第二部:終結と真相について
ナイフは一撃でも命中しようものなら、恐らくは即死する。
そして件のナイフはずっと追い続ける代物だ。一度叩き落としても形状に歪みは無い事はタンデルが証明していたので、純粋な破壊は止めておくべきだろう。
真正面からの矢を斬り捨てつつ、迫るナイフを剣の腹で叩き落す。
即座に動き始めるナイフを足で踏み付け、震える様子を肌で感じつつ体勢を変えた。
相手の次弾装填は済んでいる。即座に発射する用意も済ませ、俺の行動を注視して逸らさない。最初からタンデルについては意識を向けていない様子に、どうやら相手は彼の実力を誤解しているようだった。
ハンマーを持っているというのもあるだろう。
ナイフの速度はそれなりに速い。そのまま追われ続けては鈍重な武器を振り回す余裕は無いし、現にタンデルは回避と撃ち落とす事に専念している。
だが、それが演技であるのは俺の目には見えていた。
如何なる思惑か彼は武器を振るわず、此方の様子を窺うだけ。俺を観察しているのは誰がどう見ても歴然で、されど全力を出さない訳にはいかない。
一瞬、彼等は秘密裏に共闘関係にあるのではないかと再度思った。ここまでの行動も全て演技で、俺自身を罠に嵌める悪辣な手口だとも考えたのだ。
しかし、そうするのであればあんな堂々と出る必要も無い。隠れ、此方が油断した隙を突いて殺しに向かってきたとしても有り得なくはなかった。
何よりも、遺産を取り出した時点で暗殺者はもう怪しさしかない。背後に大きな存在が居ると思わない筈も無いのだ。
「アンタの背後に居るのは誰だ」
「素直に教えるとでも?」
「そうだろうな。 このままなら、アンタは死ぬまで何も話はしないだろうさ。 ――――だが、此処でくたばりたいのか?」
ナイフを踏み潰した右足を軸に、左足を後ろに引く。
鞘に剣を収め、腰を低く落とす。必殺の構えという訳ではないが、限りなくそれに近い形を作り上げ――――次が発射される前に飛び出した。
最速を目指すのならば、初速で殺害仕切るだけの剣速を見せねばならない。速く、速く、クロスボウの一撃よりも速く動いて対象を切り捨てる。
一瞬の所作に、相手は慌てるように引き金を押した。それは極めて早い動作に見えるかもしれないが、今の俺と比較すればあまりにも遅い。
俺の全力はこんな程度であって良い訳が無いのだ。更に速さを増していき、何時かは誰にも追い付けない速さを手に入れる。
眼前にまで接近し、腰の鞘から剣を解き放つ。
勢いに任せた斬撃は右足を根本から切断し、通り過ぎた身体を強引に反転させてクロスボウを持っている左腕を切断した。
認識の外からの攻撃に、相手は何も反応は出来ていない。
ただ静かに身体は崩れ、そのまま血を垂れ流すのみ。自覚が追い付いた頃には最早手遅れであり、あのまま出血死するだけとなるだろう。
終わりだ。
理解してしまった暗殺者は、苦痛に呻きながらも足掻く事を止めていた。
ナイフも総じて動きを止め、大人しく地面に転がっている。タンデルの方も全て落ちたようで、どうやら彼の気力と連動しているのだろう。
殺意は消え、残るのは静寂のみ。騎士達の怒号は聞こえているので未だ騒動は終わっていないのだろう。
だが、直近の問題は全て解決した。学舎は平和で、誰も死んではおらず、正に理想的な勝利だ。
重大な負傷までは勘定に入れていただけに、ほぼ無傷で収まったのは素直に良いことである。それだけ相手の実力が不足していたからなのだが、もしもこれより上であったならばと考えると冷や汗が出てきてしまう。
「もう一度問う。 アンタ、此処でくたばりたいのか」
「――最早、この身は死ぬ」
「いいや、まだポーションを使えば生き残る事は出来る。 ただし、切断した腕や足は元には戻らないがな」
「ならば、最早死んだも同じよ。 このまま殺せ。 何も話すつもりはない」
暗殺者は自身の死を最初から受容している。生を渇望して情報を提供する小者では無く、彼は彼なりの矜持を貫いてこのまま死ぬつもりだ。
それはそれで構わない。結局、何も情報が手に入らないとは思っていたのだから。
ならばと、剣を振り上げる。そのまま首を切断しようと腕を動かし、しかし別の人間の手によって俺の腕は掴まれてしまった。
視線を横に居るタンデルに向ける。彼は至って真面目な顔で俺を見て、小さく首を左右に振っていた。
生かせと、タンデルはそう言っているのだ。それが如何に相手の矜持を傷付けるのかを理解していて、それでも俺の腕を離す様子は無い。
「一体何のつもりですか、タンデルさん」
「このまま殺すのは簡単だが、貴重な情報源だ。 自殺もする様子は無いみたいだし、牢屋に叩き込んで色々聞くべきだろ?」
「それはそうですが、相手は何も言いはしませんよ」
「構わんさ。 王宮であれば、何も話さない相手に対しても情報を抜き取る手段はある」
腕を振り払い、剣を振るう。
その相手は暗殺者ではなく、タンデル。真っ直ぐに首を狙った一撃はしかし、先程の痴態が嘘のようにハンマーの柄で防がれた。
夜闇の世界に金属音が響き渡り、互いに顔を見合わせる。
俺の表情は相手には見えない。そして、タンデルの顔は真剣そのもの。此度の事態を理解していたのは明白で、やはり全てをこの男は知っていたのだ。
王宮関係者。事は既に、ペリドット伯爵との繋がりの域を超えている。
「誰に何を頼まれた。 言わねば殺すッ」
「解ってるさッ。 全部説明してやるから今は大人しく剣を収めろ!」
「収めるに足る理由を今話せ! そうでなければ、死ね」
「こいつッ、容赦無しかよ!?」
タンデルが後方に下がる。だが、一度下がらせては奴の範囲だ。
ハンマーは近距離戦の武器であるが、剣程近い範囲ではない。逆に俺の間合いでハンマーは真価を発揮出来ず、防御から回避に専念する他無いのが現実だ。
速さに任せて相手に接近し、そのまま四肢を狙って攻撃をし続ける。同じランクであるからか、或いは王宮関係者であったからか、彼は対人戦についても大分慣れている様子だ。
「五年前だ! 五年前、お前は会ったよな!」
「誰にッ」
「第二王子様だよッ!」
ハンマーの薙ぎ払いを避け、タンデルの言葉に過去を思い出す。
脳裏に浮かび上がるのは第二王子の顔。中性的な顔立ちは老若男女問わずに人気を集め、しかしただのお飾り王子ではないことは知っている。
どうしてそこで王子の存在が出現するのか。その疑問に対し、タンデルは簡潔に答えを提示した。
「あの日、あの方はお前に対して興味を持った。 様子を探っていろと俺に命令が下ったのさ。 以来、ずっと俺はお前を見ていた」
興味を持った。その言葉で想像出来るのは――――脱走の露見。
あの時点で既に俺が逃走していたのを予測していた、と考えるのは不可能ではない。いや、もっと確実な方法として追い掛けていた兄妹二人に話を聞いていれば俺が失踪していたと知ることは出来る。
理解と納得に至り、剣を収める。タンデルも溜息を零しながら武器を収め、直ぐに暗殺者の元へと向かった。
「何故、私の様子を探りに? これといって特異な部分は無い筈です」
「お前の家は特別だ。 家の情報も少なく、当主は何も情報を見せてはくれない。 解っているのは古今東西に轟く程の武威だけだ」
「それは父だけです」
「そうだろうな。 だが、そんな家の息子に意識を向けない道理は無い。 ――そして、お前の力は既に十分特異だよ」
暗殺者にポーションを無理矢理飲ませ、傷口を一気に塞いでいく。
失った血だけは回復しないものの、少なくともまだ死ぬ気配は無い。暗殺者の頭部を殴って意識を奪い、樽を持ち上げるようにタンデルは彼を抱え上げた。
「ハヌマーン様の護衛については感謝するよ。 シャルル様もハヌマーン様の事は酷く気にしていた。 同時に、失われた遺産についてもな」
「……どうりであの森の中で剣に意識を向けていた訳ですね。 王子ならば気にしない筈が無いですから」
「そういうこと。 取り敢えずナイフは回収させてもらうな。 その剣も戻すから返してくれ」
「はいはい。 まったく、最初から説明してくださいよ」
今度は俺が溜息を吐き、雷剣を彼に返す。
地面に落ちたナイフも全て集め、腰にあるポーチの中に全て納めた。
「あと、近い内に今回の件についてハヌマーン様に説明を求められるだろう。 きっとお前も呼ばれるだろうから、服装は整えてくれよな」
「……解りました」
夜闇の襲撃は終わりを迎えた。だが、俺の胸の内は決して明るいものではない。
ハヌマーンに関与する以上、王宮にも何時か行くことになるのは解っていた。だが、その理由が決してハヌマーンだけではない事までは解っていなかった。
一体シャルル王子は俺を見て何を思ったのか。そして、タンデルの残した特異という言葉の意味は何なのか。
何もかも王宮に行かねば判明せず、半ば強制的に行かねばならないのだと陰鬱な気持ちに変わっていくのも致し方ないことであった。