第三部:王の言葉
傷を負うだけ負ったものの、流石にまだまだ戦闘は続行可能だ。
ただ、垂れ流し状態では何れ血液不足で死ぬ。それを避ける為にも王に許可を貰い、事前に腰に付けていた回復薬で傷を修復させた。
薄皮一枚しか斬られていないので最低品質の回復薬でも十分な活躍をしてくれる。一気に皮膚が傷を塞いでいく感覚はむず痒いものがあるが、もっと酷ければ痒い程度では済まなかっただろう。
粗方の傷を治し、片膝を付いて王に向かって頭を下げる。
これは礼だ。俺が貴族であると周囲に暴露しない事を許してくれた、俺なりの礼の示し方である。
僅かなりとも可能性を残してはいけない。俺はあの家から逃げ、繋がりを断ち切ったのだから、二度とナルセという苗字を使う事は許されてはいないのだ。
「謁見の間を血で汚してしまいました。 申し訳御座いません」
「いい、いい。 その程度は何の問題でもない。 重要なのはただ一つ――あのナルセにお前は喧嘩を売ったってことだ」
ワシリス王の発言は重い。そしてナルセの家の重要性を知っているからこそ、俺も重々しく頷く他にない。
だが、周りにとっては寝耳に水の出来事だ。あの騎士がナルセ家の人間であると誰もが知らないのだから当然であるが、ハヌマーンを除いた全ての人間であれば瞬時に事態を把握出来る。
一番後ろに居る為に前を向く彼等の表情は見えないが、きっと険しい表情をしているだろう。唯一ハヌマーンだけは困惑をしているだろうなと思いつつ、この茶番が齎した枷を想像する。
「俺にとってナルセ家は重要だ。 あの家は何にも属さず、何の影響も受け入れない。 独自の道で王達を守るからこそ、最も信頼の置ける臣下だ。 その家に喧嘩を売るということは、我々に喧嘩を売るも同然。 護衛など任せられるとでも思っているのか?」
「お言葉は重々理解しております。 でしたら、私はこの場から姿を消しましょう」
不信の眼差しを受け、俺は素直に王のしたいようにさせた。
これもまた茶番だ。双方共に知っているからこそ、事態が然程重くならないのは理解している。家から逃げ出した事実は責められても致し方無いのだが、王はそこを態々責めはしないだろう。
「嘆願はしないのか? お前の先程の発言が確かなら、あの家は自身の息子に虐待をしていたことになる。 厳しい環境で育てる事は騎士なら稀に聞くが、それも極端であれば問題になるだろう。 お前が攫った弟は、一体何をされていた?」
空気が冷える。静かな重圧が空間を支配し、これまでとは異なる強者の気配に成程と納得してしまう。
これが王。民衆を、貴族を、他国を圧倒させる絶対王者。その振舞い一つですら周囲に影響を与え、世界に波紋を広げていく。
その瞳が嘘を許さぬと告げ、真正面から俺を射貫いた。
震えそうになる身体は決して恐怖からではない。これだけの強者が居る事に対する喜びだけだ。
頂点は遠い。一生涯を掛けても辿り着けない頂きがそこにあって、諦めきれない輝きがある。負けるものかと外套の中で口元が勝手に弧を描き、しかし直ぐに表情を引き締めた。
少なくとも、今は喜びに浸っている場合ではない。この茶番劇を終わらせ、早々に退散するべきだ。
「幼い頃から刷り込まれていた騎士としての夢を完全に否定され、しかし彼にはそれしか最初から存在しませんでした。 どんな夢を持つかということも考える余裕が無いままで、だから彼には騎士以外には何も無かったのです。 ですから、否定されても足掻くしかありませんでした」
「だから攫ったと? それは同情からか」
「同情、なのかもしれません。 彼は言っていました、このままでは自分は愛すべき家族に剣を向けてしまうだろうと。 どれだけ否定されても家族を愛していたからこそ、鬱屈した思いが溜まり続けるのが耐えられない。 だからどうか、私を何処か遠い土地に連れて行ってくれないかと相談されました」
昔から自分にはそれしかなかった。
騎士としての自分しか想像出来ず、しかし至らないからこそ心に暗いモノを抱え続けていた。これでも最初の頃と比較すれば減ったものの、まったく無くなった訳でもない。
未だに嫉妬心はあるし、才の溢れる存在に対して暗い感情を抱くこともある。それでも、自分にも前に進めるモノがあったからこそ変わる事もなかった。
情けない出発だ。だが、その行動は決して間違いでもなかった。
俺は大丈夫だ。確り両の足で立ち上がり、少しずつでも進歩を刻む事が出来ている。ナルセの騎士と比較すればあまりにも遅い進みだが、それでも何も進めないよりはずっと良い。
「一人の人間として、その想いを無視するのはあまりにも酷でした。 なによりも、私も似た境遇でしたので」
「お前も才が無いと?」
「ランク六にまでは至っていますが、既に限界が見え始めています。 諦めるつもりは無いものの、このまま緩やかに停滞していくのは想定の範囲内です」
これに関しては嘘だ。
緩やかな停滞。それを起こしているのは俺が何も起爆剤を持っていないからであり、バウアーの言葉から推測するのであれば恐らくそれさえあれば勝手に成長してくれる。
それが一時的な実力向上なのか、恒久的な向上なのかはさておき、未だ大きな起爆剤が存在していない俺では目に見えた成長は出来ないだろう。
故に、強者との戦いは必要だ。それこそが俺を更なる窮地に追いやり、無理矢理にでも限界を突破させてくれるのだから。
「ランク六ならば既に並の騎士を超えているだろう。 それで才が無いと語るのは彼等に申し訳ないと思うぞ? お前は他よりも努力を重ねているだけで、恐らくまったく才が無い訳ではないのだろうよ」
「そう、ですかね。 周りが才に溢れる人物ばかりで正直解らないのです」
「少なくとも才無き者であればランク三で止まる。 そこから落ちぶれるか努力するかは本人次第だが、私はお前の努力を評価しよう」
「有難き幸せで御座います」
「……っふ。 さて、これから積もる話もある。 暫しの休息を挟んで今度はハヌマーンやナノ嬢から話を聞くとしよう。 時間は……夜に食事を摂りながらにでもするか」
これ以上の茶番劇は御終いだ。
言外にそう告げられ、俺も即座に視線を切って頭を下げる。次に王族と顔を合わせるのは夕飯の時刻であり、その頃には全員が集まっていることだろう。
恐らくはハヌマーン殺害を誘った黒幕もそこに居ると判断し、静かに王が部屋から去って行くのを確認してから俺達も動き出した。
再度先頭をシャルル王子が務め、全員が寝泊り出来る部屋へと案内するのだろう。
そんな予想をしつつ、先程から何回も此方を振り返りながら厳しい眼差しを送り続ける者に苦笑する。
ナノが、アンヌが、俺に説明を求めているのは想像の通り。これから俺達だけで休息を取る事になるのだろうが、その間に無数の質問が出てくるのは間違いない。
アンヌは俺の護衛解除も視野に入れるだろう。そうなった場合、全てを決めるのはハヌマーンだ。
まだ会ったばかりの人間を信用するか、長い付き合いのある人間を信用するか。
どちらを選んでも俺は構わないが、アンヌの方はそうではない。俺を取れば必ず両者の間に溝が残る。
選択せねばならないとはいえ、これではある意味罠が敷かれているようなものだ。
人間関係の複雑さはほとほと面倒な部分が存在し、今後は彼も悩む事になる。それを認識して逃げずにいられたのなら、間違いなくそれは成長だ。
案内された一室は客室で、王宮の権威を感じさせる高級な家具達にどうしてか眩暈を感じる。
他はそうでもないが、これに関しては長い間冒険者としての生活をしていたからだ。こんな場所で寝るような事になれば、一体幾らの金が吹き飛ぶことになるのだろう。
そんな疑問を覚えつつ、荷物を置いた俺達は早速全員分に椅子に座った。
椅子の前には巨大なテーブルが存在し、俺の対面に座るのはナノだ。彼女は酷くにこやかな笑みを浮かべ、同時に額に青筋を浮かべてもいた。
「さて、説明してくれるわよね?」
「勿論です。 ここまでやってしまったら話すしかありません」
さて、と唇を舌で湿らせた。