第三部:演劇
その剣圧を受けた時、今は無い剣を引き抜こうと手は動いていた。
空を切る感覚に舌打ちをするものの、まさかこの場で戦闘を開始する筈が無いと思い直す。
扉から姿を見せたのはネル兄様の姿。普段とは異なる白の騎士服は本人にあまりにも似合い過ぎてしまい、最早あの人用に誂えたとも見える。
だが、当の本人には友好的には気配は無い。普段から鋭い眼差しをしている人物だったが、今は俺の事に向けて露骨なまでの剣圧を叩き付けている。
狙いは俺只一人。その理由を察しようとして、考える前に相手側の方が先に行動を開始した。
王宮内で騎士のみが携帯を許される剣を引き抜き、その切っ先を此方に向ける。その行動は戦闘の意思をより明確にさせ、今まともに戦えるのは俺以外に居ない。
ネル兄様は王を狙わないだろう。あの王が事前に用意していたのだから、最初から俺達を狙うのが自然だ。
そのまま僅かに前傾姿勢を取り、次の瞬間には俺に向かって一気に移動を開始した。
このまま此処に佇み続ければハヌマーン達を巻き込む。俺も前に踏み出し、そのまま激突覚悟で進む。
武器を持っていないのでまともに剣を受ける訳にはいかない。本当ならば避けるべきで、そんな程度の事は向こうも流石に解っている。
故にと、相手の剣が突きへと変わった瞬間に直撃間近で腹を叩いて脇へと剣を通り抜かせた。
そのまま服の襟と右手首を掴み、正面から睨み合う。相手の眼差しは真剣で、此処まで近寄れば俺の外套の中身も見えるだろう。
「……どうして此処に居るんだッ。 いきなりシャルル王子に話し掛けられた時は驚いたぞ」
「ッ、!? ……兄様?」
向かい合っている状態で、俺達だけにしか聞こえない声音でネル兄様が言葉を放つ。
圧はそのままだったが、込められた力は決して全力ではない。今こうして拮抗状態になるなど有り得ず、その時点で兄様が本気を出していないのは明白だった。
今此処で俺をどうこうするつもりはない。その意志を感じ取り、ならば何故いきなりこんな事をしたのかと疑問を目で送る。
「このままだとお前が貴族であることが露見する。 それはお前の望むことではないだろう?」
「そうだけど、じゃあ何で」
「これは演技だ。 決して身内だと悟られない為に演技をしている。 王達もそれは承知済みだ」
成程と首肯した。
この王宮内では幾らでも俺と兄妹達が出会う機会がある。そのまま何回も接触しようものなら怪しまれ、探られる可能性は高い。
俺が貴族だと露見するのはまだ良い。その程度であれば問題としては浅いままだ。
だがナルセの家の人間だと認識されるのは不味い。あそこが騎士として有名であるからこそ、周りが余計な勘繰りをしかねないのである。
ナルセ家は何処の派閥にも属さない中立だ。そして、中立であるからこそ誰にも手を貸さない。
純粋に王族の危機や街の危機であれば動くものの、個人的な要請には一切応えないままだ。それを変えて俺が第四勢力に付いている事が他所に知られれば、ナルセ家が初めて肩入れした勢力として面倒な注目を受ける事になる。
だからこそ誰にも素性が知られてはならない。
ネル兄様もそれが解っているからこそ、王達に頼んでこんな過剰な演技を始めたのだ。――であれば、俺がするのはその演技に乗っかること。
「私とお前は個人的に敵対する者同士。 家の関係は一切無い。 良いな」
「解った。 じゃあ俺をある程度浅めに切ってくれ。 その方が信憑性も増す」
「ああ、お前も合わせてくれよ」
会話を終え、俺を突き飛ばしてネル兄様は再度構える。
体術の心得もあるとはいえ、ネル兄様を前にしては絶望的だ。真っ向勝負では敗北の可能性しか存在せず、これが演技でなければそのまま死んでいただろう。
偽物の殺気は叩きつけられるような感覚こそあれど、恐ろしさは無い。
俺だけに解るように器用に調整しているのだ。その優しさに内心で感謝を送りつつ、声を張り上げた。
「いきなり王の前で何をする!」
「王からは事前に許可は取り付けてある。 お前を斬り捨て、積年の恨みを晴らすッ!」
「恨みだと!? それはこっちの話だ!!」
脚本は決まっている訳ではない。只必要な要素だけを踏んでいれば後は何でも構わず、ネル兄様の言葉に合わせて俺は言葉を返した。
俺が決めた脚本は単純な相互復讐劇。互いに恨みを抱え、どちらも原因を作った男達が数年振りに顔を合わせたというものである。
事前に許可を貰った件は特に考えてはいないものの、他所が勝手に考えてくれるだろう。
今この瞬間において必要なのは互いに殺意を滾らせた激突であり、それだけでハヌマーン達は勝手に勘違いを引き起こしてくれる。
「お前の所為で弟が消えたのだ!」
「違うな! お前達が弟をあんな目に合わせたからこそ、あの時お前の弟に頼まれたんだ!」
「私は弟を愛していたんだ! 愛していたからこそ、共に素晴らしき場所に立とうと鍛錬をさせていただけだ!!」
「それが理不尽だと何故解らない! あの弟にお前程の才は無いッ。 どれだけ努力した所でお前のようにはなれないだろうさ!」
それに、と言葉を続ける。
「お前達は俺の希望を潰したんだ。 唯一無二の家族の幸せを奪い、素知らぬ顔で此方を責めるばかり! 裁かれるべきはどちらかなど解っているだろう!?」
対象が俺なのが甚だ承服しかねるが、確かに現状ナルセ家において行方不明なのは俺だけだ。
調べられた際に俺の本来の素性にまでは辿り着くだろうが、それだけでは真実には辿り付けない。彼等の知るザラ・ナルセは俺の手によって家から逃げ出し、そして何処かで生活していることになる。
そして俺は愛する家族が不幸となったのはお前達の家の責任だと恨む。どっちもどっちと言うべき状態であるものの、しかし己の正義を盲信している限りは自身が悪だと断じはしないだろう。
このまま激突を続ければ、流石に王宮が傷付く事は避けられない。だが、下手に睨み合うだけでは無傷のままで信憑性は生まれないのである。
王も一切口を挟まない。それどころか、王族の誰もが一言も発しはしていなかった。
全て承知済み。だが、血が流れれば止める。その立ち位置に居ると思いつつ、最後に拳を握り締めた。
一歩を踏み、更に力を込めて二歩を踏み込む。
直後ネル兄様は剣を上段に構え、俺の攻撃に対してカウンターの姿勢を取る。
今回の戦いに勝敗の有無は必要ではない。だが、この場はネル兄様に勝利を譲った方が余計に勘違いが進むだろう。
物語的な出来事は人の感性を刺激する。それを利用するのは詐欺師じみているが、かといって使わないのは有り得ない。
そのまま無謀極まる突撃を続行。待ち構えているのを理解しつつ、それを容易く覆してみせるという意気込みを周囲に見せ付けながら懐に飛び込み――――想像通りの速さで斬られる。
咄嗟に下がった事で薄皮一枚を斬る程度で済んだものの、そこは既にネル兄様の剣の間合いだ。
まともに防御手段も持たない俺では相手の連撃に回避を取る他に無く、そのまま重症にならない程度に血を吹きながら飛ばされた。
「――双方そこまで。 これ以上戦闘を行えば牢獄行きとする」
その時点で王が静止の声を上げ、演劇が終わる。
即興ではあったが、互いに中々だったのではないだろうか。
俺の身体は横たわり、更に僅かに呻き声も漏らしている。この程度の傷では呻く程ではないが、傍目からは俺が血を大量に流している姿が晒されている状態だ。
ナノが駆け寄る姿を視界に捉え、直ぐにネル兄様へと視線を映した。
身体を無理矢理立ち上がらせているように動かし、その姿を見たネル兄様は一度失笑する。
「王様に感謝しろ。 此処が王宮でなければ今頃は殺していた」
「……誰が、感謝するってんだよッ」
互いに舞台を締め括る言葉を送り合い、王達に一礼してネル兄様は退出した。
後に残るは騒音の消え去った耳に痛い静寂のみ。この騒ぎは取り敢えず終わったが、俺にはまだ別の問題が目の前で待ち構えていた。