第二部:冒険者は困惑する
身体を拭き、身支度を済ませ、学舎に向かって早足で歩く。
装備品は全て点検し、普段ではあまり持たない道具類を邪魔にならない限り持ってきた。
相手の注意を引く臭い玉に数種類の毒物が混ざったナイフ。ナイフは投擲用であり、練習を重ねたお蔭で一定の成果を引き出す事に成功している。
ランク六までであれば有効な毒物は採取にも一苦労な代物だ。出来る限り使用は控えていたかったが、護衛対象の安全の為にと持てる限りを持ってきている。
後は回復薬に解毒薬も多めに持ってきているものの、森の表層部分に毒性の外獣が居るということはない。
奥に居る外獣が出てくれば話は別であるが、基本的に毒性を持っている外獣は正面からではなく隠れて襲う事が多くて対処に遅れてしまう。
故に奥に居ようとも表に来る可能性は常に抱えている。
油断出来ずに備え、死者を一人も出さずに無事に達成すればナノも満足してくれるだろう。
学舎に居る冒険者の数は総数で八人。定員の十人には届かなかったようで、この分だと残りの生徒達を分割して護衛することになるだろう。
一人で教師を含めて十一人を護るとして、二十人の生徒を八人で分割するとなると――八人の内の半分は三人程になる。
最終的な数は十四人になるので、それを一人で守るのは困難だ。
護衛任務は難易度の高い依頼であるが、ランクが五まで上がると途端に難しさが段違いに変わる。
もしもランク三程度の人間が行おうとすれば無謀の極みとして止められるだろう。
「あれ、フェイじゃないか。 君もこれに参加を?」
「タンデルさんじゃないですか」
学舎の前で待つ冒険者の姿は十人十色だ。
その中でも灰色の髪を短く刈り込んだ細身の男性に声を掛けられ、俺も言葉を返す。
タンデルと呼ばれた男は鼻を指で擦りながらおう、と快活に応えてくれたものの、俺の名前が出てきた瞬間に他の冒険者達の顔に緊張が走っている。
タンデル。元は伯爵家お抱えの傭兵をしていたらしく、当主が変わった事を機に冒険者として転職した人物だ。
明るく、無駄に元気で、暗くなった顔を見たことはあまり無い。
本人も可能な限り明るい自分で居ようとしている雰囲気があるので、意識的に元気な自分を振り撒いているようだ。
得意武器はハンマー。一度依頼を共にした事があるが、彼の全力は簡単に岩を破壊していた。
「お待たせしました、皆さん。 本日はどうぞよろしくお願いします」
更に待ち続け、予定時刻を僅かに超える頃。
百人規模の人員が姿を見せ、その前を歩く教師陣の内の一人が此方に話し掛けてくる。
年齢層は低くはない。一番低い者でも中年を迎え始めたばかりだ。女性の数は少なく、総数は僅かに三人程。やはり今回の授業の観点から見て、男性を多く採用したと見るべきだ。
女性が此処に居るのは純粋に森に入った事があるからか、本人の生活によって男顔負けの身体能力を持っているのかのどちらかだろう。
全員が一応の防具として胸当てを着ているが、その質そのものはあまり高くはない。
店で売られている類の物と同一で、比較的値段の安い防具は例え金属製でも簡単に壊れる事で有名だ。
繋ぎ目には動物の革を使われている事も多い。今回教師や生徒が付けている胸当ての繋ぎ目にも革が使われているので、その部分を破られれば纏うことも出来なくなる。
今回の仕事において、ナノの参加は無い。
彼女は学舎で書類仕事をしつつ、時間を作っては生徒とも触れ合っているだろう。彼女が生徒を大事にしているのは先日の話の中で嫌という程伝わった。
その顔を歪ませない為にも、この仕事は成功という形で終わらせておきたい。
生徒は此方の想像通り、最終的には半分が十四人を連れて行くことが決定された。冒険者達の顔は総じて苦くなったものの、追加で報酬を増やす話を聞いて辞退だけは無事に避けられている。
俺が担当する子供達は十歳だという。一番幼い者達を集められているものの、幼さ特有のふざけ合う気配は微塵も感じられない。
いや、それどころか刺々しい者達も含まれている。
唯一静かな子共も居るが、そちらは別の意味で幼さとは無縁だ。静かに全体を俯瞰して見ているような眼差しは何処か為政者の目にも似ている。
「それでは本日はお願い致します。 フェイ様」
「……はい。 それでは、早速森に向かいます!」
前を行くのは教師だ。後ろを俺が進み、生徒達は二人の間を直線に並びながら教師に付いて行く。
共に向かう保護者役は女性の育者だ。夜会巻きをした黒髪に吊り上がった目尻には鬼教師という印象を抱かせる。彼女の足運びには歪みは見えず、姿勢もずっと直線的だ。
一朝一夕でこんな動きが出来る筈は無い。更に言えば、彼女の胸当てには違和感を感じる。
まるで内側に何かを仕込んでいるような、それを取り出し易いように態と左側に胸当てを寄せているような――確証は無いものの、明らかな不自然さが瞳に映った。
子供達が冒険者志望であるのは聞いている。彼等はその殆どが下級層出身であり、育ての親はまったくと存在していない。
親の居ない子供達から金を取るのは不可能である。にも関わらずに今教育を施しているのは、最初から何処かから運営資金を貰っているのだろう。
その理由を先日の店の中でさり気なく尋ねたのだが、彼女は意味深に笑って回避した。
それはつまり、他所には話せない話であるということ。誰だって一つや二つ秘密を抱えているものだが、ナノが今回抱えている秘密は一冒険者に打ち明けられる類のものではないということだろうか。
それか、彼女自身が俺に対して情を抱いてくれているから言わないのか。
どちらにせよ、この依頼には何かが潜んでいると見て良い。冒険者志望の子達を外に体験に行かせる事に違和感は無いものの、増援を要請する備えもするべきだ。
態々子供達を殺したいと思っている訳ではないとは思う。それをしても学舎の評判が落ちるだけで、ナノ達が狙っているのは寧ろ全員の生還の筈だ。
――――誰かが、子供達の誰かを狙っている?
唐突に脳裏を過った可能性に、前を歩く子共の一人を見る。
俺とは比較にならない黄金色に輝く髪。肌は白く、しかし健康的な白さを保っているので慢性的な病気を持っているとは思えない。
その服装も平民の物と一緒だ。白い薄着の上に緑の上着を羽織り、動物の皮で作られたズボンは活動的な子共には丁度良い一品だろう。
だが、見れば見る程に怪しいのはその子共だ。他が外獣に対しての敵意を抱いているのとは異なり、静かに前を歩く姿からは大人に近い落ち着きがある。
加えて、一番前を歩く女性教師。二人の異常を前にして、何かが起きると予感しない人間が果たしているだろうか。
胸元に手を伸ばし、連絡用の小さな煙筒を取り出す。
普段から持っている煙筒は上空に向かって一筋の煙を立ち上らせる物だ。色によって内容は異なり、三色分俺は持っている。
緑は正常、黄色は警戒――――赤は非常事態。
森から放たれる煙に街の人間が気が付くとは思えない。だからこの煙を使って頼るのは、俺と同様に煙筒の効果を知っている他の護衛冒険者に対してだ。
杞憂ならそれで良い。だが、何かが起こるだけの要素は集まり始めているのも事実。
このまま何もしない選択を取るのは不可能であり、俺は子供達の安全の為にのみ注力しなければならない。
子供達を危険に晒すこの行為の意味は何か。
それを常に考えつつ、俺を含めた全員が森へと徐々に近付いていく。普段であれば平穏そのものの森が、今この時には魔物蔓延る有数の危険地帯のように見えていた。
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