第二部:それぞれの役割
「先ず最初に各々の役目を決めましょう」
全てを取り仕切るのはナノだ。
彼女にとって学舎の生存は必須事項。絶対に守り通さねばならない柱である。
それ故に全体の統括をするのも納得だ。俺では絶対に先頭を歩けないし、そもそも部外者に一番近い人間が先頭を進むなど意味が解らない。
女教師は迷いなく頷き、ハヌマーンは躊躇いながらも小さく頷く。
俺は言うまでもない。彼女に視線で続きを促し、されど彼女はその前にと言葉を続けた。
「自己紹介も全員まだでしょう? 私とフェイは知っているけれども、貴方達二人とフェイは初対面。 先にそちらを済ませてしまいましょう」
「ハヌマーン様については先程詳細に説明させていただきましたので、私だけですね。 では、改めまして」
此方と向き合い、女教師は一切の姿勢の乱れ無く腰を曲げる。
優雅な仕草は女性ならでは。柔らかい筋肉が見せる美しさは女性貴族では出せないであろう。
「アンヌと申します。 元民主騎士団の者でしたが、今は王様の命を受けてハヌマーン様の護衛を務めております。 平民ですので学については自信が無く、代わりに家事の一切を行えますので御用があれば何なりと命じてください」
「基本的に彼女にはハヌマーン様の護衛を務めてもらいます。 この学舎でも育者という形で入っているので、表向きは教師として扱うように。 ちなみに彼女が教えているのは護身術よ」
平民出身で構成されやすい民主騎士団の騎士。
俺の夢を体現する存在だ。誰かを守る事を生業としているその姿は、尊敬して然るべきである。
彼女に家事を頼むなど論外だ。これからも教師と冒険者として接することになるだろうと納得し、今度は自分の紹介を始める。
とはいっても、俺の自己紹介なんて全て嘘だらけ。
両親達に疎まれ、自分から逃げ出した情けない男。冒険者としてのランクは五であり、ある程度腕に覚えはあるとだけ教えた。
ランク五は中堅も中堅。決して強者の部類には入らず、アンヌもハヌマーンもまったく驚愕しない。
それが今は安心した。怪しい部分を限りなく削ぎ落したとはいえ、何処で疑われるかも解らない。
「フェイには冒険者として今後も動いてもらうわ。 ただし、ランクは更に上げてもらうわよ」
「七くらいか?」
「馬鹿言いなさい。 最低でも九は目指してもらうわ」
ランク九。その言葉に、アンヌは明確に目を見開いた。
それがどれだけ難しいのかは俺も知っている。その領域に届かせるには、必要な素養が多過ぎた。
天与の才、弛まぬ努力、積み上げた経験に、並ぶ物無き上質の装備。
全てが重なり合い、漸く到達するかもしれない。それがランク九という領域だ。並の人間では絶対に到達出来ない、まさしく格の違う世界である。
そこに辿り着けと彼女は言うのだ。無茶無謀極まりなく、しかし王族を護るにはそれだけの実力が必要となってくる。
「現状、王族の方々には例外無く上位冒険者の護衛が付いているわ。 ランク九や十相当の依頼なんてそうそう無いもの。 実力者を遊ばせるよりも護衛として雇った方が王族側も安心出来るでしょ?」
「その実力者が私には居ない。 いや、アンヌを弱いと言うつもりは無いが、公式の場に出る時があったとして、高位冒険者という肩書が無い護衛を用意している王族は侮られるだろうな」
「その通りで御座います。 その為にも早い段階で高位冒険者を用意しなければならない。 ――あんたの責任はかなり重いわよ」
「無茶を言ってくれますね。 ……ですが、面白い」
平凡な暮らし。一人慎ましく暮らすなら、もうこのランクで落ち着いても良い。
だが夢を掴むならば、騎士として活躍したいならば、俺は自身を磨く必要がある。これまでは卑下してばかりだった己を叱咤し、再度上を向かせる必要がある。
強くなるのだ。強くなって、強くなって、誰にも負けぬ無双に手を伸ばす。
その為に必要な努力を全て重ね、強大な怪物を皆殺し、果てには比類無き者にならねばならない。
世界中の誰からも守る騎士。その名誉がどれだけ魅力的で、死へと導いていくのだろうか。
面白い、と素直な感想が表に出る。
これまでも努力をしてこなかったとは言わないが、明確に誰かを守る事を意識した覚えは無かった。
共に活動していた二人は自分よりも実力が有り、逆に助けられる場面が多々あったのだ。市民を守るという意味でなら依頼の中で何度も守ってきたものの、意識したとは言えない。
これが初めて。
明瞭に対象が居て、他者に強さを求められた。騎士としての己を求められたのならば、応えてみせるのが騎士の家系だ。
既にあの家は捨てたというのに、妙な部分で拘ってしまう。刷り込まれた夢とは厄介なものだと思いつつ、しかし悪い気は一切しない。
やってやろう。強くなろう。力強く頷き、彼女も威勢良く頷いた。
さて、そうなれば残るはハヌマーン本人。責任重大な役目が俺に発生した以上、その主人たる彼にも何かしらの役目があるのは必然だ。
「そしてハヌマーン様。 先ずは貴方様には他の王子達に負けない知識を備えていただきます」
「……出来るのか?」
「出来ますとも。 ですが、一つだけ言っておかなければなりません。 私が保有している知識は五年も前の情報ばかりです。 なので、時には実際に他の領地に赴いて生活風景を見なければなりません。 あの王子達が行っている視察と一緒です」
「……成程、解った。 だが、考える時間が欲しい。 今の私にそのような重大な決断を即断する勇気は無いのだ」
「ハヌマーン様」
「頼む」
二人の空気は決して険悪ではない。
だが、二人の視線の間は軋みをあげている。互いに引けないと思いながら激突する様子に、譲れない感情が透けて見えてしまう。
ナノの言葉は不敬だ。だが、それを許される程度にはハヌマーンは心を開いている。
だから意見の衝突は生まれるし、それによって互いが納得する妥協点も生まれるもの。一方の意見のみを採用するようでは差別が生まれてしまう。
アンヌはこの状況を黙って見守っている。どちらが先に我を引っ込ませるのかを見守り、どちらに転がっても角が立たないようにするつもりなのだろう。
だが、此方は別に要件がある。此処で話をするだけならばこの状況が続いても良いが、俺は現在仕事中だ。
両者の間に立ち、二人の視線を集める。
片方は困惑で、片方は怒り。解り易い表情に顔が笑みに歪んだ。
「あまり睨み合わないでください。 ナノ様、ハヌマーン様に三日程お時間をいただけませんか? 諦めていた人間を立ち上がらせるには相応の時間が必要です」
「もしかすれば断るかもしれない。 それでも?」
「それでもです。 ――それに、ハヌマーン様はどうやらやる気みたいですよ」
一度諦めていたからこそ解る。
今の彼には僅かながらに瞳に火を灯していた。吹けば消えるような頼りない火だが、それが進むべき第一歩になるのは想像に難くない。
僅かな差であるとはいえ、先達として見守るべきだ。彼女の睨みに此方も返し、最終的には彼女の方が視線を逸らした。
彼女自身も無茶を言っているのは承知の上。だからこそ折れるのも早く、話はこれで終わりだとナノは手を大きく叩いた。
「解った! 解りました! 三日間の時間を与えます。 それまでの間に必ず結論を出してください。 ただし、諦めるのでしたら相応の覚悟をしてください」
「有難う。 フェイ殿にも感謝を」
「いえ、流石に彼女の方に無理があったので」
此方への感謝は逸らす。別に感謝されたくてしている訳ではない。
俺の夢を達成する為には、相応の主人が必要だ。それは決してハヌマーン様だからではない。
故に、感謝をされても困る。俺はそれを受けてもどう返せば良いのか一切解らないのだ。
話が纏まり、場の雰囲気は解散一直線。ハヌマーンも硬い雰囲気が消えたことで呆と吐息を零し、そんな彼にアンヌが労いの言葉を送る。
主従関係は悪くない。それだけで彼の性格もある程度は解るものだ。――そんな緩い雰囲気に、俺は特大の厄介事を持っていく。
「ところで、どうやら不審人物が近くに居るようです。 全員気を付けた方が良いかと」