第二部:樹林の罠
今回突入する森は表層部分だけである。
表層部分から手に入る素材は主に薬草類が殆ど。動物は草食が多く、肉食も時折姿を見せる。
冒険者になりたての者でも比較的安心して入れる部分だ。他に安全な採取場所も無く、港街で冒険者になった者は先ず最初に森の中に入る事になる。
そこから更に進めば薬草の数も種類も増えるものの、多くの肉食動物が姿を見せていく。
彼等が表層部分に出てこないのは、ある程度ランクの高い者達が肉食動物達を殺していくからだ。動物の肉はそのまま市場に卸され、下位冒険者にとって良い小遣い稼ぎにもなる。
故に中層で縄張りを作り、そこからあまり外に出ないのが一般的だ。ある意味一番狭い場所に居ると言えるだろう。
そして下層。外獣蔓延る地帯は危険極まりなく、その危険の代わりに薬草以外にも鉱石が掘れる場所がある。資源に恵まれた環境は人間にとって非常に喜ばしいのだが、常に襲われ続ける状態で作業をするのは不可能だ。
時折外獣が表層にまで姿を見せる事もあり、この森の全体的な危険度は他所の街の評価よりも高い。
そんな場所に子供を百人連れて行く。冷静に考えれば何かあると思うのは自然だ。
そして、教師陣はそれに気が付いていない。下級層の子供達が生計を立てるには冒険者か、運が良くて何処かに雇われる以外に他に方法が無かった。
階級が下がる程に選択肢は狭まっていく。身分が低い人間は虐げられ易く、だからこそ学舎側も早めに子供達に活躍の場を与えたかったのだろう。
不審に感じている人間が居るとすれば、現状では俺が受け持っている子供達の内の一人と教師の一人。
後は今回の行動を容認したナノ本人。どれも怪しい部分はあるものの、現段階では確定で黒幕であるという証拠は何一つとして無い。
遂に森の表層部分に辿り着いた俺達十四人は、一先ずは注意事項の再伝達の為に停止する。
滞在時間は昼過ぎまで。それを超えるようであれば、予め決められていた通りに強制的に森の外にまで引き返す算段だ。
子供達の目は野獣そのもの。下級層の子供達が食料を見る眼差しと変わらず、如何に今回の課外授業を重要視しているかが解る。
俺も警戒をしながら説明係として動くので、子供達の姿勢は大変に良いものだ。
「それでは、これより森内部に入ります。 解っているとは思いますが、全員私や教師の方の傍から離れないこと。 もしも何か発見すれば、どちらかに言ってください。 ――良いですね?」
『はい!』
威勢の良い返事に俺は頷き、教師も真面目な顔で頷く。
未だに笑みの一つも見せない様子に生真面目な印象を抱くものの、職務に忠実なのは決して悪くはない。ただし、その職務が一体どちらであるかに寄っているかは依然として不明なままだ。
此処から先は俺が先頭となる。女教師と位置を交換し、ゆっくりと足を踏み込んだ。
俺達が居る位置の近くには他の集団が居ない。この森はそれなりに広いので百人くらいならば容易く飲み込めるので不自然ではないが、どうにも今は不気味だ。
自分の知覚範囲が極端に狭いというのもあるだろう。普段の警戒範囲を超えている以上、遠方の存在はまるで掴めない。
相手が最初から遠距離の攻撃方法を熟知しているとすれば、この状況は不利だ。
なるべく教師やあの子共達に怪しまれない程度に動く。
冒険者としての心構えを俺なりに伝え、この森の表層部分限定で採取出来る薬草を教えていく。中層に行くのは現段階では無謀極まる。甘い汁はあるものの、それを上回る恐怖によってあっさりと殺されてしまうだろうと若干脅しながら周りを歩いた。
道中では肉食動物の襲撃も起きたが、数は僅かに四匹。子供達は悲鳴を上げて退がり、俺は両者の間に割って入り全て殺した。
首を切断したので生きてはいない。切断面から流れる血液は夥しく、このまま放置をしていれば中層から表層に近い肉食動物達が反応する可能性がある。
「これが死体です。 皆さん見るのは大丈夫ですか?」
胴体だけとなった狼の身体を持ち上げると、幾人かは気分を悪くして顔を青褪める。
それ以外は眉を寄せながらも確りと死体を見ていたので、今見ている者達は比較的安心して冒険者を目指せるだろう。
何処の世界に死体を直視出来ない冒険者が居るものか。一度でも希望したのであれば、生々しい肉を誰もが見なければならない。
狼の肉はこのまま持ち帰れば売る事が出来ると説明して、その場に放棄。
直ぐに移動を開始し、なるべく死体から距離を取るように森の中を進んだ。
木々の多い森の内部は薄暗い。陽の差し難い地形故に暗所に近い状態となり、僅かでも差さない場所に行くとランタンが必要となる。
暗所という空間に子供達は不安顔だ。これまでも安全圏で生活出来ていた訳ではないだろうが、此処は明確に敵地である。一瞬でも油断すれば食い殺される懸念がある以上、恐ろしいのは当然だ。
――だからこそ、今この瞬間も平気な顔をしている二人は異常極まる。
危険な場所など慣れ切っていると言わんばかりの冷静な態度。少年に至っては怖がる子供達を見て、一瞬だが気遣う目をしていた。
泰然自若。正に年齢不相応な態度と出で立ちに、いよいよもって彼等の階級が違うのだろうという推測を強固なものにしていく。まだ生来の気質が他者と違うのだとも思っていたが、少年の見ている視点は平民達が見ている場所とは違う。
もっと多くの者達を見る目――――あれは俺のよく知る父親に近い目だ。
となればと考え、思考は次々にこれまでの前提とは違う形に仕上がっていく。
何故ナノが意味深に笑みを見せるだけだったのか。何故百人の子供達を一気に動かしたのか。何故定員が足りていないというのに強行させたのか。
思い返せば、全てが全て不自然に過ぎる。安全性を取るのであれば予定を動かして十人ずつで行けるようにするのが普通であろうし、ナノがそれを思い付かない筈も無し。
加え、あの女教師。
どう低く見ても雑魚ではない。足運びや周辺警戒に余念が無く、冒険者としてのランク帯で数えれば三以上は間違いないだろう。まだまだ戦闘行為そのものを見ていないので断定は出来ないが、決して戦い慣れていないという線は有り得ない。
並べ立てる材料の数々。爆発的に増加する不審の情報に、頭の中は退避の二文字だけが強く浮かぶ。
このまま此処に居てはいけない。
それは俺を指すのではなく、子供達を指している。今この瞬間において真に危険なのは――子供達だ。
「――――チィ!?」
その真実に到達した時、背後から何者かの殺意を感じた。
同時、静かな森の中で何かの射出音。咄嗟に振り返れば、大木から伸びる一本の枝の上に深緑のマントで全体を隠していた何者かが居た。
腕には持ち運びに重きを置いたクロスボウ。鍛えられた視力は真っ直ぐに金髪の少年に向かう矢を見つけ、周りが困惑するのも承知の上で全力で飛び出した。
少年の居る位置は最後尾。だが、元々の数が少ないお蔭で十分に間に合う距離だ。
空中に浮いた身体は一本の矢のように飛び、少年を襲うクロスボウの矢を掴む。元々の瞬発力が味方をしてくれたお蔭で、昔では間に合わないような速度にも無事に対応する事が出来る。
返す刃のように腰に付けていた毒付きのナイフを一本投げ付け、相手はそのナイフを身体を捻らせて避けた。
その動作に余裕は無い。少なくとも、単体での戦力は決して高くはない事になる。
そのまま睨み付けるも、暗殺者の攻撃が失敗したのを契機に俺達を囲むように無数の殺気が現れ始めた。
「――フェイ様、これは」
「御話は後です。 先ずは無事に脱出する事を考えてください」
着地した際に女教師に初めて話し掛けられたが、今はそちらを気にする余裕は無い。
殺気の数は三十。徐々に近付いてくる身形は山賊も同然であり、醜い顔を愉悦の笑みに染め上げた者達は此方の勝ちを確信している。
相手は森の中で準備をしていた。今日この日、子供達が此処に来ることを知っていて。
「ハヌマーン第四王子で御座いますね? ……申し訳ないのですが、御命を頂戴致したく」
最後の欠片が嵌まり、ついに全てを理解させられた。