第二部:踊り子
「おーす。 今日も一日やっていこうか」
早朝の時刻にギルドに向かうと、丁度良くナナエの姿があった。
他の冒険者達に朗らかに挨拶を送り、中年の冒険者達が鼻の下を伸ばしながら挨拶を送っている。
男性の冒険者が女性に蹴られている風景も見え、何時も通りだと外套の中で笑ってしまう。それは誰にも知られる事は無かったが、俺が入った事に気付いた一部の冒険者は身を硬くした。
昔から誰かを襲撃をした覚えはない。にも関わらず、何故か相手側からは警戒される事が多い。やはり外套で顔を隠している奴は怪しいと思われているのか、付き合いの浅い人間との会話の時には距離を感じることが非常に多いのだ。
身形の怪しい奴は何処に行っても怪しまれる。当然の摂理ではあるものの、五年が経過した今でもその対応が変わらないのが内心ショックではあった。
気持ちを切り替え、ナナエの元に歩く。
彼女は人気者だ。早朝の挨拶時には大抵の人間が好意的に挨拶を送ってくれて、無視するような人間は新人か脛に疵を持つ人間ばかり。
中堅冒険者にもなるとその挨拶だけで敵か味方かを判別する材料の一つとするのだから、油断など出来る筈も無い。俺も彼女と友好的にならなければ更に孤立を深めていただろう。
別に一人で生活を支えるつもりだったので当時は構わなかったが、あの落伍者の件で明確に付き合わねば妨害の数は十や二十では済まされない。
強くなる。その目的の為には彼等の妨害は非常に邪魔だ。弱いまま単純に足を引っ張るだけでは何の成長も自分には見込めなかっただろう。
もしかすれば自分のランクがもう一つは下だったかもしれない。
それが十分に考えられるだけに、人付き合いとはやはり重要なのだと思わせられる。だからといって積極的に他者と繋がるつもりは無いのだが。
「お、フェイじゃん。 昨日の依頼はどうだった?」
「最悪も最悪でしたよ。 途中で山賊の襲撃に合いましたからね」
「ありゃ、それは災難だったねぇ」
俺の襲撃の言葉に彼女は楽し気に返すだけだ。
所詮山賊。冒険者崩れの人間ならばそれなりに戦えるかもしれないが、市井の人間がそのまま山賊になった程度では冒険者の攻撃は防ぎ切れない。
だから彼女もまったく心配などしていないのだ。俺自身がランク五というのもあるだろう。
さて、此処に来た以上は二人共に依頼を受けにきたことになる。ランク五や六相当の依頼はこの街であれば僅か程度に存在するものの、在籍人数とは合っていないので奪い合いになり易い。
だから俺は基本的に下がり、相手が居なくなるのを見越してから依頼を決めていた。それは今回も変えるつもりはない。
ただし、と俺は共に掲示板に向かって依頼書を一枚引き剥がした。
「今日は珍しいね。 ……ん、なんでランク四?」
「訳があります」
ナナエは俺の依頼書を一々見る癖がある。それは共に活動していた者ならば誰であっても解ることだ。
そして、ナナエは俺がランク四の依頼書を取ることなど有り得ないと認識している。疑問に思うのは当然、怪しむのも予想の通り。
疑惑の眼差しを送る彩に周囲の喧騒に紛れるように小声で呟けば、彼女だけは目を見開いて即座に掲示板から離れた。
俺と共に依頼書を受付に持っていき、そのまま受理される。
内容は森の深層に近い位置にある薬草の採取。その数も多く、敵を撃破しながら採取し続ける必要がある。人数によっては余裕を持てるものの、二人では片方が採取をしつつもう片方が敵の撃破になるだろう。
彼女は何も言わないが、付いてくるのは解り切っていた。受付の人間も俺とナナエの並びに違和感を覚えず、何も聞かれずに笑顔のまま見送られる。
外に出た俺達は道具と食料を買い込み、その足で森に進む。
街を出た直後ではまだ他の人間が多いものの、森の近くまで行けば流石に人の数は少ない。
残るは冒険者くらいなもの。故にさっさと中に入っていき、一直線に中層にまで足を運んだ。
昨日の森とは一転して、森の中は平和だ。野生の小動物達が木々を登り、涼やかな風は移動で火照った身体を冷ましてくれる。
此処がまだ表層であるからというのもある。俺達の実力ならば簡単に倒せる敵ばかりであるからこそ、半ば遠足気分で進む事が出来ていた。
だが、付いてきたナナエは常に此方が口を開くのを待っている。早く早くと急かす雰囲気に苦笑を覚えつつ、中層間近の付近で口を開いた。
「実は、昨日の時点で厄介な事が起こりました」
「厄介な事? 面倒な依頼でも押し付けられた?」
「そうもまた厄介ですが、今回はもっと厄介でしょうね。 何せ政治絡みですから」
俺の言葉に彼女の目が細まる。心なしか殺気まで感じるのは、俺が臆しているからか。
彼女にならば今回の秘密は話せる。付き合いも長く、苦楽を共にした関係は決して浅いものではないと断言出来るからだ。それに彼女はかなり義理堅い。
踊り子という一見すると遊び人のように見える格好は相手の印象を欺く為であるというのも、彼女らしさが感じられた。
周辺の警戒をしつつ、互いに切り株に座り込む。
昨日の出来事を出来る限り短く纏めて伝え、直面している問題事項を彼女に告げた。
隠された王子。迫る暗殺者の影。その暗殺者の正体と思われる冒険者に、裏で活動する貴族の存在。
俺は王子達の味方になる事を告げ、一旦は口を閉ざした。
何を言われるのかは予想出来ず、拒否される可能性は大いにある。そもそも、国家の未来を左右しかねない問題事に首を突っ込むなど常人であれば断固お断りだ。
「……抱えている話は解ったよ。 随分馬鹿な真似をしたねぇ」
「あはは、すいません。 でも、昔からの夢でしたから」
「騎士になる、か。 その意思は応援してやりたいし、力になれる事ならいくらでも手を貸したいけど、どうにもね。 やっぱり私には即決過ぎると思うよ」
ナナエなりの苦言に、俺はまったく何も言い返せない。
まったくもってその通り。全て彼女が正しく、間違っているのは俺だ。騎士になりたいという夢だけで最も問題の抱えた王子の味方に付くなど、本来であれば有り得ない。
しかし、他に方法が無かったのも事実だ。俺がこれから騎士になるには、どうしても自身の元の身分というものが障害となる。
加え、そろそろあの騎士団には兄妹達が入っている頃だろう。そこに俺が入ろうとすれば、間違いなく日夜家に戻れと勝負を挑まれる筈だ。そんな生活は断固として断りたい。
「まぁ、もう十四歳だ。 自分で決めるには十分な頃だろうから何も口を挟むつもりはないよ。 好きな道を進んで、やりたい事をやれば良い。 ――――でも、私にこんな話をしたということは他に要件があるんだよね?」
「ええ。 そうでなければ貴方に対して何も話はしませんでした」
「それはちょっと傷付くんですけど?」
彼女の茶化すよな声に対して、俺は外套を外した。
真面目な頼み事だ。そんな時に外套を外さないで頼みこむのは失礼に当たる。他でもない彼女だからこそ、俺は真摯に彼女と対面しなければならなかった。
長い付き合いだ。彼女だって、俺が外套を外す意味を知っている。だからだろうか、彼女も緩い雰囲気を締めて真剣に向き合ってくれた。
その事に感謝を送りつつ、言葉を告げる。どうか助けてくれと思いを込めて。
「今後もペリドット伯爵からの攻撃があるでしょう。 前回の件は計画されていたことではありますが、次回は何の計画もされていない特攻紛いの攻撃があるかもしれません。 それを防ぎ続けるだけでは、やがて此方が疲弊するだけです。 なので、我々側も攻撃する機会を手に入れたいのです」
「……つまり、そのペリドット伯爵に対して調査をしろということ? 何かしらの事態が起きればその都度報告し、悪事の証拠品があれば回収しろと」
「無茶を言っているのは百も承知です。 ですが、今のあの勢力は極端に弱い。 私が最高戦力だと言えば、貴方も不安でしょう?」
無茶も無茶。見返りも安定性に欠け、話を聞くだけでも時間の無駄だと誰しもが思う。
俺が彼女に話をしたのは、付き合いが長い以上に根が優しいからだ。その性根を利用した手段に反吐が出ると自身を罵倒しつつ、他に方法が無いと無理矢理悪感情に蓋をする。
自分を罵倒するのはいくらでも出来るのだから。今は先ず、彼女の答えを聞くのが先だ。
暫くの間彼女は腕を組み、思案の表情を浮かばせる。切り株から立ち上がって近くを行ったり来たりと繰り返し、今此処で決断を下そうと考えていた。
自身の感情、損得を加味した上で此方の陣営に加わってくれるかどうかを決めている。
良い要素はまったく無いのに真剣に考えてくれるのは、正しく彼女の性根が優しいからだろう。その想いに頭を下げたくなる。
「一応確認なんだけど、他に相手側から何か言われたりした?」
「他にですか? ……そうですね、ナノ様からは俺にランク九か十を目指せとも言われました。 何でも王族の護衛には絶対にランク九か十の冒険者が居るそうなので」
「その王子にも居ないと一段下に見られてしまうと? でも、そうね。 それは確かだわ――よし」
何かを決めた。
切り株に座り、彼女は暫く考えを纏めてから俺に視線を合わせる。黒曜石の如き瞳には、一つの決心が宿っていた。
「その提案をそのまま飲む事は出来ない。 いくら何でも初対面の人間相手に従うなんて御免だしね」
「尤もな意見です」
「だから……そうだね。 君の為なら、吝かでもないよ」
それはどういう。
そう言いかけて、彼女が未だ真剣な顔を見せているのに気付く。普段の遊びも混じった言葉ではなく、彼女は本気で俺に対して言葉を紡いでくれている。
俺の為に。その言葉の意味は、本当にそのままなのだろう。
責任ある言葉だ。決して無碍にしてはならぬ言葉だ。騎士として、冒険者として、一人の男として、彼女のその言葉に何も返さないのは嘘だろう。
必ず彼女には明るい未来を渡す。それを背負う必要が俺にはある。
「明るい未来にならないかもしれない。 君の所為で私は地獄に落ちるかもしれない。 それでも、私は君に伸びると背中を押した人間だ。 その責任は確り取る必要があるでしょ?」
「それは俺が最初から……ッ!」
「最初から目指していた事だって? それでも、一度言った言葉は飲み込めない」
太鼓判を押したのはバウアーだ。
だが、彼女も後押しをしなかった訳ではない。肯定と共に依頼を受け続け、冒険者として研鑽の日々を過ごす師匠となったのは間違いではなかった。
だから彼女はこう言いたいのだ。――共に責任を背負い合おうと。
彼女は気安く笑う。それが強がりでも何でも無く、彼女の性根から出たものであるのは誰が見ても一目瞭然だった。
そんな彼女を止める事は出来ない。俺が提案したのだ。止めるような真似など出来る訳もなかった。
これは彼女なりの応援だ。頑張ってくれと願う彼女の祈りだ。
ならば共に背負い合って、俺は最良の結果を引き寄せてみせる。貴族だろうと王族だろうと、誰にも止める事は許されない。
必ず王子の命を守る。策謀を巡らせるのはナノの出番だ。
再度深く頭を下げる。俺が出来る最上級の礼に、彼女はただ静かに見守るだけだった。