ることならば叶えてあげたいと。 自分が王族である限り騎士としていられるのならば、第四の勢力となるのも吝かではないと考えていた。 勿論、それだけで王族の末席を汚すつもりはない」
「……」
「私だって生きていたい。 誰かに願われたのだ、生きたいと思わないでどうするという。 生きて生きて生きて、例え未熟でも何かを成せるならば。 ……そんな夢を何時の間にか抱えてしまったのだ」
その何かは、まだ少年であるハヌマーンには形成されてはいない。
しかし、王族の血筋でありながらも彼は市井の人間として暮らしていた。まだまだ遊んでいた方が自然な少年が王族らしい思考をする事は、確かに大きな夢を持ったのだと感じさせる。
死ぬような目に明確に会った訳ではない。全てを俺達で抑え込めたが故に、何処かを怪我する事態は避ける事に成功している。
それでも彼には何等かの成長に繋がったのだ。このままで良いのかと自身に問い掛けた結果として先の言葉が出たとするなら、それは喜ばしいと讃えるべきである。
「私に夢を持たせたのは皆だ。 だから、このまま離れていく事は許さぬ。 全員、私が死ぬまで臣下として傍に居てくれ。 絶対に皆が認める男になると誓おう」
「貴方様はただ生きているだけでも構わないのです。 存在が公となっても、行政に関わる必要など御座いません」
「何を言うアンヌ。 それは父が許さぬだろうよ。 それに自分から前に進むと決めたのだから、水を差すような真似はしないでくれ」
緑の瞳を輝かせ、初めてハヌマーンは静かに微笑を浮かべた。
その表情はやはり年齢に相応しくはない。何処か大人らしさが漂う笑みに、奇妙な頼もしささえ感じられた。
アンヌも目を見開いている。ここまで前向きな少年の姿を彼女は見た事が無いのだろう。逆にナノは興味深い眼差しを送り、今頃は頭の中で今後の動きを決めている筈。そこに憤怒の感情が見られないあたり、もう鎮火しているのだろう。
ハヌマーンの言葉は王族の言葉。彼がそうと決めたのであれば、部下である俺達は素直に従うしかない。例えナノやアンヌにとって不服でも、俺の途中離脱は回避された。
いや、これは違うだろう。ハヌマーンは言外に脅しているのだ――――俺に夢を持たせたのだから、逃げられると思うなよと。
僅かな期間で脅迫まで行う姿に末恐ろしさを感じつつ、そっと外套を脱いだ。
最早何を隠す必要があるというのか。少なくとも、この王宮で彼等が居る時だけは誠実さを見せる為に脱ぐ。
「おお、お前の顔は中々に良いではないか。 しかし、随分と若いな」
「私はまだ十四ですので」
「十四……これは将来は女誑かしになるだろうな」
「そんなつもりは毛頭御座いません。 私はただ真摯に、貴方を守り続けるだけで御座います」
「解っているとも。 そうでなければさっさとお前を捨てていた――さて」
この王宮に来てから、まだ一日も経過していない。
そうでありながらもハヌマーンは椅子に静かに座り、その姿は非常に様になっている。
片鱗だ。彼は間違いなくワシリス王の息子で、あの王子達の弟なのだと心から感じられた。それが更に成長すれば、周囲も納得せざるを得ない。
一先ず、謁見そのものは終えた。報告業務が残されているとはいえ、これ以上波風を立てる出来事は今日の内には起きないだろう。
であれば、明日からの俺達の行動だ。王宮という施設は一々王族の許可が必要となってくるが、ハヌマーンが望めばワシリス王も直ぐに許可をくれる筈だ。
これからの敵も貴族となる。ただ単純に戦うだけでは解決しない出来事の数々を予想して、陰鬱な気分となるのは避けられなかった。