第三部:民主騎士団
「初めて会った時から好きでした!」
一人の青年がとある少女に向かって頭を下げる。
大人程の老いは無く、少年程の若さも無い。丁度中間に位置する青年は、恐らく人生の中で最も多感な時期に当たるだろう。
無茶も無謀も男の勲章。正にそう言わんばかりの時期故に、青年は勇気を振り絞って同年代の女性を建物の陰に誘って告白をした。
新品の白い上着の両肩部分には金の狼が刺繍され、袖口は深い青。平民では用意出来ない服を着込んだ姿は、普段よりも一回り魅力的に映るだろう。
加え、青年自身の見た目も悪くは無い。十人中八人が振り返る美形は、他所の男から嫉妬の眼差しを受けても不思議ではなかった。
――そして、彼が告白した相手も決して見劣りするような存在ではない。
「そうですか。 それは光栄ですね」
見た目に然程の変化は無い。白い服に、両肩部分に金の狼の刺繍。違う部分は袖口の色が鮮烈な赤色であることくらいで、この場所においての制服であるのは一目瞭然であった。
民主騎士団。彼等の纏う制服はその団体に所属していなければ手に入れる事は難しく、必然的に彼等二名は件の騎士団に所属していることになる。
白髪の少女。ノインは未だ年若く、幼いと表現しても何も不思議は無い。本来であれば騎士団の仕事を手伝う雑用係として過ごす事になるのだが、ナルセ公爵当主によって雑用係の勤務は免除されて先輩騎士と共に普段の業務に参加している。
反対に、青年は未だ雑用係だ。そろそろ本格的に鍛錬を始めるかという年齢に差し掛かり、当然ではあるが彼女よりも年齢は高い。
年齢差は僅か。故に付き合ったとしても何も不思議は無く、さりとてノインの眼差しは凍えている。
相手の体格、行動の動作、呼吸の間隔。それらを冷静に判別し、即座に彼女は結論を弾き出した。
利用価値は無い。仮に何かに使えるとしても、それは囮や濡れ衣を着せるくらいだ。
実力がまったく期待出来ない相手に彼女は何も期待しない。そもそも恋愛目的でこの騎士団に居る訳ではない彼女にとって、青年の告白は理解不能の行動だった。
一度決めれば行動は直ぐだ。
「ですが、私は此処に恋愛をしに来たのではありません。 残念ですが、貴方とお付き合いすることは出来ません」
「……ッ、そうですか。 お時間いただき、ありがとうございます」
「いえ、ではこれで」
青年の苦し気な言葉をまったく気にせず、ノインは建物の陰から離れる。
青年は今晩、枕を濡らす事になるだろう。最初から確信があった訳ではないし、何よりも明確な接点がある訳でもない。
雑用係の平民に、特別に免除された将来有望な貴族騎士。凛とした紅玉の輝きを放つ彼女は入団当初から注目を集め、常に誰かの視線に晒されている。
ノインが落ち着ける場所と言えば、それは自室か兄の用意した隠し拠点のみ。
仕事をしている間も先輩騎士に不躾な視線を向けられるのはノインにとって業腹ものであり、しかし民主騎士団に入ると決められていた時点で我慢出来ないものでもなかった。
貴族のように確り躾けられた人間ばかりではないのだ。余程粗暴でなければ通過する程度には緩く、民主騎士団に求められるのは民を守り抜くだけの力のみ。
無論、規律は絶対だ。
それは全て守られなければならず、違反すれば当然罰せられる。
民主騎士団が保有する土地は大きく、一つ一つの施設も巨大だ。王宮騎士団よりも守備範囲が広い為に、施設の大型化が常に起きている。
その所為で目的地に到着するまでに多大な時間が掛かり、あまりにも遠い施設であれば馬を使うこともあった。
彼女は民主騎士団専用の道を遠くにある王宮を見ながら歩く。
告白の回数はこれで五十九回目。平民も貴族も関係無く、彼女の美貌と将来性に惹かれて無数の男達が彼女に群がっている。
その所為で女性騎士との関係は悪い。表立って悪感情をぶつけられる機会は無いものの、無視されることや偶然を装って殴られかけることは既に数え切れない程に起きていた。
「――予想と違うよ、兄様達」
騎士とは思えぬ人間性を持つ者ばかり。
想像していた高潔な人間の姿は少なく、基本的には俗物ばかり。民主騎士団という格に引き寄せられた人間か、あるいは伴侶を求めた人間がこの騎士団の基本戦力だった。
実力もあまりに幅が広過ぎる。勤続十年以上の騎士でも弱過ぎてしまったり、逆に強い人間も居る状態だ。
十日も過ごした彼女の評価は、とても騎士団とは思えぬ団体。
盗賊団程に無秩序ではないのは救いであるが、だからといって満足出来るかと問われれば否である。
特にノインの場合、上の兄二人の影響によって騎士というものに多少なりとて憧れがあった。
高潔な人間性を持った市民の頼れる味方。危機に颯爽と現れる正義の体現者。
その想像を頭の中に残し続けていたからこそ、現実との落差に失望は隠せない。同じ貴族でもここまで違うのかと、いっそ驚いてしまった程だ。
これがナルセの家とは違う者達。
屑と呼べる程ではない。愚かと呼べる程でもない。しかし、期待する程でもなかった。
兄二人はこんな組織の何処に注目したというのだろう。そんな疑問が脳裏を過るも、向かい側から歩く人影を気配探知で察知して意識をそちらに向ける。
専用通路は王都の道と基本的には一緒だ。石畳に地面は覆われ、店は存在しない。
あるのは騎士の宿舎に、各種施設群があるばかり。商売をする許可を国は与えてはいないので、騎士団は街に降りて直接買い物をする必要がある。
それもまた経験だ。平民と言葉を交わし合い、関係を良好にすること。
それこそが民主騎士団存続の道となる。市民から嫌われた組織が生き残ることなど出来ないのだから、ノインも積極的に言葉は交わし合っていた。
「おや、ノイン嬢ではないですか」
向かいから歩いてきた人物を視認し、ノインは即座に道の脇に移動して頭を下げる。
毛先が黒に染まっている茶髪の男性。眉より上の短さしか持たない男性の表情は柔和で、まるで戦いとは無縁なその表情に誰もが誤解する。
ノース・カイテル。民主騎士団副団長を務める男性は、片手に数枚の紙を持ったままノインに話し掛けた。
「どうですか、最近は。 貴方には少々大変かもしれませんが、我慢してください」
「我慢など、とんでもございません。 私には十分です」
「そう言ってくれると此方も助かるよ。 犯罪者の逮捕人数も新人の中では群を抜いているし、流石はナルセ家の人間ですね。 この調子なら近い内に団長から正式な団員として認められるでしょう」
「有難うございます」
ノース・カイテルという男性の身分そのものは平民だ。
元は冒険者として活動し、戦闘よりも調査や偵察を基本としていた。その経験を現在の団長に買われ、民主騎士団の書類仕事を纏める役に付いたのである。
だが、例え書類仕事ばかりしている人物だとしても戦闘は可能だ。冒険者として活動をしていれば嫌でも戦闘は経験する。
調査、偵察と戦闘は切っても切り離せない関係だ。故に相応の強さを持っているのがノースで、彼の強さは決して浅いものではないとノインは予想を立てていた。
少なくとも、経験に関しては圧倒的に相手が上。今後権力を手にするにしても、目の前の男と友好関係を築く事は有益である。
「そういえば、とある一行が王様と謁見するそうです。 その際に入城までの護衛を民主騎士団に任せられたそうで……どうです?」
「任せていただけるのであれば、喜んで」
今思い出した。
そう言わんばかりのノースの言葉に、彼女は自身の有益さを見せる為に頷いた。
民主騎士団に入ってから未だ一ヶ月も経過していない。手早く権力を手にする為には人道に反すること以外の仕事には積極的に関わるべきだろう。
ノース自身も彼女の事を試している。特別の扱いを受けている以上は甘やかす事は出来ず、どうしても厳しく評価をしていくしかない。
現段階でのノースの評価は、将来有望の言葉だけ。それが具体的にどう変化するのかが楽しみだと、内心で弧を描いていた。